The truth(1)
「…………さて、バイクがぶっ壊れたわけだが……」
戦線を突破し、魔剣を片手にホクトは壊れたバイクを見つめてそう呟いた。背後、ホクトが斬り倒した数十人の騎士たちが倒れている……。ガリュウの圧倒的過ぎる戦闘能力を目の当たりにしたアクティはにわかには信じられないと言った様子でホクトを見つめていた。
「まあ、ヴァンがでたらめに強いのは知ってたけど……。ガリュウの能力、健在って感じ……」
「メリーベルにいじってもらったら滅茶苦茶調子いいんだよな~……。今なら白騎士にも多分負けないな」
「そ、そんなに!? まあ兎に角、早い所潜入しないと。ボクたちの担当は五番ゲートだよ」
巨大なカノン砲をバイクの傍に投げ捨て、アクティは愛用のライフルを装備する。ホクトが切開いた道を次々に反帝国軍が突き進み、今や市街地にまで戦域は広がりつつあった。ホクトの役割はこの混乱に乗じてゲートの一つを落とす事にある。アクティが戦闘準備を終えると同時に背後からうさ子が走ってきて二人の合流する。戦域の中でもみくちゃにされたのか、うさ子は肩で息をし、全身ボロボロになっていた。
「あ、うさ子が来た」
「アクティちゃん……ホクト君……ひどいの……っ! なんでうさのこと、置いてくの~っ!? うさ、途中から一人で走ってきたの……怖かったの~……っ」
「よく無事だったな……。リフルとロゼは?」
「本隊に合流して動くらしいから、えっと……」
「あっちは一番ゲートだね。本隊の行動をサポートする為にも、こっちに戦力をひきつけなきゃ! ホクト、うさ子、期待してるからね?」
ホクトがガリュウを揮い、うさ子がミストラルを構え、シャドーボクシングを繰り返す。二人ともやる気は十分であった。魔法と銃弾と矢が飛び交い、戦乱という名の破滅が広がっていく。その渦中を見据え、ホクトは歩き出した。
「とりあえず俺が道を切り開く。うさ子は俺のサポート、アクティは後方支援だ。うさ子、アクティを護ってやれよ?」
「わかってるの! アクティちゃんの事は任せてなのっ!!」
「別に護って貰わなくても自分の事は自分で出来るってば」
「アクティちゃんはお友達なの~! だからね、うさは一生懸命護りますっ!!」
「――――良い子だ。よし、行くぞッ!! いっちょあの城まで、ハロルドの顔を拝みにな――ッ!!」
ホクトたち三人の部隊が都市へと突入した頃、昴は混乱の中足を止めていた。襲撃に怯え避難し始めた市民の流れに逆らい、道を塞ぐ影が一つ……。ローブを纏った、黒衣の刺客……。それは三度目の邂逅、ミュレイの命を狙い続けてきた敵との再会であった。
昴は息を呑み、太刀を構える。構えるその手は振るえ、切っ先はブレている。襲撃者はそれを知ってか知らずか、最初から容赦なく愛用の魔剣を召喚して見せた。唸るエンジン音を隠そうともせず凶悪な刃の羅列を回転させ、チェーンソーを両手で構えるのだ。それだけで昴の心は押しつぶされそうだった。訓練など、ろくに出来たわけではない。基礎の基礎を学んだ程度の付け焼刃――それでも引き下がれない理由がある。
「あんたの……目的はなんなんだ……!? ミュレイを殺す事じゃないのか!?」
刺客は答えない。何故、ミュレイではなく昴を狙うのか――? 理由は判らなかった。考えてもわかりそうもなかった。だから昴は覚悟を決める。もう、逃げられないのだから……。
「そこをどけよっ!! 私は……ミュレイを助けるんだああああっ!!」
震える声で叫び、同じく震える足で走り出す。雄叫びと共に刺客へと襲い掛かるが、刃は回転するチェーンの火花にはじかれてしまう。そんな昴の背後、クナイが同時に三つ放たれた。刺客はそれを弾き、一歩後退する。
「昴殿ッ!! 無茶でござる! 彼奴は相当な使い手……! 昴殿ではどうにもっ!!」
「ウサク……。でも、だからって……引き下がれないよッ!! 逃げちゃ駄目なんだ……! 逃げちゃ駄目なんだあっ!!」
「昴殿……! 然らば……拙者も――ッ!!」
