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ロマンス(1)


「不満そうな顔をしているわね……グリード」


 白い、果てしなく白い空間――。全ての階層とは切り離された独自エリアに展開しているその場所の名前は通称“エデンの園”……。時間も空間も意味を持たないその場所で、時の止まった噴水の傍に腰掛けるタケルの姿があった。傍らには紅い髪を揺らしながら微笑むミラ・ヨシノの姿……。タケルは舌打ちし、それから自分の胸に手を当てながら立ち上がった。


「俺の肉体はタケル・ヨシノの物だ……。だが、その中身はこの俺。ゼダンの一人であるはずの俺が、どうしてたかが一般人如きに敗北する……!? 納得出来るわけがねえだろ、そんなの!」


「本城夏流の事?」


「ああ、確かそんな名前だった。あいつは何者なんだ? 六英雄にあんなやつは居なかったはずだが」


「彼は……まあ、私たちには基本的に関係ないわ。でも、全く無関係というわけでもないのかも。彼もまた、アニマの導が異世界から召喚しようとした人物だから」


「…………異世界から召喚? あいつらをか?」


 その言葉を聞いてタケルは腕を組んで思案する。ミラは全ての事象を観測した上で、本城夫妻の事を推測している。つまり、彼らが……昴とホクトが本城の家にやってきた事や、彼らの力の意味……。冷静に考えてみればわかる。全ての“間違い”は単純だったのだ。


「今現在この世界にアニマの導が召喚してしまった救世主、北条北斗と北条昴……。二人の召喚がもしも間違いだったとしたら?」


「は?」


「つまり、本来この世界に召喚したいと思うほど強力な力を持っている英雄がホクトと昴ではなくて……。彼らと所縁のあるあの場所に住んでいたあの夫婦だとしたら?」


 異世界を侵略するのはこの世界――“アニマ”の意思である。それが拡大しないように六英雄はアニマを監視し、必要とあればアニマを御するのだ。その六英雄たちは長い長い、気の遠くなるほど長い年月をこのエデンの園で過ごしてきた。しかし六人全員が“監視者”として機能しているわけではない。

 中にはゼダンを離脱したりしてかけてしまったアニマを御する力、それを補う為に必要だったのが新しい六英雄の代理人の召喚である。“導”はそれを自動的に実行するシステムとして組み込まれており、比較的近辺に存在する次元から六英雄に相応しい人間を召喚する能力を持っている……。しかし、異世界から召喚されたのは北条昴というまるで役に立たない救世主――しかも出現場所は何故かククラカン。そしてもう一人は――。


「本来ならばゼダン側で管理出来なければおかしい救世主の存在が流れている時点でイレギュラー召喚なのは言うまでもないわよね。きっと導が欲しがっていたのはあの二人じゃなくて、本城夫妻だったのよ」


「…………。導が欲しがるほどの人材となれば、俺たちと対等か……。しかしイレギュラー召喚ってことはよ」


「ええ。誰かが――第三者が私たちゼダンのシステムに干渉してるのよ。まあ、大体そのあたりもつけてはいるけど」


 口元に小さく笑みを浮かべるミラ。その笑顔をタケルは寒々しい気持ちで見つめていた。ミラは常に笑顔を絶やさない……だが、彼女が本当の意味で笑っているところなど見た事もなかった。残酷な事も平然と成し遂げる、ゼダンとしては非常に優秀な人間……。だが同じゼダンであるところのタケルでさえ彼女の考えている事は理解出来ず、それはちょっとした不安要素でもあった。


「じゃあなんだ、ホクトと昴は間違いで召喚されちまったってわけか」


「その割には頑張ってるけどね。まあ、召喚してしまったものはしょうがないから役に立ってもらわなきゃ。昴の方は洗脳したし……あとはホクトの方ね」


「…………。その、お前が御執心のホクトの事だが……。どうしてわざわざ敵の中に送り返したんだ? あのままここに拘留して、洗脳でもなんでもしちまえばよかっただろうが」


