第5話 戻りたい場所
「レイ、早く寝ろ。寝坊したら置いてくぞ」
「絶対に連れてってよ。置いてったら、一生恨むからね」
じいちゃんはいつまでも僕を子ども扱いする。僕はもう一人前の剣士なんだから、いいかげんにしてほしい。
でも、大きな戦いを明日に控えて、やはり緊張してるのか、僕はうまく眠れなかった。はたして僕たちは町を取り戻すことができるだろうか? 早く寝なきゃ、と焦るほど目が冴えてしまう。僕は冷たい剣を抱いたまま、寝返りを打つばかりだった。
僕が生まれたケノは、鉱業で栄えた町だった。
町の近くではたくさんの銀が採れた。大人たちは毎朝それぞれの採掘場へ出かけてゆき、夕方には真っ黒になって帰ってきた。
町には大きな市場、学校、医療所、教会があり、目抜き通りにはカジノや劇場まであって、いつも賑やかだった。
僕の祖母が幼かった頃には、ケノはずいぶん貧しい村だったらしい。子どもが売られたり、借金を苦にして心中する家が出たり、飢饉のときには木の根まで掘って食べたり、といった悲惨なことがざらにあったそうだ。
「寒い夜には家族がひとつのベットにかたまって、お互いを温めあいながら寝たもんさ。凍え死にしないようにね」
まともに学校へ行かせてもらえなかった祖母は、今の人たちは恵まれている、というのが口癖だった。
三十五前に村の近くに銀の大きな鉱脈が見つかって、ケノは急速に発展した。僕が子どもの頃には、すでに商店がずらりと建ち並び、石畳の道をたくさんの馬車が行き来しており、新たに移り住んでくる人もたくさんいて、子どもながらに町がどんどん大きくなっていることが実感できた。だから、ケノが貧しかった頃の話をいくら聞かされても、僕はうまく想像することができなかった。
でも、今、ケノは誰も住めない場所になってしまっている。五年前のある夜、突然、町は魔物の大群に襲われたのだ。
ケノの自警団はすぐに応戦した。僕もまだ十歳だったが、剣を取って大人たちとともに戦った。自警団はよく戦ったが、じりじりと魔物たちに押されて次第に組織的な抵抗ができなくなり、明け方には生き残った住民たちを連れて町を離れざるをえなくなった。一晩のうちに町は廃墟と化し、魔物たちの棲処になってしまった。
あの夜のことは今でも夢に見る。倒しても、倒しても、悪夢みたいに次々と魔物が現れるのだ。子どもも、年寄りも、多くの人が命を落とした。僕の祖母と母と姉も行方不明になってしまった。坑夫だった父を落盤事故で早くに亡くしていた僕にとって、彼女たちはかけがえのない家族だった。だからじいちゃんと一緒に戦って、魔物たちから彼女たちを守りたかった。でも、あの夜、必死で戦いつづけているうちに、彼女たちとはぐれてしまい、結局、じいちゃんと僕だけが生き残ってしまったのだった。
まだ、どこかで彼女たちが生きていると信じたい思いはあるが、もう五年も会えないままになっているから、その可能性はないに等しいことは僕にも分かっている。せめてみんなの仇を討って、形見だけでも取り返したいと思いながら、僕はじいちゃんのもとで剣の修業に励んできた。じいちゃんは腕のいい剣士で、ケノの自警団でも指導的な役割を果たしていた。
もともとケノには、魔物たちの襲撃に備えて、防壁や砲台を作る計画はあったのだが、町の発展が速すぎて、要塞化が追いついていなかった。これも敗因の一つになった。
ただ、もし要塞化が進んでいたとしても、ケノがあの夜の襲撃に耐えられていたかどうかは分からない。それほど魔物たちは強かった。
特に強かったのは大群を率いていたマーブル・ドラゴンという凶悪な魔物だった。その名の通り大理石の体を持つ竜で、さまざまな鉱石を食い荒らしながら各地を巡っていることでよく知られた魔物だ。その大きさは人と同じくらいから建物の高さを超えるくらいまで変幻自在であるというが、詳しいことは分かっていない。その姿を間近で見た者の多くが殺されてしまうために、なかなか理解が進まないのだった。
