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千夜一夜(1)


 この世界は確実に革命の瞬間へと動き出した――。今や反帝国のシンボルとなったミュレイを筆頭に、全ての下層世界の人々が手を取り合い帝国へと戦いを挑もうとしている。それがどれだけ無謀な事なのかは皆わかっているんだろう。しかしもう、限界なのだ。

 プレートを落とされた事は、あらゆる人々に大きな衝撃を与えた。もう帝国の支配下にいれば安全という定義も存在しない。戦い、勝ち取らねば幸せは訪れない――そう誰もが悟ったのだ。戦いは怖い。死は恐ろしい。それでも彼らが立ち上がったように私もまた、歩き出さねばならないのだろう。

 流れは変わっていく――。私の心もその流れの中に交えて、そのまま溶かしてしまおうか……? そんな風に考える事もある。でも今は、ちゃんと自分の両足で歩いていきたい。歩いて、生きて……そして、答えを見つけたいんだ。

 私がこの世界に召喚された意味とか、ミュレイを救えなかった自分の甘さとか、罪を背負ってやりなおしたこの旅の終わりとか……。考える事は色々ある。でもその全てが暗い部屋の片隅で膝を抱えているだけでは判らないことだから。自分の目で見て、考えよう……。今私に出来る事、自分がやらねばならない事を。


「仮面を外すっていうから、ついでに修理と一緒に強化もしておいたから」


 そう言ってメリーベルが見せてくれたのは新しい白神装武だった。甲冑は以前よりも軽く、動きやすく……そして何故か華やかなデザインに変更されていた。メリーベル曰く、このデザインにはミュレイが関わっているらしい。まあ、ミュレイはいいよね。いつも胸とかはだけてても、恥ずかしくないサイズだからさ……。

 新しい甲冑を装備し、私は生まれ変わったような気持ちを味わっていた。空気を深く吸い、肺の中から魂を入れ替えていく――。白騎士の仮面は消え、私は白騎士ではなく北条昴として戦う事を決めた。目を瞑り、大気を感じる。人々の嘆きを感じる。それをつれて、一緒に飛べるだろうか……? 拳を強く握り締めた。ぎゅっと、痛いくらいに。もう迷わない――迷えない。メリーベルへと目を向けると彼女は何故か少しだけ嬉しそうに笑っていた。理由がわからず首をかしげると、彼女は私の肩を叩いて言う。


「少しはふっきれたみたいね」


「…………うん。弱い自分をすべて消す事はやっぱり出来ないと思う。でも、それを背負って進む事にしたよ」


「そう。今の貴方だったら、きっと白神装武レーヴァテインの力を使いこなせると思う。だから色々と調整しておいたから、期待していいわよ」


「ありがとうメリーベル……。それで、ホクトたちの事はどうなってるの?」


「色々と探してはいるんだけど……人手が圧倒的に足りないわ。それに、範囲も尋常じゃないから」


 それもそのはず、大陸の半分が一瞬にして全て廃墟になってしまったのだ。エル・ギルスの半分がプリミドールのプレートによって破壊され、今は滅茶苦茶な荒地が続いている……。その中から生きた人間を、それも特定の人物を発見しろというのは遥かに難しい事だ。だから私は彼らを助けない――いや、それは少し意味が違ってくるか。助ける必要はない……そう思う。思いたいんだ。

 あの崩落に巻き込まれて生きていると思う方が馬鹿げているだろう。しかし、もしも死んでいるのだとすれば彼らは探して欲しいなどとは思わないだろう。私だったらそうだ。そんな事をしている暇があれば今この大事な時期に戦えと叫ぶだろう。逆に生きているのならば……いや、生きていると信じているからこそ。彼らはきっと自力で戻ってくると、そう思うから。


