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Saudade(2)


「それじゃあ、昴ちゃんは異世界に……」


 一部始終を聞いたリリアはそう呟き、それから意見を求めるようにホクトへと目を向けた。ホクトは黙り込み、壁に背を預けたままじっとメリーベルの言葉に耳を傾けていた。

 倒したタケルは一刻も早く元の世界に戻さねばならない。故に時に猶予は無く、安全の保障もない。現在ホクトたちは本城家の居間、ロープでがんじがらめに縛り付けたタケルを囲んで話をしていた。本城に叩きのめされたタケルは未だ目を覚ます気配も無く、ぐったりとした様子である。

 兎に角今は元の世界に戻る事が先決……。だがしかしホクトには他に気になる事が多すぎた。本城夏流のあの不可解なまでの戦闘能力、魔術を使いこなす嫁……。そしてそんな二人とメリーベルの関係。そして記憶の中に薄っすらと浮かぶ、昴という少女の事。考えれば考えるだけ答えは遠のくような、そんな謎……。男は溜息を漏らし、頭を振って思考を閉ざした。


「兎に角、元の世界に戻りゃいいんだろ? これ以上奥さんと旦那に迷惑かけられねえよ」


「もう、ホクト君ったら……。そんな事何も気にしなくていいのに。それにこれくらいなら夏流さんと私でどうにでも出来るよ」


 そう微笑むリリア。その笑顔の意味を知るのが恐ろしく、ホクトは黙り込んだ。だがどちらにせよこんな化け物をこちらの世界に放置するわけにも行かないだろう。いや、そもそも――。


「こいつを生かしておく必要はあるのか? ここでぶっ殺しといたほうが後々ラクじゃねえか」


 ホクトの意見が尤もである事は確かめるまでもない。この男は邪悪で凶悪、正に文字通りの悪役なのだ。殺してしまったところで何の問題もないような気はする。が、なんとなくそうしない理由はホクトも感づいていた。いや、そう“出来ない”理由は。


「ホクトは判ってると思うけど、彼はガリュウの力を取り込んでいるの。つまり、物理的攻撃で殺しきる事はほぼ不可能なの」


 ガリュウを構成するのは複数の魂である。それも二つ三つではなく、千、万、億という桁外れの数である。その回数殺す事が出来るのならばまだしも、限られた時間内でそれをクリアするのは困難である。昴のユウガなど、対術式破壊に特化した特殊武装でなければ当然ガリュウを殺しきる事は出来ないのだ。それは元々ガリュウの持ち主だったホクトが最も理解する所である。


「じゃあ、リインフォースならどうかな?」


「…………。それ、レプレキアにあげちゃったんでしょ?」


「あ、そうだった……えへへ」


「何の話かわからんが、兎に角こいつごと元の世界に戻らなにゃならんということか」


「今は私の術で封じ込めてるけど、それもこっちの世界に魔力が薄い所為でそう長くは持たないと思う。だから急いで元の世界に戻って、きちんとした環境下での再封印が必要なの。昴の力は直ぐには借りられないと思うし」


 向こうの事情をすべて説明するのは流石に時間がないので端折ったが、昴がどのような状態にあるのかはメリーベルも理解する所である。兎に角、直ぐにガリュウを殺しきる手段がない以上、現状では手の内ようもない。それに――。


「奪われたホクトの力を取り返さないで殺しちゃっていいの?」


「…………。まあ、それもそうだな。でも剣自体は出せるんだろ?」


「問題なのは魂のストックを大幅に奪われてるって事。今のホクトじゃ、物理攻撃だって或いは“殺しきられる”かもしれない。それにガリュウ自体の能力も落ちちゃってると思う」


「ほー……。まあ、その辺は俺は専門外だからあんたに任せるよ」


 投げやりなホクトのテキトーな態度に肩を竦め、メリーベルは部屋を出て行った。残されたホクトとリリアの二人は暫くの間黙っていたが、リリアが徐にコタツの上野みかんを手に取り、それを剥いて言った。


「ホクト君、みかん食べる?」


 それが余りにも間の抜けたほんわかとした口調だった為ホクトは思わず笑ってしまった。封印されている怪物が転がっている居間でコタツに入り、ホクトはミカンを口に放り込んだ。甘酸っぱい、向こうの世界では馴染みの無い果物の味をしっかりと味わう。