ウサクが小刀を抜き、昴の隣に並ぶ。二人の姿を前に刺客は自らの姿を覆い隠していたマントを片手で剥ぎ取った。現れた素顔は二人を仰天させ、威圧するに十分すぎる効果を持っていた。現れた刺客、“彼女”は蒼いドレスを身に纏い、そしてその顔は――無機質なる鋼鉄。光の下に浮かび上がったその顔は、まるで機械のカメラだった。そう、それは比喩ではなく現実――。頭部にカメラそう装備した、“首なし”の刺客――。息を呑む昴の傍ら、ウサクが呟いた。
「“自動人形”――!?」
ドレスの異形は蒼い光をはためかせ、チェーンソーを振りかざし襲い掛かってくる。ウサクは素早くそこにクナイを連続して投げ込んだ。駆動部に挟まったクナイの所為で回転する刃が一瞬停止し、ウサクはその隙を見て走り出した。地を這うような動きで懐に潜り込み、顔面を下から肘で打ち抜く。しかし相手の頭部は機械のパーツであり、ダメージを与えられているような気はしなかった。
「か、硬いでござる……!?」
「ウサク、どいてっ!! このぉおおおおっ!!」
駆け寄った昴が放った一撃は頭部を捉えていた。しかし鋼鉄の頭は切り裂く事が出来ず、昴はふらりと身体を揺らした。そもそも何故頭には攻撃が訊かない気がしているのに頭を狙ってしまったのか……。或いはそこが、“人間ではなく機械だったから”かもしれない。ぶれた昴に反撃の刃が繰り出されるが、ウサクが昴を抱えて跳躍しそれは回避される。
刺客は魔剣を機関銃に形状変化させ、両手でそれを構えた。昴は転びそうになりながらも走り出し、無人になりつつある広場に走っていく。道路はまだ人で溢れているのだ。あんな場所で機関銃など撃たれたらどんな事になってしまうのか、想像もしたくない。
背後から連射される弾丸の雨から逃れるように昴とウサクは慌てて噴水の影へと飛び込んだ。水面に水しぶきを上げ、白亜の銅像を砕き弾丸は暴れ狂う。頭を抱え、座り込む昴の隣ウサクは背後へ手榴弾を放つ。爆発が起き、ウサクは昴の手を引いて移動。兎に角留まることだけは避けなければならなかった。
「やはり、でたらめでござるな……!」
「こんなんじゃいつになってもミュレイのところにいけないよ……! 何とかしなきゃ……何とか……!」
「焦ったところで手が打てないのでは仕方ないでござるよ……。せめて拙者も魔剣が使えればよかったのでござるが……」
「魔剣……魔剣……か――」
手の中、白い刀が存在感を放っている。それは一度は砕け、しかし確かに再生した――。幻か、はたまた泡沫の夢だったのか……。だが、昴はその刀に大きな力と可能性を感じていた。今はただ、力が欲しい……。この場を切り抜けられない程度でミュレイを助けるなど夢のまた夢である。
走りながら握り締めた刀に願う。もしも死んでしまったミラが今、この世界を見下ろしているのだとしたら……。貴方の事を思い、後悔し、罪を背負って生きているあの人をどうか助けてほしいと。全部任せたりはしないから。自分で出来る事ならなんでもするから。だからその力を、貸してほしいと――。
「……姉上。姉上、聞こえるかい――?」
インフェル・ノアの通路の一つ。そこに腰掛けていたミュレイに背後から声が聞こえてきた。振り返る事はしなかったが、そこに立っているのが誰なのかは明らかであった。声だけで判断できるほど、ミュレイにとって彼は親しい間柄だったのだから。
「タケルか……!? どうしてここに……?」
「それは、僕も王族だからね。当然出席してるさ……。地上で、騒ぎがあったらしい。恐らく魔剣狩りが乗り込んでくるよ」
「馬鹿な……。自殺行為じゃ……」
歯軋りするミュレイの背後、タケルは正装で微笑んでいた。姉の紅い髪に触れ、その香りを楽しむように顔を近づける。戦乱の足音はぐんぐん迫ってきている。タケルは姉の手にそっと触れ、小さな紙切れを手渡した。
「脱出ルートが書いてある……。姉さん、ちゃんと無事に逃げるんだよ……?」
「タケル……? お主、どうするつもりじゃ……!?」
「それは――秘密。また後でね、姉さん……」
背後からタケルの気配が消え、ミュレイは小さく舌打ちした。タケルが何をしようとしているのかは判らないが、それが危険な事に変わりない。タケルの事も不安だったが、地上の事も気にかかる。身動きの取れない我が身を呪いつつ、ミュレイは祈るように目を瞑るのであった。
The truth(1)
「ホクト君ホクト君、あれあれっ!!」
