I need you(2)
「こんな所に居ましたか、姫」
「その呼び方は止めてください。今の私はただのシェルシなのですから。そうでしょう、イスルギ?」
カンタイルの街の中心にある広場、そこに近づく二つの影があった。片方はかつては栄華を誇った西方の王国の姫。そしてもう片方はその姫を護る為に存在した騎士団長である。イスルギ・ヨシノ……。ククラカンの王子でもある男はかつての主君に歩み寄り、それから腕を組んで微笑んだ。
「そうでしたね。ザルヴァトーレが滅んで既に半年……。時が流れるのは早いものです」
「敬語も使わなくて結構です! 私はもう、ただのシェルシなんですから。貴方の方が年上ですし、戦闘力だって上ですよ?」
「…………。しかしこれは癖のようなものです。あえて意図して変える必要もないでしょう。私にとっては今でも貴方は世話の焼ける姫ですし」
「むー……。まあ、それはさておき……イスルギ、こうして無事に再会出来て良かった。久しぶりですね」
シェルシが笑顔を作り、握手を求めたイスルギはそれに応じてシェルシの手を握り締める。亡国の騎士は甲冑を脱ぎ去り、黒いタキシード姿で微笑んでいた。二人が再会し、そして分かれてから数ヶ月……。長いようで短かったそれぞれの時間、そして二人は今こうしてまた同じ目的の為に歩き出した。
あのザルヴァトーレの崩壊の際、イスルギもゲオルクも、あの城に居た誰もがホクトの手によって命を救われていた。当然誰もが無傷というわけには行かず、イスルギの全身には今でも深い傷跡が残っている。彼がまともに動けるようになるまでにこれだけの時間がかかった事を考えれば、どれだけの悲劇だったのかが伺える。
崩落した世界の中、シェルシもイスルギもメリーベルの捜索隊によって発見されたのである。シェルシも緊張の連続と疲労で暫くの間寝込んでいたが、物理的な外傷は殆ど無かった為直ぐに行動する事が出来た。イスルギとはその時バテンカイトスで再会したのだが、他の仲間達はそれぞれどこかへ向かってしまった後だった。
シェルシは彼らを追いかける事はしなかったし、しようとも思わなかった。この危機的状況の中、自分が成すべき事を探さねばならないと思ったのだ。既に旗色は悪く、帝国の反撃により世界は巨大な混沌に包まれつつあった。シェルシはそんな世界を一人で歩き、沢山の物を己の目で見て耳で聞いて、そして強さを手に入れた。ただ力だけではない、それらと向き合う強さである。そして今、彼女は再び立ち上がったのだ。いや、立ち上がらざるを得なくなった――。
「身体はもう大丈夫ですか?」
「ええ。身体は無事に治りましたし、リハビリも済んでいます。前線から離れた時間が長いので、腕が落ちていないか不安ではありますが」
「本当なら半年で復帰できるような傷ではなかったと聞きましたが……。あまり無理はしないで下さいね?」
「もったいないお言葉……いや、わかってますよ。ありがとう、シェルシ」
あまり仰々しい言葉を使われるのは不満なのか、シェルシはじっとりとした視線でイスルギを見つめていた。流石に堪えきれずに騎士は対応する。このあたり、シェルシの気持ちを感じ取る事に関しては彼はプロである。
「それで、ガルガンチュアの方は?」
「確認してみましたが、既に街を離れた後のようでした。あの後、ロゼも砂の海豚もどうなったのか……」
「リフルの不幸は聞いていますが……ロゼは半年前の反乱作戦には参加していたようです。その後の混乱で、どうなったかはわかりませんが」
事の大筋はメリーベルの口から聞いている――。昴単騎によるミレニアム破壊作戦。そして帝国との戦争――。しかし、作戦は失敗に終わった。ミレニアム破壊に向かった昴は戻らず、彼女はその後姿を見せていない。彼女がその後どうなったのかは考えたくない事実であり、だがしかし今こうして戦いが続いている事は紛れも無い現実なのだ。
次々に仲間達、そして優秀な魔剣使いを失い、反帝国勢力は圧倒的劣勢に立たされていた。それぞれが下層によりゲリラ的に戦いを繰り返していたが、根強い戦いもそろそろ限界を迎えようとしている何より反帝国勢力を引っ張ってきたリーダーである、ミュレイ・ヨシノ……。彼女に起きた不幸が状況を悪化させ続けている。
