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ヤダリアス

 「ヤダリアスって知ってる?」


 唐突に言ったのは、Bさんだった。

 その時、Aさんたちは大学のカフェテリアで、仲の良い友人どうし、気の向くままに雑談をしていた。バイトのこと、恋愛のこと、最近ハマっているもののこと。思いつくままに語り、話題が幼い頃の思い出になったときだ。唐突にBさんが皆に尋ねた。

 聞き慣れない単語にAさんは首を捻った。見回すと、他の友人たちも不思議そうな顔をしている。

「そっか。やっぱり知らないか」

「なんなの? その……ヤダ? って?」

 少し残念そうに笑うBさんに、誰かが聞いた。

「んー、キャラクターかな」

「アニメとか映画とかの?」

「ううん、絵本とか児童書とか……」

「有名なシリーズ? なんて話?」

「物語はないの、キャラクターだけ」

「どういうこと?」

 怪訝そうにする友人たち。Bさんは、さらにわけのわからないことを言った。

「ヤダリアスはね、いろんな物語に出てくるキャラクターなの。みんなの知ってる話にも出てるよ。『桃太郎』とか『シンデレラ』とかね」

 皆、困惑して黙り込んだ。Aさんも戸惑った。Bさんの挙げた物語のなかにそんなキャラクターが出てくるなど聞いたことがない。普通はそうだろう。他の友人も同様のようで、黙って顔を見合わせている。

 疑問と困惑の混ざりあった沈黙。そんな場の空気に答えるためか、Bさんは子供時代の思い出を語り始めた。


 昔、Bさんは本を読むのが好きな子供だった。

 まだ十分に文字を覚えていない幼稚園のころから、毎日のように図書館に通い、絵本やら児童書やらを読み漁っていた。古いものから新しいものまで。特にこだわりはなく、手当たり次第に読んでいたという。

 そんな日々のなかで、Bさんは、とあるキャラクターと出会った。ヤダリアス。それがキャラクターの名前だった。

 ヤダリアスは不思議なキャラクターだった。

 ヤダリアスはいろいろな物語に登場した。『シンデレラ』にもいた。『白雪姫』にもいた。『桃太郎』にも『カチカチ山』にも、その他のどんな国の昔話にもいた。

 昔話ばかりではない。長年愛されているベストセラーの絵本にもいた。最近発売されたばかりの、新刊の児童書にもいた。どんな国の、どの時代の物語だろうと、ヤダリアスは登場した。

 物語世界を自由自在に横断するキャラクター、ヤダリアス。

 ただし、ヤダリアスが登場するのは、一文だけだった。どの物語であろうと、どの部分であろうと、ヤダリアスについて書かれているのは、いつも同じ一文。


「ヤダリアスはバラバラにされて死にました」


 それがヤダリアスについて書かれた全てだった。

 ヤダリアスの一文は、物語のあらゆる場所に登場した。シンデレラが姉たちにいじめられている最中、白雪姫が王子様に起こされた直後、桃が川から拾われるとき、唐突に一文は挟み込まれた。物語の流れなどまるで無視して突然に、しかし当然のように書かれる一文。

 不自然な一文だと、子供心にも感じた。物語のなかで、それだけ浮いている一文。しかし、日々読む本に当然のように書かれているのだ。それがヤダリアスというキャラクターなのだとBさんは素直に受け入れていたという。

 そして、世の中もみな、自分と同じようにヤダリアスを受け入れていると思っていた。


 小学生になったばかりの頃。

 ある日の夕方、Bさんは子供部屋で読書をしていた。近くのベッドには2つ上の姉が寝転がり、同じように本を読んでいた。

 Bさんが読んでいたのは最近の児童書だった。可愛らしい挿絵がふんだんに盛り込まれた、絵本に近いような本。時には見開きを使い、2ページに渡って絵が描かれ、その上に重なるように文字が書かれている。

 そんな見開きページを読んでいたとき、またヤダリアスが登場した。主人公と仲間が、森の中を探検するわくわくするシーン。主人公が光る木を見つけた瞬間に、突然「ヤダリアスはバラバラにされて死にました」と書かれ、主人公と仲間が喜ぶ様子が続いている。

 いつものことなので、Bさんは驚かなかった。ただ、その時はなんとなく気が向いて、姉に話しかけた。

「お姉ちゃん、ヤダリアスってなんだろうね?」

「え? なに?」

「ヤダリアス」

「なにそれ」

「本の途中にでてくるでしょ?」

「知らない」 

 姉は首を振る。Bさんは驚いた。

「ヤダリアスだよ。いつもでてくるじゃん」

「知らないって。今、読んでるから静かにして」

 姉は、わけがわからないといった顔で面倒くさそうに手を振る。Bさんはムキになった。読んでいた本のヤダリアスの一文を指で押さえ、姉の前に突き出す。

「ほら、これ」

「はあ?」

 姉はますます不審そうな顔をした。

「なに言ってんの?」

「だから、これだって……」

 ページを押さえた指の先を見て、Bさんは言葉を失った。

 指の先には文がなかった。あるのは森の木と、その上を悠々と飛ぶ鳥の絵だけ。一瞬前まであったはずのヤダリアスの一文は、きれいに消えていた。

 Bさんは唖然とした。確かにあったのだ。文の場所を確認して指で押さえたことを覚えている。森の木と鳥の翼に少し重なるようにして印刷されたフォントの形も、目の奥にはっきりと残っている。見間違いや思い込みではない。しかし、何度見てもそこには何もなかった。

