炎魔ノ姫(2)
「この世界から争いが消える事は恐らくないのじゃろうな」
夜の闇の中、焚き火を囲む私達の中、ミュレイはそう寂しげに呟いた。大量の魔物を殆ど一人で駆逐した英雄……。彼女は魔物討伐の後、彼女が救った村に一泊していく事になったのだ。
当然、式神でもある私は彼女の傍に居なければならないわけで、彼女と共に辺境の村に残る事になった。焚き火を囲んでいるのは今の所私とウサク、そしてミュレイだけである。先ほどまでは村の人々のもてなしでどんちゃん騒ぎが続いていたが、今は宴もたけなわと言ったところだろうか。
酒を瓶で一気飲みしてはしゃいでいたとは思えないほど、ミュレイの瞳は憂鬱そうだった。彼女のこんな顔を見るのは、もう何度目だろうか。それは私が彼女と共に戦場に出てきた回数と比例している。
ミュレイは戦いが終わると、いつも悲しそうな顔をしていた。この世界には“魔物”と呼ばれる脅威が存在する。それはどこからともなく現れ人々を襲う。そしてそれは際限なく繰り返され、今までの歴史の中人々は常に魔物と戦い続けてきた。
魔物は誰にも根絶する事が出来ない。一説によれば、魔物の存在は人の業と深い関わりがあるのだという。魔物はただ人を苦しめる試練として存在する。そしてそれを駆逐する為に、人は罪の名を持つ剣で立ち向かうのだと。
勿論、御伽噺の域を出ない空想である。けれどもミュレイはこの煉獄の世界を本当に案じていた。プリミドールは第四界層と呼ばれる比較的安全な世界であり、ククラカンも同じである。しかしそれでも魔物は日々現れ、人を襲うのだ。
この世界に絶対安全な場所など存在しない……。ククラカンは広く、その全てを守る事はミュレイにも不可能なのだ。彼女は自分の身体がいくつもあれば、戦いも政も出来るのにと時々ボヤいている。
「何故、魔物は人を襲うのか……。わらわが式神の研究をしておるのは、人成らざる者の心を知りたいからなのかもしれぬな」
彼女は魔物が行軍していた荒野へと視線を向けた。立ち上がり、その先を指差す。闇の中には荒野、そしてその先には山脈が見えた。
「あの山脈を越えた先に砂漠があり、そのさらに先にはこの世の終わりがある」
「この世の……終わり?」
「プリミドールの限界じゃ。世界は板の上……そこからはみ出せば奈落へと落とされる。ここは、ククラカンの最果ての村じゃ。ここより奥には魔物と死しか暮らしておらぬ」
といわれても、あまりしっくり来ない。私の世界では世界は丸いものだったわけで……。ミュレイは腰に手を当て、闇へと続く山脈を見つめていた。炎に照らされたその横顔は美しく、思わず見惚れてしまう。
「全てを救いたいと……。守りたいと願うのは、愚かな事じゃろうか」
「え?」
「……この世界は狂っておる。人と人とが争い、縦の法則が適応され、そして日々魔物の脅威に晒され続けている……。わらわは、そんな世界を変えたいのじゃ」
「…………世界を……変える?」
「突拍子も無い話だと思うか? わらわは本気じゃ……。その為に、この国を、世界を守る為に力が欲しい……」
白く、しなやかな己の手を見つめ、ミュレイは搾り出すようにそう呟いた。それからいつものように人懐こい笑顔を浮かべ、私の肩を叩く。
「わらわは先に休ませてもらうぞ」
そう言って宿へ向かうミュレイ。その後を無言でウサクがついていこうとするのだが、ミュレイは足を止めて振り返らずにウサクに言った。
「ウサクも付いて来るな。お主は昴を守れ」
「は? いやぁ、しかし拙者は何時如何なる時も姫様の護衛を……」
「わらわが良いと言うておるのじゃ、主の命が聞けぬのか?」
「む、むむぅ……。然らば……御意」
納得は行かない様子だったが、ウサクはしぶしぶ頷いた。そうして宿に向かっていくミュレイを見送り、ウサクは再び焚き火に当たるように傍に腰を下ろした。
「姫様は戦いの後はいつもこうでござるよ……。昴殿が居てくれるからこそ、あれくらいで済むでござるが」