「では、砂の海豚の力は借りられない……か。余計に困難になりましたね。ミュレイ・ヨシノの救出計画は」
そう、ミュレイ・ヨシノは先日帝国軍により捕らえられたのである――。反帝国の筆頭であったSランク魔剣使いは剣誓隊によりついに拿捕された。象徴であったミュレイを失い、反帝国組織はその勢いの芽を完全に摘まれようとしていた。ミュレイの死――それは太陽が沈むかのようにこの世界に真の闇を齎すだろう。それだけは何としても避けねばならない。
シェルシはミュレイを救出する為に動き出したのである。これまでは色々と“調べもの”に拘ってきたが、今はそんな事を言っていられる状況ではない。ミュレイを救出し、そして再び状況を打開せねばならない。その為にはかつて共に戦った仲間たちの力が必要だったのだが……。
「居ないのならば仕方ありません。ここで同士を募り、装備を補給してバテンカイトスへ向かいましょう。メリーベルなら、知恵を貸してくれるかもしれません。それに彼女が言っていた事が気になるんです」
「……七つの大罪、ですか?」
それはかつてシェルシも聞かされた、御伽噺の中に登場する単語である。かつて全ての世界を飲み込もうと暴れ狂う怪物がその背に宿したという滅びの翼――。七つの大罪。その単語が何故今更出てくるのかはわからない。しかしシェルシはかつてシャナクによりその御伽噺を何度も聞かされた為、何も見ずとも思い出す事が出来た。
「七つの大罪……それは確か、六英雄の手によって剣の姿に変えられたと言われています。この世界に存在する、Sランク魔剣の数も七つ……。メリーベルはその魔剣こそが七つの大罪なのだと言っていました」
「そしてそのうちの殆どが今や、帝国の手の中にある……というわけか」
皇帝ハロルドの持つ、“帝魔剣ネイキッド”。かつて昴が持っていた“破魔剣ユウガ”、そしてミュレイの“炎魔剣ソレイユ”の二つは既に帝国の手中にあると見て間違いないだろう。七つのうち三つは帝国に、そして魔剣狩りの剣“蝕魔剣ガリュウ”とシルヴィア王が持っていた“永魔剣エリシオン”はタケルの手の中にある。六つ目の魔剣である“翔魔剣ミストラル”の所有者であるうさ子ことステラは現在行方不明だが、勢力的には帝国に属すると考えて良いだろう。
「帝国に四つ、あの変態のところに二つ……。状況はどう考えても芳しくないですね。でも、この剣を集めるとなんだっていうだろう……?」
「それも御伽噺に出てくる事が関係するのでは? シェルシ、その剣について他に何か記憶はないか?」
「そうですねえ……。七つの大罪は剣の形にされて、世界を守護する力になったような……」
「…………。それをどうして帝国が欲しがるんだ?」
「さ、さあ……」
二人して少しの間考えてみたが、考えたところでわかるはずもない。しかしシェルシにはこの物語が世界と無関係だとは思えなかった。“調べもの”の途中、そう思えるような事実関係にいくつか直面したからである。
兎に角この状況は良くない。大罪の事は兎も角、ミュレイを助けなければならないのは明白なのだから。シェルシは一人納得したように頷き、それから先に歩き出した。
「まずは宿を取りましょう! イスルギ、お金は持っていますか?」
「ええ、まあ……」
「では、宿代はお願いします。私は今無一文なので」
「はっ?」
「こういう場合は男性がリードするものだと思いますよ?」
「…………はは、そうですね」
肩をすくめて呆れたように男は笑う。シェルシは以前とは少し変わったようだ。だがその変化を彼は嬉しく思う。ただ人の言われるがまま、人形のように生きていたシェルシはもういないのだ。今の彼女は生きる喜びと意思に満ち溢れている……。ならば、その行く末を見守ろうと思う。歩き出したイスルギの隣、シェルシは上着のポケットに両手を突っ込んで街を眺めている。その横顔を頼もしく思うのは――彼の勘違いだろうか?