市街地を走り抜けるホクトの手を引っ張り、うさ子が叫んだ。遠く、五番ゲートへと進んで行くシェルシの姿を見つけたからである。ゲートへと進む道は剣誓隊により包囲されており、ホクトは今まさにそれを突破しようと向かう所であった。
黄金の甲冑を身にまとった騎士たちの背後、シェルシは白い甲冑の騎士たちと共に歩いていく。美しい純白のドレスに包まれたシェルシを遠巻きに見つめ、アクティは小さく舌打ちする。
「全く、こんな時に暢気だよね……」
「シェルシちゃーんっ!! シェルシちゃん、こっちこっちなのーっ!!」
「ちょ……おま……。そういうことしちゃうかね現場で……」
両手をぶんぶん振り回し、大声でシェルシに呼びかけるうさ子。それが届いたのか否かは判らなかったが、シェルシは一瞬ホクトたちの方へと目を向けた。しかし直ぐに歩みを進め、転送魔法陣からインフェル・ノアへと転移してしまう。
「あう……行っちゃったの~……」
「しかし剣誓隊には思い切り気づかれたな……」
「ああもうっ!? うさ子の所為だからねっ!! 馬鹿!!」
「ご、ごめんなさいなの……?」
駆け寄ってくる剣誓隊を前にホクトはガリュウを揮い、目を瞑る。収束した魔力は体内から、対外から同時に練り上げた力で魔剣に秘められた力を呼び覚ましていく。
「うさ子、アクティ……しっかりついて来いよ」
「わ、わかった!」
「ガリュウ、封印術式開放……! さあ、パーティーの始まりだ!!」
黒い陽炎を纏い、ホクトが一気に走り出す。圧倒的な初動にうさ子とアクティがその姿を見失った瞬間、ホクトは剣誓隊の魔剣使い五人の前に立っていた。飛び込むと同時に回転し、ガリュウを揮う。一撃で魔剣使い三人を倒し、後続から飛んで来る魔法攻撃を剣で弾く。踊るように前に進み、黒い魔剣を大地へと突き刺した。魔法陣が大地に浮かび上がり、それは見る見る騎士団を飲み込んでいく。
魔法陣から次々に飛び出したのは無数の刃であった。一つ一つが別の形状をした魔剣、それらが一斉に波打つように出現したのである。刃の津波は帝国騎士団を飲み込み、剣誓隊をも一撃で一掃していく。剣を引き抜いたホクトはガリュウを肩に乗せ、そのまま生き残った魔剣使いへと襲い掛かる。
「アクティ、転送魔法陣を動かせ!!」
「す、すご……。こっちは任せて!」
援護する必要すらなく、ホクトは単身で無数の魔剣使いと渡り合っている。まるで近づく事も出来ず、ばたばたと倒されていく騎士たちを横目にアクティは転送魔法陣を起動させる為に術式に干渉する。背後、うさ子はじっと真上にあるインフェル・ノアを見上げていた。
「なんだかここ、見覚えがあるのー……。うさ、前にもここに来た事があるような気が……」
「ホクト、転送魔法陣動いたよ!!」
「あいよぉ――ッ!!」
ガリュウを振り回し、漆黒の波動で周囲の敵を全て吹き飛ばす。あっけなく防衛戦力を壊滅させたホクトは余裕の足取りでアクティまで歩み寄り、魔法陣の術式を覗き込んだ。
「よし、これでインフェル・ノアに突入出来るな。後続部隊の連中に連絡しといてやれ」
「うさ、なんにもすることがないのー……はうぅ」
「ホクトが強すぎだよ……。普通魔剣使い相手にそんなに圧倒的なのかなあ……」
「流石ホクト君なのっ! はうっ! はうはうっ!!」
両手を振り回し、ホクトを褒め称えるうさ子。魔法陣を起動し、インフェル・ノアへと向かおうとするホクトであったが、その背後に立ちふさがる影があった。白い甲冑に身を包み、その手には巨大な盾を模した魔剣を装備している。二人が対峙するのはこれで二度目であり――。“二度目は無い”と、そう誓った間柄であった。
「シェルシちゃんの、騎士さんなの……!」
「やば、あいつも魔剣使い……?」
ザルヴァトーレの騎士、イスルギ――。守るべき姫であるシェルシを送り届け、既に彼の役割の殆どは果たされたといっても過言ではない。騎士は魔剣を手に白いマントをはためかせ前に出る。ホクトたちがインフェル・ノアへと向かおうとしているのは明らかであり、そして彼にはそれを阻止する義務があった。
シェルシは……彼の護るべき姫は、覚悟を決めて己を犠牲にして歩き出したのだ。国の為にと、己に出来る事を成そうとしている。ならばそれを全力で支えるのが騎士として彼がやるべきことであり、彼の責務そのものなのだ。