「――――メリーベル、もしも彼らが見つかったら伝えてくれないか? “一足先に行く、追いついて来い”……ってね」


「……了解。昴、気をつけて」


「うん、ありがとう。それじゃ……行くね」


 私の言葉に頷くメリーベル。彼女の瞳を見つめ、それから私は踵を返した。部屋を後にしようと歩き出し……そして背後からの言葉で足を止めた。


「戻ってきたら……話したい事があるの。だから……きっと無事で」


 私は何も言わなかった。けれどきっと彼女には届いたと思う。部屋を後にし、歩き出した――。ククラカンへ、ラクヨウへ……。戻ってそこでミュレイと合流し、いよいよ帝国攻略作戦が始まる。バテンカイトスの廊下を歩きながら気合を入れなおしていると、背後からロゼが駆け寄ってくるのが見えた。一緒に並んで歩きながらラクヨウへ通じる転送魔法陣を目指す。


「昴、新しい装備が完成したんだね」


「何とか間に合ったよ。メリーベルにはいくらお礼を言っても足りないかな」


「いよいよ、帝国との戦いか……。あんな非道な作戦、これ以上続けさせられないからね」


「…………ああ。今度こそ、ハロルドを倒す。いや、彼らが作るこの世界のシステムを……。悲劇の連鎖の根本を断ち切る。この、沢山の人の願いを受け継いだ剣で」


 ミラ・ヨシノからミュレイへ、そして私へと受け継がれた刀……。それにはきっと沢山の物語が続いているのだろう。それを今ここで、彼女たちの願いをこれから私が、果たさねばならない。果たさずしてなんとするか――。強く、想いを固める。そんな私の隣、ロゼは何故か楽しげに私を見つめていた。


「な、なに?」


「いや……少しはマシな顔になったなって」


「……かもね」


 二人して笑いあいながら転送装置を潜る。これを抜ければもう、後戻りは出来ない。帝国へ――ヨツンヘイムの、王者の居城インフェル・ノアへ。私はもう、立ち止まらない。追いついてくるって、きっと信じているから。仲間の事も……自分の事も――。後はもう、成すだけなのだから……。




『下層の人間の反逆……。これは流石にミレニアムによる予定調和の一部……とは言い切れぬのだろうな』


『どう始末をつけるつもりだ、ハロルド? 貴様に与えられた任とは下層世界の人間の管理と繁栄……。下層世界の人間の始末をつけるのは、貴様の役目よ』


『なんにせよ、下層の人間を上層に上げる事だけはあってはならないでしょう。罪多き者を“エデンの園”に立ち入らせるわけには行きませんからね』


『何としても、第三階層ヨツンヘイムにて愚者の行軍を阻止せよ。間違っても第二界層ジハードへの侵入を許す事はあってはならない』


『この世界はまだ、罪の浄化を終えていないのです』


『贖罪の時が終わるまで、まだ永久に等しい年月が必要なのだ』


『であるならば、我々はその間罪受けし子羊を生かし、育て、学ばせ、罪を償わせ続けなければなりません』


『この世の煉獄を維持する事……。そして我らが“極楽浄土”を護り続ける事……。お前に与えられた役目は大きいぞ、ハロルド』


 インフェル・ノアの王座――。ハロルドはそこに腰掛けたまま周囲から聞こえる声に耳を傾けていた。閉じていた目を開き、周囲を見やる。そこには光の翼を持つ異形の影が浮かび上がっている。白く神々しいそれらは見方によっては天使のようでさえあるだろう。だがしかしその異様な姿は見る者によっては恐怖と嫌悪感を与えかねない。

 おぞましい怪物の中心におかれハロルドはあまり上機嫌とは言えない様子である。“お小言”の最中なのだからそれも当然の事であったが、彼がこうして彼以外の人間の言葉を受けて動いているという事は部下達も誰一人知ることのない事実である。