 姉は馬鹿にしたように本に目を戻した。悔しかったが、Bさんには反論する術がなかった。

 その後。夜になってから、一人でまた本を開いてみた。やはりヤダリアスの一文は見当たらなかった。


 この時、初めてBさんは「ヤダリアスのことを他の人間は知らないのでは」という考えに至った。

 彼女にとっては日常で当然の出来事が、実は非日常で不自然なことだった。これは当時のBさんにとって衝撃だった。  

 同時に、そんなはずはない、という思いが芽生えた。確かにあったし、確かに見たのだ。実感が事実だと告げている。いかに子供でも幻と現実の区別くらいつく。

 ヤダリアスの一文は絶対に存在している。

 Bさんは密かに確信した。


 とはいえ、他の人間に見えないらしきもの、また不意に消えるものを、存在すると言い張るのは軽率だ。幼いBさんは、きちんと理解していた。そのため姉との一件以来、ヤダリアスのことを口にするのは止めた。

 しかし、日々の読書のなかで、変わらずにヤダリアスは登場する。その度に「これは現実だ」と、一人確信を深めてもいた。


 小学校4年のある日。国語の授業中のことだった。

 生徒が順番に教科書を朗読していくなか、次はBさんの番になった。椅子から立ち上がり、教科書の文を音読していく。読み上げながら先の文を目で追い、Bさんは一瞬硬直した。 

 ヤダリアスがいた。丁度Bさんの担当範囲が終わるだろう辺り。段落最後に、あの文があった。当然のように印刷されている。

 どうしよう。

 Bさんは迷った。

 読まない方がいい。それはわかっている。いつもは他人のいる場でヤダリアスのことは口にしない。すれば、奇異の目で見られることくらい承知している。姉のときのように、いやそれ以上に、変人扱いされるだろう。場合によっては、クラス内で浮いてしまうかもしれない。

 でも、と心が騒いだ。ヤダリアスの文は他の文と同じように並んでいる。これが自分だけの幻覚とは、どうしても思えない。もうずっとそう思ってきた。

 これはチャンスかもしれない。Bさんは思った。 

 クラス全員の前でヤダリアスの名を口にすれば、誰か一人くらいは知っているかもしれない。もしくは、自分が読むことでヤダリアスの一文を認識する人が出てくるかも。だって、こんなにはっきりと存在しているのだ。幻覚のはずがない。ないんだ。

 迷ううちに、どんどんと文が近付いてくる。

 どうしよう。読んでみたい。でも、孤立するかもしれない。友達は、からかい好きの男子は、何と言うだろう。

 心臓がドキドキする。教科書を持つ手に汗が滲む。

 そして、Bさんは読み上げた。


「ヤダリアスはバラバラにされて死にました」


 教室内が、しんと静まり返った。何の音もしない。クラス全員が動きを止めてしまったようだ。

 それは一瞬のようにも、何分にも思えるような時間だった。

 最初、Bさんはクラス全員が戸惑っているのだと思った。やはり笑われるのか。頭のおかしい奴と言われるのか。心臓がギュッと縮んだ。

 だが、誰も何も言わない。誰も動かない。いつもなら聞こえる身動ぎの音すらしない。それどころか、さっきまで窓辺で揺れていたカーテンの音も消えてしまった。隣の教室から聞こえていた先生の声も、校庭の向こうの道路を走る車の音もしない。何も聞こえない。無音。まるで世界が静止したかのような時が続いた。

 パラリ。

 不意に耳元で軽い音がした。ページをめくるような音だ。

 かすかに空気が揺らぐ。

「はい、そこまで。次の人」 

 教卓に立つ先生が気怠そうな声で言った。後ろの席で立ち上がる音がする。Bさんは慌てて椅子に座った。

 何事もなく授業は進んでいった。

 Bさんは手元の教科書に視線を落とした。ヤダリアスの一文は、きれいに消えていた。


 授業後。Bさんは友人たちに、さり気なく朗読時間のことを尋ねてみた。誰も違和感を口にしなかった。もちろん「ヤダリアス」のことなど覚えてはいなかった。


 それから半年ほど経ち、Bさんが小学校5年になるころ、ヤダリアスの一文はあまり現れなくなった。日常的にに目にしていた文は段々と出現頻度を減らしていった。数日おきに見かけていたものが、たまに遭遇する程度になり、忘れかけたころに現れるようになり、やがて出現しなくなった。

 以来、一度も見ていない。



「子供特有の思い込みや勘違いって思うでしょ?」

 話し終えたBさんは、ゆったりとした微笑を浮かべた。困惑したままの友人たちの顔を順繰りに眺める。でもね、と続ける。

「あれは紛れもない現実。今でも私はそう思ってるし、確信してる」

 ヤダリアスの一文は存在している。Bさんは強く言い切った。

 誰しも子供時代に慣れ親しんだ物語のなかの登場人物はいるだろう。それは架空ではあるけれど、いつも側にいて心に寄り添ってくれる親友のような存在だったはずだ。時が経ち大人になっても、思い出すと懐かしく戻りたい気持ちにさせてくれる。大切な友達。

 Bさんにとっては、ヤダリアスが一番の「親友」だったのだ。シンデレラより白雪姫より、数多く遭遇し、いつも側にいてくれた。

 だから、これまでもこれからもBさんは信じている。

 ヤダリアスが今もどこかの物語でバラバラにされて死んでいると――。

 

 

  



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― 新着の感想 ―
[良い点]  面白かったです。いつも、「面白かった」と言ってますが今作は特に私のツボでした。  まず、主人公にしか見えない文章という設定が面白いです。簡単には思い付けません。  次にその文章が「バラ…
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