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悪役令嬢、現代日本で女優になる。~IFルート〜今度こそ自分の才能を自分のために使います  作者: にゅん


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引っ張られる演技

 翌日の撮影でも、玲奈と美咲は朝から同じ教室にいた。昨日は二人が正面から衝突する場面を撮ったが、今日はその翌日という設定であり、水城紗良と桐谷凛の間にはまだ気まずさが残っている。


 台本にも、仲直りする場面は用意されていなかった。一度ぶつかったからといって、翌日には互いを理解して仲良くなるわけではない。


 紗良は凛の言葉を気にしており、凛もまた自分の言い方が正しかったとは思っていないが、素直に謝るつもりはなかった。


 玲奈が教室へ入ると、美咲はすでに自分の席で台本を読んでいた。昨日と同じようにリボンを少し緩めた制服姿で、玲奈に気づくとすぐに顔を上げる。


「おはよう。今日も負けないから」


「朝の挨拶より先にそれなの?」


 玲奈が笑いながら鞄を置くと、美咲も楽しそうに笑った。昨日までなら玲奈に対して多少の緊張があったはずだが、一日撮影しただけでかなり薄れている。


「だって昨日、最後に玲奈ももっとやるって言ったじゃん」


「言ったけど、何でずっと勝負になってるの?」


「そのほうが面白いから」


 美咲はそれだけ言うと、何事もなかったように台本へ視線を戻した。玲奈もそれ以上追及せず、自分の席へ向かって今日の場面を確認する。


 午前中に撮影するのは、紗良と凛が直接会話をしない場面だった。


 昨日の騒ぎについてクラスメイトたちが話しており、二人は互いを意識しながらも別々の友人と過ごしている。


 台詞だけを見れば難しい場面ではない。それでも監督は、本番前に二人へ一つだけ確認した。


「昨日のことは忘れてないからね。ただ、ずっと睨み合う必要はないよ。気になるから、たまに見ちゃう。それくらいでいい」


 二人とも頷いた。


 本番が始まると、紗良は友人から昨日の出来事について尋ねられた。凛と言い争ったのかと聞かれ、教科書を机へ置きながら首を横に振る。


「言い争ったというより、考え方が違っただけ」


 紗良はそう答えながら、教室の後ろへ一瞬だけ視線を動かした。凛は友人と話しており、こちらを見てはいない。


 そのまま会話を続けようとしたところで、美咲が何かを感じたように振り返った。玲奈と目が合う。


 二人ともすぐに視線を逸らした。


 台本には細かく書かれていなかった動きだったが、監督は止めなかった。昨日あれだけ強くぶつかった相手なのだから、気にならないはずがないというだけの、ごく自然な反応だった。