「ホクト君、色々大変だけど頑張ってね。私、応援してるからね」


「ははは……。まあ、やるだけやってみまスわ」


「全部終わって、それでもまだ帰るところが無かったらね……。いつでも戻ってきていいから。昴ちゃんと、ホクト君。それから私と夏流さん……。四人で暮らせばいいから」


 リリアは優しく、そして真摯な言葉でそう言った。ホクトはなんだか言葉に出来ない感情が自分の中にわきあがるのを感じ、実に何とも言えない表情を浮かべた。嬉しいような、寂しいような……。そんなホクトの大きな手を握り、リリアはにっこりと笑う。それは全ての不安を吹き飛ばしてくれるような、女神のような笑顔だった。


「今日までお世話になりました。今度来る時は、気を利かせて土産物でも買ってきますよ」


「出来れば食べ物がいいなぁ~……。そうだ、みかん持ってく? ダンボールにつめてあげようか?」


「お、おかまいなく……」


 こうして着々とホクトとメリーベルが元の世界に戻る為の準備が進められた。それ自体は簡単なもので、ものの数時間で準備は完了する。本城家の庭にある道場の中、その中心にメリーベルが立ち、異世界へ転移する魔法陣を動かそうとしていた。

 メリーベルの力で床に浮かび上がる魔法陣……。倒れたタケルを足元に転がし、ホクトは振り返った。そこには見送りに来ている本城とリリアの姿がある。ホクトは本城へと歩み寄り、ズボンで拭いた右手を差し出した。


「そんじゃ、もう行きます。お世話になったッス」


「…………ああ。ホクト、お前に頼みがある」


「なんスか?」


「お前の妹を……。昴を護ってやってくれ。お前にならきっとそれが出来る。俺はそう信じている」


 本城の目つきはしっかりと、口調は諭すように、しかしそれは優しい願いだった。かつて彼が護れなかった者、彼が逃げ出してしまった物……。ホクトならばきっと向き合えると、そう思ったのだ。彼は真っ直ぐな男だ。どんな時でも、例えそこが絶望や悲しみの渦中だとしても、前進する事しか知らない愚かなまでに純粋な男だ。ヒネた態度や皮肉な喋り、ふざけた行動の中に見える炎にも似た“熱意”――。そこに本城は彼の魅力を感じていた。

 握手を交わし、そしてホクトは頷いた。やれやれという、いかにも面倒くさそうな……。しかし、決して破る事はないだろう約束。本城はホクトの肩を強く叩き、それからリリアを片腕で抱き寄せて頷く。


「お前達は……俺たちの家族だ。だから、いつでも帰って来い。ダメだった時は俺を頼れ。面倒ごとに巻き込まれるのは、こう見えても馴れてるからな」


「生憎、誰かの手を借りて何かをするのは好きじゃないんだよ。俺は、俺の生きる道を俺自身の手で切り開く……。心配しなくても昴は助けますよ。何せ、妹ですからね。たった一人の」


「それでいい。正し、絶対に護れよ。絶対にだ。大事なものだけは妥協するな。絶対に手放すな。護れ。守り通せ。それが男ってもんだ」


 二人の男が見詰め合う。そこには確かな誓いがあった。何となくホクトはくすぐったい気持ちを覚える。家族、護るべき者、そして帰る場所……。記憶も無く、行き場も無く、ただ彷徨うだけだった自分。そんな自分を受け入れてくれる場所がある。必要としてくれる人も居る。護らせてくれる人がいる。どんなに幸せか。それ以上を求める必要などないくらい、それが幸せだと感じる。だから――。戦えるだろう。どんなものが敵だとしても。彼は、男なのだから。


「ホクト、そろそろ」


「ああ。そんじゃ、北条北斗……行って来ます」


「ホクト君、いってらっしゃい! 昴ちゃんをよろしくね! メルちゃんも……無理しすぎないでね」


「……判ってる。また、会いに来るから。その時は……お茶でも」


「はい♪」


 リリアが本城の腕に自らの腕を絡めながら、ひらひらと手を振る。メリーベルが術式を発動すると魔法陣が起動し、ホクトとメリーベル、そして倒れたタケルの姿が光に包まれていく。その眩い光に手を翳しながら本城とリリアは最後までその姿を見送っていた。

 やがて一陣の風と共に彼らの姿は消えてなくなり、二人の姿だけが道場に残った。リリアは寂しげに唇を噛み締め、目尻に涙を浮かべる。本城は目を瞑り、それから二人の家族の安全を願った。


