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千夜一夜(4)


 “負けないで”――そう強く願っていた。“諦めないで”……“どうか勝利を”。けれども現実は残酷に、成す為に足りない物は何かを差し引いていく。

 打ち合い、そして吹き飛ばされたホクト。瓦礫の中に埋もれ、それでも歯を食いしばって立ち上がる。口の中が血でいっぱいになろうとも、その腕が無くなろうとも――。男にとっては関係ない。負けたくない……負けられない。背負うと決めたから。これからは己の我侭を貫き通すと決めたから。決めたばかりで死んでいるわけにはいかない。だから――何百回でも立ち上がる。巨大な世界の憎悪に立ち向かえる。


「弱ェ! 弱すぎんぜ、ホクトちゃんよォッ!! 何が魔剣狩りだ……あぁ? そんなんじゃ何も護れねえ! 救えねえェエ!! もっとだ……。もっとかかってこいよ!! もっと力を出して見せろ!! 証明しろ、テメエの罪をッ!!」


「ごちゃごちゃ、うるせえ……な……ッ!! んなこたぁ判ってんだよ、俺だってな――ッ!!」


 砕けた剣ならもう一度構成しよう。傷はふさがらずともまた前に進もう。男は魂で戦っているのだ。肉の器など、どうなろうと知った事ではない。死と消滅の淵に立たされ、漸く思い出す事がある。ガリュウが――ヴァン・ノーレッジが。彼の中にいるもう一人の男が。恐れていた。思い出していた。そして抗おうとしていた。黒きもう一つのガリュウ――真の暴虐の王に。何故だろう、何となくわかる。わかってしまう。


「てめえは……俺が倒さなきゃならねえ敵だ」


「そうだ! オレ様はテメエの敵だ!!」


「ならどうする……!?」


「決まってるよなあッ!!」


「「 ああ、決まってる――――ッ!! 」」


 目を閉じ、ホクトはその身にヴァン・ノーレッジの意識を取り戻していく。世界最強の魔剣狩り――その男の全てを。ガリュウがその目を輝かせ、赤黒く燃える炎の魔力を放出する。それはガリュウが己の意思で、持ち主であるホクトに協力しようとする姿勢だった。魔力はもう残されていない。それでも彼に力を与える物……。ならば何を差し引いていくのか。命か? 或いは――記憶か。

 それでもホクトは揺るがない。一歩たりとも退くつもりはない。雄叫びと共に、全身に闇の装甲を纏って行く。握り締めた黒き刃――今は心を重ねて一つにする。そう長くは持たない、判っていた。だから馬鹿正直に――真っ直ぐに。正面から――“敵”へと襲いかかる――。


『かつてこの世界には、神の姿があった……』


 “負けないで”――そう願っていた。力を使い果たし、膝を着く昴。その背後で倒したはずのハロルドが起き上がるのが見えた。黄金の王はその全身の傷を修復しつつ、更に鎧を刺々しく、雄雄しく、変化させていく。いや、それは強化――そして回帰。王の甲冑は更に輝きを増し、黄金の光は昴の光をかき消してしまいそうな程荒々しく、荘厳に満ちていく。


『しかし神は最早居ない。人間の願いは神をも殺す……。救世主よ、余は知りたいのだ。この世界の本当に在るべき姿……そして、人間とは何なのかを』


「……くッ!!」


 振り返り、剣を構える昴。ハロルドは背中に巨大なブースターを構築し、轟音と共に光を発しながら猛スピードで突っ込んでくる。防御もままならず、その力任せの一撃は昴の身体に叩き込まれた。吹き飛ばされる昴……それに追いつき、ハロルドは巨大な手で昴の身体を握り締めた。


