第3話 戦士の矛盾
「嬢ちゃんたち、怖かったら、ここに居ていいんだからね」
タントはさっきと同じことを言った。
「大丈夫です。何度も言わせないでください」
私はまっすぐタントの目を見返して言った。
「分かったよ……。でも、さすがに坊やには、ここに居てもらった方がいいんじゃねえかな。魔物の数も思ったより多いかもしれないし……」
「ラックは大丈夫……でもないんですが、一緒に戦ってもらいます」
「どうして?」
「彼に、実戦の経験を積んでもらう必要があるからです」
「実戦って言ったって、ずっとあの調子だけど……戦えんのかい?」
私はタントが指さした方を見た。草むらでラックが跳びはねながらバッタを追いまわしていた。
「……普通には、戦えません」
私は目を伏せた。
「じゃあ、やっぱり、ここに居てもらおう。本人のためだよ」
「戦えなくても、ラックに戦闘に加わってもらわなきゃ、私たちが旅をしている意味がなくなっちゃうんです。すみません、うまく説明できなくて……。ラックのことは私が何とかフォローしますから、気にしないでください。ああ見えて、私とは比べものにならないくらい丈夫ですし」
「何だか、話が見えねえなぁ」タントは目を細めて、森の方を見た。「どうして、そこまでして坊やを戦わせようとするんだい? とても長生きできるとは思えねえ」
タントはため息をついた。
「でも、もう何も言わねえよ。嬢ちゃんたちだって、登録済みの冒険者なんだし。きっと何か事情があるんだろうからな」
タントが言っていた「午後から引き受けている仕事」とは、ある牧場での魔物の討伐だった。ここ数日、その牧場では家畜が魔物に襲われるという被害が続いているのだという。襲われる家畜の数から見て、魔物の数はそう多くはないはずだ、というのがタントの見立てだった。もともとタントが一人でこの依頼を引き受けていたのもそのためだ。
牧場主によれば、魔物はいつも暗くなってから現れるとのことだった。私たちはまだ明るいうちにその牧場の飼育小屋、放牧地、柵、牧場の隣にある森や農地などを見てまわった。
柵には普段から魔法結界を張っているが、魔物たちはそれを破って牧場に侵入してくるのだという。私たちは結界が破られたという場所を特に念入りに調べた。そこは森に近い場所だった。鋭い刃物のようなもので壊された柵の外側には魔物の足跡がいくつも残っていた。おそらく結界を破るために何度も柵に跳びかかったのだろう。壊れた柵には、牧場の人によって板で応急修理がされていた。私はそこに魔法結界を張りなおした。今夜もこの辺りから魔物が侵入してくるかもしれない。私たちは物置小屋の陰から、そこを中心に見張ることにした。
魔物たちを待つ間、私たちは作戦を練った。タントは私にどんな魔法が使えるのかを尋ねた。私が思いのほか多くの魔法を使えることを知って、タントは驚き、喜んだが、牛をくすぐったり、馬とにらめっこしたり、豚をマッサージしたりしながら牧場を駆けまわりつづけるラックの姿を見て、だんだん不安になってきたらしい。その気持ちは、私にもよく分かる……。
やがて日が傾き、家畜たちもそれぞれの飼育小屋へ帰っていった。魔物が現れる時間が近づいている。静かな牧場に、バッタを追いまわすラックの笑い声だけが響いていた。
「おい」
魔物たちに最初に気づいたのはタントだった。
「やっぱり、角オオカミだったな。二、いや三体か……」
タントが指さした方を見ると、森の中で赤く目が光っている。木が茂っていて分かりにくいが、よく見ると、確かに赤い目が六つ見える。その高さから見て、大きさは牛と同じくらいだろうか。
「角オオカミと戦ったことは?」
「はい。一度だけ」
トモシハの町からマクナナへ向かう途中、私たちは角オオカミに寝込みを襲われたことがあった。その時は、お互いに傷だらけになりながら夜明けまで戦いつづけて、明るくなったところでようやく相手が退散したのだった。角オオカミは夜行性で、鋭い角と牙と爪を持っている。力が強くて素早く、私もラックもそのときは多くの傷を負ったのだった。
三体の角オオカミは森から出てきて、結界を破ろうと、代わる代わる柵に跳びかかった。破られるのは時間の問題だろう。
「よし、それじゃ、打ち合わせ通りにな」
タントが立ちあがったので、私もそれに倣った。
私たちが立てた作戦は次の通り。まず、タントに加速魔法をかけて、できるだけ短い時間で魔物を倒せるようにしておく。次に、あえて結界を魔物に破らせ、そこから一体が侵入したところで私が魔法結界を張りなおす。これを繰り返せば、たとえ数が多くても魔物を一体ずつ相手にすることができるはずだ。あとは、状況に応じて戦うしかない。