「……ミュレイ、どうかしたの?」
「姫様は……その、あまり戦を好ましく思っていないのでござる。元々、姫様はどちらかというと平和主義なのでござる」
全然そんな風には見えなかった。ミュレイはいつも大雑把で大胆で、ウサクの事もよく殴ったり蹴ったりしているし、もうドSって感じの人なのだが……。戦いも派手で勇壮で、文字通り英雄の如き振る舞いだったと思う。
しかし、ミュレイは私と一緒に居る時はああやって時々寂しげな表情を見せる事がある。ウサクに言わせるとそれはとても珍しい事らしい。ウサクとミュレイは昔からの付き合いで仲もいいそうだが、部下にそんな姿は見せられないとミュレイは強がっているのかもしれない。
「拙者も、忍になる前はこういう辺境の村で暮らしていたでござるよ。しかし、魔物の襲撃で村は滅んでしまったでござる」
「そ、そうだったんだ」
「途方に暮れていた拙者を拾い、忍として育ててくれたのが姫様でござるよ。故に、拙者は姫様の事をお守りするのが使命なのでござるよ」
「…………なんていうか。みんな、大変なんだな」
私は……正直、そういう辛いものはあまり背負っていない。全く背負っていないわけではないけれど、少なくともこちらの世界に縁はないのだから、魔物に襲われるとか戦うとかそういう事とは程遠い生活を送ってきた。だからミュレイやウサクの気持ちを理解する事は難しいだろう。
ミュレイはきっと、私の何倍も辛い気持ちを抱え込んで生きているに違いない。英雄として彼女は一歩も引けないのだ。弱音を吐く事も、倒れる事も、諦める事も許されない……。そんなミュレイの事を思うと、私も何かしてあげたいと思う。だが役立たずの式神に何が出来るというのか。
「それに姫様は婚姻の儀も迫っているから、きっと落ち着かないのでござるよ」
「婚姻の……儀?」
初めて耳にする言葉に思わず聞き返してしまう。するとウサクは一瞬ぽかんとした後、腕を組んで一人で納得するように頷いた。
「なるほど、昴殿は知らなくとも詮無き事でござる。婚姻の儀というのは……」
ウサクが説明を始めようとしたその時だった。ミュレイが休んでいる宿の方から大きな物音が聞こえてきたのである。壷だか花瓶だかが割れたような音で、それに続いて部屋の中で爆発が起こった。呆気にとられ全く動けない私の隣、ウサクは直ぐに立ち上がり動き出していた。
「姫様!! 何事でござるかああああっ!!」
「え、あ……ウサク!?」
こんなわけのわからない所に一人で置いていかれたら怖いじゃないか……。というか、流石にミュレイの身に何かが起きたのだと考えるべきだろう。私もウサクに続いて走り出すが、ウサクの足は私の何倍も速かった。すぐに突き放され、結局一人で走る事になってしまった。
ミュレイはたまにこうして一人になりたがる。それに姫の癖に普通の旅人が使うような宿で寝泊りしたりするのだ。そういう所がまた彼女らしかったりもするのだが、やはり一国の姫なのだからそれなりに警戒はするべきだったのだ。
いや、しかし魔物の大群を退けるミュレイである。ちょっとやそっとでは何が起きてもケロリとしていることだろう。彼女の実力を知っているからこそ、ウサクも大人しくついていかずに残ったりするのだ。私はそれを思い出し、すっかり安心しきっていた。
殆ど心配しないまま宿に駆け込むと、部屋の中は爆発の痕跡でところどころに火が残り、壁は黒く焦げ付いていた。ミュレイはベッドの上に腰掛けたまま足を組んでいる。彼女の眼前には何故か鎧を着用した者たちがこげて転がっていた。
「ミュレイ、これは!?」
「おぉ、昴か。いや、別にどうという事もない。ただ少し鼠が入り込んだだけの事じゃ」
ということは、襲われたという事なのだろうか。倒れている騎士のような格好をした西洋甲冑の人物たちは手に剣を持っている……と、そこでふと気づく。剣? 甲冑……? こんな服装の人間、ククラカンにいるのだろうか……?