『知りたいのだ! この世界の可能性を……!! 示して見せよ、異世界の勇者よ!! 人の業……罪の夢をッ!!』


「ぐうぅううう……ッ!?」


 巨大な手に包み込まれ、昴は激しく締め付けられていた。体中が軋み、骨が折れる音が連続して響いた。血を吐き、それでもまだ少女は諦めていたなかった。ハロルドは絶大な力を持っている。勝ち目は薄い。そんなことは最初から判っていた。そう、判っていたのだ。

 それでも戦うと決めた。反逆すると決めたのだ。己の運命、この世界の法則、絶対なる力――それがどうしたというのか。もう迷わない。護るという事は。戦うという事は。そう、あの男のように――絶対に退かない事なのだから。


「ごちゃごちゃと……何を、わけのわからない事を……言っているッ!!」


 ありったけの力を使い、昴はその拘束に抗った。両腕で、両足で、強引に手を開いていく。血が流れようが折れた骨が皮膚を突き破ろうが、そんな事は関係ない。些細な事だ。そう、彼女も同じ事。彼と同じように退けないものがある。護りたいものがあるのだから。

 絶叫に近い声が響き渡り、救世主は王の手から逃れた。着地と同時にその手の中に再び剣を構築するが、それよりも早くハロルドの拳が振ってくる。回避したにも関わらず掠っただけで昴の身体は弾かれた。よろめきながら後退し、しかし一歩踏ん張って足を止める。身体を支えるのはこの両足、状況を打開するのはこの両手、諦めないのはこの心、勝利に導くのはこの目である。血を吐き、笑ってみせる。白き剣を片手に――救世主は笑う。


「ハロルド……貴様の話なんかどうでもいい。どうでもいいんだよ。そんな話は誰も興味ないし、私も興味ないし、どうでもいい。そんなナメた態度で私を殺せると思うなよ……慢心するな、王ッ!!」


 勝利する為に必要な犠牲の全てを支払ってみせる。限界を超え、それより先にある限界さえも超えていく――。魔力を振り絞り、傷だらけの腕で握り締めた刀……。美しく反り返る刃に映り込む王と救世主、その二つを別つかのように光は瞬いた。


「私が貴様の敵だ。貴様が私の敵だ。今は私を倒す事に全力を出せ、ハロルド!! 口先ばかりでごちゃごちゃと……。目に物を見せてやる。かかってこい。来いよ――ッ!!」


『あくまで退かぬか……。良い。良いぞ、救世主。それでこそだ。抗う力、遺志……運命の流れなど必要ない。歩いたその後に道は出来る!』


「私が歩く道こそが正義――!」


『ならば悪と呼ばれる物で貴様を試してやろう! 我が覇道という名の悪で!!』


「私は世界を救いたい――!」


『ならば戦え!』


「言われなくてもそうするさ……ッ!! 力を貸してくれ、ミラ……。お願いだ、私の命の全部を燃やし尽くしたっていい――ッ!! 勝たせてくれ……。勝ちたいんだよ……。だから――お願いだ! 一緒に行こう。一緒に戦ろう――ッ!!」


 目を閉じ、穏やかな心で魔剣に語りかける。ずっと向き合うことをしなかった自分の力……罪の根源。一度はミュレイを苦しめ、ミュレイを殺し、そして昴の両肩に大きな荷物を背負わせた力――破魔剣ユウガ。しかしそれがあったからこそ彼女はここにいる。正義を示すには、己の理念を示すには、絶対的に力が必要なのだ。そう、あらゆる悪を許さず処断できるだけの正義の力……。己が抱きしめる、真実の力。

 ミラ・ヨシノはどんな思いで死んで行ったのだろうか? きっとこんな戦いなど望んでは居なかったのだろう。しかしそれでも関係ない。魔剣が嫌だと言っても関係ない。力を貸してくれなくたって関係ない。だったら一人でやるまでだ。でも――もしもそんな我侭に付き合ってくれるなら――。