「先日は、姫が世話になったな。だが確かに言ったはずだ。次はない……と」
「…………。あんた、シェルシの事を護りたくてカンタイルまで追っかけてきたわりには、アッサリとシェルシを嫁に出したんだな」
「姫ご自身が決めた事だ。騎士である私が口出しする事ではない」
「成る程ね……。でもお前、本当はシェルシを嫁入りなんてさせたくないはずだ。それも、望まない結婚なんてな」
イスルギは無言で盾を構えそこから槍を引き抜き構える。ホクトはそれに応じてガリュウを片手で構えた。イスルギはもう、ホクトの言葉に応えるつもりはないようだった。確かにお互い、ここで喋っている場合ではないのも事実である。
今にも戦いが始まりそうな一触即発の空気の中、ホクトの前に出たのはうさ子だった。うさ子はミストラルを装備した拳を構え、ホクトを庇うように腕を伸ばす。ホクトは黙って剣を引き、ガリュウを肩に乗せてうさ子を見やった。
「ホクト君、ここはうさが引き受けるの」
「……大丈夫か? そいつ、かなり出来るぞ」
「大丈夫なのっ! ホクト君の為にうさも戦うの! うさはね、ホクト君を助けたいの……! うさがホクト君を助けて、だからホクト君はシェルシちゃんを助けてあげてっ!!」
うさ子とホクトの会話終了を待たず、イスルギは槍と盾を構えて突っ込んでくる。繰り出される突きをミストラルで受け流し、うさ子はそれを掴んで蹴りを放つ。カウンターは盾で防がれてしまったが丁度拮抗状態が作られ、うさ子はホクトに叫んだ。
「早く!! ホクト君、お願いなのっ!! きっとシェルシちゃんも、本当は結婚なんかしたくないはずなのっ! だからホクト君、助けてあげてっ!!」
「…………。アクティ、うさ子の援護を頼む」
「え!? 一人で行くつもり!?」
「時間がねえ。それにここをこじ開けないとどっち道どん詰まりだろ? 後は任せる」
「あ、ちょっと!! ホクト――!? ああもう、しょうがないなあ……っ!!」
アクティがライフルを構え、うさ子とイスルギが互いに身を離す。ホクトはうさ子に護られ転送魔法を発動し、インフェル・ノアへと向かった。その道を塞ぐようにうさ子は拳を握り締め、構えを取った。
「退け……。無闇に命を奪いたくはない」
「うさは退きません! うさは、ホクト君の背中をお守りします! アクティちゃん、一緒に頑張ろうなのっ! はうはう!」
「う~……しょうがないなあ、もう……。まあ、ホクトを行かせるのがこの場合正解だよね……。やってやる……!」
槍を振り回し、それを大地に突き刺しイスルギは顔を上げた。壁と成っているのは少女――しかも二人とも、である。余り倒して気分のいい相手ではないが……選り好み出来るほど身分は高くないし、状況も余裕がない。イスルギは静かに呼吸を整え、戦う覚悟を――命を奪う覚悟を決めた。
「ザルヴァトーレ騎士団団長、イスルギ……! いざ、参るッ!!」
「かかってこいなのおおおおおっ!! はううううう~~っ!!!!」
イスルギが繰り出す槍とうさ子の拳が激突する頃――。放たれる弾丸の雨から逃れ、昴は物陰に隠れていた。困り果てた様子のウサクの隣、昴は刀をじっと見つめ続けている。やがてそれを強く握り締め、前へ――。無謀としか言い様のない暴走にも似た突撃であった。飛び出した昴は弾丸の雨の中を突き進んでいく。刀を片手に、真っ直ぐに――。
「昴殿ッ!?」
痛いのは、嫌だった――。死ぬのはもっと嫌だ。死んだら何も出来なくなる。死んだら後悔する事さえも出来なくなってしまう。
少女が己の罪に対し、たった一つだけ決してしてはならないと定めた法則……。それは、己の命を失う事。永遠に罪を後悔し続ける事こそ、自分に課せられた使命にして償いの形。ならばどうしても、この身一つだけは手放せない。
叫びながら昴は突き進んでいく。走馬灯のように脳裏には様々な景色が蘇っていた。ビルの上から落下するイメージ……。死が近づき、時が限界まで引き伸ばされ限り無く永遠に近づいていく。昴は見開いた瞳に様々な物を宿したそして――確かに前へ。命を落とす事無く。一歩、前へ。