『最悪、ジハードへの介入が行われそうになれば我“監視者ゼダン”も動かざるを得ません。それに独自行動を続けているイレギュラーも気にかかります』


『“天叢雲”か……。忌々しきか、異世界の英雄め……。流石に捨て置くのも限界か』


『下層の人間に我々の存在を悟らせるような行為はあってはありません。天叢雲に関しても行動は慎重に慎重を重ねなければ』


『今は下層の人間を黙らせるのが最優先だ。ハロルドよ、その為に存在する“大罪”が一つ……。その事をくれぐれも忘れるなよ』


 浮かび上がっていた無数の異形の幻影が消え去るとハロルドは目を閉じ、顎を指先で撫でながら首を鳴らした。小言を言うのは簡単だが、状況は既に机上の空論でどうにかなるほど容易ではない。攻め入ってくる人間達との全面戦争になれば、双方に甚大な被害が出るだろう。最悪この世界の終焉を齎してしまうかもしれない――。


『この世の終わり、か……。容易いものよな、ゼダン……』


 ハロルドは目を瞑る。夢を見ない男が想いを馳せる、過去の記憶――。膨大な年月を過ごした彼だからこそ思う事がある。判る事がある。全ての始まりはそう、きっと些細な事だった。全ての罪のすれ違いもそう……。きっと始まりは、些細な事だったのだ――。




千夜一夜(1)




「うさ子……!? 本当にうさ子なんですか!?」


「シェルシちゃんーっ!! 会いたかったのーっ♪」


「うさ子……うさ子!!」


 二人がひしと抱き合うのをホクトは遠い目で眺めていた。思えばこの二人も最初はいまいち反りが合わない様子だったが、気づけばいつの間にか仲良くなっている。いや、それはきっとシェルシが変わったからなのだろう。出会った頃と比べ、シェルシはずっと接しやすくなった。最もあの当時の状況を考えれば、彼女が周囲に疑心暗鬼になるのも無理はないのだが。

 星空の下、ホクトは夜明けを待ちながら最後の一本――煙草に火をつけた。うさ子とシェルシは暫く抱きあってはしゃいでいたが、感動も収まってきたのか二人は仲良く隣に座りながらにこにこと微笑んでいる。一応区切りがついたのを見計らい、ホクトは話を切り出した。


「んで、今後の俺たちの行動だが……。とりあえず、界層ごと落下したからここがエル・ギルスだってことは判ってるな?」


「…………はい」


「ステラにも確認したが、どうやらこれからやるべき事は色々とあるらしい」


 ホクトはシェルシにもステラと話した事をかいつまんで説明した。第三者の意思がこの戦いに関与しているという事、そしてそれは無視出来ないほどの悲劇を巻き起こした事、それを放置し続ける事は出来ないという事……。それらを踏まえたうえでまず行動しなければならない事、それはこの廃墟からの脱出であろう。

 ホクトは勿論、ステラ――うさ子もまだ能力が万全ではない。あれだけの事があったのだから直ぐに行動出来るはずもないのだが、彼ら全員が長い間気を失っていた事を考えると、行動開始は出来るだけ早いほうがいい。きっちりと休む事が出来た今、何とかここからの脱出を図らねばならない。


「とりあえずはシャフトを目指して移動するぞ。そこからどうするからは、状況によるだろう。この騒ぎだと恐らく界層全体で反帝国運動が活発化しているはずだしな……。それにガリュウの調整が上手くいってねえから、メリーベルに見てもらわないと連戦は難しい。そういう俺の事情もあるな」


「では、まずはローティス……ですね」


「そうなると思うが……うさ子、お前ばかに大人しいな?」


「うん? うさはねえ、もうさっぱりなんにもわからないので、じっとしている事にしたのっ」


「そっすか……」


 にこにこと笑い続けているうさ子……しかしまったく状況を理解していないのは明らかである。まあ、恐らく話はステラに通じているのだろうから、うさ子はうさ子でボケーっとさせておけばいい……それがホクトの考えだった。こうして三人は早速生き残りを探しながら移動を開始したのだが……。


「……まさか、ルーンリウムがこんな事になってしまうなんて……」


 シェルシは自分の故郷がもう既に存在しない事を思い出した。忘れていたのはそれだけ彼女がホクトを救うこと、そしてうさ子と再会した事で心動かしていたからだろう。だが気持ちが落ち着いてくるとほの暗い感情が密かに蘇ってくる。絶望、失意……。もしも傍に誰もいてくれなかったならば、悲しさのあまり途方に暮れていただろう。今は気楽そうに歩いているうさ子、そして迷う様子もないホクトが共にいるから耐えられる――。思い足を引きずり、シェルシは瓦礫の山を進み続ける。


