ある庭師と常世の庭 後編
常世の庭。
ハートリー侯爵家の庭の一角はそう言われていた。国内どころか世界の庭師の憧れの地と言ってもいいそこは、想像と違っていた。
ほかの地とも変わらなかったのだ。
特別な加護も魔法の残り香も微かにあってもよい魔力も、ほかの地と同じといえるくらいに、普通だった。
「新人はそう言う顔するよね」
イェレよりも前に入った二コラという男はそう笑った。
ここが本当に常世の庭なのか。
イェレは口にはしなかったが表情には出ていたらしい。
「毎日、花が咲く。それだけの奇跡と人は言うけど、それがどれだけすごいか知っているのは僕たちだけじゃないかな」
「確かに」
その場所は、いつでも、ずっと何かの花が咲いた。一輪だけのときもあれば、群れのように咲き誇ることも。
イェレはいつしか咲く花の記録をつけ始めた。理由はわからないが違和感を覚えたのだ。
前日につぼみが一つもない日。翌日は同じ花が咲く。決まったように、一輪。庭の片隅にそっと咲いている。それだけであれば、周期があるのかと思えるが、近くの土が柔らかくなっていることが多い。
誰かが、ここに植えなおしている。
イェレはそう疑いをもつようになった。しかし、誰にも言うことはできなかった。代わりに、花のつぼみのない日の夜に見張ることにしたのだ。
イェレにはノームの特性なのか、暗闇でもよく見通せる目がある。明かり無い夜に見張るのは容易かった。
「……え」
夜中に明かりを手に現れたのは奥様だった。手慣れたように鉢植えの花を植えなおす。
呆然としているうちに彼女は立ち去る。
この家には奥様専用の温室があった。その管理が一番の仕事ではといえるくらい大事にされる場所だが、庭師がそこに立ち入ることは許されていない。それはこういうことだったのだろうか?
疑問を抱きながらも、イェレは朝を迎えた。一輪の花が咲く庭。植えなおした花以外に咲いているものはない。
「……なるほど」
「気が済んだ?」
気が付けば、イェレのそばに二コラが座っていた。
驚いているイェレに二コラは別の花も植えればいいのにな、奥様。と呟いた。
「本物じゃなかったのか」
「厳密に言えばそう。
で、出ていく? それなら記憶をなくしてもらわないとね」
当たり前のように言われた二コラの言葉にイェレはぎょっとした。
「出ていかない。しかし、説明してほしい」
「難しい話ではないよ。
ここは本物じゃない。本物は、眠ったままでどこかにある。界を渡った女王の願いのままにね。
ただ、あると知られれば探されるだろ。本物を探されたくないと小さな加護をここに残し、ここが常世の庭かもという偽装をした。だから、これは常世の庭ではないけれど、別の特別な庭ではある。
でも、近年、加護が薄まって咲かない日もあってね。こういうことになったらしいよ。先代からの引継ぎによればね」
二コラは饒舌だった。イェレにはそれが恐ろしかった。言っても構わないというのは、外に漏れない自信があるからだ。
と当時は思っていた。後日聞いたところによるとばれちまったよ、どうすんだよと二コラは焦りまくり、まくし立ててしまった、ということらしい。
どこまで本当かはわからないが。
なお、記憶を失うお薬は存在し、歴代庭師に受け継がれていた。出ていくなら、忘れてもらうというところのようだ。これは庭師だけの暗黙の了解であり、雇用主でも知らないことだ。
その日から数年たち、若いメイドが侯爵家に雇われた。最初に常世の庭を案内されるが、彼女は一言呟いた。
「きれいね。ずっと咲いてるなんて素敵」
その日から、花が絶えることはなくなった。一月くらいなら偶然。しかし、何か月たってもつぼみのつかない日はなかった。
咲く花も順番待ちでもしているかのように日替わりだった。昨日の花が続けて咲くことはあるが、それとは別にもう一つ咲く。
もう奥様が植えに来る日はなかった。
異常であると侯爵夫妻も気が付いていただろう。ただ、その原因まで気が付いていたかはイェレもわからない。
その日に雇われた若いメイドでもかなり後まで残されていた。特別優秀であったというわけでもないのに、というところから察してはいたように思えた。
何らかの力を持つ娘だと。