あの夜、町を襲った魔物たちの先頭にマーブル・ドラゴンを見たという人が何人もいた。僕も遠くからその後ろ姿を見ただけだったが、すっかり足が竦んでしまった。巨大なマーブル・ドラゴンが進行を妨げる物を片っ端から破壊しながら銀山へ向かい、それを追いかけるようにやってきた多くの魔物たちが町を占領してしまったのだった。一説には、マーブル・ドラゴンが魔物の大群を統率しているのではなく、魔物たちが勝手にマーブル・ドラゴンの後を着いてきて、そのお零れにあずかっているだけだとも言われていたが、これも本当のところは分からない。
この大陸にはもう何十年もマーブル・ドラゴンが現れていなかった。でも、ケノが襲われる少し前に、はるか東の洞窟で目撃されたという知らせを受けて、自警団は警戒を強めていたのだった。結局、マーブル・ドラゴンたちに太刀打ちできず、この五年の間にすっかり傭兵団と化してしまったケノの自警団は、これまでに二度、総攻撃をかけて町と銀山を取り戻そうとしたのだが、どちらも失敗に終わった。総攻撃を仕掛ける度に、自警団のメンバーは命を落としたり、重傷を負ったり、奪還を諦めたりして減っていき、代わりに銀山の利益を求めて仲間に加わる人もいたが、全体としては小さな集団になっていった。
今度の総攻撃が、組織的なケノの奪還戦としては最後のものになるだろうと誰もが分かっていた。このまま戦い続けるには、僕たちはあまりにも多くの仲間と時間を失いすぎていた。もし、今度の攻撃が失敗したらケノは魔物の巣窟としての時間を重ね、そこで人間が暮らしていた痕跡すらも失われてしまうだろう。自警団も完全な傭兵団として改組するか、解散してそれぞれが別々の場所で新たな暮らしを始めることになるだろう。だから、ケノの自警団はできるだけ多くの参戦者を募り、最後の戦いに挑もうとしていた。
「おい、レイ、起きろ。出発に遅れるぞ」
「とっくに起きてるよ。っていうか、ほとんど眠れなかった……」
僕は上体を起こして、ため息をついた。
「まだまだ半人前だな。良い剣士ほど、大きな戦いの前にはよく眠るもんだ」
「うるさいなぁ。剣士は眠っている間も注意を怠るなって、この間は言ってたじゃないか」
じいちゃんはふっと笑みを浮かべたが、何も言わず、身支度を整えてテントを出た。ぼくもそれに倣った。
ケノの自警団の陣地には、十万人を超える人が集まっていた。これは普段の自警団の五倍以上の人数だ。それだけ多くの人が、今回のケノ奪還戦のために集まってくれたのだった。もちろん、銀山の利益を求めてやってきた人がほとんどだろうが、それでも僕は頼もしく思った。僕たちは食堂で軽めの朝食を取ってから、集合場所に向かった。
ケノ奪還戦の難しいところは、町の外から火力の高い遠距離攻撃ができないところにある。もし集団魔法や大砲で派手に攻撃を加えて町や銀山の施設を破壊してしまったら、それだけ町を取り戻す意味も失われてしまう。なるべく町を壊さないように、通常攻撃によって魔物たちを追い払う必要があった。このため今日の戦いもひとりひとりが武器を取って至近距離で魔物と戦う白兵戦が中心になる。
過去二回の総攻撃では、軍を三つに分けて町の東と西と南の三方向から攻める戦法を採った。魔物たちからの挟み撃ちを避けるためだったが、結局は戦力を分散したことが仇となって総崩れになってしまった。そこで今回は思い切って軍を分けずに、戦力を集中させ、南側から一気に総攻撃をしかけることになった。挟み撃ちされる危険はあったが、一方向に向かう勢いは強くできるし、指揮系統もシンプルになるから混乱を避けられる。十万の軍勢が一気に同じ方向に攻めれば、町の北側にある銀山にまで辿り着く可能性を高められるはずだ、と自警団の指導者たちは協議の末に結論を出した。