 場面はそのまま続き、教師が入ってきたところで生徒たちが席へ戻る。紗良も前を向き、凛も椅子へ座り直したところでカットがかかった。


「今の目が合ったところ、そのまま使います」


 監督からそう言われ、玲奈と美咲は互いに顔を見た。どちらから決めた動きでもなく、相手が見たから自分も反応しただけだった。


「玲奈、私が振り向くと思ってた?」


「思ってないよ。美咲ちゃんが見たから見ちゃっただけ」


「私も玲奈が見てる感じしたから振り向いただけなんだけど」


 美咲が不思議そうに言うと、玲奈も少し考えた。芝居の最中だから相手を見なければならないという話ではない。見られていることそのものを、何となく感じたのだ。


 監督は二人の会話を聞きながら、特に説明を加えなかった。理由を言葉にして意識させるより、今は自然に起きていることをそのまま残したほうがいいと判断したためだった。


 午前の後半には、玲奈だけの場面が撮影された。紗良が教師からクラス委員の仕事を追加で頼まれ、本当は別の予定があるにもかかわらず断れないという場面である。


「水城、悪いけどこれも頼めるか? 今日中じゃなくてもいいから」


「……はい。大丈夫です」


 教師が離れたあと、紗良は渡された資料を見つめた。困った顔を作るわけでもなく、ため息もつかない。ただ自分の鞄へ資料を入れ、予定を書いた手帳を確認する。


 昨日までなら、玲奈はその程度で場面を終えていたかもしれない。


 しかし今日は、ほんの少しだけ違った。


 手帳を閉じるとき、紗良の指に力が入った。


 周囲から見れば気づかない程度の変化だったが、カメラには残る。断りたかったのに断れなかった自分への苛立ちを、表へ出す直前で抑え込んだように見えた。


「カット。オーケー」


 監督から声がかかり、玲奈は手を離した。演技について追加の指示はなく、そのまま次の準備へ移る。


 教室の端で見ていた美咲が、玲奈のところへやって来た。


「今、ちょっと怒ってた?」


「紗良?」


「うん。先生じゃなくて、自分に」


 玲奈は少し驚いた。そこまで明確に決めていたわけではなかったからだ。


「たぶん。嫌だったら断ればいいのに、また引き受けちゃったから」


「だったら、もっと怒ればいいのに」


「紗良はそんなに出さないでしょ?」


「そこがもったいない」


 美咲は本気でそう思っているらしく、少し悔しそうな顔をした。


「私だったら机くらい蹴りたい」


「それは凛だからだよ」


 玲奈が笑うと、美咲も自分で言ってからおかしくなったらしく笑った。


 それでも玲奈の中には、美咲の言葉が少し残った。もっと怒ればいいという意味ではなく、自分は感情を表へ出さないことを、いつの間にか得意な方法として使いすぎていないだろうかと思ったのである。


 玲奈はこれまで、役の感情を大きく見せなくても伝えることを覚えてきた。


 藤乃の別れも、病院で演じた少女の悲しみも、泣き叫ぶのではなく抑えることで成立した。


 それは玲奈の強みだった。


 けれど、すべての人物が感情を抑えるわけではない。


 美咲の芝居を見ていると、その当たり前のことを改めて意識させられる。感情を強く出すことは、芝居が大きいこととは違う。


 人物がそうするのであれば、迷わず前へ出すことも必要だった。


 午後に撮影する場面は、そのことを考えていた玲奈にとってちょうどよかった。


 放課後の教室で、紗良が一人で委員会の資料をまとめている。そこへ忘れ物を取りに戻った凛が現れ、まだ残っている紗良を見つける場面だった。


 本番が始まると、紗良は机いっぱいに資料を広げて作業を続けていた。教室へ戻ってきた凛は自分の机からノートを取り、それから紗良のほうを見る。


「まだ帰ってなかったの?」


「これ終わったら帰る」


「それ、全部あんたがやるの?」


「委員の仕事だから」


 凛は自分の鞄へノートを入れたものの、帰ろうとはしなかった。紗良の机へ近づき、積まれた資料を一枚持ち上げる。


「昨日は偉そうに私を止めたくせに、自分は先生に何も言えないんだ」


 紗良の手が止まった。


「別に、やりたくないって言ってない」


「言ってないだけでしょ」


 凛が資料を机へ戻した。その言い方には昨日ほどの怒りはなく、代わりに呆れたような響きがあった。


「何でも引き受けて、あとで一人で困ってるほうが意味分かんない」


「困ってない」


「じゃあ何で、さっきから同じ紙三回見てるの?」


 玲奈の目が動いた。


 その台詞は台本にあった。


 しかし美咲の言い方が予想していたものと違った。からかうのではなく、本気で紗良を心配しているように聞こえた。


「……見てない」


 玲奈の返しも、予定より少し強くなった。


「見てた」


「見てないって言ってるでしょ」


 紗良が顔を上げた。


 そこで初めて、玲奈ははっきりと感情を前へ出した。


 大声ではない。それでも、それまでの紗良なら飲み込んでいた苛立ちが声に混ざり、美咲の表情が一瞬だけ変わる。


 凛は少し驚いたあと、すぐに笑った。


「怒れるじゃん」


 その笑顔を見た瞬間、紗良は自分が乗せられたことに気づいた。


「……最悪」


 玲奈が本当に嫌そうな顔で呟くと、美咲はさらに楽しそうに笑った。


「私よりちゃんと怒れるじゃん」


「誰のせいだと思ってるの?」


「私」


 即答だった。


 紗良はしばらく凛を睨んでいたが、やがて耐えられなくなったように視線を落とした。


「だったら手伝ってよ」


 凛の笑顔が止まった。


「え?」


「そこまで言うなら手伝って。半分」


 今度は美咲が言葉に詰まり、玲奈は待った。凛がどう返してくるのかを見たかった。


 美咲は資料と紗良を交互に見たあと、諦めたように隣の椅子を引いた。


「……昨日の仕返し?」


「知らない」


「絶対そうじゃん」


 そう言いながらも、凛は資料を半分引き寄せた。紗良は何も言わずに残りの紙を揃え、二人で作業を始める。


 最初は気まずかったが、しばらくすると凛が書き方を間違え、紗良が呆れた顔で訂正する。凛が文句を言い、紗良がもう一度教えるうち、昨日までの険悪さとは違う空気が生まれていた。


