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「藤澤さん、そろそろ・・・」
寝惚けながら途中で電気を消したのはなんとなく記憶にあった通り、部屋の中は電気が消えていた・・・。
でも、開けたままのカーテンからは少し光が入っている。
声を掛けても起きない藤澤さんに、私は藤澤さんの腕枕から起き上がる。
気持ち良さそうに眠っている藤澤さんの顔を見て、少しだけ笑った。
「藤澤さん、そろそろ起きてください。
一旦藤澤さんの家に帰りますよね?」
少し大きめな声で言うと、藤澤さんの整った綺麗な目が開いた。
「おはよう・・・花崎さん。」
そう言って私を見上げる藤澤さんは、
希望で満ち溢れた目・・・
そこに、静かに揺れるような熱を込めている・・・
その目を見て、私は少し笑ってしまう。
そんな私に藤澤さんの手が伸びてきて・・・
またベッドに戻されて・・・
私の上から藤澤さんが面白そうに笑う・・・
「走って帰るから、まだ時間大丈夫・・・」
「私は、朝ゆっくり準備したいタイプでして・・・」
「知ってる。俺、花崎さんのこと好きだから。」
「それは、私も知っています。」
藤澤さんが大笑いした後、また私を見下ろし、見詰める・・・
そして、ゆっくりと、私に覆い被さってきた・・・。
*
それから数日後、梅雨は明け・・・
もう、夏も終わろうとしている。
「本当凄いよな、花崎さん1人で全種類網羅出来る勢い・・・。
ナイトブラまで調査出来るのはありがたいです。」
私のタンス・・・下着専用のタンスを開け、仕事モードの藤澤さんが1つずつ下着を手に取りながら言う。
あれから、ほぼ毎日のように藤澤さんは私の部屋に来るようになり・・・
私も今では夜ご飯を2人分作ったり、お互い仕事が遅くなった時は最寄り駅で一緒に食べたりもしている。
そして・・・
「藤澤さん・・・今の今まで仕事モードでしたよね?」
食器洗いをしている私を後ろから優しく抱き締め、首筋に優しくキスをしてくる。
「明日から2週間も会えないとか・・・。
この前は1週間会えなかったし・・・」
そう・・・。
遠い地域での店舗拡大により、この前から出張が続いている。
「でも・・・町田部長、今回は同行しないみたいで安心してる。
この前、大丈夫だった?」
そう聞かれ、私は何て答えていいか分からず無言になる。
そんな私を、藤澤さんが後ろから強く抱き締めた・・・。
しばらく2人で無言の中、水の流れる音だけが響いている・・・。
しばらくしてから、私は水の流れを止めた。
私を強く抱き締める藤澤さんの手に私の手を添えると、少しだけ力が緩む。
その隙に、身体を回転させ藤澤さんに向き合う。
藤澤さんの薄い胸に自分の顔を付け、細い身体に手を回した。
「私の胸・・・確認してくれませんか?」
その言葉に、藤澤さんの身体が固まったのが分かる。
「ブラウスは脱いで・・・。」
あれからほぼ毎日会い、私の胸を確認したり、抱き締めたりキスをしたりはしているけれど、ソレ以上のことはしていない。
「いいの・・・?」
震えるような小さな声が、私の頭の上から聞こえた。
私は顔を上げ、希望で満ち溢れた目、そこに、静かに揺れるような熱を込めている藤澤さんを見詰め、笑った。
「ソレは、脱がさないで・・・お願いします。」
*
翌日・・・
「どうしました?腰痛い?」
出張先の支社で、こちらの人事担当の男の人に聞かれる。
「そう・・・ですね。」
腰を押さえていた手を離し隣に立った男の人を見上げ、笑った。
そんな私を、驚いたような顔で見下ろす。
「彼氏、出来ました?」
と・・・。
今度は私が驚き、男の人を見詰める。
でも、すぐに私の方が笑ってしまった。
「それは違います。
・・・つまらない私に、魔法がかかったような感じです。」
魔法は、いつか消えてしまう。
ブラウスの上から、ソッとソレに触れる・・・。
