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いっちゃん(第一部)  作者: Thomas C. Knitter


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第三週ダイジェスト 「いっちゃん、家出する」

皆様、おはようございます。


今週は、いっちゃんの人生が最も激しく揺れ動いた日々を振り返ります。

大好きだった姉との永遠の別れ。

福山の空を焼き尽くした大空襲。

そして空腹と痛みに耐えかねて飛び乗った運命の汽車。

辿り着いた九州・門司の地で、九歳の少女は偽名を選び、大人たちの世界で生き抜く術を身につけていきます。

絶望の淵で、彼女が手にしたものとは。

衣津子から「禮子」へ。彼女の放浪と再生の記録を、ダイジェストでお届けします。

私が養子になってひと月後、不意に養母が私を連れて上山家に行った。

養母は黒い着物を着ていたので父の四十九日かと思った。

すると、泣いている母の姿があった。

横に伝姉がいた。

私は伝姉に何かあったのか聞いた。


「明姉が。……明姉が死んだんじゃ」

「え?」


私は何も考えられなくなった。


(明姉が……死んだ……)


理解するのにどれだけ時間がかかっただろう。

ほんの数秒のようにも、ものすごく長い時間のようにも感じた。

母が、


「腸チフスじゃ。お父さんの病気が移ったんじゃ」


と教えてくれた。

明姉は死ぬ直前、母に『私が死んだら、うどんをお墓に供えてぇよ』と言ったそうだ。

そう、明姉はうどんが大好きだった。

優しかった明姉のあの笑顔が頭から離れない。

私は呆然とするしかなかった。



8月8日、

夜、空襲警報のサイレンが鳴った。

が、私が養女に出された家は山手という、市内の中心からは4km離れた場所だったため、警戒だけで防空壕には入らなかった。

川向こうの市内が異常に明るいのが見えた。

私は、夜なのに昼間みたいに明るく光る方に吸い寄せられるように目を向けた。

近くにいたおじさんたちが、


「あ、今、城(福山城)に(爆弾が)落ちた。城が燃えるど」

「今度は駅のほうへ落ちた。かなり、ひどうやられとるわ」


そんな会話が聞こえてきた。

私は心の中で、


(わぁ、綺麗。花火みたい!)


不謹慎に聞こえるかもしれないが、その時、そう感じた。

直接、自分に被害がないことで、どことなく遠い世界のことのように思えた。

私は、その光景から目を逸らすことができず、その場でずっと燃え盛る炎を見ていた。


次の日、陽が昇ると私は急に不安になった。

家はどうなったんだろう、お母さんは、伝姉、妹たちは。

そう思うと自然に体が実家へと向かっていた。

家までの道はわかっているのに、瓦礫やらいろんなものが散らばって、歩くのがどんどん困難になっていった。

建物もほとんど焼けてしまい、目印になる看板も家も見当たらない。

そして、いろんな臭いの混じり合った何とも言えない空気が辺りに残っていた。

私は心が折れそうになったが、家族のことが心配で実家を探して歩いた。


(この辺だったはず……)


と思ってキョロキョロ辺りを見渡していると、


「いっちゃん!」


と私を呼ぶ声がした。振り返ると、近所の田中のおばさんだった。


「どうして、ここへ? いっちゃん、養女に行ったんじゃろ。大丈夫、お母さんたちはちゃんと逃げて生きとるけえ、心配しなさんな。もうここへ来ちゃあ行けんよ。危ないけぇね。」


おばさんは、


「はい、これ」


と言って、キャラメルを一粒くれた。


「……ありがとう」


それしか言えず、私は、山本の家へと帰った。



8月8日の大空襲のわずか一週間後、戦争は終わった。

ラジオの前に立たされて『天皇陛下のお言葉』を聞いた。

大人たちが口々に「負けた」と言って泣いた。

私は


(戦争、終わったのか)


とだけ思った。


それからふた月が過ぎた。

私は山本の家で、あまり食べさせてもらえず、お腹が空いていた。

近所の柿の木に実がついているのを見つけ、なんとか木に登ってそれを食べようとしたがその家の人に見つかってこっぴどく怒られた。

それが養母にばれてしまい、私はでっかいお灸を首と背中の付け根あたりに据えられたが、私は熱さに耐えきれなくなって外へ飛び出した。


(もうここへは帰らない)


私は、実母が身を寄せている成羽へ行こうと、福山駅から上りの汽車に乗って倉敷まで行った。ここで乗り換えて「たかはし」(高梁駅)で降りることは覚えていたので、ホームへ出て反対側に行く汽車に乗った。


(これで成羽に行ける。もう叱られなくて済む)


