第9話 武器屋の憂鬱
「そういえば、リースさんって杖を持ってませんよね。何か理由があるんですか?」
レイは武器屋で剣を物色しているときに私に尋ねた。
ケノ奪還戦の翌日、私たちはもう一度ファンドたちが暮らしていた家へ行って死者たちの冥福を祈ったあと、ケノから一番近い都市イクヤに来ていた。イクヤでは新たに仲間になったレイの装備品や壊れてしまった私の短剣の鞘などを手に入れて、旅の準備を整えるつもりだった。
「いくつか試してみたんですけど、これは、と思える杖に出会えてないんですよね。この剣もありますし」
私は間に合わせの箱に入れて背負い袋にしまっている短剣を指さしながら答えた。
「杖って魔力を高めるんでしょう? 杖なしでそんなに魔法が使えるなんて、やっぱリースさんてすごいですね」
「いえいえ」
「失礼ですが、お客様たちは『裁きの道化』のご一行様でいらっしゃいませんか? お噂はうかがっております」
派手な格好をしたラックの姿が、店の人の目に留まったらしい。「裁きの道化」がケノ奪還戦に突如参戦して、マーブル・ドラゴンを倒したという噂は、一夜にして広く知れ渡ったようだった。もともとマーブル・ドラゴンが多くの人々から恐れられていた有名な魔物だったので、それを倒した私たちの評判もいよいよ高まることになったのだった。
「私はこの店の主でございます。みなさまのような特別なお客様には、特別な品をご用意させていただきます。どうぞ、こちらへ」
店主に誘われて、私たちは奥の部屋へ入った。店の表とは違って、そこには大小さまざまな箱に入れられた、いかにも高級そうな武器がずらりと並んでいた。
「剣士様には、こちらなどいかがでしょうか? カヅイカの名匠の手による逸品です。切れ味は抜群。天然のレムセルを鍛えたものですから、丈夫で手入れもしやすく、申し分のない品です」
店主は箱からうやうやしく剣を取り出して、レイに見せた。
「どうぞ、手に取ってご覧ください」
レイは店主に促されて、剣を持った。そして、重さを確かめるようにゆっくりと手を動かした。
「うん、良い剣だ」
レイは剣の柄に頬を寄せ、刀身にギラギラと光を当てながら言った。
「でも、値段が高すぎるんじゃないかな」
レイは私を見た。
私はお金のことは気にしないで、と目で答えて頷いた。この五年の間、ひたすらに魔物を倒してきたおかげで、私たちにはかなりの蓄えがあった。今度のケノ奪還戦でも、私たちは参戦者の中で一番の報奨金を受け取っていた。
「せっかく来たので、この店で最強の剣を見せていただけませんか?」
私がそう言うと、主人は表情を変えずに答えた。
「私どもは、ここイクヤの地で代々武器商を営んでまいりました。私の親も、その親も、またその親も。私も知らないくらい先祖の代から、ここでお客様に武器を提供してきたのです。その私がこの部屋で特別なお客様にお見せする武器は、常に私どもの店で最強の武器でございます。そもそも最強の武器と申しますのは、それぞれのお客様に合わせて決まるものでございまして、条件抜きに、客観的な最強の武器というものが存在するのではございません。私は剣士様のご年齢やご体格などをお見受けした上で、こちらのレムセル・ソードを当店にある最強の剣としてお勧めしているのです」
「ああ、そうだったんですね。失礼なことを言ってしまい、すみませんでした」
私は頭を下げた。
「いえいえ、失礼などとんでもございません。何かご不明の点がございましたら、またお尋ねください」
主人も優しい笑みを浮かべながら頭を下げた。
そのとき、奥の方からガチャガチャという鈍い金属音が聞こえた。見ると、ラックが古めかしい大きな鉄の箱を抱えて地下から階段を昇ってくる。いたる所に護符が貼られたその鉄箱は、鎖でぐるぐる巻きにされて錠前もつけられている。
「あっ! それには触らないでください!」
主人が慌ててラックを制した。ラックはいたずらをするように笑いながらその鉄箱を床に置いて「これ、これ」と指さしている。
「何ですか? あれ?」
「あれは代々この店に伝わっている、呪われた剣です」
「呪われた剣?」
「はい。もともとは西の祠に祭られていた古い剣だったそうですが、ある男が欲を出してそれを持ち出してしまったのです。男はその剣を手にした途端、すっかり人が変わってしまって、故郷の町の人間を皆殺しにしてしまいました。泣き叫ぶ子どもや命乞いをする年寄りも残らず全員、文字通りの皆殺しだったそうです。男はそれでも殺し足りず、ここイクヤまでやってきて、また多くの人間を殺しはじめました。腕に覚えのある戦士や魔法使いたちが総がかりでその男を倒そうとしましたが、みな返り討ちにされてしまいました。とうとう王都から軍が派遣され、一個師団を投入して何とかその男を倒しました。この事件が収束したとき、その師団の兵士の数は半分に減ってしまっていたそうです」
