ある魔法使いと 3
意味が分からないという雰囲気にギーは肩をすくめた。普通は、考えつかないだろう。
婚約破棄した過ぎて、相手に薬を盛るなんて。
「こちらに報告が届いているのは、理由は知りませんが、ジャネット嬢は婚約を破棄したがっていたということです。
これは辺境伯邸での証言があります。ただ、その時点では婚約破棄できるような落ち度はジーク殿にはなく、また、侯爵家も平穏でした。
それならば、問題を作ればよいと言わんばかりに自分のことを忘れさせ、別の女性に惚れ薬を盛らせた。その後は、新聞に書いてある通りといったところでした」
ギーは事前に得た情報の中で都合の良い話だけを選んで語った。実体はもっとえぐい話だった。
1.最初に忘却の薬を盗み
2.大喧嘩
3.仲直りの呼び出し
4.忘却の薬を盛る
5.倒れたところを別の女性に介抱させる
6.介抱した女性が惚れ薬入りの水を飲ませる
7.ジークが無事、数年分の記憶を失ったので嘘を吹き込む
※婚約者との関係が破綻済みでお互いに婚約解消に同意しているが、親が承知しないので婚約破棄の茶番を計画していた等。
ジークが圧倒的被害者である。そして、婚約破棄をどうしてもしなければならないという必死さが伝わってくる。
これらの情報は、始祖が送ってきた人員が調べた結果である。
植物の界からやってきたものはギーに顔を見せもせず、魔女と一緒に辺境伯領に飛んで情報収集してきた。
報告書には婚約破棄と言い出す前に高熱で生死の境を彷徨ったとか、起きてからは性格が変わったのではないかというくらい活動的になった、らしいと書いてあった。
さらに、冷遇される結婚生活なんてしたくないと言っていたとか、庭が枯れた責任を取らされて絞首刑なんてとか。
普通ならだれも聞いていない場所でもそこが砂漠でもない限り植物は聞いている。
もっともジャネットにしても植物精霊が、植物に聞き取り調査をするなんて予想できないだろう。この世界の住人にしてもそこを意識している人はほとんどいない。ギーにしてもいつもは考えてもいないところだった。
ただ、この証言は人相手では役に立つとみなされるかは微妙だ。誰でも植物の声は聞こえない。そのため、証言者はぼかして言うことが必要である。ある魔女と植物精霊が開発したみんな喋れる君というふざけた名前の禁薬を出してくれば別だが。
「よくありがちに他に好きな人でもできたんでしょう。それなら婚約を解消するためにあらゆる手を使うのもわかります」
ギーは適当に理由をでっちあげておいた。今のところ、この先の運命回避のためにしたことらしいと推測できるがその話をしたところで何か益があるわけではない。
むしろ、先を知っているというなら、利用価値があると思われてどう使われるかもわからない。人権なんてろくにない世界で配慮されるなんて幻想だ。
「……そのころ、私とは親しくはなかった」
「なにも殿下と言ってはいませんよ。一般論です」
そうギーが言えば第四王子はむっとした様子だった。
「その話は本当なのか? ジャネット嬢を妬んで嘘をつくものもいないとは限らない。侯爵家に肩入れをしているということも。
ギー殿は侯爵家の家のものを雇っていると聞いたが、それで公平な調査ができるのか?」
この期に及んでまだ言う王子にギーはにこやかに微笑んだ。調べますとでも言って引き下がればもうちょっとマシになりそうという想定もしない。
無能というより、話を聞いてもらえないかもしれない、ということを考えたこともないのだろう。
国一つ滅ぼしたところで、というイキモノを相手にしているにしては甘い。王太子のほうは口をパクパクしているので、魔女がなにかしたんだろう。
「確かに侯爵家を解雇された女性を雇ってますよ。ほかにどこにも雇ってもらえないと嘆いていたのでね。
もう身売りするしかないという若い女性を放置しろと殿下はおっしゃる?」
「そうはいっていないが、そういう意味で侯爵家に同情的なところがあるのではないかと」
「つまり、情に流され不当な証言を採用したとお疑いなわけですか。
アリシア殿」
「はいはい。
検証もしっかりしたよ。
ああいうお薬使ったら、使われた者にその痕跡が残っている。どちらも使われた薬は手元に確保していたからね、検証は簡単だった」
「その情報は提供いたしますので法の元に処断していただければと思います」
口出ししたんだからそっちで処理しろというのは悪い話ではない話だ。人として人に裁かれる。裁判を正式に開き、記録を残し、細部の漏れも許さず公表させればいいだろう。
その身勝手さを広めれば、事前の好印象を大きく損なってくれるはずだ。