 銀色の光が昴の全身を包み込んでいく。砕けた白神装武が修復し、同時に昴の髪が真紅に染まって行った。見開く瞳は朱――。表層はクールに、しかし心の中では炎を滾らせる。守りを捨て、ユウガを攻めに特化させる。鞘を消滅させ、その分刀身を伸ばし、太くし、巨大な魔を祓う為の斬馬刀へと変質させる。燃え上がる銀色の炎――それを両手できつく握り締める。世界という名の運命に逆らうにはまだまだ足りない。だが――それでも。


「第二ラウンドだ、ハロルド……! 私が死ぬのが早いか――!」


『余が止まるのが早いか……!』


「『 正々堂々、勝負ッ!! 』」


 命を燃やし、銀色の炎を振りかざして救世主が黄金の王へと襲い掛かる。二つの巨大な力が正面から激突し、インフェル・ノアに衝撃が走った。昴の脳裏に様々な記憶が過ぎっていく。幼少時、手を差し伸べてくれた兄の事……。優しく自分を受け入れてくれた本城夫妻の事。こちらの世界に来て面倒を見てくれたミュレイ、ウサク、ゲオルク……。共に帝国と戦った仲間達。そして――あの男の背中を思い出す。

 考えるだけでもイライラする。見た目は全然似てもいないのに、兄に似たあの男が。真っ直ぐで、不器用で、優しくそして何より強く――。迷いなんて言葉を知らないみたいに何もかも乗り越えていく。だから、大嫌いだった。

 何度も刃を交えた。敵だと決め付けてその命を狙った。何度も、何度も、何度も繰り返し刃を交えた。絶対に二つの道は交わらないのだと思っていた。だが今はあの男が生きているのだと信じている自分がいる。もしももう一度会うことが出来たなら――その時は一発思い切りぶん殴ってやりたい。そしてそれから謝ろう。交わらない道を歩く二人……それでも、だからってその通りに生きてやる必要などどこにもない。

 決められたレールの上など歩かない。自分が正義と信じたその場所こそが自分の居場所、進むべき場所……。力が足りないなら、それで何かが護れないなら……。もっと強くなればいい。それでも力が足りないなら、自分の中の何だって犠牲にしてやる。命だろうがなんだろうが関係ない。だから何もかも燃やし尽くして全てを力に変えられる。悲しみや迷い、苦悩だったとしても――。


「はああああッ!!」


『なんとッ!? 力で余の剣を上回るとは……!?』


「上回ったのは力じゃない……! 意思だッ!!」


 弾いた剣をそのままに昴は踏み込んでいく。繰り出されるハロルドの蹴り――それを小さく跳躍して回避する。爪先に乗った昴はユウガを下段に構え、脇を抜けながらその身体を切り裂いていく。更に足を止めず反転し、加速――。その瞳に映るのはハロルドを倒す為に必要なビジョン。未来を予測し、全ての攻撃を正確無比に実行する。

 目にも留まらぬスピードで駆け抜けながらハロルドを切り裂く白き刃――。ハロルドは感覚ではそれに追いつけているが、身体がどうにも追いつかない。ズタズタに切り裂かれ、王は苦し紛れに周囲全てを力任せに薙ぎ払った。並の人間ならミンチになってしまうような猛々しい魔力の衝撃――それを昴は回避して上空に着く。落下しながらハロルドの頭に刃を深々とつきたて、叫びと共にそれを切り払った。頭部を射抜かれたハロルドは数歩後退し、そして巨大な身体で膝を着く。血を流しつつ、しかし王はそれでも健在だった。


『…………成る程、これが人間の力か』


「……倒れない、か……。クソ……なら、もう一度……ッ!?」


 しかし昴の身体は意思に逆らい両膝を大地に付けていた。口から血が溢れ返り、それが中々止まらない。剣も気づけば消滅してしまい、昴には何も残されていなかった。使いすぎた力の代償――死という文字が脳裏に過ぎる。ハロルドは傷を負いながら未だ健在――。勝敗は明らかだった。