「それにしても・・・私はちゃんと、あなたを選べていたようですね。」
「それは・・・ありがとうございます。
あー・・・あれがなければ、俺一瞬で花崎さんに手出してましたよ。」
「一瞬は、嘘ですよね?」
「・・・おっしゃる通りです。」
初日からギッシリ詰まった面接をこなしていく。
「今回も、最終面接はこの店舗の店長と俺でやって大丈夫ですか?」
「はい、お願いします。
本社の方では私も最終面接に同席はしますが、最終的な判断は店長さんにお任せしていますので。
それと、名波社長との最後の面談もなくて大丈夫だそうです。」
「それは嬉しいな。
名波社長、自分の目で何でも確認しないと気が済まない方だから。」
「この前の店舗、あなたが選んだメンバーで良い成績おさめていますからね。
それに・・・」
言葉を切り、少し増えた支社の社員を見回す。
「とても良い雰囲気だと思います。
自分の好きな色だけにしてしまわない、色んな方がいて、やり方は同じではないかもしれないけれど、同じゴールにはちゃんと目指している・・・
そんな、良い雰囲気だと思います。」
「・・・それは、最高の褒め言葉ですね。」
*
「お疲れ様でした。」
20時最後の面接を終え、まばらに残る支社の社員達が私と男の人に言ってくれた。
それに笑いながら答え、今日面接をした方達の履歴書と職務経歴書をテーブルの上に広げていく。
そして、男の人の意見を聞きながら、私は頷き、たまに私の意見も話す。
数分間打ち合わせをし、今日面接した方達の最終面接の通過者を決定した。
「今回はスムーズでいいですね。
前回は町田部長も来たので大変でしたよね?
いつもあんな感じなんですか?」
ビル内の自動販売機で買ってきてくれたジュースを渡してくれる。
それにお礼を言いながら、苦笑いする。
「あれでも凄くマシになったんです。
昔はもっと酷くて・・・みんな辞めちゃいました。」
「花崎さんは新卒ですぐ人事部?」
「はい。新卒ですぐに人事部に配属されて・・・。
その時は何人も先輩がいたんですけどね。
私が入社3年目の時には先輩達はみんな辞めちゃいました。」
あの頃の毎日は、本当に苦しくて。
私を庇ってくれたりフォローしてくれる先輩や、名波社長の存在がなければ私も続けていられなかった・・・。
「先輩達が辞めた後、花崎さんよく残ったね?」
その言葉に、私は笑った・・・。
「そうですよね。本当に、そうなんです・・・。」
*
2週間で無事に店舗立ち上げの社員を採用でき、本社に戻って数日後・・・
「おめでとーーーーーー!!!!」
10月15日、始業前の社内にみんなの拍手が鳴り響く。
そして・・・
私は花束を持って、その人の元へ・・・。
綺麗な顔に怒ったような照れたような表情をさせた屋敷さんに、花束を渡す。
「屋敷さん、ご結婚おめでとうございます。」
「・・・こんなのいらないのに。」
そう言いながらもしっかり花束を受け取り、ちゃんと嬉しそうに笑っている屋敷さんを見て、私は笑った。
「あなた、相変わらずつまんない顔ね?」
「はい。」
「でも、良い表情になってきたじゃない。」
「それなら、よかったです。」
満足そうな顔で私に笑った後、屋敷さんは花束を持ってすぐに営業部の部屋へ向かう。
「王子、良いでしょ?貰った。」
「何の自慢だよ。
・・・俺の好きな花入ってる。」
「何?薔薇?」
「これ・・・。何ていう名前?」
そんな会話をする2人の後ろ姿を眺め、また笑う。
そして、会社の窓から見える、色が変わった葉っぱを見て実感する。
そろそろ、新卒採用も佳境に入ろうとしている。
始業前、新卒採用担当の男の人と女の子と、人事部の部屋で少し雑談をする。
この2人は前職でも人事採用の経験者で、うちの会社では3回目の新卒採用。
今回は、新卒採用の広告掲載内容や採用までのスケジュールの調整など、綺麗な状態にしてから私に上げてくれた。