攻撃は夜明けとともに始まる。魔物と戦うなら、夜より朝の方が少しだけ人間にとって有利になる。
「レイ、装備をもう一度確認しろ。ブーツの紐はしっかり結んだか?」
「大丈夫だよ。じいちゃんこそ剣を忘れるな」
「年寄り扱いするな。わしくらいの剣士になれば、たとえ素手でも魔物が飛びかかって来んわい。本当に怖い相手には、魔物だって近寄ろうとせんからな。いいか、レイ。相手が飛びかかってくるうちはまだ修業が足りないんじゃ。最強の剣士は剣を抜く必要もない」
「今日はやけに口数が多いね。本当はびびってるんじゃないの?」
「お前こそ、今日はやけに口数が少ないの。かわいそうに、緊張し過ぎて口も聞けないんじゃろう。じいちゃんが抱っこしてあげようか?」
自警団の旗が高く掲げられた。出撃の合図だ。ここからはケノに着くまで、無言のまま進軍する。十万の軍勢ができるだけ気配を消して町に近づき、気づかれたところで全軍が北に向かって攻め上る作戦だ。沈黙したままの進軍だったが、十万人の足音となると、静かな地鳴りのような振動が全身に伝わってきた。
僕とじいちゃんは自警団の最前列を歩いた。遠くにケノの町が見えてくる。前の総攻撃のときから二年ぶりに見る町の姿だ。僕は駆け出したくなるのをぐっと堪えて、隣にいるじいちゃんを見た。じいちゃんもぼくの目を見て軽く頷いた。
もちろん十万の軍勢はケノの町のはるか手前で魔物たちに気づかれた。飛ぶ魔物、地を這う魔物、数え切れないほどの魔物たちが町の方から湧き出てくる。自警団の旗が大きく前後に振られた。沈黙の進軍はここで終わり、僕たちは雄叫びを上げながら魔物の大軍の方へ駆け出した。十万人の声と足音が僕たちに続く。
人間と魔物の軍勢は正面から激突した。僕たちは瞬く間に大混戦の渦中に置かれることになった。どこまで戦闘地帯が広がっているのか見当もつかない。
「じいちゃんに飛びかかってくる魔物なんて、いないんじゃなかったっけ!」
ぼくはキピラタを斬りながら言った。
「哀れじゃのう!」じいちゃんはオゲオカを斬りながら答えた。「こやつらは相手の力を見る目を持っとらんのじゃ!」
僕はじいちゃんを見失わないように気をつけながら、次々に魔物を斬り倒した。
戦力を集中させたのが功を奏したのか、自警団は魔物を押し返しながらケノの町にまで辿り着くことができた。雑然とした家並みや石造りの橋、僕が学校へ行くときにいつも通っていた道。懐かしい町の光景が、僕の胸を締めつける。
もうすぐ僕たちが暮らしていた家が見えるはずだ。僕とじいちゃんは逸る気持ちを抑えきれずに家に向かって走った。
五年ぶりに見る我が家の光景は、さらに僕の胸を締めつけた。ばあちゃんがよく日向ぼっこをしていた椅子、母さんがいつも水をくみ上げていた井戸、姉さんと駆けまわって遊んだ庭。花壇こそ荒れ果ててていたが、とても五年も経っているようには見えなかった。じいちゃんがドアを開けて家に入り、僕もその後に続いた。壁に飾った父の遺影もテーブルもランプも五年前のまま、そこにあった。
「グーラ! ミーマ! タース!」
彼女たちの名前を呼びながら、じいちゃんと僕は家中を探しまわった。物置部屋はもちろん、天井裏や地下倉庫まで調べたが、三人の姿はどこにもない。ただ、住む者を失った家だけが五年前と変わらずに、そこに建っているだけだった。
寝室で姉さんがよく身につけていた髪飾りを見つけたとき、僕は底知れない悲しみに襲われた。それを身につけた姉さんの優しい笑顔が鮮やかに浮かんでくる。どうして記憶の中で、死者はいつも笑っているのだろう。こんなに苦しい思いをするくらいなら、ぼくはあの夜、姉たちと一緒に死んでしまえばよかったと心から思った。