「きっと……帰ってきてくれますよね……?」


「ああ……。あいつはやる奴だよ。根性と気合がある。俺たちの時とは違うさ。きっと悲劇にはならない。ならないさ」


「…………ホクト君……。昴ちゃん……。どうか……どうか、無事で……」


 光の中、二人の願いは届くのだろうか――。ホクトは虚無の空間の中、流れに身を任せて漂っていた。光の中に両手を広げ、静かに落ちていく。世界と呼ばれる膨大な記憶、情報……。数え切れないほどの命の螺旋。そして、忘れ去られた太古の記憶の中へと。突き抜ければ、そこには未来が広がっているだろう。残酷で、闇に覆われた、それでも彼が生きるべき世界が――――。




Saudade(2)




「許さん……許さんぞお!! エレット少佐の仇討ち……果たさせてもらうッ!!」


 重力の渦が収まった時、ジェミニの両手に収まった二対の魔剣は膨大な力を宿し、紫に発光していた。自分自身を剣の力で圧力で射出し、猛スピードでイスルギへと突っ込んでくる。繰り出される一撃を防ぐだけでも精一杯で、重く堅い盾でさえたかが円月刀を防ぐ事が出来ない。

 イスルギの額から汗が迸り、歯を食いしばってシェルシを護る――。シェルシはイスルギを援護して剣を飛ばすが、ジェミニはそれを奇妙なまでの機動力で回避する。彼の能力は重力――厳密には力場の発生。下方向に向かう力が重力であるならば、彼の能力はそれとは異なる。左右前後あらゆる方向に力をかける事により、ジェミニの身体は重力から“解き放たれる”のである。それを重力操作の能力と呼ぶのならば、正にそれは彼を指し示す言葉だろう。

 浮遊するかの如く、ふわりと無軌道に舞い上がってみせる。そして空中から急加速し、負荷を加えた斬撃を繰り出すのだ。彼の単調な性格とは裏腹にその能力まさに変幻自在――。イスルギはその読めない動きに翻弄され、苦戦を強いられていた。槍の動きは重力の鎖で縛られ鈍り、反対にジェミニは加速を続けている。防御が追いつかなくなるのは時間の問題で、ジェミニの放つ一撃が彼を再び吹き飛ばしたのは当然の流れだった。


「シェルシ、下がってください! この男――やはり強いッ!!」


「これで剣誓隊四番目って……本当なんですか!?」


「剣誓隊四番目の男……というのは、周囲の呼び名だ! 俺は戦闘力だけなら、オデッセイ大将に続くと自負しているッ!!」


「なら、“おつむ”の方も鍛えるといい――ッ!!」


 イスルギが槍を盾に収め、空いた手に術式を浮かべる。発動した魔術は閃光――目晦ましである。一瞬怯んだジェミニの胴体に槍を突きつけ、零距離からの砲撃――。放たれた一撃は瞬き、槍に押し退けられるようにジェミニは吹き飛んでいく。


「シェルシ、こちらへ! 真正面からやりあうのは不利です!」


「しかし、街に逃げ込んでは被害が広がります! ここで食い止めなくちゃ……っ!」


「奴の狙いは貴方ですッ!! ここで殺されては元も子もありませんよ!!」


「でも――それでも。私は引き下がりたくない。私は逃げたくない! だからここであの敵を倒します!」


 一見すると話を聞かない我侭な娘、しかしイスルギにはわかる。彼女は伊達や酔狂、甘い考えでそれを口にしているわけではないのだと。そう、彼女は死をも恐れず、しかし死を避ける為に戦っている。安易な死は最早必要ないのだ。今はただ、彼に――自分を変えたあの男に邂逅する為に。

 踏み込む足は前へ――前へ。前を見据えるその凛とした瞳のなんと美しい事か……。誰もが逃げ去ったこの戦いの場の中で、それでも彼女は逃げ去ろうとはしないのだ。一見、愚か。やはりその実愚か。しかし“気持ちのいい”、“後悔しない”、“熱いやり方”である。イスルギはそれが嬉しかった。彼女は確実に前に進んでいる。ならば――騎士のやるべきことは決まっている。


「…………では、考えましょう。共に戦いましょう。“勝つ方法”を――見出さねばなりません」


「それについてですが、私に考えがあります。やった事はまだないので、どうなるのかは判りませんが……私に賭けて下さい、イスルギ。貴方の命を」


 笑う姫が手を差し伸べ、それを騎士は頷いて握り締めた。二人がそうして前を向くのを瓦礫に突っ込んだジェミニが立ち上がり睨む。零距離であの攻撃を受けて無傷というわけには行かず、ダメージを相殺したもののその身体はよろけ、腹からは血が流れていた。口元から垂れる血を拭い、ジェミニは眉を潜める。