各大学への企業説明、会社で開く説明会も2人で問題なく準備を進めてくれた。
「それにしても、とんでもない子来ましたよね!?」
女の子が興奮した状態で、1枚の履歴書を持ち私と男の人に見せる。
その履歴書を見て、私も笑う。
早川友里・・・
会社説明会の時から目立ち過ぎるくらい、目立っていた。
それは、良くも悪くも・・・。
一次面接にその子が来るかは分からなかったけれど、その子は来た・・・。
1グループ5人の集団面接・・・
最後にその子が入ってきてお辞儀をし、顔を上げ、笑った・・・
その瞬間・・・
私は無意識に笑ってしまった。
だって、見る目がない私にだって分かったから。
ちゃんと見なくても、分かってしまった。
でも、お姫様とも違うと感じた・・・
だから、ちゃんと見てみた。
その子が話す番になり、ちゃんと、見てみた・・・。
そして、また笑ってしまった。
その子は、“聖女”だった・・・。
「うちが第一志望だといいのだけど・・・」
「絶対に大丈夫ですよ!二次面接でもそう言ってたじゃないですか!!」
「あの子の言葉がウソなら、俺しばらく人間不信になりそうです・・・」
そんな雑談をしていると、人事部の部屋の扉が開いた。
そこからは、町田部長が・・・。
「お!ボインちゃん!!」
町田部長は大きな声で言い、女の子の手から履歴書を奪い取る。
「かっわい~なー!!!
ここまできたら芸能人!!!!
あー・・・うちの会社に入らないかな~!!!」
私は町田部長に近付き、その履歴書にソッと手を触れる。
「素敵な子でしたね?入社してくれるといいですね。
履歴書、そろそろ片付けます。」
町田部長が嫌な顔で笑いながら私に返してきた、少しシワがついてしまった履歴書を、私は丁寧に手で伸ばす。
「ボインちゃん、人事部に入れよう!」
「新卒の子達の配属は、名波社長のご判断ですので。」
「前回の配属は、ほぼお前の意見通りだっただろ!?
ボインちゃん人事部に配属させるように、“名波”に言えよ!!」
もう1つのグループ会社が先に設立をしていて、名波社長も町田部長もその社員だった。
なので、町田部長は私達の前ではよく“名波”と呼び捨てにする。
「毎日毎日毎日、こんな奴らと顔を合わせてる俺のことも考えろよ!!!」
「はい、申し訳ありません。」
それだけ答え、伸ばし終わった履歴書を女の子に返す。
心配そうな顔で私を見る女の子と男の人に、町田部長には背中を向け、少しだけ笑った。
*
「下半期の社長賞も、この子で決まりね?」
12月中旬・・・
暖房を入れた社長室の中、綺麗にネイルされた手で持つ1枚の書類を、名波社長が私に渡した。
その書類に目を落とす・・・
藤澤 修平
「花崎さん、あなたは本当に見る目がある。」
私を見上げる名波社長に、私は笑う。
「私は見る目がないんです。
なので、ちゃん見ているだけです。」
名波社長が優しく立ち上がり、私の隣に立つ。
「あなたを見付けられて、私は本当に幸運だった。」
「そんな・・・。ありがとうございます。」
「あの人・・・私が必ずどうにかするから。
時間が掛かっていて申し訳ないけど、あと少し、待っていて?」
口紅をキレイに塗った口を大きく開けて、優しく笑う。
そんな名波社長に、私も笑い頷く。
「昔の顔に戻ってきたわね、安心した。」
「昔の・・・ですか?」
「私があなたを見付けた時の顔。
本当に良かった・・・私にはどうしようも出来なかったから。」
全く意味の分からないことを言われ、私は首を傾げる。
その時・・・
社長室の扉がノックもされず勢い良く開かれた。
「社長!!!花崎だけ呼ばないでください!!!」
社長室に大声で入ってきた町田部長を見た名波社長が、サッと私から離れ暖房のスイッチを消した。
「なぜ最近、花崎しか呼ばないんですか!!!」
私の存在を無視し、名波社長に詰め寄る。
「町田部長、お忙しいでしょ?
