奴隷少女と貴族令息 〜解き放たれた自由の猫〜
「グズグズするな、さっさと動け!」
バシン、と中肉中背の男が持つ鞭が地面を打った。
苛立ちをあらわにする男の周りには、ジャラジャラと首輪に繋がっている鎖を鳴らし怯え、震えている獣人がいた。ウサギやネズミなど、様々な種類の獣の特徴を持っている獣人がいたが、どの獣人もボロボロの服を纏い、痩せている。
けれど、男を不快にしている原因は彼らでなかった。
「嫌」
男の正面に正臆することなく立つ、ひとりの獣人の少女。彼女の態度に男は苛立っていた。
はっきりと拒絶の言葉を口にした少女はその声色だけでなく、視線にも嫌悪感が滲み出ている。
猫の耳と尾を持つ、15歳ほどの猫目の少女。白い髪に瞳と同じ琥珀色が一房混じっている。不似合いな首輪と鎖が、ギラリと太陽の光を反射して黒光りしていた。
「っ、このっ!」
「っ!!」
額に青筋を浮かべた男がヒュッと鞭を振り上げる。少女は咄嗟に腕で顔を庇い、目を瞑った。
その時。
「何をしているんだ?」
「「!?」」
知らない声が聞こえ、男は動きを止めた。
驚き、そして冷や汗をかきはじめる男と、鋭い視線を向ける少女。
ふたつの視線の先に居たのは一人の少年だった。
艶のある黒髪に萌黄色の瞳。纏っているローブやブーツは決して安くはないだろう。
そこからわかることは、少年が貴族であること。
平民である男は貴族に逆らうことは許されない。
つまり、少年の気に障れば、物理的に首が飛ぶ。それを悟り、男の直前まで赤かった顔は瞬時に血の気が引き、青くなった。
少年は青くなっている男と自身を警戒している猫の獣人の少女を見、ニコリと笑った。
「この娘を買おう。いくらだ?」
「!?」
「なっ!? えぇと、そのぉ…………」
「なにか?」
「ヒッ、いっ、いえっ! なな何でもございませんっ!!」
躊躇う男に少年は手のひらを上に向け、男へ見せた。そこに現れた、炎がよくみけるように。
慌てて承諾した男の顔色は、白を通り越し土気色だった。
震えながら男が少年へ自身の奴隷契約書を渡しているのを、少女はぽかんとしながら見ていた。
人間にとって獣人はただの道具。これがこの世界での現実だ。まして貴族にとってはそこらのゴミと同然なのだ。道端で鞭打たれていようが、貴族は素通りするだけ。
けれど、少年は少女を助けるかのようなタイミングで話しかけてきた。
(何が目的なんだろう?)
彼女はその身を以て獣人の扱いの酷さを知っている。故に、少年の行動の裏に何があるのかが気になった。
思案している彼女の前に、奴隷契約書を受け取った少年が立った。
「今日から僕が君の主だ。よろしく」
「……………」
差し出された手を訝しげに見る。立ち振舞いに品がある。けれど、手は貴族のそれでは無い。ペンダコがあるのは普通だろう。しかし。
(小さな切り傷。明らかにペンダコではないタコができてる……これ、長杖を持っていてできたもの………? まるで、冒険者の魔法使いみたい………)
すっと視線を上げ少年の顔を見る。多少幼いが、物事を見通すような眼差しは並大抵ではないことをくぐってきた証なのだろう。
ゆらゆらと彼の左耳についているタッセルピアスが風を受け揺れていた。右耳にもリングピアスが光っている。
(人間は嫌いだ。獣人のことを道具やゴミだとしか思っていないから。けど、この人は違うかもしれない。なにより、私を助けてくれた)
そろっと手を差し出すと、ぎゅっと握られる。
「僕はレギウス・ベルバルク。レギウスって呼んで。君は?」
「……私はラキ。よろしく、レギウス」
偶然か、はたまた必然か。けれど確かに、ふたりは出会った。
❅❅❅❅❅
「………ねえ。何で私を助けたの?」
歩きながら、ラキはレギウスを横目に見ながら疑問をぶつけた。
ちょうど風が吹き、レギウスのローブとラキがレギウスから借りたローブがバサバサとなびく。
「ん? う〜ん、そうだな………ちゃんとした理由はないけど………強いて言えば、『眼が綺麗だった』からかな?」
「え、眼?」
ぺた、とラキは目元に触れた。
「うん。『私は何にも屈しない』って言ってるみたいで、格好良くて、綺麗だなあって」
「……………」
「僕には無い強さを持ってて、思わず魅入っちゃった」
「………………………………………」
「……あれ、どうかした?」
隣が静かなことに気付き、声を掛ける。が、返ってきたのは同じ沈黙。
(あれ、何か駄目なこと言っちゃったかな?)