「他の連中も心配だが、どっかでひょっこり生き延びてる事を信じるしかねえな」


「……生きているのでしょうか? そもそもあの大崩落から、どうやって……」


「あ~……。覚えてねえのか? まあ確かにあの時は皆パニックだったからな……」


 助けたのは勿論ホクトなのだが、その方法とその後が記憶からすっぽり抜け落ちていた。ホクトはそれをあえて説明する事は無く、シェルシも問いただすことはなかった。二人がそんなやり取りをしている間にうさ子は身軽に岩から岩へと飛び移り、二人より先に進んで岩の上で空を見上げていた。そんなうさ子を見やり、微笑むシェルシ……。先はまだ流そうだったが、希望がないわけでもない。


「そうだ、シェルシ……。お前、言い忘れてたがあんな事はもう二度とするなよ? 俺が何とか自制出来たから良かったものの、下手したらガリュウに丸呑みされてたぞ」


 ホクトが言うのは数時間前のやり取りの事である。行動不能に陥ったホクトを救う為にシェルシが行った自虐的な救済措置――。それはホクトにとって到底受け入れられるものではなかった。シェルシから流れた血の一滴さえも許せず、ホクトの体の後味の悪さを残している。しかしシェルシはまるで気にもしていない様子で、けろりと笑ってみせるのだ。それがまたホクトの苛立ちを加速させた。


「でも、二人とも結局助かったんだから良いじゃないですか」


「良くないっつの……。俺はもう、俺の所為で誰かが死ぬのはゴメンだ。そんなの背負いたくねえんだよ」


「それは違います。私は私の我侭で貴方に生きてほしいと思った……。だからそれは貴方が背負うべき咎ではないのです」


「だから、そういう問題じゃねえだろ」


「兎に角、この話はいくら続けても平行線ですよ? 私は貴方に死んでもらいたくないんです。例えそれで、私の命が朽ち果てたとしても」


「俺はお前に死なれちゃ困るんだよ」


「では、護ってください。ちゃんと護って……貴方も死なないで。生きて……そうして護ってください。それなら貴方も私も、何も困らない。問題は何一つなくなるじゃないですか」


 笑顔でシェルシの放つ言葉にホクトは呆れたように肩を竦める。実際これは呆れを通り越し、最早笑うしかない。シェルシはもう一歩も譲る積りは無いのだろう。思えば随分とまあ、変わったものだ――。


「ホクト君ホクト君!! こっちーっ!! 向こうに、誰かいるのーっ!!」


 高台からうさ子の声が響き、ホクトは慌てて走り出した。シェルシもそれに続くのだが、足場が悪い所為で移動が覚束無い。身軽に移動していくホクトは降りてきたうさ子と一緒にその場所へ向かう。少し開けた荒地の中、そこには直前まで対立していたシルヴィア王の姿があった。

 シルヴィアもうさ子の声に気づいていたので、二人が現れた事に驚くことはなかった。互いに無言で見詰め合うホクトとシルヴィア……。遅れてやってきたシェルシは驚いた様子で嬉しそうにシルヴィアへと駆け寄っていく。


「姉上っ!! 無事だったんですね!!」


「近づくな、この裏切り者め!!」


 しかしそれはシルヴィアが握り締めた剣によって阻害されていた――。足を止め、戸惑いながらも悲しげにシルヴィアを見つめるシェルシ。王の瞳からは何か大切なものが抜け落ちてしまったかのように、光もなく虚ろなものが宿っていた。それもそのはずである。彼女が愛し、彼女が守る為にすべてを犠牲にしてきた“国”はもう、この世界のどこにも存在しないのだから……。


「ザルヴァトーレは……終わった……。どうしてこうなったのか……私には理解出来ない。だがこれだけはわかる……。もう、私の存在意義は……なくなったんだよ、シェルシ……」