イェレもその娘からは緑の匂いを感じた。それも、森の奥にでもいるかのような濃密さで。しかし、イェレと同じように異種族の血を引く二コラは全くそれはわからないらしかった。可愛い女の子という認識しかしていないようだった。
イェレはわざわざそのことを言いはしなかった。植物系の血を引いていると問題が発生しやすい。親がどの種別にいるかで扱いは変わりすぎる。
薬効があるのならば、その血を搾り取られるという話はおとぎ話でも脅しでもないのだ。
その日から数年。
穏やかに過ぎ去った。波乱の前の静かさのように。
最初の異変は、薬の紛失だった。記憶をなくす薬が、ほんのわずか減っていた。イェレは勘違いかと思ったが、二コラはわずかな量の違いに気が付いた。
使い方を誤れば、数日どころか数年の記憶を喪失する。
この薬を知っているのは二コラとイェレだけだった。ほかの庭師はその存在を忘れている。その薬は二人だけ覚えているルールになっていたからだ。
隠し場所は人の出入りのない場所ではない。ただ、鍵はかかっているし、それほど重要そうにも見えない。誰かが知っていなければ持って行きもしない。
なんのために誰が? その問いに答えはなかった。お互いを疑っていない、とは言えないが、何のために、というところに理由がない。
忘れる薬など必要とするほどのことは普通はないだろう。
そういえば、とイェレは思い出した。昨日、子息の婚約者が来ていたなと。説明役を仰せつかって、イェレと二コラ二人が付き添いをした。貴族の令嬢からすれば庭師などつまらないものであろうと思っていたのだが、あえて指名されては断れもしない。
そのとき、ご令嬢は一人だった。最初は付き添いの侍女が二人ついていたのに、いつの間にかいなくなっていた。
まさかと思い、ほかの庭師にも確認したが彼女たちは庭にいなかった。メイドたちにも聞けば、屋敷にも不在で庭にいたのでは? と怪訝そうに聞き返される。
お互いにそちらにいたのでは? と誤解していた。
俄然怪しくなったが、やはり、なぜ、ということはイェレ達にはわからなかった。
秘匿しておくべきか迷いはすれど、ことが事だけに侯爵夫妻に未報告にするわけにもいかない。実際使われてしまえば解毒薬などなかった。
侯爵夫妻は庭師からの報告に半信半疑だった。薬の存在そのものは口伝としてあったらしい。
その怪しい侍女については調べるという話ではあったが、この件は他言無用と口止めもされる。イェレも二コラも誰にも言うつもりはなかった。
それから、少しして、婚約破棄騒動があり、侯爵家は傾きだした。少しずつ人が減り、寂れていくことをイェレもひしひしと感じていた。
そんなある日、常世の庭と言われた場所は、季節外れの花で満開になった。
それは、この庭を褒めたメイドが立ち去る日だった。
その日から、もう花は咲かない。
最後まで残ろうとしていたイェレも解雇されて今に至る。
忘れるお薬はもってきた。もし、あのメイドがいれば何もかも忘れさせて、あの庭に連れて行こうと思ったのだ。常世の庭でなくとも、常に花咲く庭があれば、そこにいていいと思えたのだ。
庭を持たぬ生活はイェレにはつらかった。次に雇ってくれる家などありはしないと先にやめた者たちが口々に言っていたのだから。
そうだというのに。
「あ、庭師さんだっ!」
街中で偶然見つけたメイドは嬉しそうに、それから、心配そうに駆け寄ってきた。
「うち、すっごい、すっごい庭なんです。何とかしてください。ぜひぜひうちにきて庭を」
ぐいぐいとこられるとも、イェレは思ってもみなかった。
そして、行った先の庭は確かにすごかった。
主の帰還を喜ぶような賑わいに、当のメイドは気が付いていない。仲の良かった他のメイドも一緒のようで楽しそうではあった。
その雇用主は胡散臭くはあったが、植物の匂いがした。そして、こちらの素性をすぐに看破してきた。誰にもわざわざ言うこともなかったことを。
愉快な庭と衣食住の保証。これ以上、求めるのは欲深いだろうとイェレはここに雇われることをすぐに決めた。
意外と人の好い雇用主は二コラも一緒に雇ってくれることにしてくれた。
それほどこの庭をどうにかしてほしかったらしい。それからこの事態を招いたメイドにも手伝わせて普通の植物とはなにかと教え込んでほしいとも。
力そのものをなんとかするのではなく、常識の範囲を超えぬようにさせるという考えは意外だった。
