第4話 闇の奥
「リース、そっちに行ったぞ!」
「はい!」
タントが跳び切りでダーク・ホークを倒している隙に、残りの一体がこちらに飛びかかってきた。
「疾風!」
私の放った疾風魔法がダーク・ホークの翼を切り裂く。失速したダーク・ホークが、タップダンスを踊っていたラックの顔に激突して、両者は地面に倒れた。結果的に、ラックが〝顔面突き〟でダーク・ホークに止めを刺す形で戦闘は終わった。
「回復!」
私が回復魔法をかけると、ラックは何事もなかったように跳ね起きて、またタップダンスを踊りはじめた。
「快勝だな。よく今のに当てたよ。ますます腕を上げたんじゃないか?」
タントが満足そうに言った。
「まぐれですよ。疾風魔法は飛んでる魔物によく効きますから」
私は慢心してはいけないと自分に言い聞かせたが、タントに褒めてもらえたのはやっぱり嬉しかった。
タントが仲間になってから三か月が経った。その間に私たちはさまざまな依頼をこなしながら、着実に活動範囲を広げ、レベルアップすることができた。タントの斧はますます冴え、私の魔法の精度も上がり、新しい呪文も覚えた。ラックは……さらに活き活きと遊んでいた。装備もアップグレードした。タントは鎧、私は法衣、ラックは道化の服を新調した。どれもマクナナで評判の職人による特注品で、値は張ったが、格段に防御力を上げることができた。
一緒に戦っているとは言っても、魔物のほとんどはタントが倒してくれた。タントは私が想像していたよりずっと優秀な戦士だった。私はタントの素早さや防御力を高めたり、傷の治療や解毒をしたりといったサポート役をこなし、ラックは例によって遊ぶばかりだったけれど、魔物の注意を引きつけたり、混乱を誘ったりして、ときどきパーティーに貢献することもあった。
タントがラックにカードゲームで最初に負けたときの借りはとっくに返し終えていたので、タントが私たちのような弱い冒険者と一緒に行動しつづける義理はないはずだった。それでもタントが私たちのパーティーに居つづけてくれたのは、とても気が合ったこと、そして、タントがラックに新たな借りを作りつづけていたことが理由だった……。
タントとラックは仕事から戻ると、決まってカードゲームを始めた。そして、決まってタントが大負けした。私はラックが負けるのを一度も見たことがない。いつもタントは「今日こそカード・プレイヤーとしての格の違いを思い知らせてやるからな」と大口を叩きながらゲームを始めるのだが、負けると泣きそうになりながら(本当に涙を流すときもあった)、あともう一回、あともう一回、と文字通りの〝泣きの一回〟を土下座しながらラックに頼み込むのだった。
このやりとりは三日も経たずにすっかり見慣れたものになった。どうしてあんなに飽きもせず、毎日同じことを繰り返せるのか、私には理解できない。でも、タントとラックはまるではじめてカードゲームをするように愉しげに夜な夜なテーブルを囲むのだった。二人が何を考えているのか、私には分からないところもあったが、私たちはとても仲の良いパーティーであり、カードゲームをめぐる土下座のやりとりさえ、二人でじゃれ合っているように見えた。
タントは仕事の合間や食事のときなどに、本当にいろいろなことを教えてくれた。仕事の選び方、装備品の手入れの仕方、魔物それぞれの習性、ダンジョンを探索する際の注意点、より安全に戦う方法などなど、タントに教えてもらったことは数えきれない。
話題が広がって、タントの思い出話になることもよくあった。タントの家は代々戦士の家系らしい。タントの父親も数々のダンジョンを攻略した、有名な戦士だったそうだ。そのせいもあって、タントは幼い頃から魔物との戦い方を父親からしっかり叩き込まれたという。でも、タントが十歳のときに父親は冒険中に大怪我を負ってしまい、それからは村で石工として暮らすようになったそうだ。
「親父が石工を始めたときの気持ちは、複雑だったよ。親父が勇敢な戦士だったことは息子として誇りに思っていたけれど、冒険に出かけてる間は心配してた。普段は平気なんだけど、武術学校の授業中や家の手伝いなんかしてるときに、ふっと、もうこのまま二度と親父に会えなくなるんじゃないかって、ものすごく不安になるんだ。そんな気分に襲われると、もう何も手につかなくなっちまう。ガキだったからな、俺も。だから、親父が右足を失くすような大怪我を負って家に帰ってきて、これからは石工として生きていくって言いはじめたときには、正直ほっとした。ああ、これで親父はもうずっと近くに居てくれるんだってね。本人はずいぶん落ちこんでいたから、気の毒だとは思ったよ。でも、俺としては安心の方が大きかった。勝手なもんさ。その俺が石工にはならずに、今は冒険者になってるんだからな」