「そんなの駄目よッァ!!」


 突然、ミラが大声をあげたのでタケルは目を丸くしてしまう。いつも冷淡な喋りのミラが叫ぶ所など初めて見た物だから、それは驚くのも無理はない。ミラは俯きながら己の身体を抱きしめるように腕を伸ばす。肩に爪を食い込ませ、そして口元にあのいつもの笑顔を浮かべて言った。


「洗脳なんて駄目よ……。そんな“残酷な事”、ホクトには出来ないわ。だって私、彼の事を愛しているから」


「…………残酷な事って、オイオイ」


 呆れるタケル……というのも、北条昴を嬉々として洗脳処置を施し徹底的にいたぶったのが彼女本人だからである。昴の時はあんなに楽しそうに自ら望んでやっていたというのに、まるで掌返したかのような物言いである。ミラは熱に浮かされたように顔を赤らめ、居ても立っても居られないのか、辺りをうろうろ歩き出した。


「ホクトの事は、私に全部任せて……。私が責任を持ってゼダンに引き入れて見せるから」


「ほんとかよ……ったく! ていうか、俺様としちゃあ別にあいつは居なくてもいいんだけどな」


「ガリュウの力は全部貴方にあげるわ。でも、それで用済みになったらあのカラッポの器は不要でしょ? だから私がもらいたいの。それは私の自由、当然の報酬、そう思うでしょう? 思うわよね?」


 冷や汗を流しながらタケルは苦笑を浮かべる。七つの大罪を身体に組み込んだゼダンは全員何らかの意味で人格が破綻している……。が、このミラは比較的マシな方だと彼は勝手に考えていた。だがそれはやはり間違いであり、ミラも例に漏れず精神破綻者――狂人であるのだと確信する。楽しそうに笑うその瞳は暗く、とても暗く輝いているのだから……。


「あの男の何がそんなにいいんだ……? 俺は大嫌いだけどな」


「何って……決まってるでしょ?」


 ミラは振り返り、紅い髪の合間から覗く瞳を歪め、当然のように呟く。その手を握り締め――笑ってみせる。その笑顔は決して純粋な物ではなく。しかし歪んでいるとしても立派な……。きっと、愛から出来ているのだ。


「――――全て、よ」




ロマンス(1)




「で……。なんで俺はお前と一緒に並んで座ってるんだ……」


 バテンカイトス一階のソファ、そこに横に二人で並んで座っているホクトとイスルギの姿があった。ホクトは火のついた煙草を口に咥え、イスルギは腕を組んで目を瞑っている。こうして二人の気まずい沈黙は既に数十分経過しており、耐え切れなくなったホクトは冷や汗を流しながらいよいよ質問してみる事にしたのである。


「…………。貴様、記憶喪失らしいな」


「あ、漸く会話始まったのね……。記憶喪失っていうか、まあ混乱っていうか……。元に戻ったり戻らなかったりするんだよ、いつも。記憶も全部消えたわけじゃなくて断片的には覚えてるしな」


「それでシェルシの事はすっぽり抜け落ちてると……」


「あ……あんたの事は覚えてるぜ……?」


「私の事を覚えていてどうするんだ……」


 溜息を漏らし、額に手をやるイスルギ。そういわれたところでそれはホクトが自由に出来る事ではないのだから、言われてもどうしようもない。灰を銀皿に落とし、ホクトは首をこきりと鳴らした。


「シェルシは貴様の事を半年間ずっと探していたんだぞ……。それが、忘れられていただなんて……不憫すぎる」


「だーかーらーっ! 俺の所為じゃねえーっつの!! でもまあ、何故かシェルシの記憶だけすっぽり消えてるんだよなあ……。他の事は結構思い出してきたんだが……」


「まさか貴様……知らん振りをしているだけではないだろうな……?」


「へっ?」


 立ち上がったイスルギはがっしりとホクトの両肩を掴み、顔を寄せる。その表情には一切“ゆとり”というものがない。目は血走っており、口元に浮かべる笑みは引きつっている。