ほんの僅か一秒未満の足取りだった。しかしそれは奇跡の一歩である。何百、何千と放たれる弾丸の中を昴は掻い潜り一歩を踏み出したのである。二歩目――。一歩目ならばまぐれですむ。だがこれをかわして前に進んだ時、それは偶然ではなくなるのだ。
二歩目――。歯を食いしばり、視線を反らさずに前へ――。ミュレイは月夜、寂しげに微笑んでいた。ヴァンは牢獄の中、悲しげに語っていた。そういう気持ちを知って、この世界で生きて、たとえ無力でもそれでも生きて戦うと決めたのならば――。
責務の二歩目。決して死ねないという責任が背中を押した。三歩目を繰り出せば奇跡は当たり前に成り下がる。前に跳躍し、鞘に収めたままの刀へと手を伸ばす。今度こそ、命を落とすかもしれない――。弾丸を吐き出す機関銃は獣のように吼え続けている。普通ならば考えられない、命を失って当たり前の状況。あと何メートル進めば敵を切れる――? 距離が果てしなく遠い。時間が果てしなく遠い。もっと早く、動けたらよかったのに。動けないならせめて――。目を閉じ、前を見る。瞬きと呼ばれるその刹那さえ、永久に等しく感じられた。
肉体と感覚の限界の壁を己の歩みで踏破する――。決意の四歩目が決まった時、少女は確かに人間として何か大きな壁を乗り越えたのだ。放たれる弾丸の中、足取りは軽やかに進んでいく。至近距離まで歩み寄り、繰り出す斬撃――! ドレスの刺客はそれを銃を使って防御するしかなかった。
「昴殿……!? よ、よけ……!? どうやって……?」
ウサクが唖然とするのも無理はなかった。昴は今、放たれるガトリングの放火の中を生身でただ走りぬけたのである。少女は小さく息をつき、防がれた刃を返して繰り出す。
「――――お願い、ミラ……。力を――貸して――!」
白い刀身が瞬き、魔力が通されていく。昴の中に眠っていた何かが剣を通じて引き出されていく。繰り出される二撃目はやはりまぐれなどではなく――。今度こそ、一撃は重く刺客を弾き飛ばした。
片手で刃をくるりと回し、鞘へ収める昴。崩れた広場の中、少女は静かに顔を上げる。その横顔は既に数秒前とはまるで別人――。思い出すように。歌うように。ただ高らかに――少女は決意を吐いて紡ぐ。
「――行こう、ミラ。目を覚ませ……破魔の刃よ……ッ!!」
すらりと、太刀を抜き去った次の瞬間、ひんやりと冷たい風が吹きぬけていた。風の中、昴は紙とシャツを靡かせ美しい挙動で太刀を引き抜いてみせる。主を失い、彷徨っていた太刀はようやく新たな主と出会った。目覚めた力が昴の腕に刻まれ、それは魔剣として本来の力を取り戻していく。
隙を見つけ、刺客は弾丸を放った。しかし昴は一切の無駄の無い計算しつくされた機械のような足取りでそれを掻い潜っていく。否――少女にはただ、弾丸が全て見えていただけの事である。その瞳は全ての物体の動きを見切り、思考は冷やされ少女の身体を誤差無く動かしていく。剣から放たれる白い光を揮い、繰り出した一撃――。大地を氷結させ、蜂起する無数の氷牙が刺客へと襲い掛かる。結晶の壁の中、昴は小さく呟いた。
「…………破魔剣、ユウガ――。それが、君の名前……」
自らが生み出した氷の壁越しに刃を降りぬく昴。手先でくるりと太刀を鞘へと収め、目を閉じ背を向けた。少女の背後、氷の壁は砕け散り衝撃で弾き飛ばされた刺客は意識を失ったのか、壁に激突したまま動かなくなっていた。
「す、昴殿……!? 何がどうなっているのでござるか!? それは、ミラ殿の技でござるよ……!?」
「…………多分、この剣にミラの気持ちが残ってるんだと想う。ミラも、ミュレイを助けたがってるんだよ……」
静かに太刀を握り締め、昴は真上を睨む。インフェル・ノア――。彼女の思い人はそこで待っている。急がなければならない。この気持ちを嘘にしてしまわない為にも。まだ後悔し続けている、彼女の妹の為にも――。
昴はウサクを置き去りに転送魔法陣へと走り出した。慌てて後を追いかけていくウサク……。見上げる空の上、インフェル・ノアではホクトが転送を完了し、外壁に辿り着いていた。周囲を取り囲む剣誓隊を見回し、男は剣を構え片手で招く。一斉に魔剣使いが動き出し、ホクトはその渦中へと飛び込んでいくのであった……。