ある子爵令嬢と魔法使い 後編
魔女の店に魔女はいたが、機嫌が悪そうだった。眉間にしわが寄っている。
「なんの用? 今、作業終わって洗いものしているところなんだ。
手伝うなら入れてもいい。そうじゃないなら帰って」
確かに魔女はエプロンをつけて両手に手袋をしていた。少し部屋の中を覗けば、大鍋が横倒しになって泡まみれだった。
「手伝います」
さすがにアレを一人で洗うのは大変そうだとアリッサは申し出た。ギーはちょっとだけ嫌そうにえぇと呟いていたが、帰るとは言わなかった。
魔女はアリッサにエプロンを渡す。手袋も新しく用意され、こなれている感じのたわしもやってきた。
「あ、俺はちょっと野暮用」
「逃げるの?」
「知らんうちに監視がついててね。少しお話してくるからちょっとだけ」
「おはなし、ね。
早く行ってきなさいな。ああいうのにうろつかれるのは迷惑」
「じゃ、よろしく」
ギーはそう言って家からでていった。
魔女とアリッサは無言で鍋を洗い、磨いた。この作業には無心にさせる何かがあった。
「おおっ! 輝く赤銅色が戻ってきた!」
魔女が感動していた。いつもは一人で途中で飽きて、半端にくすんだ状態でおしまいなのだそうだ。まあ、お茶でも飲もうかという話になって、魔女はしまったと呟いた。
「入口、開けるの忘れてた」
「私は入れて、旦那様が入れないのはどうしてですか?」
「魔法使い、というより、ギンに関わると面倒というのが魔女界での話だから念入りに避けてた」
「面倒?」
「規定を守れだの、地元民で遊ぶなだの、余計な薬を売りまくるな、狩りつくすな、くらいは言われるかな」
「……普通の注意では」
魔女は肩をすくめた。その態度で、うるさいなぁ程度で流す未来が見えた。アリッサとしてはギーのほうに同情心が芽生える。
「そういえば、魔女様もギンっていうんですね」
「先代がそう言ってたからね。面識はないけど知り合いみたいな気はしているよ。
あ、好みじゃないから安心して」
「確かにディルとは全く違いますけど……」
「アリッサちゃんもディルは趣味じゃないよね?」
「もちろん、違います!」
アリッサは即応した。穏やかに微笑んでいるがねっとりじっとりした口調が怖すぎた。重すぎるなにかがある。
ディルには悪いが関わり合いたくない部類の話だ。そもそも、ディルは俺がちゃんとして魔女さんをっといっているので全く問題ない。
ディルが、その重さに全く気がついてなさそうだが、もう一生気がつかないで生を満喫してもらいたい。
「屋敷には他の女性もいるのでしょう?」
「皆の弟みたいな感じなので安心してください。
ほら、開けてくれないと旦那様が戻ってこれません」
「……そうね」
気を取り直したのか、魔女は何事かを呟いていた。それからまもなく、家の扉が叩かれる。
「結構待った」
そういうギーは両手に荷物を持っていた。花が盛られたカゴと小さな紙袋である。
「話し合いが終わっても全然あかないから、もう一回、殿下に捕まって友好関係の決別の手伝いさせられるし」
「仲直りじゃなくて、ですか?」
「断絶。その礼に花と飾り。
こっちは、魔女に」
そう言ってギーは魔女に花を差し出した。怪訝そうな魔女にうちには花は売るほどあるから、という。
なんとも言えない顔で魔女は受け取る。
「アリッサには似合うかわからないけど、どうぞ」
渡されたのは小箱だった。ワクワクした顔の魔女に促されて開けた箱の中身はブローチだった。ランタンの意匠は一般的なものだ。
お守りの一種だ。暗闇を照らす一つの光がありますように。困ったときに助けがありますようにという意味でもある。
「いいんですか?」
「これ、女性向けだと思う。
前のメイドと一緒か、なんてわざわざ聞かれたから」
「……どっちもアリッサへの詫びじゃない? デート邪魔したからという。花もアリッサちゃんにあげるわよ」
「いえ、花は……」
アリッサは断った。本当に屋敷に売るほどある。それに外からなにか買ってきたら、ちょっとばかり庭の機嫌が悪くなりそうだ。
庭に機嫌があるというのも変な話ではあるが、総合的なふんわりとした意思のようなものはあるようだ。
歴戦の庭師にはわかる感覚らしく、お嬢ちゃん、本格的に庭師にならんかね? とイェレに勧誘されている。
アリッサは花というより植物全般に親しみを覚えているが、お世話が好きというわけでもないので丁重にお断りしている。
魔女は、まあ、そう言うならと花の籠をテーブルの上に置いた。
ひとまずは、お茶を飲んで一息つくことにした。