『よくぞここまで戦った。褒めるぞ、救世主』


「…………」


『胸を張るが良い。貴様はこの世界に一定の力を示して見せた。涙を流すような敗北ではない』


 そう言われ、昴は初めて自分が泣いている事に気づいた。だがそれが余計に彼女の戦意に拍車をかける。震える両足で、力の入らない、言う事を聞かないその足で必死に立ち上がる。血を流しながらも歯を食いしばり、顔を上げる。


「勝手に終わらるんじゃねえよ……! まだ、私はやれる……! 諦めたり……しない!」


 一歩前進――それだけで気が遠くなるような激痛が全身を襲った。呼吸も上手く出来ない。もう死んでしまっていて当然の状態なのだ、生きているのは奇跡――いや、強固な意志の恩恵に他ならない。ハロルドは一歩一歩近づいてくる昴をじっと見つめ、剣を降ろして待ち構えていた。


「決めたんだ……。退かない……。絶対に……勝つって。この、腐った世界のルールを……。皆を、苦しめる法則を……! ぶっ壊して、やるって……っ」


『何故そこまで出来る? 貴様にとってこの世界の事など遠い事情のはずだ。何がそこまで貴様を駆り立てる?』


「判ったように言うなよ……。こっちの世界に来るまで、どうせ私は死んでたようなものだったんだ……」


 死んだような生活。動かさない心。緩く、穏やかで。停滞した時の中で生きていた。過去を振り切れず、未来に怯え、今をやり過ごすだけで精一杯の日々……。でも、ここに来てからは違う。本当に心振るわせる物に出会った。本当に護りたいと思う者が出来た。だから――。


「そこから、動くなよ……。今から貴様を……処断、しに行く……ッ!」


 指差す昴。ハロルドはそれを受け、静かに目を細めた。あえて言うとおりにした。わかっていたとしても。彼女が踏み出す次の一歩で、倒れるということが――判っていたとしても。あえてそれを受けた。見届けた。昴の目が虚ろに光を失い、足が止まる。それでも背後には倒れなかった。あくまで前のめりに――ばったりと。少女は血の中に沈んだ。もう、ぴくりとも動かずに――。


『…………。見事なり、救世主』


 ハロルドは剣を納め、強化装甲も解除した。そうして昴へと歩み寄り、うつ伏せに倒れている昴の身体を持ち上げる。昴は目を開けたまま、口から血を流したまま、涙を瞳いっぱいに溜めて動かなくなっていた。その骸を慈しむように、ハロルドはそっと抱き上げる。静か過ぎる争いの後、王は一人救世主の少女へ敬意の念を送っていた。




千夜一夜(4)




「“天叢雲”が動き出した……。となると、もう誰にも止められない、か――」


 最下層、オケアノスの海よりも下に沈む結晶樹林――。忘れ去られた遺跡の最深部、一人で靴音を鳴らして歩くメリーベルの姿があった。崩れかけた遺跡の中、彼女の正面に見えるのは剣の結界に囲まれて眠る一人の少女である。この世界に神、そしてメリーベルが異世界へと渡ってきた理由……。歩み寄り、そして見上げる。神々しく輝き続けている夢見る神……。目覚めの時はまだ遠く、しかしそれは確実に迫っている。


「時間がない。一刻も早く、七つの大罪を……。最悪、私が介入するしかないか……いや、させられているのか。私も昴やホクトと同じように……」


 片手で前髪を掻き上げ、メリーベルは重苦しく息をついた。眉を潜めるのは悩ましい現実が目の前に残っているから。そして自分がこれからなさねばならない事の大きさに足が鈍るから。

 昔は良かった。何をするにも全力で居られたし、迷う事も鈍る事もなかった。時を経て今、漸くあの頃戦っていた自分の本当の姿を知る。そして思うのだ。救世主として異世界にやってくる事の責任の重さ、そしてその難しさ……。