そう思った私は、少しホッとした。しかし、なかなか、『たかはし』とは言わない。

おかしいな?とは思ったが、ずっとその汽車に乗っていた。

随分、時間が経って『もじ〜、もじ〜、終点です』という声が聞こえた。

私は仕方なくその駅で降りた。



「門司」という駅に着いた私は駅の周りを見渡した。

どこに行く宛もなかった。

うろうろしていると、


「お嬢ちゃん、お腹空いとらん? おにぎりあげるから、ついといで」


と言われた。お腹の空いていた私は、そのおじさんについていった。

と、おじさんはある家の扉をくぐった。そこは置き屋だった。

中に入るとおじさんは女将に声をかけ、


「この子におにぎりを食わせてやって」


と言った。女将さんはおじさんの意図を察したように女中におにぎりを作らせて、私の前に持ってきた。


「さぁ、お食べ」


私は女将さんの言葉に我を忘れて、おにぎりにかぶりついた。


「ははは、慌てず、ゆっくり食べんしゃい」


そう言ってお茶を入れてくれた。

その後、女将さんはおじさんと何やら話をしていたが、おじさんは、やがていなくなってしまった。

女将さんが、


「お前、名前は?」


と聞くので、


「……山本禮子」


私は養女の名前を言った。


「れいこ? 顔に似合わない名前っちゃね。まぁ、いい。れいこ、お前行くところ、あるのかい?」


私は黙って首を振った。


「じゃあ、今日から、ここで子守りをしんしゃい。ご飯は食べさせてやる。ここには子持ちの女が何人もいて、客相手の商売中に子供の面倒を見てくれる人間が必要だったけん、ちょうどよか。」


ご飯を食べさせてもらえる。私はそれだけで嬉しくなった。

私はその日から、置き屋の住み込みの子守りとなった。


置き屋での暮らしは、楽ではなかったが、毎日、ちゃんと食べさせてもらえたので私にはありがたかった。

昼間は、芸事を習いに来た人の子供を預かった。

夕方は、勤めが始まる前にお姉さん方が子供を連れてやってきて私に預けた。この置き屋は、政治家や進駐軍のお偉いさんも利用しているらしい。しかし、そんなに大きな置き屋ではなかったので日に2〜3人預かればよかった。ほとんどが赤ちゃんなので、おしめを変えたり、ミルクがわりに米の研ぎ汁のようなおもゆを飲ませる毎日だった。

赤ちゃんを背負って置き屋の外で子守唄を歌ったりもした。子どもを迎えに来たお姉さんが進駐軍にもらったチョコレートを、私にくれることもあった。昼間は芸事の三味線、夜はお座敷でまた三味線の音が響いた。聞き慣れない異国の言葉での笑い声が聞こえることもあった。私はそれを毎日、聴くとはなしに聴いていた。

置き屋の中を充満するお酒のにおいが私の日常のにおいとなった。




ふた月ばかり過ぎた頃、私は急に農家に行けと女将さんに言われた。


「お前は子守りは上手だが、ここに居てもこの先、やって行けん。私の知り合いに子守りがほしいという人がおる。そこは農家だから食べることに困ることもない。もう話はできとうけん、明日から、お前はそこに行きんしゃい」


私は、ただ頷いた。

次の日、私は迎えにきた農家の主人に連れられ、その家に入った。


そのお家は藁葺き屋根の大きな家だった。

私はそこで飯炊きと子守りをするようになった。

家の人はみんな優しくしてくれた。

もちろん、お手伝いなので、洗濯や掃除などやることはたくさんあった。

それでも、やっぱりご飯が食べられることは、私にとって何よりの報酬であった。


田植えの時期になったある日、親戚の田植えの手伝いに行くので、ついて来いと言われ、私はついて行った。田植えの間、子供の世話をする人間が必要だったのだ。

とても大きなうちで、田んぼもかなり広かった。二、三日泊まりがけになるということだった。

その家で、私は、そのうちの子やら、他の親戚の子も一緒に面倒をみることになった。

置き屋で子供と接するのは慣れていたから、どの子ともすぐに仲良くなった。

その子らは「れいこちゃん、れいこちゃん」と言って私にまとわりついてきた。

私はあやとりをしたり、おじゃみをしたりして仲良く遊んだ。

夜は、親戚一同が一緒にご飯を食べた。私は一段下がったところでご飯を食べた。

すると、子どもたちが、


「今日、れいこちゃんが遊んでくれたっちゃけん、楽しかった」

「そうそう、れいこちゃんがいてくれてたのしかった」


と口々に言い出した。


それを聞いたその家の主人が、私を見て

「あんたがれいこちゃん? すごかね〜。子供らがこんなに喜ぶのは今まで見たことなかよ。今度、秋の稲刈りの時も来てくれんね?」


と言われた。私は、


「ありがとうございます。また稲刈りの時に来ます」


と言った。

主人は嬉しそうに、


「まぁ、こっちへ上がって、子供らと一緒にご飯を食べんしゃい」


と言ってくれた。

私は、少し緊張しながら座敷の上へと上がった。すると、子供達が


「れいこちゃ〜ん」


と言って一斉にまとわりついてきた。


「こりゃ、スゴか。絶対、秋も来んしゃいね」


と言ってもらえた。

私は気恥ずかしかったが、


「はい」


と言って大きく頷いた。


(つづく)

第三週ダイジェストをお読みいただき、ありがとうございました。


大好きな明姉ちゃんとの別れ、そして燃え盛る福山の街。

空腹とお灸の熱さに耐えかねて飛び乗った汽車が、いっちゃんを「門司」という見知らぬ地へ運びました。

「おにぎり」一つで身を寄せた置き屋、そして「ねえや」として温かく迎えられた農家。 養女名の「禮子」として生きる中で、彼女が手にしたのは、誰かを笑顔にする喜びでした。

次週、いっちゃんを待ち受けている運命とは。


来週もお楽しみに。

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