第十七話 「いっちゃん、実の母と再会する」
皆様、おはようございます。
福山に戻ったいっちゃんを待っていたのは、自分を忘れてしまった幼い妹、そして実の母との再会でした。
しかし、戦後の過酷な現実は、母娘を再び試します。
福山に戻った私は、山本家には帰らず、ひとまず岡本三郎さんの家に滞在することになった。
民生委員の人が山本家で私に起こった出来事をしっかり調べ、ここには置けないと判断したからのようだった。
私は岡本家で、1年ぶりに末の妹・香代子に会った。
痩せて小さかった香代子は4歳になっていた。
今はいい洋服を着て、おかっぱ頭で私を見ている。
香代子はニコッと笑うと、
「お姉ちゃん、どこから来たん?」
と聞いた。
私はなんと言っていいかわからず、香代子の養父である三郎おしさんの顔を見た。
すると三郎おじさんは、
「香代子、お父ちゃんと、このお姉ちゃん、どっちが好き?」
と聞いた。
香代子は、(変なこと聞くなぁ……)という顔を一瞬したが、すぐに私を指差して、
「このお姉ちゃん!」
と言った。
三郎おじさんは、私にだけ聞こえるように
「やっぱり血は争えんのう」
と、そっと耳打ちした。
私は
「はぁ……」
と苦笑いするしかなかった。
実は香代子は、私のことを覚えていない。
それどころか、養子に出されたことも知らないのだ。
ずっと、この岡本家の子だと思っているのである。
「お姉ちゃん、いつまでいるの?」
無邪気に聞く香代子に私が答えられずにいると、
「しばらくじゃ。その間、このお姉ちゃんに遊んでもらうといい」
三郎おじさんが助け舟を出してくれた。
香代子は、
「うん、遊んでもらう」
と嬉しそうに答えた。
私は自分ではどうすることもできないので、しばらく、この家にいることになった。
何日かして、母がやってきた。
私を見るなり、
「いっちゃん!」
と抱きついてきた。
「あんた、山本の家で何不自由なく暮らしとると思うとったのに、九州の方におったんじゃて? 苦労したんじゃなぁ。ごめんなぁ、何も知らんで」
「ううん、大丈夫、ちゃんと生きとるよ」
「ほうか。ほいでも辛かったろう?」
「うん、まあ、いろいろあった……」
私は何から言っていいか、あるいは何も言ってはいけないのか、判断ができず、そこまで言うと黙ってしまった。
母は、そんな私に自分のことを話してくれた。
戦争が終わって、智早子、ミキ子を連れて再婚したこと。伝姉が俊雄おじさんのところに置いてもらっていること。そして香代子がこの岡本家の養女になったこと。その詳しい顛末を語ってくれた。
「智早子もお父さんと同じ腸チフスになってなぁ。何とか一命は取り留めたんじゃけど、体も弱いし、よそに預かってもらうわけにはいかんかったんじゃ。それでなぁ、いっちゃん、今、お母さんの再婚先に、あんたを引き取ることはできんのじゃ。向こうにも前の奥さんの子がおってなぁ、なかなか難しい。悪いんじゃが、岡山の俊雄伯父さんのところにしばらく行っとってくれるか?
あそこにゃあ、伝ちゃんもおるし、いっちゃんも寂しくなかろう?」
「……うん。わかった」
私はこれまで一人で生きてきたという気持ちもあって、母の言葉に動揺することはなかった。
「ほうか。ほんなら、今から一緒に岡山に行っといておくれ。何、ずっとじゃなぁ。半年もしたら迎えに行くけぇ」
と母は言ったが、私はその言葉を信じてはいなかった。ただ、母も5人の子を抱えてどうしていいかわからず手探りで生きてきた。その苦労は何大抵ではないということだけはわかっていた。
だから母の言う通り、俊雄伯父さんの元へ行くことにした。
何も知らない香代子は、
「お姉ちゃん、また遊びにきてね」
と無邪気に言った。私は、
「またね」
と笑って手振って岡本家を後にした。
そうして母と私は福山駅から汽車に乗って、私が行き先を間違えた倉敷で伯備線に乗り換え、成羽の最寄駅である高梁へと向かった。
新見行きの汽車に乗り込むと私は、
「お母ちゃん、私、お母ちゃんが成羽にいると思って、倉敷から汽車を乗り換えたんよ。でもそれが山陽本線の下りで、いつまで経っても『たかはし』って言わんなあと思っているうちに九州の門司まで行っちゃった」
と汽車を乗り間違えたことを話した。
「ほうかい。そんなことがあったんか。ほんまにすまんかったのう……」
そう言いながら母は涙を拭った。
(つづく)
第十七話をお読みいただき、ありがとうございました。
汽車を乗り間違えたあの日から、ようやく辿り着いた正しい駅「高梁」。
母と共に歩んだ道の先には、何が待っているのでしょうか。
明日もお楽しみに。