横を向いた先は。
「……………………………………………………」
(……あ〜、そういうことか……)
真っ赤になり、ふるふると小刻みに震えるラキが居た。
彼女が赤くなっている理由は怒りなどではなく。
(……ほ、褒め殺しじゃん………………)
思わぬところからめちゃくちゃに褒められ、羞恥で赤くなっているのだった。
ラキから視線を反らし、レギウスは周囲を見回す。
「あ、着いたよ」
「んぐっ!?」
レギウスが急に止まったことにより、後ろを歩いていたラキはその背中にぶつかり、鼻をしたたかに打ち付けた。
若干赤くなった鼻を押さえ、「ん〜、どれ?」とレギウスの背から顔を出した。
「!?!? え? これ? え、嘘でしょ?」
「どんなのを想像してたかは知らないけど、これだよ? 僕の家」
「…………………………」
ポカン、と口を半開きにし、門前から邸宅を見上げているラキの腕を引き、レギウスは敷地内に入った。
玄関の前まで来て、ようやくラキが発した言葉は。
「なに、この趣味の悪い邸宅は…………」
屋敷の持ち主の感性を疑う一言だった。
(レギウスの家って、もっとシンプルかと思った…………何で敷地入って早々変な小太りのおっさんの銅像あんの……? 何かどこもギラギラしてて、目が痛いんだけど………)
────バンッ!
((〝バン〟?))
不意に扉が開く音がし、ふたり揃って音のした方へ顔を向けた。
そこには、見覚えのある小太りの男が。
「え、誰?」
「………」
男の額に静かに青筋が浮かぶ。
そっとレギウスがラキへ耳打ちした。
「(僕の父親)」
「(あれが? ぜんっぜん似てないじゃん)」
「(…………そうなんだよね)」
「(レギウスの方が100倍格好いいのに。あんなブサイクデブが親とか、嘘でしょ。似てなくてよかったな〜)」
「(…………え!?)」
「(え?)」
今度はラキからレギウスへ無自覚攻撃が炸裂した。なんの脈略なく、唐突に投下された爆弾にレギウスの体温がジワジワと上昇していく。
爆弾を投下した当の本人は、(なにか変なこと言ったっけ?)と首を傾げていた。
❅❅❅❅❅
レギウスはベルバルク伯爵家の長男として生を受けた。しかし、両親のどちらにも似ていない容姿のせいで、両親だけでなく、3つ下の弟からも冷遇されていた。
レギウスを除いた伯爵、伯爵夫人、伯爵令息の3人はひどい浪費家だった。後先考えず、湯水のようにお金を使い、伯爵家の経済状況は火の車状態。
そのくせ、面倒な領地運営などや書類仕事はレギウスに押し付けていたので、誰から見ても立派なクズ家族だろう。
火の車状態の経済状況を立て直す為、レギウスは資金調達に奔走。領地まで出向き、領民の声に耳を貸し。時には商人の真似事もし。何とかして出費と収入がつり合うよう努力してきた。
けれど、何処でも容姿にまつわる噂がついて回った。
『不貞の子では?』
『孤児でしょう』
『平民の血が混ざっている』
そんな心無い事ばかり言われいたレギウスにとって、ラキのようなことをいうひとは初めてだった。
『似てなくてよかった』
(そんなこと、初めて言われた……)
ラキにとっては何も考えずに言った一言。けれど、レギウスにとっては長年の劣等感が消えた一言だった。
❅❅❅❅❅
「おい、貴様ら…………ワシを無視するとは、いい度胸だな!?」
「…………無視をしたつもりは全く無いのですけれど。大変申し訳ありません」
「フン、まあいい。本題はこれだ!!」
ずいっと差し出された紙の内容は
「追放状?? うわ、国王のサインまであるじゃん」
読んだラキが顔を顰める。その隣ではすうっとレギウスの顔に影が落ちていた。
