3.言葉の衝突
「……ねぇ、どうしたの? 具合悪いの?」
ハルカが心配そうに身を乗り出し、僕の顔を覗き込もうとする。その屈託のない瞳が、今の僕には耐えがたかった。僕は彼女の手を拒むように、視線をテーブルの端へ落とした。
「……そんなふうに笑う人だとは思わなかった」
喉の奥で固まった言葉を、ようやく絞り出す。 ハルカの手が止まった。
「えっ……? 何が?」
彼女は本当に心当たりがないという風に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。その無自覚さが、僕の胸の中で燻っていた悲しみを一気に怒りへと変えた。
「あの人たちのことだよ!」
僕は窓の外、テラス席で会話を続ける二人を強く指差した。
「手話を見て笑うなんて、最低だ。一生懸命伝え合ってる人たちを、見せ物みたいに……。ハルカは、そんなふうに他人を馬鹿にするような子だったのか?」
一気にまくし立てると、カフェの喧騒がふっと遠のいた。自分の声だけがやけに大きく響いた気がした。
ハルカは目を見開いたまま、一瞬、絶句した。 彼女の顔からみるみる血の気が引き、唇が微かに震える。だが、それは僕が予想していた「図星を突かれた羞恥」ではなかった。
彼女は深く息を吸い込み、ゆっくりと背筋を伸ばした。その瞳には、先ほどまでの無邪気な輝きとは違う、静かで凛とした光が宿っていた。
「……違うよ」
低い、けれど芯の通った声だった。
「手話そのものを笑ったんじゃないの。あの二人が話してた『内容』が、あまりに面白かったから笑ったんだよ」
「内容……?」
呆然とする僕を、ハルカは少しだけ悲しそうな、それでいて諭すような目で見つめ返した。
「そう。左の彼がね、『昨日、奮発して高い入浴剤を買ったつもりが、間違えて洗濯用の液体洗剤を湯船に入れちゃって、危うく人間洗濯機になるところだった』って。……それを、泡まみれで滑って転んだ身振り付きで話してたの。だから、私は笑ったの」
僕は言葉を失った。窓の外の二人に目を向ける。 彼らは今、互いの肩を叩き合い、屈託のない笑顔を見せていた。
「手話はね、ただの記号じゃないんだよ。言葉なんだ。……あんなに面白い話を聞いて笑わない方が、彼らに対して失礼じゃない?」
彼女の言葉が、冷たい水のように僕の頭から降り注いだ。