「……イ! レイ!」
じいちゃんが強い眼差しで僕を見ていた。
「行こう。いつまでもここに居るわけにはいかん。まだ戦いの最中だからな」
僕は姉さんの髪飾りを道具袋に入れて、寝室を出た。
「おい!」
じいちゃんが窓の傍に立って、僕に手招きをした。
「まずいことになった」
窓から外を見ると、いつの間にか家が魔物たちに囲まれていた。人の姿は見えない。どうやら僕たちは魔物たちの群れの中に孤立してしまったようだった。
「自警団は北に向かっているはずじゃ。わしらは北東に向けてこの包囲網を突破しよう」
僕たちの家は町の西側にあった。
「わかったよ、じいちゃん。とりあえず教会を目指そう」
僕とじいちゃんは家の裏口から静かに外に出た。しかし、すぐに魔物たちは僕たちに気づいて、飛びかかってきた。僕はじいちゃんと離れないよう気をつけながら魔物たちを斬ったが、倒しても、倒しても、次々に魔物が現れて先に進めない。じいちゃんもこの数には苦戦しているようだった。僕は悪夢のようなあの夜の戦いを思い出した。
ふいに大きな影が現れたと思ったら、次の瞬間に僕は横飛びに吹っ飛ばされていた。ゴーレムからの痛恨の一撃を食らってしまったのだ。
「レイ!」
じいちゃんがトツメヒを斬りながら叫んだ。
「大丈夫! じいちゃんは自分の心配して!」
今の一撃で僕の剣は折れてしまった。剣で防がなかったら、大怪我を負っていたかもしれない。僕は剣帯から予備の剣を抜いて、ゴーレムに強烈な飛び斬りを食らわせた。ゴーレムは、ばらばらに崩れた。
「よし! 教えた通りにできたな!」
そう言うと同時に、今度はじいちゃんが別のゴーレムに吹っ飛ばされた。
「じいちゃん!」
僕はラゴバリを斬りながら叫んだ。じいちゃんはすぐには立ちあがったが、息が苦しそうだった。ダメージより疲れが大きいようだ。それぞれの魔物の強さは大したことないが、とにかく数が多すぎるのだ。これでは回復薬を使う暇もない。
僕は魔物たちを斬り退けて、じいちゃんのところへ急いだが、大きなリズリグに行く手を阻まれた。僕が唸りをつけて剣を振ると、リズリグは真っ二つになって倒れた。
じいちゃんはゴーレムの攻撃をかわした。体勢を崩したゴーレムがばあちゃんの日向ぼっこ用の椅子の上に倒れこみ、それをつぶしてしまった。そこへじいちゃんが斬りかかり、ゴーレムをばらばらにした。
「グーラ……」
じいちゃんの太刀筋が鈍ってきている。無理もない。二人だけでもう五十体以上の魔物を倒しているだろう。このままでは体力が持たない。僕が何とかじいちゃんのもとに辿り着いたとき、新たなゴーレムが現れた。僕たちは無数の魔物に取り囲まれている。これでは進むことも退くこともできない。ゴーレムが両手を振り上げた――。
「五連・強・疾風!」
その声が聞こえた瞬間、ゴーレムとその周りにいた魔物たちの体がばらばらに切り刻まれた。
「二連・強・回復!」
次の声が聞こえた瞬間、僕の全身に力が満ちた。じいちゃんの顔色が嘘みたいに良くなって、呼吸も整っている。
すべてが一瞬の出来事だった。一体何が起こったのか、僕は状況を見失いかけたが、もちろん誰かが魔法をかけてくれたのだ。ありがたい。
しかし、こんなに強力な魔法を連発するなんて、途轍もない魔力の持ち主だ。普通なら、まずこんなことできないし、できたとしても本人が倒れてしまう。少なくとも僕は、こんなことができる魔法の使い手に今まで会ったことがない。
一体何者だろうかと思って、僕は声がした方に目を向けた。
そこには、とんでもない美形の僧侶と道化が立っていた。