「そういえば貴様は元々記憶喪失のフリをしていただけだったと聞いた……。まさか今回も……」


「違う!! あれは、記憶喪失だったんだが実は結構すぐ思い出したけど黙っていたってだけで、フリしようと思ってしてたわけじゃねえからッ!」


「じゃあなんだ……? まさか貴様、シェルシに何かしたのか……!? それで責任を取れなくなって、逃げる為に記憶喪失だとかなんだとか抜かしているのではないだろうな!?」


「いやっ! まだなんもしてねえからっ!!」


「まだとはなんだ貴様ァアアアアアアッ!! シェルシの身に何かあったら、私は……! 私は貴様を絶対に許さん!!」


 もう既に許していない雰囲気なのだが、ホクトはそれにツッコむ事はしなかった。そんな事が出来る空気でもない……。ホクトの襟首を掴み、振り回すイスルギ……そんなイスルギの暴走を傍から目撃したウサクが駆け寄り、背後からイスルギを羽交い絞めにした。


「イ、イスルギ殿!? それ以上やったらホクト殿の首がとれてしまうでござるよっ!!」


「私は一向に構わん……!!」


「俺は構うんですけどッ!?」


 何とか二人係でイスルギを引っぺがす事に成功し、ホクトとウサクは同時に溜息をついた。イスルギは乱れたネクタイをぴしっと締め直しながらぎらりと光る敵意の視線でホクトを射抜く。


「シェルシがどんな気持ちでお前を探していたのか……お前は少しでも考えたのか?」


「考えたっつの……うるせえな。シェルシはてめえの所有物じゃねえだろうが。俺とシェルシがどうであろうと、てめえには関係ねえよ」


「ホ、ホクト殿……っ」


「ウサクはちょっと黙っててくれ。これは俺たちの問題だ」


 溜息混じりに立ち上がり、ホクトは両手をズボンのポケットに突っ込みイスルギを見つめる。イスルギも同じように腕を組み、そのホクトの視線に応えていた。二人の間でオロオロしながら泣きそうなウサクだったが、突然二人がくるりと踵を返して歩き出したのでとりあえずついていく事にした。

 二人はスタスタ歩いてバテンカイトスの外に出る。そうしてすっかり人気の無い大通りに対峙すると、イスルギは上着を脱ぎさりホクトは袖を捲る。一体何が始まるのかと思いウサクがきょとんとしていると、二人の男は唐突にお互いの拳を繰り出したのである。

 互いの拳が互いの顔面に減り込み、吹き飛ばされる二人。ウサクは驚き、倒れている二人に駆け寄ろうとするのだが、どちらに駆け寄ればいいのか判らずまたオロオロしてしまう。そんな間に二人は立ち上がり、再び互いに睨みあう。


「二人とも何やってるんでござるか!?」


「見てわかんねえのか? 喧嘩だ喧嘩」


「見てわかんねえのかって……いや、判るでござるが……。喧嘩って……そんな、子供じゃあるまいし……」


「男は時に拳で物を解決せねばならない事もあるのだ」


 口元の血を拭い、イスルギは再びファイティングポーズを取る。まさかあの冷静なイスルギがこうなってしまうとは思って居なかったウサクは仕方なくホクトに目を向けるのだが、ホクトも似たような様子である。


「俺は俺の生き方を通している。他人のあんたにとやかく言われる筋合いはねえんだよ」


「ホ、ホクト殿~……! 普段何かあっても飄々としてるくせに、なんで今日に限って本気なのでござるか!?」


 ホクトはあえて返事はしなかったが、しかしその理由は明確だった。それだけ本気でシェルシの事を考えている……それもあるだろう。だがそれだけではない。彼は今色々と考えねばならない事が山積みであり、精神的に余裕もないのだ。だからこそ受け流せず、衝突してしまう……。

 イスルギの言っている事が事実であり正しいのだと頭では理解出来ているし、だったらそれに従うのが大人というものだと彼も理解はしていた。だが――シェルシの涙と笑顔を思い出すと言葉に出来ない苛立ちがこみ上げてくるのだ。思い出したくもない事を無理に思い出させるというのならば、あえて黙っていてやる必要もない。