「絶対にミュレイさんを助けましょうね、イスルギ」
「ええ、当然です。あれでも――私のたった一人の妹ですからね」
「双子……なんでしたっけ?」
「はい」
「色々と複雑なんですね」
「それはもう――。ですが、彼女に比べればまだ貴方は容易い。あれは誰にも御せない、じゃじゃ馬ですよ」
冗談交じりにそう笑うイスルギ。シェルシは笑みを作り、それからイスルギの背中を叩いた。物語は留まる事無く動き続けている。そう、主人公を失ったあの日からも、ずっとずっと――――。
I need you(2)
「夏流さん、夏流さんっ! 大変です!」
「どうした、リリア?」
「道端に、血まみれの男の子がっ!!」
「ほっ?」
そんなやり取りから始まった奇妙な彼らの現実――。かつて昴が暮らしていた本城の家の玄関口、そこには妻リリアがずるずると引きずってきた死に掛けの男の姿があった。グッタリした様子なのだが、リリアが引きずってきた所為か余計にグッタリしているように見えた。とりあえず本城は目を瞑り、腕を組んで少しの間考え込む。それから妻に一言。
「変な物拾ってくるな……。そんなのうちでは飼えません……」
「そういう問題なのかしら……?」
「じゃなかった。リリア、救急車を呼べ! 救急車だ!!」
「は、はいっ! 救急車、救急車……!」
ばたばたと走り回るリリア。その間本城は男の様子を見ていたのだが、どうにもそれは異様だった。勿論この平和な日本世間で血まみれで道端に転がっている時点で十分物騒すぎて異様なのだが、男の服装、傷の具合、それらがどう見てもまともではなかったのである。
何はともあれ男は救急車にて病院に搬送された。本城とその妻は付き添いという事で病院にまで一緒に向かい、その後男が巻き起こす一連の事件に巻き込まれていく事になったのである。
男は数日間気を失っていたものの、医者も驚愕するスピードで回復し、気づけば死にそうになっていた身体はすっかり元通りに修復していた。そこで目を覚ました男の傍に居た本城夫妻は、彼の第一声を聞く事になったのである。
「…………こ、ここは……」
「病院ですよ~。大丈夫ですか? お医者様もびっくりするほど物凄い勢いで回復したみたいですけど……」
「…………俺は……」
「はい?」
「俺は…………誰だ…………?」
目を丸くするリリア、その背後で本城は頭を抱えていた。色々と面倒に巻き込まれてきた本城であったが、ここ数年はそれでも平和でまともな日々が続いていたのである。それがまさか、こんな形でおかしくなっていこうとは――。
結局身元不明のその男は本城夫妻が引き取る事になり、彼は本城の家で暮らす事になった。昴が行方不明になり数ヶ月――。まさか、それに引き続きこんな異常事態が発生するなど誰が想像しただろうか? 少なくとも本城は予想もしていなかった。昴のことだけでも手一杯だというのに、また身元不明の怪しい男……。しかしそれに対して妻のリリアは、
「一杯ごはんも食べてくれるし、イケメンだし♪ 私はそれなりに楽しんでますよ?」
「…………そ、そういう問題かあっ!?」
悲鳴染みた声を上げる本城の前、ボロボロだった服は既に放棄されリリアが買ってきた服に着替えた男は無言で食事に舌鼓を打っていた。それからへらへらとした笑いを浮かべ、湯飲みを片手に言う。
「いや~! 奥さんの料理はいつ食ってもうまい! 旦那は幸せだなあ……。美人だし、家庭的だし……。うん、いい奥さんだ」
「やだもう、ホクト君ったら♪ 褒めたっておかわりしか出ないよ♪」
「ゴチっす~♪」
そう、男は全ての記憶を失っていた――。しかし彼はたった一つ、己の名前だけは覚えていたのである。その名前がホクト……。苗字はわからなかったが、兎に角ホクトである。他に呼び方も思いつかなかったので夫妻は彼の事をホクトと呼んだ。軽いノリの、いかにも三枚目なその男が本城家の日常に溶け込んで早半年――。今日もホクトは図々しく何杯もごはんをおかわりしていた。
「それにしても……お前、まだ何も思い出さないのか?」
「残念ながらさっぱり……。旦那と奥さんには感謝してるんスよ。身元不明の俺を居候させてくれて、挙句に仕事まで紹介してくれたんスから」
現在彼は本城の知人の紹介でホストとして働いていた。得られた給料は殆ど本城家の家計につぎ込んでいるので、むしろ彼が居て助かっているくらいである。しかし本城はいまだにイマイチ納得が行かなかった。そもそもこいつは何者なのか、そしてこいつを発見した時の妙な胸のざわつきはなんだったのか――。そういった事に関して本城より詳しいはずのリリアも昴が居なくなって寂しかった時にやってきたこの居候が大層気に入っているのか、なかなか細かい詮索をする気配がなかった。
「ホクト君さえよければ、ずーっと居てもいいのよ~」
「まあそりゃ構わないが……家族とか、心配してるだろ? 早い所記憶を回復しないと……。リリア、お前何とかできないのか?」
「貴方……そんな万能じゃないですよ、私だって。それにこっちの世界には魔力が殆どないから、魔法は使えないし……」
「……二人して何コソコソ話してんスか?」
