第二週ダイジェスト 「いっちゃん、養女になる」
皆様、おはようございます。
本日は第二週のダイジェストをお送りします。
今週は、いっちゃんの人生が激流に飲み込まれた一週間でした。
憧れの国民学校への入学、大好きなお姉ちゃんたちと分け合ったサツマイモ。 そんなささやかな幸せを切り裂くように、抗えない時代の波と別れがやってきます。
少女が「山本禮子」として生き直すことを決めた、その激動の日々を振り返ります。
『サイタ サイタ、サクラガ サイタ・・・』
福山に来てから二年が過ぎた昭和19年4月、私は福山東国民学校の1年生になった。
明姉は5年生、伝姉は3年生になった。
私は、やっと憧れの1年生になったが、食糧は統制によって、どんどん少なくなってきて、ひもじい思いをすることが増えていた。
末っ子の香代子に至っては母の栄養不足で乳があまり出ず、かなり痩せていた。
近所のガキ大将が、六姉妹の容姿をからかった。
そんな時には、伝姉が
「なにぃ、お前の方がよっぽど、クソガキじゃろが!」
と言って反撃してくれた。
普段は家族のことを面白おかしくしゃべる伝姉だが、こういう時は頼りになる。
「やっぱり伝姉は家族思いなんじゃ」
と私が言うと
「当たり前じゃ。うちはいっつも家族のことを思うとる」
「それにしては、いっつもうちをからかうよねぇ?」
「そりゃ、いっちゃんがかわいいけぇよ。……顔はへちゃじゃけど」
「何言うんね。うちとおんなじ顔して」
「いいや、うちは、いっちゃんとは違うで。 見て、このべっぴんさん」
「もう〜! 伝姉は、すぐそんなこと言う〜。」
でも、そんな伝姉が私は大好きだった。
ある日、お昼ご飯後、運動場に児童が集まると校長先生からお話があった。
今後、福山でも空襲があるかもしれないので、その時に慌てないために訓練をするということだった。
警報が鳴ったら、防空頭巾をかぶってケガを防ぐ準備をする。近くの焼夷弾が落ちて、火が上がったら、防火用水の水をバケツに入れ、手渡しで繋いで、燃え盛る火に水をかけるというものだった。
火に見立てて、立て掛けた板に墨で二重丸をつけたところを目掛けて水を撒いた。
ひたすらバケツをもらっては次へ渡すという練習を繰り返した。
こんな練習で本当に火が消せるのかわからなかった。
空腹で目が回りそうになりながら、誰も文句も言わずにその作業を繰り返した。
私は訓練したことで、余計に怖くなった。この防空頭巾を被ると、本当に空襲が来るような気がしたからだ。
その日、
「いっちゃん、一緒に帰ろ」
五年生の明姉がそう言って、手を繋いでくれた。
私は「うん」と頷いた。
不安な気持ちが充満していた私は、明姉と一緒に帰れることになって、少しだけほっとした。
夜、私たち姉妹が眠りについた頃、隣の居間から両親の声が聞こえてきた。
「ほんとに空襲があるんかねぇ?」
「兄さんに頼んで子どもたちだけでも成羽に居らせてもらうか?」
「ほうじゃね。明香はもう大きいから、一人でなんとかできるじゃろうし、
伝ちゃんといっちゃんだけ、お義兄さんのところで預かってもらえたら……」
私は耳を疑った。
でも、怖くて何も言えなかった。
私は不安な気持ちのまま、いつのまにか眠ってしまった。
その年の12月。
その日は一段と冷え込んだ。
学校へ向かいながら、私は自分の吐く息の白さに冬の訪れを感じた。
途中で近所のおばさんに会った。
「あっ、いっちゃん、おはよう。今日の午後、食べ物の配給があるんよ。いっちゃんもお姉ちゃんと一緒に行ったらええよ」
「うん、絶対行く。おばちゃん、ありがとう」
最近は甘いものも少なくなっていた。
(よし、明姉と一緒に配給に行こう)
私は期待に胸膨らませながら登校した。
学校の帰り、いつものように五年生の明姉が一年生の私を連れて歩いていた。
「明姉ちゃん、今日、配給があるんだって。食べ物が配られるって聞いたから、お姉ちゃんの好きなうどんの乾麺もあるかもしれん」
「うどん?ほんま?じゃあ、行くわ。楽しみじゃね」
「うん。」
学校から帰ると配給品を入れるリュックを背負って、私と明姉は配給へと向かった。
子どもの足で一時間近く歩いて、ようやく着いた。思ったより小さな庭で配給するには少し狭く、使われる机や荷物を運んでくるトラックの姿も見えなかった。
「あれ、おかしいなぁ、配給やってない。もう終わったんかなぁ?」
私と明姉は首を傾げながら、辺りを見渡したが、それらしい雰囲気は少しも感じられなかった。これ以上、ここにいても何もない。仕方なく帰ることにした。
トボトボと一時間歩いてようやく家に帰り着いた。
伝姉が私を見つけて
「いっちゃん、どこ行っとったん?今日、サツマイモの配給があったのに」
「えっ、何にもやってなかったよ」
「やっとったよ。すぐそこじゃもん」
「えっ?」
私と明姉は顔を見合わせた。
そんな子どもたちの会話を聞いていた母が、