 そしてそれと向かい合う騎士もまた本気、そして見極めたいと考えていた。この男が本当にシェルシが想うに相応しい人物なのか……。だが、恐らく二人の性格はかけ離れすぎている。まともに話した所で、互いにこの気持ちを伝えられる自信がない。だからこそ、拳に想いを込めるのだ。

 所詮魔剣使いなどという人種は戦いでしか自己を表現できない――二人はその見解において一致していた。イスルギはシェルシを護る為の剣である。ならばこの男の――ホクトの“剣”とはなんなのか、それを確かめたい……。何よりシェルシの為に。シェルシを預けられるのかどうか、確かめる為に。

 ウサクの静止も聞かずに二人は同時に走り出した――。戦う事以外は無能な男が二人、同時に拳を繰り出す――。魔剣を使えば周りに迷惑がかかるだろうが、拳と拳の勝負ならば誰にも迷惑をかけない。だからこそ、思い切りやる事が出来る。


「そもそも、最初っからあんたの事は気に入らなかったんだよ!! 勘違いで襲ってきやがって!!」


「それは貴様も同じ事だ……!」


「シェルシを護れずほったらかしにした!」


「シェルシを置き去りにしてほったらかした!」


「婚姻の儀の時、助けようともしなかっただろ!!」


「貴様らが邪魔をしなければ、私は直ぐに彼女の傍に向かえたのだ!」


「人の所為にばっかしてんじゃねえ――ッ!!」


「それは私の台詞だ――ッ!!」


 男の拳と拳がぶつかり合い、衝撃が迸る――。ウサクは最早少し離れたところでそれを見守る事しか出来なかった。先ほどまでは殺気立ったその空気に魔剣を使い出すのではないかと思っていたのだが……今ならば判る。

 彼らは冷静に、冷静に戦っているのだ。迷惑にならぬように、その力を己の責任の取れる形でのみ振るう……。戦士としては必須であるその器量、そしてそれでも消せない戦士としての性……。ウサクは苦笑し、二人を見やる。それは思っていたよりも――互いの言葉よりも。存外に、楽しそうだったから……。




「メリーベル……。恋とは……恋とは何なのでしょうか?」


「ぶふっ」


 思わずコーヒーを噴出したメリーベルの前、シェルシは真剣! な顔でメリーベルを見つめている。途方にくれ、バテンカイトス内で膝を抱えていたシェルシを発見し自室に案内した彼女だったが、まさかシェルシがそんな事を言い出すとは夢にも思って居なかった。


「まさか、大人になってコーヒー吹く事になろうとはね……」


 自己嫌悪に陥りつつ、飛び散ったコーヒーを雑巾で拭う。しかし、シェルシはそんな事はお構い無しにじっとメリーベルを見つめていた。暖かいコーヒーが注がれたマグカップを両手で包み込み、少女は真剣に悩んでいた。その真っ直ぐさが判るからこそ、メリーベルは笑わずに話を聞く事にする。

 半分ほど零れてしまったコーヒーが注がれたカップを片手にメリーベルはシェルシの隣に座る。シェルシは視線をカップへと落とし、黒い鏡面に浮かぶ自分の冴えない顔を見つめていた。これは重症……そんな言葉がメリーベルの脳裏を過ぎる。


「私……ホクトの事が好きです。大好きなんです。最初はなんていうか……野蛮で粗忽な男だと思いました。いえ、イスルギ以外の男性とはろくに喋った事もなかったので……下層の人間だという事もあり、先入観があったんですけど」


 元々シェルシの思想はどちらかといえば帝国に寄っていた。勿論、ホクトたちと共に帝国の現実を見て、実際にそれと戦う人々との出会いと経験により彼女は少しずつ変わっていったのだが……。初めてホクトに出会った時、彼女は彼をたかが下層の野蛮で粗忽な人間……くらいにしか思わなかったのは事実なのだ。


「私を颯爽と助けてくれたかと思えば、かなり奇抜な言動で……正直がっかりしたんです。でも多分その時からずっと彼の事が気になっていたんです……。そういう事ってありますよね?」


