葆光彩磁花瓶③
高沢家を目指した。当時、保護司会の会長を勤めていた高沢は女性であり、文京区にある一軒家に住んでいた。
どこにでもある、二階建ての一軒家で、庭は駐車場を確保するために、申し訳程度の広さしかなかった。しかも、隣家が隣接して来ていて、日当たりが悪い。
高沢晶子は、白髪で柔和な微笑みを湛えた小柄な老女だった。八十歳前後のはずだが、足腰はしっかりとしているし、頭もはっきりしている。普通の主婦にしか見えず、保護司と言う犯罪や非行に走った人間を更正させ、社会復帰の支援をしてきたような、たくましい女性には見えなかった。
「下町のおばちゃんだから、人の面倒を見るのが大好きなの。困っている人を見ると放っておけなくなっちゃう質なの。亡くなった主人も匙を投げていたみたい。保護司の仕事をするって言った時も、『お前にぴったりの仕事だ』って言って、笑っていたわ」高沢は二人に茶を振る舞いながら、明るく笑った。
保護司の定年である七十五歳を迎えた年に、夫を亡くしている。「仕事も家族もいっぺんになくしてしまいました」と明るく言うが、その笑顔は何処か寂しそうだった。
竹村は「ありがとうございます」と一口、湯飲みに口をつけてから尋ねた。「松永典久さんと言う方を覚えていませんか?十五年以上前だと思いますけど、北区で保護司をなさっていた人です」
古い話だ。東京都の保護司だけで三千人以上いる。松永の名前など覚えているはずはないと思ったのだが、「松永典久さんですか。ええ、覚えていますよ」と意外な答えが返ってきた。
「覚えておいでなのですか!?」よほど、記憶力が良いのだろう。
「はい。確か、松永典久さんと言うお名前だったと思います。保護司に推薦した方の書類を全て取ってありますので、後で確認してみますが、間違いないと思います」
保護司となるには、保護司会の会長が法務大臣に推薦し、法務大臣よりの委嘱を受けなければならない。
「後ほどで構いませんので、是非、確認をお願いします。保護司会の会長となると、推薦した人間、全てを覚えているのですか?」
「まさか、ふふ」と高沢は笑ってから、「とても印象的な事件がございましたの。それで、お名前を忘れずにいたのだと思います」と言った。
「印象的な事件?」
「松永さんはとても熱心な方でした。あんなことさえ無ければ、良い保護司になったと思います。いえね、私は保護司を三十年以上、勤めましたけど、ただの一度も、怖い目に遭ったりしたことなど、ございません。みんな、根は素直で優しい子ばかりですの。でも、松永さんは・・・」高沢が言いよどんだので、竹村が「松永さんは?」と話の先を促した。
「保護観察中だった少年とトラブルになってしまいましたの」高沢は悲しげに呟いた。
「トラブルですか?」
「松永さん、うちにお見えになってね。そうそう、丁度、ここで、『あの子は悪くないのです。全て私の責任です。どうか、あの子を鑑別所に戻したりしないで下さい』と言って、土下座をなさいました。『私に土下座なんて必要ございません』と何度も申し上げても、松永さんは顔を上げようとはなさいませんでした。あの時は、本当に困りました。まるで、端から見たら、私が分からず屋のように見えたことでしょうね」
「何があったのですか?」
「松永さんが保護司になられて、初めて担当されたお子さんでした。よくある家庭環境でしたの。母子家庭で、母親は水商売。子育てに興味がなくて、母親が家に引っ張り込んだ男から虐待を受けて育った、そんな可愛そうな子です。
グレて不良になって、暴走族に入って、窃盗、傷害、恐喝、詐欺など、あらゆる犯罪に手を染めました。そして、暴力団の構成員になってしまいました。でも、まあ、決して、珍しくはありません。松永さんが担当したのは、そんな子でした。
松永さんは熱心にそのお子さんの面倒を見ていました。行くところが無いと知ると、自分の家に引き取って、世話までしたのです。ちょっと熱心過ぎたのかもしれませんね。初めての子だったので、張り切っていたのでしょう」
竹村の湯飲みが空になっていることに気がついて、高沢が「あら、お代わりをお持ちしましょうね」と言うのを、「いえ、結構です。それで、何かあったのですか?」と竹村は話の続きを促した。
「ごめんなさい。詳しいことは存じませんの。知っているのは、お子さんと松永さんとの間で、トラブルになって、警察官が駆けつける騒ぎになったと言うことだけです。
ちょっとした意見の食い違いがあったのでしょう。難しい子を預かる訳ですから、保護司は何かあれば直ぐに警察に通報するように言われています。松永さんご自身が通報された訳ではなかったようですが、騒ぎが大きくなって、見かねたご近所の方が通報されたようです。
それに松永さんは怪我をされていました。暴力を振るわれたと、松永さん本人がお認めになりませんでしたので、子供が再度、収監されるようなことはございませんでしたが、結局、松永さんは保護司として問題があると判断され、保護司を辞めることになってしまいました。初めて受け持ったケースで頑張り過ぎてしまったのでしょうね・・・」高沢が嘆息する。
松永が保護司の嘱託を受ける際にも、ちょっとした問題があったと高沢が言う。「資産家のようでしたが、定職についておらず、安定した収入があるとは言えない点が気になりました。でもね、本当に熱心で良い方でしたの」高沢はそう言い、松永が家に来て、土下座をしながら、「少年に罪はありません。悪いのは、すべて私です」と訴えたと言う話を、繰り返し語った。
「松永さんは最初に受け持ったケースで、保護司をクビになってしまった訳ですね。その時、松永さんが担当された少年の名前を教えて頂けませんか?」
「そうですね・・・中山だったか、中村だったか、そんな名前だったと思います。その子、松永さんの後を任された保護司の方とも、結局、上手く行かなくて・・・その後、暫くして亡くなってしまいました」
「亡くなった?」
「はい。元の木阿弥で、暴力団の構成員になってしまい、暴力団員同士のいざこざに巻き込まれて亡くなりました。まだ若かったのに、残念でした」
「暴力団同士の抗争に巻き込まれて殺されたのですか!? 彼の名前が分かれば助かるのですが」
「当時の資料に書いてあるかもしれません。持って参りましょう。少々、お待ちください。」高沢はそう言って、応接間を出て行った。