「……なんだ、あれは?」


 盾を砲撃の状態で構えるイスルギの隣、その手を握り締めるシェルシの姿があった。シェルシはそうしてイスルギを支えるようにして盾に手を触れる。二人の足元には魔法陣が浮かび上がり、シェルシの腕が輝いて術式が発動した。

 何かが来る――直感的に感じたジェミニは一気に走り出す。加速と元々の身体能力、掛け合わせればその速さはイスルギの攻撃が放たれるよりも早い――そう踏んでの事である。実際彼の刃は二人に襲いかかろうとした。しかしシェルシが張った封印障壁により攻撃は防がれてしまう。


「イスルギ、上です!! 上を狙って!!」


「判っています。街に被害を出すわけには――!」


 魔剣とは、術式により編みこまれている物である。シェルシはそれに触れ、自分の封印魔術の術を組み込んでいく――。槍は白く輝き、その形を変えていく。白い翼を生やした封印の槍――。引き金を引くと同時に放たれるその一撃は一発でジェミニの重力障壁を貫通する。それは術を封じ、破り、相殺する効力を持った攻撃――。封印魔術の特質と魔剣の攻撃力、その両方を兼ね備えていたのだ。

 身体に槍が突き刺さり、ジェミニは遥か空に吹き飛んでいく。絶叫と共に遠ざかり、星になったジェミニを見上げ、二人は小さく息を着いた。シェルシは額から零れる汗を拭い、自分の腕を見やった。


「無茶が過ぎますよ、シェルシ……。魔剣の術式に直接干渉するなんて……」


「これは、そう使えるものではないようですね……。少し……疲れました」


「兎に角今の内に移動しましょう。封印魔術の効果が続いている間、彼は動けないはずです。追いかけてくる前にこの街を離れなければ被害は広がる一方ですから」


 魔力を大幅に消耗し、肩で息をしながら震えるシェルシ。その肩に自らの上着をかけ、イスルギは頷いた。二人はそこから逃げるように走り出す。帝国に逆らう以上、日陰者は当然の事だ。それでもシェルシは走り続ける。北条北斗――。消えてしまった彼と、再会するまでは――。

 



「…………。で……俺は、元の世界に戻ろうとしたわけなんだが……どこだここ?」


 ホクトが目を開いた時、寝転がっていたのは不思議な空間だった。白い――――。果てしなく、白い。白い世界が続いている。広大な、無限に続く世界の中、白い大木が聳え立っている。その根元にホクトは寝転がっていた。

 ふと、見上げる視界に影が宿る。そこに見えたのは――巨大なカメラのレンズだった。首から上が機械の女――それが自分を膝枕しているのだと気づいた時、ぎょっとしてホクトは思わず飛び起きてしまった。蒼いドレスに首から上は機械……。カメラのレンズが音を立てて動き、ホクトを捉えているのが判った。ごくりと息を呑み、後退する。それはどう見ても不気味以外の何物でもなかった。


「な、なんだお前……!? うおっ!? ここどこだよっ!! メリーベルさーん!! ホクト君はここですよーっ!!」


 絶叫してみるが、声は只管遠くまで響き渡った。“やまびこ”さえ聞こえてこの空間の巨大さにウンザリする。機械の首の女はすたすたとホクトに歩み寄り、それからその腕をがしりと掴んだ。女ならなんでもいい、がモットーの彼だったが、流石に首から上が機械というのは受け入れがたい。青ざめた表情で、“夢ならいいのに”と思うホクト。機械の首の女はそんなホクトに身体を寄席、合成音声の声で言った。


『……そんなに怖がらないで。せっかくこうして逢えたのに……』


「は……っ?」


 しかし、その声には何となく聞き覚えがあった。女は徐に自分の頭を片手で掴み、強引にそれを引きちぎって見せた。首から上が目の前で引きちぎられるスプラッタな景色にホクトは呆然としていたが、やがて首から上が自動的に再生していくのを見て彼の表情はがらりと変わった。

 簡潔に言えば、それは戦慄である。首から上が見る見る内に骨格、肉……修復していくのである。最終的には髪まで伸びて、すっかり一人の女性の完成形へと到達した。紅い瞳に、紅い髪――美しく艶やかなその肌を自分で触れ、満足そうに小さく笑って見せる。女性の姿となった彼女は――そっと、ホクトの頬に手を伸ばす。