「う、うーん……まあ……無いとも言い切れないかな……」


 逆に男は多少頼りないというかだらしがないというか、自分が居ないと駄目……みたいなくらいの方がメリーベルとしては好みである。一応自分の恋愛経験と照らし合わせてシェルシの言葉に頷いてみるも、メリーベルも決して恋多き人生ではなかったので何とも言えない。


「ずっと、彼の事が気にかかっていて……それが恋なんだと気づいたのはつい最近だったんです。失って初めてわかった事……でも、恋って何なんでしょうか? 恋とは何の為にあるんでしょう……?」


「えらく哲学的な質問ね」


「…………私、思ったんです。恋って……多分、するだけの物なんだって。私はホクトが好きです。大好きです。それが恋……でもただそれだけです。“恋”じゃ何も出来ない。“恋”じゃ何も護れない……そう思いませんか!?」


 身を乗り出し、真剣な表情でじっとメリーベルを見つめるシェルシ。その迫力に思わず頷いてしまうと、シェルシはコーヒーをテーブルにおいて勢い良く立ち上がった。そして握り拳を作り、頷いてみせる。


「私、決めました! もうホクトに忘れられてたって全然構いません。へこたれるのはもう終了です」


「え、もう立ち直ったの?」


「立ち直った……というわけではありませんけど……。でも、考えてみればとても単純な事だったんです。私は彼が好きで、彼の事が大好きで、でも別に私の事を大好きになってもらいたいわけじゃないから」


 果たしてそれは恋と呼べるのか……。一方通行では恋愛は成立しないといえば極論になってしまうだろうが、全く相互作用せずとも構わないと断言するのもまた破綻を含んでいる。しかしシェルシは優しく笑って言うのだ。


「彼の居場所になってあげたかった。彼が帰ってくる場所になりたかった。いつも寂しそうで、それでも皆の為に頑張るホクトが……たまらなく好きなんです。かっこよくて、素敵で……。だから、私は彼を愛したい。愛して、護りたい……。勿論それで、彼が私を必要としてくれたらとても幸せです。幸せですけど……そうでなかったとしても、私のやるべき事に何の差異もないから」


 愛して欲しいから愛するのであれば、それは与えるのではなく求める行為である。人の多くはそれを当たり前だと考えている。与えたならば与えられる……ギブアンドテイク。当然の事である。人は代価を支払い何かを得るのだから。それでもシェルシは語ったのだ。本当の意味で何の見返りも求めない、ただ与え、護るだけの事……それこそが愛なのだと。

 一人で納得した様子で席に着き、コーヒーを一気に呷ろうとするのだが、熱くて断念するシェルシ。目尻に涙を浮かべながら口元を押さえ、少女は柔らかく微笑んだ。メリーベルはそんなシェルシの頭をそっと撫で、目を瞑る。


「与える事こそ愛、見返りを求めないものこそ本当の愛、か……。本当にホクトの事が好きなんだ」


 シェルシは照れているのか、顔を真っ赤にして――それでも目に涙を溜めて頷いた。メリーベルはそんなシェルシの身体を抱き寄せ、背中を繰り返し撫でた。


「そっか……。その気持ちは、きっとホクトに届いてるよ……」


「…………メリーベル」


「だから――大丈夫だから。今はこの部屋には私以外誰もいない。だから、辛いのに無理に笑わなくたっていいから」


 ぎゅっと、メリーベルはシェルシを強く抱きしめた。それを合図としたようにシェルシの両目から涙が溢れ出し、シェルシはメリーベルの胸に顔を埋めて泣いた。背中に食い込むシェルシの指の強さが彼女の悲痛な気持ちを代弁する。メリーベルは目を閉じ、それから顔を上げた。ホクトが悪いとも、シェルシが悪いとも言わない。だがその成立を以ってして悲劇と成す……そんな場合もあるものなのだ。そう、ロマンスというものは――。

 そうしてメリーベルはシェルシが泣き止むまでの間、ずっと彼女を抱きしめていた。薬品の匂いがこびりついたメリーベルの服……しかし、その腕の中はとても暖かかった。何もかも忘れるくらいに泣いてしまいたかった。彼の前ではずっと、ずっと笑顔でいられるように――。


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