「そういえば、報告しておくことあった。
ディルと正式にお付き合いすることになったよ。ちゃんと仕事があるし、解雇の心配もなくなったので! って」
うふふふと笑うところは可愛らしさがあるはずなのに、なぜかアリッサはじっとりとした重さを感じる。
「なので、雇用主、解雇しないでよね?」
「……いや、まあ、うん。
同居は許可しないから外泊するときは許可を取るように。延泊は認めない」
「同居がなんでだめなのよ?」
「魔女のお世話係になって、うちに帰ってこないからだよっ!」
「そんなこと、まだ、ないじゃないっ!」
「未来的にあり得る話だ。
大体、魔女ってのは、基本的に研究しか興味ないので日常がおろそかになりがち」
「否定はしない」
「そこに世話好きの恋する野郎がいたら、だめになりそうなくらい甘やかすだろう」
「甘やかされたい」
「却下」
「ケチ」
「慈善事業しねぇよ。働かせろ」
けちぃと呟きながら魔女はお茶のおかわりを用意していた。
ケチと思うがもてなさないわけでもないらしい。あるいは自分が飲みたかったか。
二巡目のお茶がいれられ、話は数件巡った宝飾品店のことの愚痴がでた。あー、という顔をしていたので魔女も経験済みなのかもしれない。
「言ってくれれば、家の出入りの業者紹介したのに。魔石需要はまだあるからたまに作ったりするの。その時に石を用意してくれるところあるから」
その店の名を聞いてアリッサは沈黙した。アリッサでも名前の聞いたことがある王家御用達の老舗である。桁が違う。そういえば魔石というと黄金より高価と聞いたことがある。
師匠が開店からの付き合いでという話なのだが、昔からの付き合いで大店になっても使っているということが恐ろしい。
そして、ギーも、あそこねぇとそれよりはと別の老舗をあげていく。そこに連れていかれなくてよかったとアリッサは心底思った。恐縮するどころではない。
「今度なにかあったら相談して。
礼なんていいのよ、いつものディルの情報を横流ししてくれれば」
私情にまみれた提案にアリッサは表情を大人しくはいとだけ返答した。
ディルのプライベートを犠牲にするかについては保留しておく。
それからしばらくは別の雑談で時間が過ぎる。ちょうど二杯目が空いたところで、話を終わりにし店を出ることになった。
アリッサちゃんはまた来てねと魔女が言う。ギーは俺はと言えば、来るなと門前払いをくらわす予告をしていた。よほど嫌らしい。
「あ、これ、今日手伝ってくれたお礼」
そう言って魔女は小袋をアリッサに渡した。軽かったのでなにかの薬草か何かと思ってその場では確認しなかった。
店を出るとすぐに露店が並ぶ通りだった。
「お土産でも買ってそろそろ帰ろうか」
「そうですね。なんだか色々ありまししたし……」
もう少し、気軽に色々見て回れなかったのはアリッサとしても残念だが、一応、買い物はできた。
ギーは少しだけ、考え、アリッサに手を差し出した。
「ちょっと景色のいいところでも見ていこう。
手を貸してくれる?」
アリッサはその手の上に自分の手をのせた。すこしふわりと体が浮かぶ。
「わわっ」
「あ、慣れてないと危ないか。
ごめんね、抱き上げる」
「え、ええっ!?」
慌てるアリッサをギーは抱き上げた。いわゆるお姫様だっこである。
何が起こったかわからないままにアリッサは空に浮かんでいた。
「鐘楼の上は、海の方まで見えるよ」
「そ、そうなんですね」
初めての空の上で、アリッサは怖くてギーにぎゅっとだきついた。はしたないとか言っている場合ではない。落とされることはないと思っていても怖いものは怖い。
目的地までは、思ったよりもずっと長いように感じた。
王都にある鐘楼は百年ほどまえからある塔だが、他のものが古すぎてまだ新しいと言われる。いつもは一時間ごとに鐘が鳴る。少し前に鳴ったのでしばらくは轟音を響かせることはない。
屋上に設置された鐘つき台は思ったよりは広かった。その上もあるけど、と言われてもアリッサは断った。
今までこんな高いところに登ったことはない。
「ほら、あっちが海。夜なら灯台の火が見えるけど、まだ明るいから無理かな」
「海は、見たことがありません」
「じゃあ、今度、行こうか」
「楽しみにしてます」
いつか、ごねてやろうと思いながらアリッサは微笑んだ。
「そういえば、前の約束の件考えてくれた?」
「ああ、張りぼての代償ですね。
……なんでもよいのですよね?」
「可能な範囲なら。世界征服とかは無理だよ」
「誰がそんなの願うんです?