そして、その悪行が知れ渡ればおのずと侯爵家の名誉も回復される。
ギーとしては何もせずにすべてが終わってくれていいことずくめ。ジャネットの名誉だの辺境伯自身へ多少の配慮だのを投げ捨てたのはあちらである。
魔女が何か口出ししてきて、なんか、勝手にやった。お嬢様かわいそう、魔女がひどい! では、もう済まない。
それなのに我が意を得たりという表情の第四王子にギーはイラっとした。自分のいいようにできると信じているようだった。
「ああ、そうそう。
例の没落の原因となった噂の元も調べておいてください。我らの名を貶める噂を流したものをきちんと裁かねば、実りは約束できません。嘘を見破る目も呼んでおりますので、隠せると思わぬように。
死体さえも喋らせる薬はあります。殺しても無駄です。
命乞いも時間の浪費ですが、我々は長生きですので、死ぬまで聞いてあげてもよいですよ。同時に植物を食わずにいつまで生きていられるか試していただきますが」
植物をつかさどる者にに喧嘩を売ったのだから、ちゃんと落とし前をつけるべきである。もちろん、肉類も不可である。植物を食って育ったものなのだから。
ギーの言葉に王太子のほうが青ざめていた。きっと何か知っているに違いない。侯爵家は知らずに恨みを買っていたのかもしれないが、そんなの関係はない。その政争の迷惑を被ったのは、関係ない人々だ。
ギーは薄っすらと微笑んでいる自覚すらなかった。
「ほかに、なにかありますか」
妙に静まりかえった会議室にギーは怪訝に思いながら見まわした。誰もが視線を合わせてくれない。魔女たちもさっと視線をそらしたところからなにかあるっぽいなとギーは気がついたが理由はわからなかった。
本人は気がついていなかったのだが、かなり殺気立っていることが周りからわかるほどだった。ギーがキレると手が付けられないということは注意事項として伝達されていた。
始祖と同じでへらへらしているうちは譲歩するが、ある一線を越えたら、死ねと言い出すと。本人たちが聞けば、ああ、日本人的と納得するところではある。
「では、殿下。御前を失礼いたします。二度とお会いすることもないでしょう。
皆さまもこれで解散ということで」
ギーは面倒が起きる前に立ち去ることにした。さっさと家まで、魔法で空間を飛んで。
屋敷は変わりなくいつも通りだった。それにギーはほっとした。
「あれ? いつお帰りでした?」
庭掃除をしていたアリッサがいつの間にかそこにいたギーを見て目を丸くしていた。
「今、さっき」
「門、開きました?」
「魔法でひょいって」
「……ソウデスカ」
アリッサの疑い深そうな目線にギーはたじろいだ。この一か月、よくこうやってみられる気がしていた。からかわれているのではないかという疑いの目線であろう。
本物と言えば言うほどに嘘くさいのが魔法使いというものである。
気まずいなと思いつつ屋敷に戻ろうとして、ギーは足を止めた。
「今、暇?」
「庭の掃除中です」
「お茶いれてくれない? ちょっと疲れたから自分でやりたくない」
今日はゲートルートは用事を頼んで不在だ。ほかのメイド二名も休みになっていた。屋敷に残っているメイドはアリッサだけである。
そのため、彼女に頼むほかなかった。
「……仕方ありませんね。イェレさん、少し他の仕事してきます」
アリッサは少し遠くで作業していたイェレに大きな声で告げ、箒を持ったまま屋敷に向かって歩き始めた。
「お城、どうでした?」
「多少問題はあったけど、侯爵家は再興することになると思うよ。また元の職場に戻れるはずだ」
「そうですか」
気乗りしないようなアリッサにギーは思い出した。そう言えば、21歳で相続する財産があり別に働く必要はなくなるはずだった。
「ここにいたければ、いてもいいけど、待遇は変わんないよ」
「もう少しお世話になります。ちょっと考えたいことも見極めたいところもあるので」
「そう」
アリッサは早足で進んだ。アリッサはギーの隣に並ぶこともあるが、先にいることはめったにない。今日はわざとそうしたように見えた。
「今日の格好、とても、かっこいいと思います」
「……へ?」
振り返りもせず言われ、ギーは立ち止まってしまった。アリッサは先に屋敷の玄関まで走って行ってしまった。
服を、褒められた。
ギーは別方向の解釈をしようとする自分の思考を捻じ曲げた。全体的に褒められたというのは自意識過剰のような気がした。
「旦那様、どうしました?」
「あ、今行く」
全くいつも通りのアリッサにギーはやっぱり見間違いと結論付けた。
アリッサの耳が赤かったような、ということはないはずである。