「三軒先のおうちじゃよ。最近、引っ越して来ちゃったばかりじゃから、明ちゃんも知らんじゃろ、以前は加藤さんが住んどったところ」
その言葉を聞いた瞬間、力が抜けて、私はその場にしゃがみ込んだ。
それなら、あんな遠い道を一生懸命歩く必要もなかった。明姉に申し訳ない。そう思うと、もう立てなかった。
そんな私の気持ちも知らずに傳姉は、
「美味しいがぁ(美味しいな)」
と言いながら一人でサツマイモを食べていた。
私は傳姉に飛びかかろうとした。
すると、
「いっちゃん、いけん、やめとき」
と明姉が私の手を引いた。
「いっちゃんが私のために頑張ってくれたんじゃから、それでええんよ。その気持ちだけでお腹いっぱい。食べられんでもええ。」
「ごめんね、お姉ちゃん、ごめんなさい」
私は、明姉に抱きついて、謝り続けた。
その時、目の前に一本の蒸したサツマイモが出てきた。
見上げると、傳姉がニコッと笑って
「明姉ちゃんと半分こにして食べ」
と言った。
「伝姉ちゃん……」
「私が自分のだけもらうわけねぇが。でも、いっちゃんや明姉がいたら、もっと、いっぱいもらえたのに。あーあ、残念」
「伝姉ちゃん、ありがとう」
と言って、おイモを半分に割って、その一つを明姉に渡した。
明姉は、
「ありがとう、いっちゃん。ありがとう、伝ちゃん」
と言ってそれをひと口食べた。
私も残り半分のサツマイモにかぶりついた。
「……甘いね、明姉ちゃん」
「うん、甘いね、いっちゃん」
明姉の笑った顔を見て、私ははじめて涙が出た。
昭和20年になった。
ある日、父は友人から甘いお菓子をもらって食べたのだが、その晩から腹の調子が悪くなり、息絶え絶えになった。医者に診てもらったところ、『腸チフス』だった。
物資難でもあり、治す薬もなく日々、養生するしかなかった。
父が寝込んだまま一週間が過ぎようとしていたある晩、父の兄である俊夫伯父さんがやってきた。
「馨は大丈夫か?」
そう言いながら、生きた鯉が入ったたらいをトラックの荷台から降ろした。
「腸チフスにゃあ、鯉の生き血がよう効くんじゃそうな」
と言って、鯉から生き血を抜いて、器に入れ、父に飲ませようとした。
父は嫌がったが、
「大丈夫じゃ、これを飲んだら、じき、ようなる」
と言って無理やり、生き血を飲ませた。
すると、すぐに父の顔色は真っ青になり、這うようにして縁側まで出ると、
「おぇ〜」と激しく吐いた。
そして、全てを吐き終えると、父はそのまま動かなくなった。
慌てた伯父が、
「馨、しっかりしろ!」
と父の体をゆすったが、もうほとんど息をしていなかった。
こうして、腸チフスと診断されてわずか一週間で父は亡くなった。
母も、姉も妹も、もちろん私も、納得なんてできなかった。
それでも、『父はもう帰ってこない』という事実は変わりようがなかった。
それから一週間後、私は養女に出されることになった。
「いっちゃん、お父さんが亡くなって、お母さん一人ではもうどうにもならん。伝ちゃんも成羽のおじさんのところで預かってもらうことになったんよ。知り合いに子どものいないお家があって、そこは大層、お金持ちでね。いっちゃん、そのお家へ行ってくれんか?」
寝耳に水だった。
まさか、自分が家から出ていかなければならないことになるなんて……。
しかし、母の姿を見ると嫌とは言えなかった。
私は、やっとの思いで、
「……うん」
とだけ答えた。
養女に入った家は、「山本」という姓だった。
養父は優しそうに見えたが、養母はかなり気性が荒そうな顔に見えた。
「衣津子」という名前は山本家には合わないと言われ、名を改められた。
私は『上山衣津子』から『山本禮子』になった。
学校も山手の国民学校に移り、なんだか別の人間になったような気がした。
朝食は、私がかまどでご飯を炊かなければならなかった。
ご飯は食べさせてもらえたが、養母の機嫌が悪いとご飯抜きのこともあった。
一度、お腹が空いた状態でご飯の炊き上がる匂いがすると我慢できなくなって先に少し食べてしまったことがある。その時は烈火の如く養母に怒られた。
それ以来、私はご飯が炊き上がる前に釜の蓋を開けて、煮湯状態のご飯の上だけを掬って食べるようにした。こうすれば炊き上がった時に食べた痕跡が残らないので、これはうまくいった。
その時、私は思った。
――自分で食べていかないと、生きていけない。
(つづく)
第二週ダイジェストをお読みいただき、ありがとうございました。
「自分で食べていかないと、生きていけない」
8歳の少女にそう思わせた時代の残酷さと、それでも知恵を絞って生き抜こうとするいっちゃんの強さ。
名前を奪われ、孤独な戦いを始めた彼女。
その空の向こうで、戦火は確実に近づいています。
来週は、どんなことがいっちゃんを待っているんでしょうか?
また月曜日の朝にお会いしましょう。