では、故郷に行くときに同伴してください」
「里帰りに?」
「ええ、私、実家と絶縁しているんですが、相続について不服申し立てに行きたいのです。
ただ、後ろ盾もないので後ろに立っていてもらいたいんです」
「実権らしいものないけど……」
「安心してください。この国で魔法使い以上に脅しのきく存在はいません」
「暴力装置!?」
アリッサは微笑んでそれには答えなかった。
ギーは困ったなぁと呟きながらも了承した。なんでもといったしと。
「友人として、尽力しよう」
その言葉は心強いはずが、アリッサにはとても痛いものだった。
雇用関係よりは友人のほうが近い。しかし、もっと、欲しいと思ってしまっていることに気づかされる。
「ちょ、な、なんで涙目」
「なんでもありません!」
「どこが悪かった!? 友人すら気持ち悪いとかそういうの!?」
「どうして、そういう方面だけ鈍いんですかっ! 誰が気持ち悪い相手とデートしたりします!?」
「減点方式でマイナスまで行ったかと……」
「加点方式です! 逆ですっ!」
「あれ? 逆だった? むしろ獲得点数あった?」
「本気で鈍いですねっ!」
「え、じゃあ、つき合いたい? なんなら結婚したいとか」
「したいですよっ!」
ぜはぜはと言い合って、アリッサは虚しくなった。
察しろというアリッサも悪かったが、ギーは全然何も、気がつかない男だった。確かに、あのままでは寿命が尽きる。
「わかった。
結婚を前提に、お付き合いしよう」
あっさりとギーは言う。拍子抜けするくらいに簡単に了承されて、それはそれで腹が立つ。
アリッサがじろりと睨むと少し表情をひきつらせた。
「旦那様は、別に私のこと好きじゃないんですよね」
「好きかはわからないけど、ほかの誰かの隣に立たれるのはとても腹が立つ。
だから、一時確保」
「ひどい話では」
「いつでも振ってくれていいし、出て行くときは慰謝料払うよ」
冗談なのか本気なのか。アリッサは呆れた。
「そういうときは、嘘でも好きっていうもんですよ」
「この流れで好きというと嘘判定食らいそうなので、いわない」
それは実質、好きだってことではないだろうか。アリッサはおかしくなった。笑いが込み上げてくる。
「じゃあ、仕事以外の旦那様は禁止。
ギーと呼ぶこと」
「善処します」
「それから、俺の名前はね」
告げられた名前は確かに同じ名前を聞いたことがなかった。それなのに、記憶のどこかに引っかかりがある気がした。
昔、どこかで聞いたのではなく、見た気がした。
「これは呼ばないでほしい。恥ずかしいから。もう、中二病って感じに恥ずかしいから。なに考えてつけてんの始祖と言う話だから」
ちゅうにびょうって? と思いながらもアリッサは頷いた。
「さて、帰ろうか。日が暮れる前に」
降りるときはのぼるよりも怖かった。もう一度アリッサはギーにしがみつくことになった。
こうして二人は婚約者(仮)となったのである。
その後、お駄賃は魔石。それも質の良い、売ったら一年は暮らしていけそうなもの。
ジェットの宝飾はあまり流通しなくて値段がつかないブツだとギーから言われて、卒倒しそうになる。
銀行の貸金庫を至急探す話に。
「資産というより家宝になった」とのちに語ったという。