まあ、血は争えないってことなのかねえ、とタントは自嘲するように言った。
「でも、いつか俺も、自分の冒険を終えたら村に帰って石工になろうかと思ってるんだ。こう見えて、けっこう手先は器用な方だし、デッサン力にも自信がある。ときどき造りたいもののアイデアが浮かんだらメモを取るようにしてるんだよ。いつか俺か、別の誰かが魔王を倒したら、そのときは村へ帰って、親父たちの面倒を見ながらこつこつ石を彫るってのが、俺のささやかな夢なんだ。……って、何でこんな話になったんだっけ?」
タントがパーティーに加わって、ちょうど百日目の朝、私たちはアイテム探しのためにマクナナの北にある洞窟へ出かけた。そこに生えている貴重な花を採ってくるというのが、私たちの受けた依頼内容だった。その花は伝染病の治療薬の材料になるので重宝されている。私たちも何度か訪れたことがある洞窟だった。地形はだいたい把握しているし、大して強い魔物が現れないことも知っている。もちろん油断はせず、いつも通り慎重に、細かく安全を確保しながら、私たちは洞窟の奥に進んだ。
「二人もだいぶレベルが上がったようだから、今度、トフタカまで足を伸ばしてみようか。良い魔道具が手に入るよ」
トフタカはこの辺りではよく知られた、大きな港街だった。
「わあ、いいですね。行きたいです。私たち、海を見たことがないから」
「井の中の蛙♪ 大海を知る♪」
ラックは平泳ぎの真似をしながら洞窟の中を駆けまわった。
「そうか、二人はトモシハの出身だったな。ってことはログドの刺身も食ったことがねえんだろう?」
「ログド……の、刺身?」
「ログドって魚を獲って、生のまま薄く切って食うのさ。美味いんだぜ。新鮮な魚が手に入る港街じゃなきゃ食えねえ絶品料理さ」
「食べたい!」
「よーし。じゃあ、トフタカに着いたら、最初に一番美味い店でご馳走するよ。期待しててくれよな。その期待の上の、さらに上を行く最高の刺身を食わせてやるぜ」
「本当? やったー!」
「新鮮は最高の調味料♪」
ラックは魚を釣り上げる真似をした。
「ふっふっふっふ。楽しみにしてろよ。目を丸くする二人の顔が今から目に浮かぶぜ」
タントの笑い声が洞窟に谺した。
「よーし。じゃあ、頼まれた量のカルメディの花も採れたし、そろそろマクナナに戻るとするか」
「はーい」
私たちが向きを変えて、引き返そうとしたとき、突然、強い目眩に襲われた。いや、目眩ではなく地面が揺れているのだった。
「地震?」
私たちは松明の光を頼りに周囲を見回した。
うっ! というラックのうめき声がしたのでそちらを見ると、左腕から血が溢れていた。鋭利な刃物で道化の服ごと切り裂かれたような傷ができている。
「どうしたの? ラック!」
私がそう言い終わらないうちに、洞窟の奥から次々に何かが飛んできて壁に当たる音がした。大粒の霰が石畳の上に降り注ぐときのようなこつこつという乾いた音だった。
と、思っているうちに地面の揺れが急に大きくなった。
「リース! 後ろ!」
タントの叫び声に促されて、私は振り向いた。そこにはいつの間にか大きな岩の塊が聳えていた。視線を上げて、ようやく私は事態を理解した。
マーブル・ドラゴン!
どうしてこんなところに! と思う間もなく、私は大きな手で体を掴まれてしまった。冷たく、硬い大理石の指に締め付けられて、私の喉の奥から自然にうめき声が漏れた。骨まで砕かれてしまうのではないかという恐怖で私の頭はいっぱいになった。そのままドラゴンは軽々と私を持ち上げた。
「うぁぁぁぁぁぁぁ!」
自分の悲鳴かと思ったら、駆け寄ってきたタントが斧で切り込むかけ声だった。いや、それはやはり私の悲鳴だったのかもしれない。
金属が岩に激しくぶつかる鈍い音が洞窟に鳴り響いた。タントの強烈な一撃がマーブル・ドラゴンの左足を砕いたのだった。ドラゴンは体勢を崩しながら、私を放り投げて地面に手をついた。私は洞窟の壁に全身を強く打ち付けられてしまい、光や音の感覚がぼうっと遠退いた。あまりの衝撃と苦痛の大きさに、私は意識を失いかけているのだった。骨も何か所か折られてしまったようだ。これではとても立ち上がれない。
朦朧とした意識のまま、必死に目を凝らすと、タントがマーブル・ドラゴンにものすごい勢いで何度も斬りかかっているのが見えた。ラックも道化の服を血に染めながらドラゴンに体当たりしたり、悪態をついたりしていた。
タントが斧を振るう度に、マーブル・ドラゴンの体は砕けていたが、砕けるより早く復元しているようだった。いつの間にか、さっきタントが粉々に砕いたはずの左足が元通りになっている。タントは必死に猛攻撃を重ねていたが、少しずつ斧を振るうスピードが落ちてきていた。無理もない、あんな勢いで大理石を砕いていたら、その反動だけでも相当なダメージになるだろう。