「嬢ちゃん! 坊や! 行くぞ!」
タンクは柵に向かって駆け出した。
「ラック! 行くよ!」
私はタンクの背中を追って走った。ラックも私の後を走ってきて、すぐに私を追い抜いた。私たちが柵のところに着いたときには、結界はほとんど破られかけていた。
角オオカミたちは私たちの姿を見て、大きなうなり声を上げた。結界への攻撃もいっそう激しくなった。
「加速!」
私は斧を構えたタンクに加速魔法をかけ、つづけて結界が破られそうになっている場所に結界魔法をかける準備をした。
とうとう角オオカミが一体、結界を破り、隙間からもがくようにして柵の内側に入ってきた。
「結界!」
すかさず私は破られた場所に魔法結界を張りなおした。これで少しの間、他の魔物は柵の中に入って来られない。
タントは、素早く角オオカミに近づいて顔に斧で横振りの一撃を与えた。角オオカミは左に飛ばされたが、すぐに体勢を立てなおした。間髪を容れずにタントが斧を縦に振り下ろすと、角オオカミは後ろに飛ばされた。
「よし! 体が軽い!」
タントは頭の上で斧をぐるりと回した。
ラックは内側から柵に跳びかかる真似をして、外側にいる角オオカミたちを怒らせた。私は再び結界魔法をかける態勢に入った。
タントは立ち上がりざまに跳びかかってきた角オオカミの爪で左肘を引っかかれてしまったが、その直後に斧を斜めに振りおろした。背中を深く抉られた角オオカミは地面に倒れ、そのまま動かなくなった。たった三度の攻撃で角オオカミを仕留めてしまうとは、タントの攻撃力は相当なものだ。
「次、来るぞ!」
二体目の角オオカミが結界を破って、もがきながら柵の内側に入ってきた。
「結界!」
私は角オオカミが入ってきた場所に再び結界魔法をかけた。
二体目の角オオカミは、柵の内側に着地すると、そのままラックに跳びかかった。ラックは笑いながらそれを側転で交わそうとしたが、角で左足を突かれてしまい、回転させたコインのように、複雑な回り方をしてから仰向けに倒れた。
「坊や!」
タントがラックのもとへ駆けていき、横振りの一撃を角オオカミの胴体に叩きこんだ。角オオカミはラックの向こう側へ飛ばされた。
「縦に降(振)られたら血の雨♪ 横に降(振)られて助かった♪」
ラックはネックスプリングをして跳ね起きたが、すぐその場に蹲って左足を押さえた。
「回復!」
私はラックに回復魔法をかけて、また結界魔法をかける態勢に戻った。
タントはラックの傍へ行って、斧を上段に構えた。起き上がった角オオカミも攻撃の構えに入った。両者はにらみあったまま動かない。お互いにカウンター攻撃を狙っているらしい。
足の傷が癒えたラックは、どこかで拾っておいた縄を手品のようにするすると袖から出して、輪っかを作り、奇声を上げながら角オオカミに向かって投げた。輪っかが一発で角にひっかかったので、ラックは跳びはねて大笑いした。
怒った角オオカミは、首を振って縄を断ち切り、猛然とラックに突進してきた。ラックはおどけた調子でタントの背後に隠れた。タントが跳びかかってきた角オオカミの眉間に強烈な一撃を叩きこむ。会心の一撃をくらった角オオカミはそのまま地面に崩れ落ちた。
「斧は角よりも強し♪」
ラックは顔の前で手でばってんを作りながら言った。
「何だそれ? ダセえぞ、ラック」
タントは笑った。私も思わず頬が緩んだ。
そのとき、「オォォォォォー」という音が長く響いた。結界の外側にいる角オオカミが仲間を呼ぶために遠吠えを始めたらしい。まずい、と私は一瞬身をこわばらせたが、すぐにタントがいれば大丈夫、と思いなおした。
森の奥から魔物たちが集まってくる気配がする。
「遠くの大きな氷の上を♪ 多くの狼十ずつ通った♪」
ラックは四つん這いになってあたりを駆けまわった。
「リース、よくやった。今の要領だ」タントは私を見て頷いた。「効果が切れかけているみたいだから、加速魔法をかけなおしてくれないか?」
「はい!」
私は再びタントに向かって加速魔法を唱えた。
そのあとも、魔法結界を破れたらすぐに張りなおす、という戦術で一体ずつ柵の内側に誘い込みながら、私たちは次々に角オオカミを倒していった。それは本当に地味な戦いだった。強力な魔法で森ごと吹き飛ばしたり、華麗な物理攻撃で複数の魔物を同時に倒したりといった派手さは微塵もない。まるで流れ作業のような単調な戦い。