「い、いやぁっ! こっちの話だ!!」
相変わらずもぐもぐと焼き魚を口に突っ込んでいるホクト。リリアと本城は腕を組み、それから同時に溜息を漏らした。昴が居なくなった事だけでも大騒ぎだというのに、今度はこの居候……。いよいよ状況は悪化してきている。
「そういや旦那、仕事は見つかったのか?」
「…………。おま……余計な事を言うな。今は自分の心配だけしてろ」
「とは言え、こんな状態じゃ本城家を離れられねーッスよ。奥さんが苦労して……。綺麗な手がこんな荒れちゃって」
リリアの両手を取り、ホクトは白い歯を見せて微笑んでいる。リリアが顔を緩めながら、“年下も悪くないかも~~~~!”なんて不謹慎な事を考えていると二人の間に本城が割って入り、それから無表情に片手でホクトの腕を捻り上げた。
「いぃいいいぃぃいいッ!? 旦那……うで、うでもげるッ!! もげちゃうううううッ!?」
「人の妻を夫が見てる前で口説くな阿呆……」
「夏流さん、それはもしかしてヤキモチですか~? ホクト君がイケメンだからって、もう♪」
「違うわッ!! 単純に世間体が悪いだけだッ!! ホクト、道場に来い……いっちょその緩んだ精神を引き締めてやる」
「うお、マジで勘弁! あんた強さが尋常じゃないんだよッ!! 素手じゃ絶対に勝てる気しねえっ!!」
「武器使っていいから」
「いやいや、全然意味わかんねえから――」
首根っこをつかまれ、ずるずると引きずられていくホクト。冷や汗を流しながら呆然としているホクトをリリアは手を振り優しく見送った。数分後、道場の方から爆発音のようなものが聞こえてきたがリリアは気にせず昼ドラを見ながらお茶を啜り、せんべいを齧るのであった――。
「しかし、ヘマをしたものじゃ……。まさか、このわらわが捕まるとはな……」
第三階層、ヨツンヘイム――。インフェル・ノアの牢獄の中でミュレイは一人愚痴を溢していた。強固な魔術結界を無数に張り巡らせた牢獄の中、魔剣も封じられたミュレイに出来る事は愚痴をこぼすくらいしかない。光の結界の周囲を見渡し、ミュレイは一人目を細め、過去を回想していた。
昴が帝国に向かい、そして戻らなかった――。それは彼女の中では大きな傷となり、そして今でもそれは胸を痛め続けている。自分が異世界から召喚してしまった少女――。救世主としての役割を背負わせてしまった。そして多くの罪を、苦悩を、味わわせる結果となってしまった。その全てがミュレイにとってこれで良かったのかという後悔の念になり、今でも心を蝕み続けている。
彼女が死んだなどと、ミュレイは思ってはいなかった。だからそれからもずっと戦ってきたし、帝国に屈しなかった。昴が帰ってこられる場所を護りたかったのだ。だが今彼女はこうして囚われの身となり、近い内には公開処刑も催されるだろう。今や哀れな道化……。人々に失意を撒き散らす為のただの材料となってしまっている。
これまで剣誓隊が相手だろうが、彼女が負ける事はなかった。彼女が居たからこそ反帝国勢力は戦い続ける事が出来たも同然である。そんな彼女が帝国の囚われの身となったのにはある理由があった。そう、彼女がこの世界全てを犠牲にしても良いと思える程の理由が――。
インフェル・ノアの廊下、そこを歩く一つの影があった。黄金の甲冑を身に纏い、黄金の仮面をつけた騎士――。黒いマントをはためかせて歩くその人物の背後、小さな影が進んでくるのが見えた。少女――ルキア少将は背後からその騎士へ声を投げかけた。
「これから仕事……?」
騎士は足を止め、それから振り返る。仮面へと片手を伸ばし、それを外して美しい顔を晒した。傷だらけの顔――黒い眼帯で片目を被い、女は微笑んでいた。胸に手を当て、ルキアに頭を下げる。以前の彼女からは考えられないその行動は、しかし当然であると言えた。
「は……っ。これより反帝国勢力を殲滅しに向かいます、ルキア少将」
「…………。ご苦労様。最近出撃しっぱなしだけど」
「何も、問題はありません。私は帝国騎士団剣誓隊、エクスカリバープロジェクト被検体ですから。ヨツンヘイムの繁栄の為に、下層の家畜を律するのが役目」
騎士は仮面を再び装備し、冷たい口調で答えた。その様子にルキアは目を細め、それから首を振る。正直、ルキアにしてみれば面白みもなにもありはしなかった。あれだけ強く、感情的だった彼女……。それが今や、帝国の人形に成り下がっているなどと――。
「もういいわ。ご苦労様、昴」
「はい、失礼します少将」
踵を返し、歩いていく昴――。姿形は似通っていても、今の彼女は全くの別人だった。外側は残っていても、中はとっくに死んでしまっている――。だが、ミュレイはそうだと判っていても諦められなかった。だからこそ、あえて囚われここにいる。彼女を――昴と、もう一度話をする為に――。
すれ違うそれぞれの運命の中、昴は黄金の偽りを纏って進んでいく。数え切れない命を屠ったその剣を握り締め。靴音を高らかに鳴らし、怯える人々を殺戮する為だけに行軍する哀れな幽鬼――。ミュレイの祈りはそこには届かず、そして声さえも届かない。世界は再び、闇の中に沈もうとしていた――。