長い間、大理石の体を砕くタントと、砕かれたところを復元するドラゴンとの競争が続いた。それはほんの数十秒にも数時間にも感じられる、奇妙な時間だった。私は何度も気を失いかけたが、その度に全力で目を開けてタントたちを見ていた。
タントの攻撃は、次第に間隔が広がり、マーブル・ドラゴンの復元に追いつかなくなっていった。そして、ついにタントが斧を振る力を失い、ドラゴンの体が元通りになったとき、反撃が始まった。
マーブル・ドラゴンはゆっくりと口を開いて、そこから鋭利な大理石の礫を霰のように吐き出した。
最初の一波で、タントとラックの全身が切り刻まれてしまった。二人を逸れた礫が地面や岩壁に当たって乾いた音がする。タントは何とか防御の姿勢を取って耐えたが、ラックは仰向けに倒れてしまった。
ドラゴンは口を閉じて沈黙した。次の一波の準備をしているのだろう。
その間にラックは立ち上がったが、いつものように跳ね起きることはもうできなくなっていた。
次の一波はタントに向けての集中攻撃だった。無数の大理石の礫を食らって、タントの右足は深い傷を折ってしまい、防御の姿勢を保っていたタントも、とうとう肩で大きく息をしながら、地面に右膝をついてしまった。
マーブル・ドラゴンは口を閉じて再び沈黙した。
「ラックー!」
タントはドラゴンをにらんだまま叫んだ。
「今すぐリースを連れて逃げろー!」
ラックは聞こえなかったのか、再びドラゴンに体当たりをしようとしたが、タントが斧の峰でラックを私の方へ振り飛ばした。
「逃げろって言ってんだろ! 逃げなきゃお前を叩き斬るぞ!」
タントは全身を震わせながら立ちあがって、斧を上段に構え、大きく息を吸った。
再び開きはじめたマーブル・ドラゴンの口元にタントの渾身の一撃が加えられた。ドラゴンの下顎は粉々に砕け散った。が、またすぐに復元を始めた。
「お前らみたいなガキが近くに居たんじゃ、足手まといなんだよ! 邪魔だから、早くどっかに行けって言ってるんだ!」タントは私たちの方を見た。厳しい言葉とは裏腹に、目はやさしかった。「お前らみたいな弱い奴らと組むのはもうやめた! お前らなんかもう仲間でも何でもねえ! とっとと消え失せろ!」
ラックは怒ったような顔をして、ゆっくりと立ち上がった。ラックのそんな険しい表情を見るのは初めてだった。ラックはタントの目を見て小さく頷いてから、私を抱き起こし、私の両手を自分の首に巻きつけて背負った。
「……やめて……ラック……下ろして……私、まだ戦える……」
私は何か呪文を唱えようとしたが、回復魔法を唱える魔力すら失っていた。
ラックはもう一度タントの方を見てから背を向けて、私を背負ったまま歩きはじめた。走っているつもりなのかもかもしれない。足の運び方がぎこちなかった。
「よーし。これでやっと本気が出せるぜ」タントはよろよろと斧を持ち上げた。「格の違いを思い知らせてやるからな」
タントの背中がだんだん遠ざかっていく。
「……こんなの……いやだ……下ろして……いやだ、いやだ、いやだ……」
涙が溢れてタントの背中に上手く焦点を合わせることができなくなった。
「……タ……ント……」
下顎の復元を終えたマーブル・ドラゴンが、タントに向かってゆっくりと口を開いた。
「……お……父さ……」
タントの背中は岩陰に隠れて見えなくなった。そこで私は気を失ってしまった。
再び意識を取り戻したとき、私はラックに背負われたまま真っ暗な洞窟の中を運ばれていた。ときどき、ラックは立ち止まり、少し休むと、また歩いた。汗で背中も腕もびしょ濡れになっていた。
タントはどうなってしまったのだろう? 私たちはどこに向かっているのだろう? 私はもう自分たちがどこにいるのか分からなくなっていた。いくら時間が経っても目が慣れない暗闇の中で、ただラックの温もりと血のにおいだけを感じていた。
深い後悔が私の胸を締めつけた。私が旅に誘わなければ、ラックが血まみれになりながら真っ暗な洞窟をさまよい歩くことはなかった。タントも今ごろ酒場で他の冒険者たちとカードゲームに興じていたかもしれない。私が誘わなければ。私が誘わなければ。
「……ごめん……なさい……」
「……」
ラックは子どもあやすように軽く体を揺すった。ただ、摺り落ちそうになっていた私の体の位置を戻しただけだったかもしれない。
そのとき、あの禍々しい地響きが、意外にも左の方から近づいてきた。
ラックは何とか逃げる速度を上げようとしたが、歩き方が余計にぎこちなくなっただけだった。
大理石の礫が岩壁に当たる、あの不吉な音も耳元で聞こえた。どうやら暗闇の中で私はまともな遠近感を失ってしまったらしい。光はどこにも見えない。
でも、それが私たちのすぐ後ろに居ることだけははっきり分かった。
マーブル・ドラゴン……
こうして魔王が復活する十四年前のある午後、私たちのパーティーは全滅した。