 王の手から剣が零れ落ち、瓦礫の上に音を立てた。光となって消えていく魔剣――シルヴィアは身体を震わせ歯軋りしながら頬に一筋の涙を見せた。その苦悩、嘆き……全てがシェルシには理解出来た。だからこそ――来るなと言われても進まないわけにはいかなかった。


「来るな、シェルシ……」


「姉さん……」


「もう、消えたんだ……。何百万人もの、ザルヴァトーレ領土の国民と共に……。私たちが戦う理由、護るべきすべて……。滑稽なものだ……そうだろう? 国を護るべき王だけが、こうしてノコノコ生き残ってしまった……っ」


 シルヴィアは瓦礫の上に座り込み、項垂れた。ホクトは何も言わずにただそんなシルヴィアを見つめている。うさ子は寂しげにホクトの隣にくっつき、そのシャツの裾をぎゅっと握り締めていた。悲しみに暮れる王……当然のことだろう。彼女が厳格であった理由、彼女がすべてを支払って得ようとした幸せ……。何もかも、あらゆるものは国の為だった。せめてこの国の中だけでは、悲劇など起こらぬようにと――。

 妹を護りたかった姉……。国を護りたかった王……。だがその両方が最早意味を失った。この果てしなく続く荒野は彼女の絶望によく似ている。終わりも見えず、灰色の……。何もかもが夜の闇に冷たく浮かび上がる、夢が跡である。


「帝国は……私たちを見捨てたのか……? それとも、私たちは……最初から帝国に騙されていたのか……」


「…………」


「私を笑え、シェルシ……。何も……何も出来なかったよ。何が王だ……。何がザルヴァトーレの血筋だ……! これでは、あの人の事は笑えないな……」


 自虐的な笑みを浮かべるシルヴィア。その前に立ち、シェルシはそっと腰を下ろした。姉であり王であるシルヴィアの手を握り、首を横に振る。彼女は決して笑ったりはしない。決して蔑んだりはしない。“仕方が無かった”なんて、甘い言葉をかけることもしない。けれども……傍に居る。当たり前の事のように。姉と、妹として……あるべき形であるかのように。


「それでも……生きましょう? 私は、姉さんが生きていてくれて嬉しいから……。姉さんは……生きて? 生きて……きっと、いつか……」


「…………。シェルシ……」


 シルヴィアはシェルシの手を握り返し、それから唇を噛み締めた。しかし彼女はそれでも王――。そっと立ち上がり、ホクトと向き合った。シルヴィアは片手でシェルシの肩を叩き、それから歩き出す。戦うつもりはない。だが――つけねばならないケリというものがある。


「…………シェルシが世話になったようだな、魔剣狩り」


「ああ」


「…………礼を言おう。私の事も、好きにするが良い。この戦、完全な我が国の敗北だ。国そのものがなくなったのだ……戦う理由も意味もない。殺すなら一思いにやってくれ」


「それは断る。シェルシが言っただろ? 生きろってよ。あんたにはまだ出来る事があるはずだ。こんな世界の果てでも、な」


「許すというのか――?」


「――――許さないさ。でもな、許さなくとも……共に生きていく事は出来る。許せるように、努力する事が出来る……。今はそれで十分だと思うぜ」


 ホクトに同意するかのように、傍らでうさ子がこくこくと頷いた。シルヴィアは腕を組み、それから苦笑を一つ――。背後から駆け寄る妹を見やり、その手を繋いだ。


「…………。何もかも失った……。だが、シェルシ……お前が生きていてくれただけでも、私にとっても救いだ」


「姉さん……」


「また、やり直せるだろうか……? この国を……この世界を……。私たちが大好きだった、あの頃のように……」


 思い描くのは二人が共に見た水の都である。その想い出に漸く帰る事が出来るのだろうか……? 王が見せた、安らぎの笑顔……。シェルシはそれを懐かしく、そして新鮮な感覚で受け止めていた。ぎゅっと手を握り締める。