「無理を……していたんだね。夏流も……」


 ぼやき、そっと神へと手を伸ばす。すると指先は光の衝撃に弾かれ、メリーベルは身体ごと後退した。手は黒く焦げ付いており、特殊な装備を身に付けていなければそれだけで死に至っていたかもしれない。やはり、触れる事が出来るのは――。少女の夢を覚ます事が出来るのは――。彼ら、二人しかいないのだ。

 壊れたグローブを放り投げるメリーベルの背後、浮かび上がる影があった。白いローブで全身をすっぽりと被い、目深にフードを被った人影。背中には対となるべき翼が生えているが、片方が契り取られている。異形の存在に気づいたメリーベルは振り返り、それと正面から対峙した。おぞましい力を感じるが、しかしそれでもメリーベルは怯まない。この程度の状況、すでにいくつもクリアしてきたのだから。


「神聖な聖域で何をしている……? 異世界の救世主よ」


「その呼び方はあんまり好きじゃないな――。心配せずともこれには干渉出来ない。ここを見回ってるだけ無駄だよ、ゼダン」


「我らの存在にも気づく、か……。忌々しき来訪者め。何が目的だ」


「…………私は別に、善悪の観念とかに囚われて生きているわけじゃない。ことそういった事に関しては無頓着なの。ずっと昔からね」


「ならば何故」


「この世界の正義や悪は関係ない。でも、私の大切な人を脅かすものがあるのならばいくらでも戦う。理由なんてない、それはただの自衛行為よ。故に揺ぎ無い」


「退去願おうか。貴様は危険すぎる」


 問答無用で突き出すゼダンの手――それは真っ白で、獣のように爪が長い。掌にはぎょろりと瞳が浮かび、それがメリーベルを捉えた。足元には魔法陣が浮かび上がり、メリーベルに強力な術式が襲い掛かる。しかし錬金術師はそれを指先一つ鳴らすだけで打ち破って見せた。

 崩壊する術式の光は美しく散る。破片となった光を前にゼダンは一歩後退した。ハイヒールを鳴らし、メリーベルは歩いてくる。その余裕さからは絶対的な能力に裏打ちされた自信を感じるた。そう、彼女には余裕があった。今ここで、ゼダンとやりあえる位の余裕が――。


「手品じゃ私は殺せない。そんな中途半端な術式、崩す事くらい本当に簡単」


「貴様……神に逆らうつもりか?」


「神と戦うのはこれで二度目だから」


「…………。干渉出来ない存在がこの世界をうろついている事は避けねばならない。いずれ相応の戦力を以ってして貴様を排除させてもらおう……。次元の魔女め……」


 メリーベルは口元に笑みを浮かべ、目を閉じる。ゼダンは足元に術式を浮かべ、次の瞬間には音もなく消え去っていた。独りきりに戻った静寂の中、メリーベルは背後の神へと視線を向ける。やらねばならない事……それはまだ何も成されては居ない。何の為にここに居るのか、その理由を思い出す。


「…………もう、戦いには巻き込みたくなかったけど……。力を借りなきゃかな、夏流――」




 突き刺された剣の痛みは確かに残っていた――。命がもう、残っていない事を知る。タケルがホクトの胸に深々と突き刺したガリュウは笑うように蠢き、主の悪意を顕現する。


「大分楽しめたが、そろそろ終わりにしようや……? ガリュウでテメエの命を全部喰らいつくし、それで用件は終わりだ」


「…………」


「何も出来ずに死ぬ気分はどうだ? 無力さを噛み締めて死んでいく気分はどうだ? てめえが護ろうとした姫も、仲間も、国も、世界も、全部ぶっ壊れていく……!! 世界に見放されて消えていく気分はどうだい、救世主よ?」


「…………る、せえぞ……」


 歯軋りし、ホクトは動かない身体で――しかし血反吐を吐きつける。顔にそれを受けたタケルは眉を潜め、何度もホクトの顔面を殴り飛ばした。滅茶苦茶に腫れ上がった顔で、それでもホクトは笑う。