「その話は祖父から聞いたことがあります。百年くらい前の話なんですよね」
レイが言った。
「そうです。『マシトイの呪い』として今も語り継がれている、痛ましい惨殺事件です。『マシトイ』というのは、男が剣を持ち出した祠の名前です。男は軍によって討たれ、剣だけが残されました。人々はその剣には触らないように縄をかけて街の外まで運び出し、その不吉な剣を破壊しようとしました。しかし、どんなに強力な物理攻撃や魔法攻撃を加えても、剣には傷ひとつつけられません。人々はこの剣の異様さにあらためて畏れ慄き、壊すのをあきらめて、呪いを解くことを試みました。高位の僧侶たちが集められて、剣にかけられている呪いを解く儀式が執り行われたのです。しかし、儀式の効果を確かめるために、ある若者に拘束魔法をかけた上で剣を握らせてみたら、その若者もすぐに凶暴になり、拘束を解いてまわりの人間に襲いかかる素振りを見せたので、すぐに数十人がかりで剣にかけていた縄を引いて若者から剣を引き離しました。人々は呪いを解くのをあきらめて、剣を鉄の箱に収め、護符と特殊な鎖と錠前で封印しました。問題は誰がその箱を引き取るかです」
そこまで話して主人は、深いため息をついた。
「誰も引き取ろうとしなかったんですね」
私は店主の険しくなった目を見ながら尋ねた。
「そうです。軍や教会が引き取ってくれればよかったのですが、事件の再発を恐れて、誰もこの剣とは関わりを持とうとしませんでした。中央の人々は、いつもやっかいなことを地方に押しつけようとします。イクヤの名士たちが集まって話し合いが持たれましたが、結局、餅は餅屋、剣の管理は武器屋に任せるのが一番という意見にまとまり、私の曾祖父が貧乏くじを引かされることになりました。曾祖父はどこか遠くの深い谷や火山の火口に剣を投げ捨てることも考えたそうですが、どんな祟りに見舞われるか分かりませんし、万一、剣が誰かの手に渡れば、またどれほどの人間が死ぬことになるか分かりません。曾祖父は仕方なく、店の地下室に剣を安置し、僧侶に依頼して、毎年男が死んだ日に解呪と鎮魂の儀式をしてもらうことにしました。呪われた剣は私たちの店に負の遺産として代々引き継がれて今に至っています。私も先日僧侶を呼んで儀式をしてもらったばかりです。私は長年武器商を営んでいますから剣の取り扱いには慣れていますが、この剣にだけはどうしても慣れることができません。いつ剣の封印が解かれて、また虐殺が始まるか分からない、いや、何かの弾みで私や私の親しい人間が殺人鬼になってしまうかもしれない。そう思うと眠れない夜もあります」
「すみません。私の連れがとんでもないことを」
「そうだ!」
店主は目を輝かせて私を見た。
「僧侶様に、この剣の解呪をお願いできませんでしょうか? あのマーブル・ドラゴンを倒したというあなたのお力を、ぜひともお貸しいただきたいのです。もちろん、お礼はいたします。どうか、この通りです! この剣の呪いを解いてください!」
店主は深々と頭を下げた。レイは心配そうに私を見ていたが、ラックは鉄箱の傍に立ったまま、うんうんと頷きながら笑っていた。
「分かりました。私がお役に立てるか分かりませんが、できるだけのことはしてみます」
私は僧侶として呪いを解く方法について一通りのことは身につけていたし、この五年の旅の間に何度か物や場所にかけられた呪いを解いたことはあった。
「お店の中だとご迷惑がかかるかもしれませんので、どこかに場所を移しましょうか?」
「できれば、このまま、ここでお願いいたします。あまりこの箱を動かしたくありませんし、人の目にも触れさせたくありません」
「わかりました」
私は背負い袋から聖水を取り出した。そのあたりの道具屋で売っている普通のものだが、道具の善し悪しは、あまり解呪には関係がないと言われている。呪いをかけた者と、それを解こうとする者の力関係が問題で、要するに私の魔力次第、ということだ。
私はラックの代わりに鉄箱の傍に立って目を閉じ、深く息を吸って、解呪の呪文を唱えた。つづけて目を開き、呪文の詠唱を続けながら、聖水を鉄箱に振りかけた。