あまり人事部の部屋にもいないしね?」
「それは・・・他の部署に見回りに行ったりもしていますし。」
「そうよね?
最近は花崎さんが上げてくれる報告すら、お忙しくて確認出来ませんからね?」
「それは・・・花崎は仕事“は”出来ますから。」
「そうね、花崎さんは仕事“も”出来るわね。
じゃあ、そういうことで花崎さんよろしくね。」
名波社長が私に振り向き言うのを、町田部長も怒りながら私の方を向いた。
社長室に残った町田部長にもお辞儀をし、社長室を出た。
持っていた書類に目を落とす。
履歴書の写真を元にプリントされた顔写真。
その写真の中で、藤澤さんが爽やかに笑っている。
その顔にクスリと笑いながら廊下を歩き始めた。
「花崎さん、お疲れ~!」
「屋敷さん、お疲れ様です。」
「相変わらず、つまんない顔ね!」
「はい。」
そう言いながら、向かいから歩いてきた屋敷さんに両手でムギュッと顔を掴まれる。
「でも、別にその顔嫌いなわけじゃないわよ?」
「ありがとうございます。」
2人で笑い合い、私が持っている書類にチラリと視線を落とし・・・
「社長賞、下半期も王子なんだ?」
「そうみたいですね。」
「上半期より更に勢い増したから、それは納得。」
「皆さんには、まだ内緒で。」
「勿論。でも王子・・・今営業部にいないわよ?
最近営業だけじゃなくて・・・ちょっと色々とやってもらってるから忙しくて。」
最近、藤澤さんは本当に忙しそうで。
私の部屋に来るのも深夜になっていたり、朝は早く出て行ったり。
その中でも、私の胸を確認したり・・・その、そういうことも・・・ソレは脱がさないで、たまにしているのだけど・・・。
「そういえば、花崎さんって妹いる?」
急に、屋敷さんに妹の有無を聞かれた。
「妹、いますね。」
「もしかして、1つ下?」
「そうですね・・・。」
「もしかして、勤め先って・・・」
聞いて、驚いた。
妹が勤めている会社名が、屋敷さんの口から出てきた。
「やっぱりそうなんだ。
旦那がそこの会社で、私が花崎さん花崎さん話してたら、うちの会社にもハナサキさんいるとか言ってて。
聞いたら漢字も一緒で、下の名前も似てるからもしかしたらって思ったのよ。」
「そうでしたか。妹は私と違って目立ちますからね。」
「あなたはあなたで目立ってるわよ、そのつまんない顔で。」
屋敷さんとまた笑い合い、廊下で別れた。
今年は夏休みの日程を合わせ、妹と実家に帰省出来た。
すぐ近くで働いているけれど、忙しい妹とはなかなか会う機会がなくて。
夏休みに話を聞き、頑張っているようで尊敬もした。
そんな可愛い妹のことを考えながら、人事部の部屋に入ると・・・
不穏な部屋の雰囲気・・・
人事部のメンバーは、自分のデスクに着きディスプレイの一点を見詰め固まっていたり、資料に目を落としたまま固まっていたり・・・
中途採用窓口の女の子は、部屋の隅でボロボロになったファイルを抱え震えながら立ちすくんでいる・・・。
「これもボツ!これもボツ!!これも!!!これも!!!これも、ボツ!!!!!」
人事部の部屋の中、町田部長が自分のデスクの上に書類を叩き付けている。
さっきの社長室で・・・あの後何かあったのか、それとも私1人が呼ばれたこと自体が気に入らなかったのか・・・。
久しぶりに、ここまで荒れ狂っている。
私はゆっくりと町田部長に近付く。
見てみると、履歴書や職務経歴書が町田部長のデスクの上や下に散乱している。
しゃがみ、その1枚ずつを拾っていく。
そんな私を町田部長が見下ろす。
「なんだ、このブスな女どもは!!!!」
そう言いながら、私が拾い上げた履歴書などを奪い取り、床に投げつけた。
「経理部の中途採用、1次面接に通過した方達ですか?」
「そうだよ!!!なんでこんなにブスな女どもを通過させたんだよ!!!!」
「皆さん、とても優秀な方達でしたよ?」
「優秀なわけがあるか!こんなブス!!!