「カット!」


 監督の声がかかった途端、美咲が玲奈を見た。


「今のずるい!」


「何が?」


「急に怒ったじゃん!」


「美咲ちゃんがもっと怒ればいいって言ったんでしょ?」


「そうだけど! あそこで来ると思ってなかった!」


 美咲は悔しそうなのに笑っていた。玲奈も同じように笑いながら、先ほどの場面を頭の中で振り返る。


「でも美咲ちゃんがあんな言い方すると思わなかった。もっと凛がからかってくると思ってた」


「だって、紗良が本当に疲れて見えたから」


 その言葉を聞き、玲奈は少しだけ目を見開いた。


 自分が美咲に引っ張られたように、美咲も玲奈を見て芝居を変えていた。


 どちらか一人が相手を引っ張っているわけではない。


 互いに見て、変わり、その変化をまた相手が受け取る。


 監督はモニターを確認しながら、二人の会話を聞いていた。今回も撮り直しは必要だったが、それは演技の修正ではなく、別角度の映像を押さえるためだった。


「次も今と同じ感情に合わせなくていいからね。台詞と動きはつないでほしいけど、相手を見て出てきたものはそのまま使って」


 監督からそう言われ、二人は同時に頷いた。


 二度目の撮影では、玲奈が怒りを出すまで少し時間がかかった。


 その分、美咲も凛として紗良を追い込むように言葉を重ね、最初とは違う形で同じ場面へ到達する。


 三度目には、玲奈のほうから早く美咲へ感情を返した。美咲もそれを受け、凛の笑い方を少し抑える。


 同じ場面を何度撮っても、二人の芝居は完全には同じにならなかった。


 それでも人物が別人になるわけではない。


 水城紗良と桐谷凛という二人の少女が、そのとき相手から受け取ったものに応じて少しずつ違う反応をしているだけだった。


 その日の撮影が終わるころ、監督は二人を呼び止めた。


「玲奈ちゃん、美咲ちゃん。今日の放課後の場面、かなり良かったよ」


「ありがとうございます」


 二人がほぼ同時に答えたため、監督は少し笑った。


「ただ一つだけ。お互いに勝とうとしすぎないこと」


 美咲の表情が一瞬だけ固まった。


「バレてました?」


「分かるよ」


 監督は苦笑した。


「競うのは悪くない。二人とも昨日より良くなってる。でも作品の中では紗良と凛だからね。玲奈ちゃんが目立つとか、美咲ちゃんが目立つとかじゃなく、この二人の関係が面白くなればそれでいい」


 玲奈は素直に頷いた。


「はい」


 美咲も少し考え、それから頷く。


「分かりました。でも玲奈には負けたくないです」


「そこはやめないんだ」


 監督が笑い、玲奈もつられて笑った。


「私も負けたくないです」


 今度は美咲が玲奈を見る。


「ほら! やっぱり負けず嫌いじゃん!」


「美咲ちゃんが言うからでしょ」


 二人の笑い声に、近くで片づけをしていたスタッフまで笑った。


 玲奈にとって、今まで演技は自分自身との勝負に近かった。


 新しい役なら、その人物として生きられるところまで近づいていく。


 そこに誰かとの勝ち負けを持ち込むことは、ほとんどなかった。


 けれど美咲と一緒にいると、少しだけ違った。美咲が良い芝居をすれば、自分ももっと良くしたい。


 自分が何かを返せば、美咲がそれ以上のものを返そうとしてくる。


 だからまた次が楽しみになる。


 もちろん、監督が言う通り勝つこと自体が目的ではない。それでも隣に同じ速さで走る誰かがいるだけで、これまで見えなかったものが見えてくることを、玲奈は初めて知り始めていた。


 そして美咲もまた、同じことを感じていた。


 これまで美咲は、感情を出すことを恐れなかった。それが自分の強みだと知っており、現場でも求められることが多かった。


 しかし玲奈と演じるようになり、ただ強く出すだけでは相手に届かないことがあると気づき始めていた。


 玲奈が何を見て、紗良が何を受け取るのか。


 そこを意識すると、同じ怒りでも出し方が変わる。二人はまだ、その変化をうまく言葉にはできなかった。


 ただ一つだけはっきりしている。


 明日も一緒に撮影できることが楽しみだった。


 天才子役と呼ばれてきた天城玲奈と、急速に頭角を現した黒川美咲。


 二人の最初の共演作は、まだ撮影を始めたばかりだった。


 それでも互いの芝居は、すでに相手によって少しずつ変わり始めていた。

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