しばらくそれを続けていると、はじめは何も反応を示さなかった鉄箱が、ゆっくりと回転し、店主の方を向いて止まった。と思ったら、床の上でガタガタと震えた。
「わっ!」
店主が尻餅をついた。
「大丈夫ですか?」
レイが店主の傍に屈んで声をかけた。
「は、箱が動いた! こ、こんなことは始めてです! も、もし私が殺人鬼になってしまったら、すぐに殺してください! 頼む! 殺してください!」
店主は箱を見つめたまま、だらだら汗を流していた。
しかし、それ以上箱は動かなかった。私はまたしばらく解呪の法を続けて、箱に変化がないことを確かめてから、それをやめた。
「これで呪いは解けたのかな?」
レイが言った。
「と、解けましたか!」
店主は尻餅をついたまま言った。
「いえ、残念ながら、呪いが解けたようには思われません」
「そうですか……」
店主は無念そうに天を見上げた。
「でも、箱が動いたよね。こんなことは始めてだって……どういうことだろう?」
「こちらの方向に何かありますか?」
私は箱が向いた方向を指さして尋ねた。
「え、私の方を向いたんじゃないんですか? えーと、こちらは西だから……」
「西?」
「どういうことだ?」
「覆水盆に返る♪」
ラックも西を指さして言った。
「そうか! もとの祠に剣を戻せってことか!」
レイまで西を指さして言った。
「じゃあ、持って行ってみましょうか」
「ちょ、ちょっと待ってください」店主が割って入った。「確かに、マシトイの祠はこちらの方角ですが、しかし、剣を持っていくなんて、危険過ぎます。これまでの百年、剣をここに安置して毎年欠かさず解呪と鎮魂の儀式を続けてきたからこそ何も起こらなかったかもしれないんです。それを確証もないのに動かすなんて! 第一、剣を持っていたら、あなた方にどんな危険が及ぶか分かりません。私からお願いしておいて勝手なことを申し上げていることは分かっていますが、どうか、ここから剣を動かすのは思いとどまってください!」
「後悔先に立つ♪」
いつのまにかラックが店の台車を運んできて、その上に鉄箱を乗せていた。
「あー! だからだめですって!」
店主は泣きそうな顔になっていた。
「店主さんのお気持ちはお察しします。確かに、本当に呪いが解けるか分からないのに祠まで剣を持っていくのは危険な賭けに違いありません。しかし、この百年、ここに安置して儀式を重ねても剣の呪いが解けなかったことも、また事実のようです。どうでしょう、ここは思い切って私たちに剣を託していただけませんか?」
私からの提案を受けて、店主はしばらく考え込んだ。
「分かりました。あなた方は、あのマーブル・ドラゴンを倒した『裁きの道化』のご一行様です。この剣をお預けいたします。そもそも剣の呪いを解くようにお願いしたのはこの私です。そのために剣を移動させる必要があるというのなら、そのご判断に従います。あなた方は危険を顧みず、命をかけてこの剣の呪いを解こうとしてくださっている。本当にありがたいことです。お礼はあらためて準備させていただくとして、まずは当店でご用意できる最高の武器と防具を進呈いたします」
店主は覚悟ともあきらめとも取れる様子で言った。
「ありがとうございます。それではこの剣士の武器と防具、そしてこちらの剣に合う鞘と剣帯をご用意いただけますか?」
私は背負い袋から抜き身の短剣を取りだして店主に渡した。
「ほう。これは素晴らしい。貴重な玉鋼が使われていますね。めったにお目にかかれない剣です。職人の仕事も一流。手入れもゆきとどいている」
店主は短剣を細部までしみじみ見ながら言った。
「それでは剣士様には、先ほどお目にかけましたレムセル・ソードと、同じくレムセル製の防具一式を、僧侶様にはこちらの短剣に見合う最高級の鞘と剣帯をご用意させていただきます。あちらの方には……何をご用意すればよろしいでしょうか?」
店主は、鼻歌を歌いながら鉄箱を乗せた台車をぐるぐる回転させて遊んでいるラックを不安そうに見つめながら言った。
「本当にすみません。彼には何も必要ありません……」
その日の午後、私たちはマシトイの祠に向けて出発した。
レムセル製の剣と防具を装備したレイは、ますます頼もしく見えた。
レイがもともと装備していた剣と防具を武器屋に買い取ってもらったが、店主は本当にこんな装備でマーブル・ドラゴンを倒したのかと目を丸くしていた。レイが身につけていたのはケノの自警団から支給された廉価品ばかりだったのだ。
照れているのか、ただ恥ずかしいのか、レイは赤面していた。