「きっと、やり直せますよ……。だから……」


「…………ああ。ありがとう、シェルシ。これからは、魔剣狩り……お前とも――――」


 その時、何か嫌な感触がしてシェルシは目を瞑った。上から何かがかかってきたのである。顔一杯にべっとりとついたそれが気になり手を触れてみると、指先には紅い液体が大量に付着していた。よく意味がわからず顔を上げるシェルシ――その視線の先、姫は完全に固まっていた。

 一瞬の出来事だった。嬉しくて恥ずかしくて、シェルシが笑いながら視線を反らしたその瞬間である。姉であるシルヴィアの、首から上が――なくなっていた。意味がわからずもう一度少女は頭の中でその言葉を反芻する。“シルヴィアの首がない”――。そして気づくのだ。自分の足元に、かつて姉の頭だったものが転がっている事に。

 ぐらりと、まるで動力が切れてしまったかのようにシルヴィアの体が倒れる。シェルシはその身体を抱き止め、噴出す血を浴びながら震えていた。ホクトが何かを叫んでいるのが聞こえたような気がしたが、まるで反応できなかった。目の前でシルヴィア・ルナリア・ザルヴァトーレが死んでいる――その事実を飲み込めなかったから。


「やっと回収できたよ――大罪の一つ、永魔剣エリシオン……。しかし、まさか五体満足でピンピンしているとは思って居なかったけどね」


 声が聞こえた。まだあどけなさを残した少年の声――。シェルシが振り返るより早く武装したホクトとうさ子がシェルシを庇うように前に出ていた。背後、夜空の月を背に一つの影が浮かび上がっている。赤い衣装をはためかせ、少年は闇に笑う。


「貴方は……。どう、して……?」


「やあ、お姫様。こういう形で再会するのは僕も望んではいなかったんだけどね……。始末をつけに来たよ、魔剣狩り――」


「こいつは一体どういう事だ……? 答えろよ――タケル!」


 ホクトの怒号にも怯まず、少年――タケル・ヨシノは物腰柔らかに微笑んでいた。少年が握り締めた剣――それはホクトもシェルシもよく知る物だった。闇を払い、闇を喰らう剣……。全ての魔剣の頂点に立つ七つが一つ、“大罪”と呼ばれし剣――蝕魔剣ガリュウ。それが何故かホクトの手の中に一つ、そしてタケルの手の中に一つあった。

 睨みあう二人の魔剣使い――。シェルシはそうして改めて認識するのだ。背後からの攻撃で、シルヴィアの首は刎ね飛ばされた。当然この状態で生きているはずがない。つまり、姉は死んだ――。シェルシの両目から涙が零れ落ちる。それは止め処なく、滝のように流れ続ける。

 これからだったのだ。これから分かり合って、一緒にやり直そうと――そうした矢先の出来事である。納得できるだろうか? 出来るはずがない。当然のようにシェルシは叫んだ。何もかもを台無しにした敵がそこに居る――。悲しみの慟哭と共に、少女は魔術を発動する。猛々しく荒れ狂う魔力を前に、少年は笑みを共に口元を歪ませて刻んだ。


「――――行こうか、ガリュウ。コード“剣創ロクエンティア”……起動」


 闇の光が溢れ返っていく。そうしてシェルシが放った魔術は全てが分解し、その悪魔の口へと吸い込まれていった。現れたのは小さな少年ではなかった。先ほどまで彼が立っていた場所に居たのは、黒き闇の衣装を身に纏った青年――。ガリュウを手にしたその男は笑みを作り、そうしてホクトを見下ろした。


「もらいに来たよ、君のガリュウを」


「…………興味深いな。やってみろよ、クソガキ」


「では、遠慮なく」


 二つの影が同時に動き出す。無力なシェルシを他所に――戦いは始まった。黒き死の魔剣が二対――同時に放たれる。重なる刃は激しく音を立て、火花を鳴らす。その渦中においてシェルシは呆然と放心状態に陥っていた。もう、何も戻らない。美しかった故郷も、優しく微笑んでいた姉も。もう何も戻らないと――そう知ったから――。


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