30にもなって結婚も出来ないような、40にもなって旦那も子どももいるのに働こうとしてるブス!!!」
「町田部長は、綺麗で可愛い方・・・結婚したらお家にいてくれる方がお好きですからね。」
「そうだよ!!!女はな、そうじゃなきゃいけないんだよ!!!!
そうじゃなきゃ、そんなのは女じゃない!!!!」
「そうですね、町田部長はそういう方がお好きですからね。」
「お前もな、もうすぐ30だろ!?
そんなパッとしない顔で!!そんなつまらない顔で!!!
友達も彼氏もいないつまらない人生で!!!」
「そうですね、困ってしまいます。
私は、パッとしない、つまらない女ですから。」
「・・・分かればいいんだよ。」
「はい。ちゃんと分かっています。」
上がった呼吸を整えた町田部長が、また履歴書などを拾う私を見下ろす。
「お前、処女だろ?
そんなものは捨てないと、お前なんて需要ないんだからもっと需要なんてなくなるぞ!!」
「それは、困ってしまいますね。」
「あいつにでもお願いしてみろよ!
女の子の胸を触りまくってるエロ王子に!!!」
私は履歴書を拾い、立ち上がる。
「そうですね。」
その履歴書を持ち、隅で震え立ちすくんでいる女の子の所まで歩き、ボロボロになっているファイルを受け取ろうとするけれど・・・
ガチガチに固まったその女の子が抱えたファイルは動かない・・・
「大丈夫、私がいるから、大丈夫。」
そう小さな声で言って、笑った。
女の子は涙を目に沢山溜め何度も小さく頷き、私にゆっくりとボロボロになったファイルを渡してくれた。
それを受け取り、自分のデスクに戻り履歴書などをファイリングしていく。
その時・・・
「花崎!!まだここにブスが落ちてるぞ!!!」
そう、町田部長が言って・・・
床に残っていた1枚の履歴書を・・・
その、足で・・・
踏みつけようと、した・・・。
その、瞬間・・・
私は勢い良く立ち上がり・・・
町田部長の足から・・・
履歴書を・・・
自分の両手で、守った・・・。
「花崎さん・・・!!!」
女の子の悲鳴のような声が、人事部の部屋の中に響く・・・
「・・・町田部長、そろそろお昼休みです。
どうぞ、お先に行ってきてください。」
私がそう伝えると、私の両手から町田部長の足が退かれた。
「お前もな!早く俺にそのファイルを渡せばよかったんだ!!!
俺を怒らせやがって!!!!」
次に続く久しぶりに聞くその言葉を、私は自分の両手を眺めながら待つ・・・
「俺が1番偉い!!!
お前らは俺の言うことを黙って聞いてればいいんだ!!!
それなのに、歯向かいやがって!!!!