「何笑ってやがる……」


「てめえには、わかんねーだろうな……。やれよ。俺が居なくなっても、シェルシは……この世界は、強く生きていくんだぜ? 残された人間ってのは、そういうもんだ」


「ああ、そうかいッ!! 喰らいつくせ、ガリュウ――ッ!!」


 黒い炎が燃え上がり、ホクトの身体を焼いていく。ホクトの全身に刻まれたガリュウの術式がタケルに奪われていく――。この肉体は、ホクトという存在は、ガリュウによって再構成されている幻である。ガリュウから全てを奪われたなら、ホクトにはもう何も残らない。それは彼の消滅を意味していた。


「ホクト!? うさ子、ホクトがあっ!!」


「シェルシちゃん、だめ……だめ、だめなのっ! だめ! だめ、だめ、だめっ!!」


「どうしてぇっ!! ホクトが……ホクトが殺されちゃうよおッ!!」


「だめなの、だめなの、だめなのっ! シェルシちゃん、逃げて……もうだめ、だめなの! うさが……うさが一生懸命時間を稼ぐから! ありったけ走って……。走って逃げて……!」


「嫌ですッ!!」


「嫌とか、そうじゃないの! わかるけど! わかるけど、ダメだよ……! シェルシちゃんが死んじゃったら、ホクト君が悲しむから……! だから、逃げて――!!」


 ホクトの元に駆けつけようと暴れるシェルシを羽交い絞めにし、うさ子は泣きそうな顔で叫ぶ……。シェルシはまた思い知るのだ。結局、自分は何も出来ないのだと。力なく膝を着く姫を置き去りに、うさ子は走り出す。猛然と加速しながら、空中で翼を広げて――。


「デストロイモード、起動――!」


 装甲を纏い、うさ子がタケルへと突っ込んでいく。しかしその雷撃を纏った一撃はタケルが片手で構築する防御障壁にあっさりと防がれていた。Sランク魔剣、その全力の一撃を受けてタケルは怯みもしない。反撃で出現した剣山が一瞬でうさ子の全身を串刺しにし、装甲を破壊していく――。無数の剣に貫かれて動かなくなるうさ子……それを背後で見ていたシェルシは居ても立っても居られず走り出していた。

 瓦礫の山の中を、死の渦の中を、ホクトへ……うさ子へ……。何より二人を苦しめている“敵”へ――。使える魔術は、ただの封印魔法――。それを精一杯に練り上げ、タケルに放つ。しかしタケルにはどんな魔術も通用しない。反撃で放たれた剣の雨――それに無様に吹き飛ばされ、顔を泥だらけにしながらもシェルシは立ち上がった。片足が切り裂け、血が流れている。それでも痛みなど感じないほどに強く願っていた。ホクトを助けたいと。うさ子を、助けたいと――。


「チ……ッ! 雑魚の分際で、一々うざってえ……」


「…………おい、余所見してる場合か?」


 その声は既に瀕死であるはずのホクトから聞こえた。零距離で放たれたガリュウの一撃――。二人の魔剣狩りは互いの刃を互いの胸に突き立てる形となった。二人の男が睨みあう――その視線の狭間。ホクトの奇策を受けガリュウが蠢きはじめる。


「な、なんだ……!? てめえ、何しやがった!?」


「そんなにガリュウの力が欲しけりゃ、くれてやるよ……ッ!! ただし……俺の意思、記憶、魂……全部喰らいつくせると思ってんのか?」


「まさか……!?」


「そのまさかだよ、クソッタレ!! ありったけの力……! どっちのガリュウが上か! どっちの意志力が勝つか!! 試してみようぜ――ッ!!」


 二人の身体を炎が包み込み、同時に魔力が究極まで搾り出され、衝撃が迸る。うさ子が倒れ、シェルシはまるで紙くずのように吹き飛ばされていく。それは彼の狙い通りだった。二人が十分に離れたのを確認し、まるで息を吹き返すかのように目を見開きタケルの額に己の額を叩きつける。所謂頭突きであった。