しかし、地味ではあっても、この戦術は今の私たちにとって、最も安全かつ確実に魔物を仕留められる方法だった。結局、その夜は十体の角オオカミを倒したが、私たちはほとんど傷を負わずに済んだ。
冒険者こそ冒険してはならない。この逆説は私がタントから学んだ大切な心構えだった。そもそも冒険者になるのは挑戦心が強い人間だ。だから、危険を顧みず、誰もが恐れる魔物を倒そうとしたり、まだ攻略した者がいないダンジョンを探索しようとしたりする。しかし、魔物に満ちたこの世界では、死をも恐れぬ勇敢さは、死へと至る無謀さに直結している。だから冒険者こそ臆病でなければならない。もし冒険したければそれに見合う強さを手に入れるしかないのだ。冒険が強さを生むのではなく、強さが冒険を生むのだ。どんなに見栄えが悪くても、私たちは安全さと確実さを優先しなきゃならない。
思いのほか倒した魔物が多かったので、牧場主は報酬をはずんでくれた。タントはその全額を私に渡した。私はせめて三分の一だけでも受け取ってほしいとタントに言ったが、彼はカードゲームでタントに負けたツケがまだ残っていると言って、受け取ろうとしなかった。
私たちはマクナナに戻り、登録所の酒場で祝杯を挙げた。酒場で祝杯と言っても、私とラックは葡萄ジュースを飲んだだけだったけれど。
「今日は二人が一緒に来てくれて、本当に助かったよ」タントはビールジョッキを片手によくしゃべった。「もし十対一だったら、こんなに早く戻れなかっただろうし、受けたダメージももっと大きかったに違えねえ。リースの魔法は本当に大人顔負けだな」
「いえ、そんな。こちらこそ、タントさんが居てくれたおかげで、はじめて角オオカミを倒すことができました」
私は頭を下げた。
「俺はカード狂いが祟って、前の仲間とは別れることになっちまったけれど、リースとラックとは案外良いパーティーになれるかもしれねえな。何せ遊び人がリーダーだからな」
タントは親指でラックを指した。ラックはいつの間にか他の冒険者たちに混ざって、カードゲームを始めていた。
「あの、タントさんは、魔物と戦うときにはあんなに慎重なのに、どうしてカードがそんなに好きなんですか?」
タントはふっと真顔になって、少し考えてから答えた。
「俺にも分からねえ……。これまでカードをやめようとしたことは何度もあったけれど、結局やめきれなかった。俺は自分を臆病な人間だと思っている。だから、仕事ではいつもできるだけ安全な道を選んできた。でも、カードを手にすると、まるで人が変わっちまう。どんなに負けこんでも有り金が全部なくなるまでどんどんカードに賭けちまうんだ。思い切りが良いんだか、悪いんだか、我ながら矛盾してると思う。本当に馬鹿だとも思う。それでもカードをしているときの高揚感は何ものにも代えられねえ」
タントは自分の掌を見ながら、ため息をついた。
「人間ってのは自分のことを誰よりも分かっているようで、案外よく分からないもんだよ。俺の中には慎重に、安全に生きていきたいって気持ちと、たとえ明日食うもんに困っても有り金を全部カードに賭けちまいたいって気持ちの両方があって、どっちとも本当なんだ」
「そうやって、みんな何とかバランスを取りながら、生きているのかもしれませんね」
「リース……お前、いい奴だな。本当に十歳か?」タントはからかうように笑った。「俺には遊び人といっしょに魔王討伐を目指している僧侶さんの気持ちの方が、よっぽど分からないけどな。本当にどうかしてるよ」
タントはごくりとビールを飲み干した。
「でも、まあ、おもしろいパーティーではある。俺が、お前らを長生きさせてやるよ。これからもよろしくな」
私が頷くのを見て、タントは立ちあがった。
「おい! ラック! 俺より先にカードを始めんじゃねえ! 今日の借りは今日中に返す!」
タントはラックのいるテーブルの方へ行ってしまった。
どうして私はラックと旅をしているのか?
私の前世の記憶が、そうすることを指し示しているから?
では、なぜ私は前世の記憶をそこまで信じるのか?
自分の胸に問いかけても、よく分からなかった。このまま旅を続けて、いつかその答えが得られるのだろうか。
いずれにしても、タントという心強い仲間を得たおかげで、私たちはこれからもっと遠くへ行けるはずだ。まだまだ先は見えないけれど、一歩、私たちは魔王討伐に近づいたことを実感できた。
ただ……パーティーのお金の管理だけは、絶対に自分でやろう、と私は心に誓った。