「ねえ、久しぶりでしょ……? やっと逢えたね――ヴァン」


 その指先が自分の身体に触れるくすぐったい感触をホクトは覚えていた。いや、厳密には彼が――ではない。殆ど搾り取られて残りカスしかないような、ヴァン・ノーレッジとしての記憶……それが囁いているのだ。彼女の名前を、彼女の記憶、彼女の温もり、彼女の言葉……。


「…………ミラ……? ミラ・ヨシノ――なのか?」


 ククラカンの第二王女、破魔剣ユウガの持ち主。そして在りし日のヴァン・ノーレッジと共に世界を廻り、正そうとした姫……。彼が護れなかった恋人。そして――今は? 死んだはずの彼女、しかしそれが目の前に居る。悪い夢を見ているかのようだった。あの北条北斗ともあろう男が、身じろぎ一つ出来ない。美しすぎる紅い瞳に魅了されたかのように視線を反らすことはままならず、甘い香りに思考が麻痺してくる。冷や汗が頬を伝い、その冷たさで漸く我に返った。身を離し、身構えるホクト……。男を彼女は悲しげに見つめていた。


「そう、ミラ・ヨシノ……。ねえ、ヴァン……せっかく逢えたんだから、もっと話を聞かせてよ。貴方の話が聞きたいの」


「てめえっ!!!! 何者だ!? ミラの形をしやがって……ッ!! 俺はっ!!」


「どうしてそんなに怯えているの――?」


「…………ッ!! ガリュウゥウウウウウウウッ!! うおおおおおおおおおっ!!」


 それは理性的という言葉からはかけ離れた、獣のような突撃だった。ガリュウを構築したホクトは真っ直ぐにミラへと突っ込んでいく。そのミラは手の中で重苦しいチェーンソーのような魔剣を構築し、ガリュウの一撃を受け止める。ホクトが明らかな敵意を向けるのに対し、ミラはまるで子供のあやすかのような優しい表情だった。


「ミラは死んだ!! もう居ねえっ!! テメエはなんだ!? 何者なんだっ!!」


「せっかく転移に介入して貴方をここに……“エデンの園”に連れてきてあげたのに……。落ち着いて。私は貴方を傷つけないから」


「これが……落ち着いてられっかよッ!!」


 剣と剣をぶつけ合い、ホクトは後ろに跳ぶ。空中に召喚した魔剣を雨霰の如く降り注がせるが、ミラはそれに対して魔剣を掲げ、しなやかに――そして美しく、それを振るってみせる。

 変形した剣は更に光を帯びて洗礼されていく。まるで蛇のようにしなるその魔剣の刃は荒れ狂い、降り注ぐ剣の雨を叩き落していく――。あっさりと攻撃を無力化したミラは着地したホクト目掛けて剣を伸ばし、その足元に突き刺すと自らの身体を一気に引き寄せた。空中で剣を引き戻し、回転しながらそれを放つ。矢のように放たれた刃の切っ先はホクトの手からガリュウを弾き、そして飛び込んできたミラはホクトの腕の中に納まった。


「剣を収めて。暴力は嫌いなの……知ってるでしょ?」


「く……っ!?」


「ねえ、どうしてそんなに私を信じられないの……? 貴方だってそうして今も生きているでしょう? 私だって生きていたっておかしくはないよ」


「お、俺は……」


「大丈夫――。ヴァン……ううん、ホクト。貴方の帰るべき場所は、私なの。貴方は私を求めてる……私の影を追いかけてる。だから居場所がないんでしょう? でもね、私は貴方を受け入れて上げる――」


 剣を落とし、ミラはホクトの身体を強く優しく抱き閉めた。ホクトの目から戦意が失せ、混乱は更に増していく……。ミラは優しい。ミラの腕は温かい。記憶が忘れても彼女の事を覚えているのだ。ホクトは戸惑いながら震えていた。目の前に居るものが異質であると感じているのに、完全に拒絶できない恐怖――。まるで、呪いでもかけられたかのように……。


「おかえりなさい、ホクト……。ようこそ……“エデンの園”へ。もう一度、やり直しましょう……? 私たち、ゼダンと共に」


 何も言い返せず沈黙するホクト。ミラはそんなホクトの胸に頬を寄せ、嬉しそうに笑っていた。二人の目から涙が零れ――その雫が白い大地に弾けると同時に、ホクトの意識は薄れていくのであった。


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