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島津

8月23日岐阜城の攻略黒田長政・田中吉政・藤堂高虎らは大垣城へ進むべく中山道を西に進んで

合渡川(河渡川)において石田の兵を撃破して侵攻したのである

ちかくの墨俣に陣を張る豊久ら島津の兵を退却させた上で退却するべきだと三成に主張したが一蹴された。島津義弘自ら撤退命令をだした。23日宇喜多秀家の東軍の夜襲の案件も島津義義弘が賛同したが三成に一蹴されている。

いずれにしても、三成は1500人の兵力を軽んじていたとしかいいようがない。


島津は豊臣秀吉の朝鮮出兵の時も泗川の戦いで5倍の相手を倒している。

朝鮮では、「鬼石曼子」(おにしまんず)と恐れられていた

1500人の兵力だが一人一人が鉄砲を持ち歴戦の猛者の集団である


島津軍は、目の前の敵だけと戦っている

井伊直政3600松平忠吉3000が攻めていくがすぐに跳ね返される。


三成の伝令が三成陣の応援の催促に向かった。


三成の使者八十島助佐衛門ともう一騎の早馬を走らせた!!


ユイカは、千里眼で三成の動きがみえてきた。

結界が徐々にやぶられ、パワーが伝えられているのであろうか。

ユイカ「居無湖インコ成重 行きなさい!!」

ユイカは強い口調で空に向かって叫んだ!!

成重は、飛び立ち島津陣に急降下していった。


島津兵「殿、三成殿の使者がきております。」


島津義久「通せ!!」



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