板倉岐山の壺③
無駄話をしている内に、田端文士村記念館に着いた。
明治期、上野に東京美術学校、現在の東京芸術大学美術学部が開校してから、田端に芥川龍之介、菊池寛などの文士が暮らすようになった。これら文士たちの活躍を紹介する為に、田端文士村記念館が建てられた。
板倉岐山もここで紹介されている。
岐山が開いた窯は既に無いが、ここで足跡を辿ることができた。岐山に詳しい学芸員の中田真治が我々を出迎えてくれた。
年配者を想像していたが、まだ若かった。三十そこそこだろう。吉田と変わらない年齢に見えた。さらりと真ん中で分けた髪と縁の無い眼鏡、白いシャツに薄い青のスラックスが、文学青年と言った雰囲気を感じさせた。「後で、展示も見て言って下さい」と言って、愛想よく、事務室の応接スペースに招き入れてくれた。
広々とした室内に机が四つ一塊に並べられていた。「殺風景でしょう」と中田が笑う。地下が倉庫になっていて、そちらで作業をしていることが多いと言う。部屋の隅にテーブルとソファーが置かれ、応接スペースが設けられていた。
「板倉岐山にお詳しいそうですね。正直、もう少し、年配の方を想像していました」竹村が言うと、「若輩者ですが、随分、勉強しました。ご心配なく。岐山のことなら、何でも聞いて下さい」と表情を引き締めて答えた。
竹村の挨拶を杞憂だと受け取ったのだろう。
「いえ、すいません。別にそういう意味では・・・」と弁解してから、「今から十五年ほど前に、金本信吾と言う男性が、板倉岐山の壺を売って大金を得ています。西浦竜玉堂と言う古物商の紹介で売却したようです。この壺について、何かご存知でしたら、教えて頂きたいのです」と尋ねた。
中田は「ええ、ええ」と何度か頷いてから、「事前にご連絡を頂いておりましたので、岐山の壺について、分かる範囲で調べておきました」と答えて、一枚の写真をテーブルの上に置いた。
青み掛かった透明感のある白地に紫陽花の花が咲き誇っている柄だ。素人目にも、高貴さが感じられた。まるで一枚の絵画の様だ。とても陶器だとは思えなかった。
「これが、その壺ですか?」
「見事なものでしょう。葆光彩磁花瓶と言います。恐らく小田島さんが所有なさっている花瓶のことだと思います。小田島さんは都内で宝飾店を営んでおられる方で、骨董がご趣味だとお聞きしています。
私も二年程前に、小田島さんをお尋ねして、花瓶を見せて頂いたことがあります。見た瞬間、心が震えました。岐山晩年の傑作に間違いありません。是非、うちで展示させて頂きたいとお願いしたのですが、やんわりと断られてしまいました。
花瓶は五年程前に、知人より譲り受けたものだと言うことでした。生憎、その知人がどなたかは小田島さんよりお聞きしていません」
「その小田島さん以前に壺、いや、花瓶ですか。花瓶を所有していた方が誰なのか、分かりますか?」
「板倉岐山の未発表の傑作があるという噂は、昔からあったそうです。岐山が最後の妻、松子女史に残した形見だと言われています。岐山は三度、結婚しています。最後の妻、松子女史との間に子供はいません。松子女史と前妻や前妻たちとの間に出来た子供たちとの関係が良くなかったようで、岐山は松子女史のことを大変、心配していました。
俺が死んで、金に困ったらこれを売れと言って花瓶を残しました。それこそが岐山が松子女史に遺した最高傑作の花瓶だと言い伝えられて来たそうです」
「では、壺、いや花瓶ですか、花瓶の出所は板倉岐山の妻だった松子と言う女性だと言うことですね?」
「恐らくは。岐山は手がけた作品を克明に記録しています。記録に無い、あれだけの傑作が、他にあったとは考えられません。最晩年に、松子女史の為に焼いて遺したものだと思います」
「その松子と言う女性はどうなったのでしょうか?」
「松子女史は岐山が無くなった後、独り身を貫かれました。二人で暮らした田端にある家に住み続け、晩年は心臓病を患われ、その家で病死されています」
「それで松子さんの遺産はどうなったのでしょうか?」
「それがよく分からないのです。松子女史が亡くなられた後、岐山の遺産がどうなったのか? 花瓶が岐山の遺産だったとすると、どういう経緯で売りに出されたのか? 記録がないのです。恐らく、松子女子の死後に、関係者が売りに出したものでしょう。その後、転売さ、小田島さんの手に渡った。そういうことだと思います」中田が申し訳無さそうに言う。
「分かりました。後は、こちらで調べてみます。お忙しい中、ありがとうございました」
必要な情報は聞き出すことが出来た。礼を言うと、「是非、展示を見て行って下さい」と中田が薦めた。
竹村は一刻も早く捜査に戻りたがったが、「板倉岐山に関する展示物を見ておいた方が、後々、捜査に役立つかもしれない」と忠告しておいた。
捜査は多方面から分析し、進めなければならない。思い込みは禁物だ。
「それもそうですね」と竹村も納得してくれたようで、中田に案内を頼み、展示物を見て回った。
一通り館内を見て回ると、中田に礼を言って記念館を出た。
「凄かったですね~」と吉田は感心しきりだった。
「何だ、お前は。美術品に興味があるのか?」竹村が助手席の吉田に皮肉を言った。
「僕は竹村さんとは違いますからね。美しいものを見ていると、その間、傷ましい事件のことを忘れることができます。まあ、壺と花瓶の区別もつかないような人に言っても、無駄でしょうけど」
「あれは、骨董屋の主が壺だと言ったので、壺と言っただけだ。大体、壺と花瓶なんて、何処がどう違うんだ?」
「嫌だなあ~花瓶は花を生けるものでしょう」
「じゃあ、壺は何だ?はまるものか?うひひ」
「やっ! 上手いなあ、竹村さん。座布団一枚!」
二人といると飽きない。与太話を続けながら、竹村の運転で、警視庁に戻った。板倉松子について生前の記録を当たってみるつもりだった。




