松永久秀の末裔③
我々がマンション周辺の聞き込みを行っている頃、竹村と吉田は松永典久の過去を洗っていた。
松永は静岡県菊川市の出身、両親の離婚により、母子家庭で育った。東京の大学に進学し、卒業。二十三歳の年に母親を亡くしている。病死だった。大学に在学中、田端の板倉邸の所有者となり、住民票を菊川市から移している。静岡県警に調べてもらったが、板倉岐山の屋敷の所有者となった経緯は分からなかった。
一方、松子は田端文士村記念館の学芸員の中田が言っていた通り、岐山とは初婚で、岐山亡き後、再婚の記録はない。子供を出産した記録はなく、松永典久と松子の間に血縁関係は無かった。
松子は岐山亡き後、田端の板倉邸に住み続けた。松子が病死したのは、松永が大学に在学中のことだった。
午後から竹村たちと合流し、松永の経歴について報告を受けた。
「どういうことだろう? 何故、板倉松子が住んでいたはずの家を松永が相続したのだろう?」と尋ねると、「母親が死亡し、保険金が手に入ったのかもしれませんね。それで、松子が亡くなって、空き家になった田端の板倉邸を買い取った。そう考えるのが妥当かもしれません」と竹村が答えた。
「保険金か。そう考えると辻褄が合う。だけど、静岡にいたはずの松永が田端の板倉宅を買い取ったと言うのも妙な話だ・・・」ふと思った。「松永は東京の大学に進学したのだよな?」
「はい。そうです」
「板倉家と接点があったとすれば、その辺だろう」
松永は東京に出て来た。そして板倉松子と知り合ったのだ。私はそう考えた。
「どんな繋がりがあったのでしょうね。保険金の線は静岡県警に調べてもらうよう、係長に頼んでおきます。海外に移住したとなると、足取りを追うことは不可能に近いですからね」
「被害者は何故、板倉岐山の壺を松永久秀のお宝だと言って、西浦竜玉堂に持ち込んだのでしょう?」吉田が疑問を口にした。
「う~ん」と竹村が首を捻るので、代わって、私が答えた。「松永と言う人物が壺を本当に松永久秀のお宝だと思っていたからだろう。松永久秀と言えば、天下の名茶器、平蜘蛛の茶釜が直ぐに頭に浮かぶ。松永久秀の壺と言えば、値打ちものだと人に思わせることが出来ると考えたからかもしれない」
「平蜘蛛の茶釜?」
「なんだ知らないのか? 平蜘蛛の茶釜は蜘蛛が這ったような形をした茶釜だったと言われている。天下人だった織田信長はどうしてもこの茶釜が欲しかった。久秀が信長を裏切って信貴山城に立て籠もった時、茶釜を差し出せば許すと言ったという話があるくらいだ」
「ははあ、茶釜を・・・」
「だけど、平蜘蛛の釜と我が首の二つは、信長公にお目にかけようとは思わぬと久秀は、茶釜を抱いて爆死したそうだ」
「爆死ですか・・・そりゃあ、何とも・・・」
「そう言えば板倉岐山の岐山は、中国の陝西省にある岐山のことを指している。岐阜と言う地名は信長が決めたと伝えられている。美濃の斉藤氏の居城、稲葉山城を攻め落とした時、当時、井口と呼ばれていた地名を岐阜に改名したらしい」
「井口と言うと、ちょっと地味ですね」吉田が笑顔で頷く。