イェレは長く生きているので、この雇用主の顔を知っていた。この国最後の魔法使い、そう呼ばれて新聞などで見かけたのはかなり昔の話ではある。
若いものは知らぬだろうなと黙っていることを決めた。
平穏な余生を送りたくもあった。
それから、しばらくたって、本物の常世の庭を見つけることになるとは思ってもみなかったのである。
それはアリッサがメイド仕事ではなく、庭の手伝いを命じられてしばらくたったころだった。
「あ、なんか、生け垣壊れてます」
「昨日は、なにも……壊れてんな」
昨日どころかさっき通ったときには穴すらなかったとイェレは確信している。近くにいた二コラにもこそっと確認したが、壊れていなかったはずと首をかしげていた。
改めて生け垣を見ると人一人が通れそうなくらいの穴が空いている。もうずっとそこに開いてましたというようなくらいの立派な穴だ。
今さっき、アリッサがしくじったというものではないだろう。
「向こう側につながってるみたいですよ。あっちも庭がある」
アリッサはすでに半分ほど頭を突っ込んでいた。
その行動力はなんなんだと突っ込む前に引っ張り出した。
「な、なんですか」
「それはこっちのセリフだ。危ないかもしれないのに頭つっこむな」
「危なくないですよ。なんか、懐かしい、みたいな」
「ほぉ? 隣んちの庭かもしれんぞ」
「壁があるので無理がある話では」
「む。しかしなぁ、ここからさらに庭というのは」
敷地的にありえないが、確かにのぞけば向こう側に庭が見える。イェレは二コラを残し中に入ることにした。
元々頑丈であるので多少のことがあっても大丈夫であろうと見込んだのだが。
「なんでついてくる」
「呼ばれてる気がして?」
そう言ってアリッサはついてきた。二コラは止め損ねたらしい。はぁとため息をついてイェレは後ろからついてくるように指示した。
生け垣の向こう側は庭だった。
それも長く手入れされていない庭だ。奥に菜園と花々が咲き誇る庭園。さらに奥には家があるようだった。
「……なんかあそこ気持ち悪いっていうか、なんか見えます?」
アリッサが指さしたあたりは何もないように見えた。普通の庭のようで、よく目を凝らすと何かがちらついていた。
「魔法だな、あれは」
「魔法のお庭ですか」
「迂闊に触るとまずい類かもしれんから戻ろう。報告がいる」
そうやって雇用主を連れてきた。
彼にとってもこの庭は驚きだったらしい。
「魔女の庭じゃねぇかよ」
そうつぶやく。
アリッサが魔女? と首をかしげていた。魔女の存在を知らないのかもしれない。彼女たちが界を分けてからそれなりの年月が経っている。一番最初に旅立ち、最後まで残ったと言われる魔女の話はイェレたちの一族に伝承として残っている。
最後の魔女の旅立ちは100年ほど前と聞いている。イェレはそこそこ年寄りだが、さすがに生まれる前であるので伝聞だ。
魔女の庭というのならば、休眠状態であろうイェレは思う。そう伝承にあったから。魔女の子孫にも託さず、植物の女王が眠らせたと。
……眠らせたまま?
イェレは昔聞いた話を思い出した。どこかで常世の庭は眠っている。植物の女王が眠らせた。
「……そうか」
常世の庭とは、魔女の庭を指していた。
魔女との思い出の地をそのままに残した。
アリッサだけがピンと来ていない顔をしている。彼女はしらないままにここに導かれた。ならば、開封できるかもしれない。
しかし、雇用主は今は開放しない方針のようだった。
「ほら、帰るよ」
追い立ててイェレとアリッサを庭から追い出す。アリッサは気が付いていないようだが、彼女の周囲だけにょきにょきと草が増えていた。見て欲しいというように花が咲きはじめてもいる。
おいていけば、勝手に封印がとけてしまう。
「閉鎖」
そう言い渡した雇用主の判断は正しかったような気がした。
あれは簡単に扱えるものではない。入れなかった二コラは少し残念そうではあったが、サイズの問題でだめだろう。
と思っていたら、うっかり入れてしまった、というのは、閉鎖作業中のミスにより発覚したのは余談である。
なお、忘れるお薬は雇用主のギーに渡されました。使用されたかもしれない件も含めて。
あんのばばぁこんなもん残しやがってといったとか言わないとか。