「レギウス、貴様は今この時をもって、我がベルバルク伯爵家から追放とする!! 感謝しろよ? 行き場のない貴様をワザワザ今まで置いてやっていたんだ。ワザワザ、役立たずで穀潰しにしかならないお前を!─────」
ぺちゃくちゃと唾を飛ばしながら喋っている伯爵。そしてひとしきり喋ると
「二度とこの家の敷居を跨ぐなよ、穢らわしい平民め」
バタンッと勢いよく扉を閉めた。伯爵が一方的にまくし立てていた間、呆然としていたラキがその音で何処かに飛んで行きかけていた意識を戻した。
「えぇ………何だったんだ、アレ………ねえ、レギウス? これからどうする────の……………!?」
くるりと身体の向きを変えた彼女か見たのは、無言で結界を張る、見たことのないほどドス黒いオーラを孕んだレギウスだった。
「………………あああああああああああああああッッッッッッ!!!!!」
「!?!?」
「ほんっとうにイライラする! なぁ〜にが『役立たずで穀潰しにしかならない』だっ!! お前らのほうがその役立たずで穀潰しにしかならないブタ野郎だろう!! お前らの領地の管理、誰がしていたかわかってんのか!!? 僕が、お前らの、浪費癖のせいで没落寸前の伯爵家の経済状況を支えてやってたんだぞ! あーー、分かってないから追放なんてしたんだよな、そうだろうなァ。全員、ドブネズミにでもなればいいんだよ!!!!」
「れ、レギウス、さん………………?」
「…………………ん? ああ、ごめん」
空に向かって叫んでいたレギウスがすっとラキに向く。
「まあ、細かいことは置いといて……………追放されたみたいだね」
「………そんな軽く、満面の笑みで言わないでよ…………」
にっっっっっこーーーーという擬音が似合いそうなイイ笑顔で笑うレギウス。しかし、目の奥は全く笑っておらず、ラキは無意識に後ずさった。
「…………これから、どうするの……………?」
「そうだね……………あ」
「?」
「ラキは戦闘は出来る?」
「? ある程度なら、出来るよ。けど、何でそんなこと聞くの?」
「いや、ちょっとね」
「…………そんな意味深な感じに笑わないでよ………」
そろり、とまた一歩、後ずさった。
❅❅❅❅❅
「って、どこ行くのかと思ったら…………ギルドじゃん」
〝冒険者ギルド〟と書かれた看板を見、ラキが溜息をついた。
「あれ、ギルドに来たことあるの?」
「いや、来たことあるも何も────」
「「あーーー!!!」」
「「??」」
突如ギルドの建物の中から発せられた2つの声に言葉を遮られる。
「ラキさんっ!!!」
「レギウス………!」
ラキの名を叫ぶギルドの受付の制服を纏う少女と、レギウスの名を呼ぶ冒険者らしき青年。
彼らの姿を目にし、レギウスらは「あ」と声を漏らした。
「もーーーーー、心配したんですよぅ…………1ヶ月も連絡がないんですもん……………うぅ、グスッ」
「ごめんごめん。ちょっと理由があって………ほらほら、泣かないでよ………」
「ようレギウス。久しいな。どこ行ってたんだ?」
「うん、一月振り。少し遠方に用があってね」
しばらくして落ち着き、少女と青年が自己紹介をする。
「私はギルドの受付嬢をしています、ラーナです。ラキさんの担当受付嬢をしています。宜しくお願いします」
「俺はBランク冒険者のルーカス。レギウスとは冒険者仲間として、たまにパーティを組んだりしてる仲だ。よろしく」
「「…………ん??」」
ラキとレギウス、お互い見つめ合う状態で疑問の声を上げた。
「ラキ、冒険者だったの?」
「いや、そっちこそ……………あ、言ってなかったんだった」
「え、ラキさんまた言ってなかったんですか?」
「レギウス…………お前また名前しか言ってなかったのか?」
