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名探偵の回顧録  作者: 西季幽司
回顧録(一)「蔦マンション一家惨殺事件」
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怪しい男⑤

 本郷通りから壱岐坂通りに折れ、そこから一方通行の道路へ左折する。右折と左折を繰り返した先の雑居ビルの二階に、「西浦竜玉堂」はあった。注意していないと、看板を見落としてしまいそうだ。

 狭い階段を登ると、入口のガラス戸に「西浦竜玉堂」と店名が書かれてあり、下に「古美術」、「骨董」、「高額買取」と言う文字が躍っていた。

 骨董屋だ。「時流」のママが「金本は先祖伝来のお宝を売って金持ちになった」と言っていたのを思い出した。眉唾な話に思えたが、どうやら本当のことのようだ。

 書画や壺等の古美術品で溢れかえっている光景を思い描いたが、ガラス戸を開けて中に入ると、店内は意外にすっきりしていた。骨董趣味のある社長の社長室と言った感じだ。真ん中に据えてあるソファーの周りに、掛け軸は壺が整然と並べられていた。

 店の奥にカウンターがあり、「いらっしゃい」と店主が声をかけて来た。

 六十を幾つか超えたベテランの古美術商だ。今時、珍しいレンズの分厚い黒縁の眼鏡がずり落ちそうだった。細面で眉毛が長い。随分、細い。まだ暑い日が続いているが、冷房の効いた店内が堪えるようで、薄手のベストを着ていた。

「西浦岳さんでしょうか?」竹村が警察バッジを見せると、店主は一瞬、顔をしかめたが、直ぐに表情を消して、「ええ、そうです」と頷いた。

 叩けば埃が出て来そうだ。

「ちょっと、お伺いしたいことがあります」

「はて、何でしょうか?」警戒しているようだ。

「十五年前、金本信吾さんと言う方に七千万円もの大金を送金されていますが、一体、どういったお金だったのでしょうか?」

「十五年前!?・・・金本・・・あ、ああ、あの金本さん。金額の大きな取引だったので、よく覚えていますよ」明らかに安堵の表情を浮かべていた。

 骨董品屋にしては古美術品が少ないと思ったが、まともな商売をしていないのかもしれない。西浦は薄ら笑いを浮かべながら、「松永久秀のお宝を売りに来た人ですね?」と竹村に言った。

「松永久秀?」

「あれ、刑事さん。知りませんか? 松永弾正久秀と言ったら、あの悪逆非道、奈良の大仏さんを焼き払った罰当たりな極悪人のことですよ」

「ええっと・・・確か、戦国時代の武将でしたか?」

 竹村は私の顔を見て助けを求めてきたので、大きく頷いてやった。

「ええ、そうです。よくご存知ですね。織田信長を二度も裏切った大和の国の戦国大名です」西浦が言う。訝し気な顔を浮かべている竹村と吉田に、「松永久秀は稀代の悪党として有名な武将で――」と私がざっと松永久秀について説明してやった。

 乱世の梟雄、松永久秀は生涯、裏切りを繰り返した。

 室町時代、幕府の管領職を独占し、権力を握った細川家は家臣であった三好長慶の下克上にあい、将軍もろとも京都より放逐された。これにより、三好長慶が幕府の政権を握るのだが、松永久秀は三好家の重臣として力をつけ、長慶亡きあと三好家を乗っ取った。

 やがて織田信長が勢力を伸長して来ると、あっさり臣従、その後、二度に亘って信長を裏切った。一度目は許されたが、二度目は討伐を受け、籠城の末に爆死したと伝えられている。

「そ、それで、その松永久秀のお宝と言うのは?」

「いえね、刑事さん。それが、傑作で――」西浦は楽しそうに「くっ、く」と笑った。「金本さん、松永久秀のお宝だと思っていたようですが、縁もゆかりも無いものだったのです。一体、何故、松永久秀のお宝だと思い込んだのか、不思議ですね。ご当人は博物館級のお宝で、億はくだらないなんて言っていました。持って来た壷は、確かに見事なものでしたけどね」

「壺ですか?松永久秀のお宝で無かったのなら、何故、七千万円なんて大金を支払ったのですか?」

「それががね。松永久秀とは何の関係もありませんでしたが、何と言っても板倉岐山の壺でしたからね。それもただの壺じゃありませんよ。岐山の代表作と言って良い。稀に見る逸品でした。それこそ博物館級のお宝です」

「板倉岐山?」知らない名前だ。

「流石に、刑事さん、岐山は知らないようですね? まあ、余程、陶芸に造形の深い人でないと、岐山のことは知らないかもしれませんね」

 西浦はずり落ちた眼鏡を人差し指で上げながら、板倉岐山について説明してくれた。

 板倉岐山は明治後期から昭和の初期にかけて活躍した陶芸家だ。「皇帝の磁器」と称される中国官窯の古陶磁をベースに、西欧のアール・ヌーヴォーの優雅で官能的な装飾を加えた、精緻で芳醇なワインのような、深みのある陶芸を生み出した。東西の工芸の粋を見事に融合させた陶芸家で、作品に対する評価が抜きん出て高い。

 岐山は明治の初めに岐阜県の醤油醸造業を営む旧家で生まれた。恵まれた家庭環境だったと言える。十八歳で上京、東京美術学校に進んだ。そこで岡倉天心や、高村光雲らの指導を受けた。東京美術学校を卒業後、東京府北豊島郡滝野川村、今の北区田端辺りに庵を結ぶと、窯を築き、陶芸の制作に没頭した。

 この頃、岐山と号した。岐山は中国にある山の名前で岐阜の地名の由来とされている。故郷の岐阜にちなんだのだろう。

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