「よお……俺も不完全なガリュウにやきもきしてたんだ。てめえには力じゃ及ばないかもな……。だが、俺もガリュウの一部となっててめえを呪い続けてやるぜ……?」


「このッ!! ふざっけんじゃねえ、雑魚が! 離れやがれッ!!」


「何ビビってんだよ……! 一緒に吹っ飛ぼうぜ、タケル――ッ!!!!」


「「 おぉおおおおおおおおおおおッ!? 」」


 二人の男が同時に叫びを上げた。本来存在するはずのない、二つのガリュウが同時に光を放つ。意識と魂が混在し、しかし決してそれは交じり合わない。世界に両立してしまった矛盾すべき存在……それをこの世の法則そのものが嫌うかのように、二人の周囲には巨大な力が満ち満ちていく。


「――――ホクトッ!?」


 倒れたうさ子を抱き上げながらシェルシが叫んだ。その視線の先、ホクトはそれでも笑っていた。そうして片手を軽く掲げ、人差し指をシェルシに向ける。無邪気な笑顔で――出会った頃と変わらない笑顔で。何故だろう、それはいつでも少女の心を救ってきたというのに……今は違う。張り裂けそうなくらいに苦しくて、不安に押しつぶされそうになっている。声が出ない。足が動かない。肝心な時にまた、助けられる――。


「…………大人しく、そこで見てろよ。それから、うさ子を頼むぜ……?」


「ホクト……」


「仲間だから……。お前を信じてるから、頼めるんだ……。わかるだろ? わかんねえか……。わかんねえよな。悪いな……。すまねえ。だが――絶対また戻ってくるから」


 それが別れの言葉だと気づき、走り出そうとする。しかしそれよりも早く光は爆ぜ、中心部に居る二人は闇の力に飲み込まれていく。


「テメェエエエエエエエエエエエエッ!? 俺を道連れにこの世界から弾かれるつもりかッ!?」


「残念だったな! てめーの野望は成就しねえよッ!! 正義は必ず勝つ……ってなァッ!!!!」


「ふざけんじゃねえ!! 千年だぞ!? 千年待って……こんなオチ認められるかアッ!!!! 止めろ! 止めろってんだよ、クソッタレエエエエッ!!」


 鬼の形相で叫ぶタケル。それに対してホクトは舌を出し、きらきらと輝く子供のような笑顔で言う。突き立てた親指を、ひっくり返し――。まるで冗談のように。


「――――絶対に嫌だね。とっとと失せろ……この世界から。俺も――お前もな」


「…………ヴァン・ノーレッジィイイイイイイイイッ!!!!」


「じゃねえよ。ホクト君……だッ!!」


 消え去る直前、ホクトはありったけの力を込めてタケルの顔面を殴り飛ばした。直後、光の柱が立ち上り二人はそれに飲み込まれていく。闇の光は縦に伸び、下層も上層も貫いて光はロクエンティアそのものを射抜いた。

 シェルシはそれをただ見ていることしか出来なかった。やがて光が静まっていき、ようやく足が動く。ぼろぼろの姿で辿り着いた、彼が立っていたはずの場所……。そこには何も残ってはいなかった。彼の姿も、剣も、何もかも……。


「…………ホクト?」


 荒野に再び静寂が戻り、風が吹きぬける。シェルシは膝を付き、彼の姿を探した。どこにもそれは残っていなかった。涙の雫が乾いた大地に吸い込まれていく。少女は大地に手を突き、涙を流した。何故、また失ってしまうのだろう。大切だと思えた先から消えていく。夢も、理想も、何もかも。

 強い風の中、シェルシの慟哭が響き渡った。それに呼応するように地下で眠る神は苦痛に表情を歪め、それから静かに目を開く。メリーベルはそれと向かい合い、眉を潜めた。この世界に眠る、真実の扉。それが今、音を立てて開かれようとしていた――。


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