「「うん………」」
呆れを含んだ指摘に苦笑いがふたつ浮かんだ。
「えーと。私はBランク」
「僕はAランク」
レギウスがん? と呟く。
「Bランクが何で捕まった?」
「ゔ………えぇと、その…………子供を庇ったら………」
「「「………………………………………」」」
スンッと3人の目が半眼になった。
「ラキさん…………相変わらずですね……………」
「うるさい…………」
「あ、なら」
「「「?」」」
ぽん、と手を打ってが提案する。
「ふたりでパーティ組めばいいんじゃないか?」
「「え、パーティ??」」
「いいですね!」
くるりと身体ごとラキへと向き直ったレギウスが、考え込む彼女へ問いかけた。
「僕はラキとならパーティを組んでもいいって思ってる。ラキはどう? 僕と組むのは嫌かな?」
「私、は…………」
言葉に詰まり、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、奴隷商から自分を助けてくれた姿。
(人間は信じられない。けど────)
❅❅❅❅❅
ラキは自分の生まれ育った里を飛び出してきた。理由は、里が消えたから。
魔獣の襲撃によって里の獣人たちが疲弊していたところを、奇襲するような形で人間たちが襲ってきた。その混乱を、ラキはひとり薬草を採るため山奥にいたことで逃れることができた。
里に戻ったラキが見たのは、人間による破壊の爪痕。それを見て、何度〝私が居れば〟と、〝人間のせいで〟と思ったか。恨んだか。
その経緯あって、人間に嫌悪を抱いている彼女。けれど、レギウスには嫌悪感をあまり感じない。
獣人は恩をとても重く見る一族だ。受けた恩は、一生をかけて返す、ということも珍しくない。
(私はレギウスに、『命を助けてもらう』という恩を受けた。ならば、それにしても報いよう)
❅❅❅❅❅
目を開け、じっとレギウスを見据える。
「私、は…………私も、レギウスとなら、組んでもいい」
ふわり、と笑った彼女に、レギウスは小さく息を呑んだ。
「よし、決まりだな。パーティ名はどうすんだ?」
「「………ふふっ」」
顔を見合わせ、笑う。
「「〝自由の猫〟!!」」
❅❅❅❅❅
──数年後。
ある主婦たちの会話が、路地裏で響いていた。
「ねぇ。聞いた?」
「ええ。『ベルバルク伯爵家の没落』でしょう?」
「数年前から領民のことを顧みず増税を続けて。そのお金で遨遊していたのですって」
「嫌よねぇ。私たちは道具では無いって言うのに………」
まだまだ続きそうな会話を遮って、昼時を告げる鐘の音がなった。
慌てて主婦たちは会話を切り上げ、己の家へと帰っていった。
冒険者らしきギルドの中では、若者たちがあるパーティの話題で盛り上がっていた。
「最近の上級冒険者、すげぇよな!」
「〝自由の猫〟だろ!?」
興奮する若者たちの背後にあるコルクボードには、あるパーティの記事が飾られていた。
『自由の猫、各地を悩ました黒竜を討伐!!』
『自由の猫、大活躍!!魔物の暴走による被害0!!』
『自由の猫、異例の速さでSランクパーティに昇格!!』
『自由の猫、国から褒賞金を与えられる!!』
遠い辺境にて。
「…………へくちっ」
「大丈夫?」
「ん〜、へーきへーき」
ゆらゆらとご機嫌に尻尾を揺らす猫耳少女と、黒髪の青年が肩を並べて歩いていた。
「もしかしたら、誰か私たちの噂してるのかもよ?」
「ふっ、何それ」
立ち止まり、笑い合うふたり。
「さ、行こう」
「うん」
読んでくださりありがとうございました。
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