白骨遺体①
板倉岐山の遺産管理人から、話を聞くことが出来ることになった。
岐山には最初の妻との間に男の子が二人、二番目の妻との間に男の子と女の子の計、四人の子供がいる。これら四人の子供は既に亡くなっているが、最初の妻との間に出来た次男の孫に当たる人物が板倉岐山の遺産管理人となっていた。
板倉弘道と言い、岐阜県に出来た「板倉岐山記念館」の館長を勤めている。仕事の都合で都内に来る用事があり、都合を伺うと時間を空けてくれると言う。待ち合わせ場所として品川にある巨大ホテルのロビーの喫茶店を指定して来た。
竹村たちと事情聴取に行くことになった。
「これで、板倉松子の遺産がどうなったのか、分かるかもしれません」と竹村は上機嫌だった。
「板倉松子と松永さんの関係が分かれば、少なくとも壺の流れが見えてくる」と竹村が言うと、「竹村さん、壺じゃなくて、花瓶ですよ。いい加減、覚えてくださいよ」と吉田が言う。
「壺も花瓶も似たようなものだ。細かいことは気にするな。お前、最近、小うるさくて、小姑みたいだぞ」
「竹村さんの姑になんか、なりたくありません」
「俺の姑になれば、優しく可愛がってやるよ」
「そしたら、タケちゃんって呼んで良いですか?」
「ダメに決まっているだろう。殿下・・・いや、坊ちゃまかな、坊ちゃまと呼べ」
「坊ちゃまですか! なんか、もう・・・いいです。行きましょう」
賑やかな連中だ。竹村の運転で品川のホテル向かった。
喫茶店で待っていたのは、仕立ての良さそうな背広を着た、ふくよかで日焼けした中年男性だった。ネクタイは締めておらず、胸元が大きく開いている。板倉岐山の孫だと言うことだが、六十歳前後だろう。黒々とした髪を綺麗に撫でつけている。分厚い濡れた唇を開いて、「板倉弘道です」と男は名乗った。
田端文士村記念館に展示してあった写真を見たが、板倉岐山とは似ても似つかない。孫だと言われなければ分からない。写真から感じた岐山の気品のようなものが、男からは微塵も感じられなかった。
「警視庁の竹村です。こちらは――」と手早く挨拶を済ませた。
「まあ、先ずは飲み物でも如何ですか? 何でも好きなものを注文して下さい」と板倉は太っ腹だった。
「いえ、結構です。こちらへはお仕事ですか?」
「ええ、まあ」板倉の話によれば、都内にある会社の顧問のような仕事をしていて、会議などで都内に出て来る機会が多いと言う。話を聞くと、社長が岐山のコレクターで、一緒にゴルフをすることが仕事のようだ。
岐山ほど高名な陶芸家となると、孫の代まで食うに困らないということだ。
「今日は板倉松子さんについて、お話をお伺いしたいのですが――」と竹村が言うと、「岐山についてお話があると言うことでしたが、松子のことですか!?」と板倉は露骨に顔をしかめた。
「実は松子さんが所持していたと思われる壺、いや、花瓶の行方を調べています」
隣で吉田が笑いを堪えるのが分かった。
「ああ、あの葆光彩磁花瓶のことですね。今はギャラリーカラットの小田島さんが所有されているはずです。あの女、岐山の作品は持っていないと言っていたが、こっそり隠し持っていたのです。葆光彩磁花瓶が世に出て来た時、やっぱりと思いました」
「隠し持っていた? どういう意味ですか?」
「いえね。私が生まれる前の話です。岐山が亡くなった後、うちの祖母や親父、叔父たちが揃って松子のもとに押しかけ、遺品の引渡しを求めました。当然でしょう、親父たち、岐山の実の子供には相続権と言うものがありますからね。
ところが、あの女、岐山の作品は残っていないと言い張って、何も渡してくれませんでした。親父たちは、作品がないのならと、家屋敷を渡せと迫ったのですが、松子はあの家に居座ったまま動きませんでした。ちゃっかり岐山の生前に、家屋敷は松子の名義に変えてあった。結局、こっちは泣き寝入りでした」
板倉は滔々と不満を述べたが、どうだろう。岐山の元妻や子供たちは、身寄りのない松子の身ぐるみを剥いで、屋敷から追い出そうとした訳だ。