お前らに、“人権”なんてない!!!!」
久しぶりに・・・数年ぶりに聞いたこの台詞に、私は少しだけ笑った。
人事部の部屋の扉が勢い良く閉まった音だけが、聞こえた・・・。
「・・・花崎さん、ごめんなさい!!」
両手で守った履歴書から手を退かせず、私はしばらくそのままでいた。
そんな私の所に、中途採用窓口の女の子が駆け寄ってくる。
「私のせいです・・・ごめんなさい。
私・・・少しでも花崎さんの役に立ちたくて・・・。
いつもなら絶対に反抗しないのに、反抗しちゃって・・・。
まさか、こんなに酷くなるなんて・・・。」
涙が次々と流れてくる女の子を見て、私はやっと両手を履歴書から離した。
その手で、その子の涙を拭っていく。
「折角可愛くお化粧してあるのに、涙で取れちゃう。
私は大丈夫だから、気にしないで。」
「でも・・でも・・・っ」
「名波社長が、きっともうすぐどうにかしてくれる。
さっき言ってたの。
だから、もう少し・・・私と一緒にいてくれたら、嬉しい・・・。」
私がそう伝えると、私と女の子の周りに人事部の皆が集まってきた。
「何も出来なくて、ごめんなさい。
あそこまでなる人だなんて、全然知らなくて。」
「私達が入社した頃には、嫌味っぽい人でセクハラ発言もあったけど、あそこまでなったことはなかったので・・・」
私は小さく笑いながら、立ち上がる。
「先輩達がいた時はずっとあんな感じだったの。
だから、慣れてる。私は大丈夫。
皆もこれからお昼休みだから、気分転換してきて?」
さっき私が守った履歴書などを拾い上げ、みんなを見る。
そんな私を、皆がどこか力強い目で私を見てきた・・・。
「花崎さん・・・絶対、辞めないでください。
きっと、あと少しなんで・・・。」
*
女子トイレの中、流れる水で両手を冷やす。
うちの会社の階ではなく、オフィスビルの1階のトイレ・・・
たまに入ってくる女の人からは、ずっと手を洗っている私を不思議そうに見られたけれど、私はその手を水から引けないでいた。
深呼吸を繰り返し、流れてくる冷たい水に包まれる自分の両手を眺める・・・
その時・・・
ポケットに入れていたスマホが震えた。
ゆっくりと水から両手を抜き、ハンカチで手を拭いた後にスマホを取り出し・・・
空いた手を、また流れる水で包んだ・・・
「はい。」
よく確認せず電話に出て・・・
私は、小さく笑った・・・。
流れる水の音を聞きながら・・・。
*
椅子に座り、どんどん赤くなってくる両手を握り締め、それを眺める・・・。
「見せて・・・?」
ゆっくり顔を上げると、息を切らした藤澤さんが・・・でもあまり汗はかいていなくて・・・私は少しだけ笑った。
「やっぱり・・・走り慣れてるからですかね?」
そんな私を不思議そうな顔で見詰めた後、私の手に視線を移す。
そして苦しそうに顔を歪めた後、私の隣に座った。
「診察、まだ?」
「はい、12時半ギリギリの受付だったのでもっと最後の方ですね。」
“最近忙しくて胸を確認出来ないかもしれないから”
そんな理由で、この前連絡先を交換していた。
初めてスマホから聞こえる藤澤さんの声に、私は少し笑った後、少しだけ、泣きそうにもなった。
“人事部の女の子から聞いた”と言った藤澤さんに、もっと詳細を聞かれ・・・病院に行くよう言われた。
名波社長にも伝えておくと・・・。
「もう1回聞くけど、わざと踏まれたわけではない?」
「はい。私が手を後から出しました。」
「履歴書を・・・守るため・・・。」
「はい。」
希望に満ち溢れた目、そこに静かに揺れるような熱が込められる・・・
私は、そんな藤澤さんの目にソッと手を伸ばす・・・
藤澤さんの目の近くに、少しだけ触れた・・・
「よく、守ったな・・・。
履歴書は、その人の人生、その人そのものだからな・・・。」
恵美side......