個人的に、この異世界は全部ククラカンのような文化の国だと思っていたのだがどうやら違ったらしい。一人でそんな事を考えていると、背後ではウサクがミュレイの身を案じて身体をぺたぺた触り、顔面をブン殴られていた。ミュレイ……その細腕の何処にウサクをぶっとばす力があるのだろうか……。
とりあえず、ミュレイに怪我はなかったようだ。それに先ほどの物音で兵士たちも直ぐに集まってくるだろう。そう安堵し、ほっと胸をなでおろした――その時であった。
「――――動かないで下さい」
背後、何者かの声が聞こえた。それと同時に闇の中から伸びてきた腕が背後から私を拘束し、首元に鈍く光る刃が押し当てられる。何が起きたのか思考が追いつかなかった。身体の自由が利かず、もがいてみるが効果はない。
何者かに襲われたのだと気づいたときには全てが遅かった。ウサクもミュレイも険しい表情で私を見つめている。厳密には私ではなく、私を背後から羽交い絞めにしている何者かを――。
「ミュレイ・ヨシノ……貴方を拘束します。彼女の命が惜しければ、魔剣から手を放して下さい」
見ればミュレイはいつの間にか召喚した魔剣ソレイユを握り締めていた。しかし襲撃者はそれを目ざとく発見し、ミュレイにぴしゃりと言い放つ。苦虫を噛み潰すような表情でミュレイは魔剣を解除する。私はその瞬間、自分がとんでもない事をしてしまったのだと自覚した。
戦いの素人が、ここまで出張ってきてしかも人質になってミュレイを追い詰めてしまっている……。大人しく城で待っていればこんな事にはならなかった。ウサクなら、こんな風にあっさりと捕まるようなヘマはしなかったのだろう。私は組まれるまで、全く何をされたのかもわからなかった。
ミュレイだけではなく、ウサクも動けない様子で息を呑んでいた。途端に恐怖で全身から冷や汗が流れ出る。身体は正直に恐怖で震え、熱いはずなのに何故か背筋がぞっとした。目の前に、死を運ぶ物があるのだ――怖くないはずがなかった。
「……お主の言うとおりにしよう。昴を……その子を放してくれ」
「貴方の封印が先です。指先一つで魔術を無詠唱に放てる貴方の事です、一瞬の隙をついて彼女を助け私も撃退するつもりでしょうが、無駄な事です」
声からして、後ろに居るのは女のようだった。女は私の首筋にナイフを突きつけたまま、片手をミュレイに伸ばす。それに対し、ミュレイは全く抵抗の意思を見せなかった。足を組んだまま、両手をだらんと投げ出している。まさか、私を助ける為に本気で言われる通りにするつもりなのか――? そう思った時、しかしウサクがミュレイを庇うように前に出ていた。
「ウサク!」
怒鳴り声を上げたのは敵ではなくミュレイだった。しかしウサクは退かず、困ったような表情でこちらを見つめている。そうだ、ウサクの使命はミュレイを守る事……。ミュレイと私の命、どちらを優先するのかは決まっている事だ。
ついさっきウサクは話してくれたじゃないか。自分の恩人であるミュレイを守る事が自分の使命だと……。ウサクは――私を見殺しにするかもしれない。そう考えた時、急に私は怖くなった。今までも怖かったが、もっともっと怖くなった。
心のどこかでミュレイならなんとかしてくれる、助けてくれると信じている自分がいたのだ。だから身体が震える程度で我慢できた恐怖だったが、今はもう頭がおかしくなりそうなくらいに怖くなっていた。ウサクは、ミュレイを守る為なら私を犠牲にする――そんな考えが浮かんでしまったから。
「そこを退いてください」
「退け、馬鹿者!!」
「し、しかし拙者は……っ」
私はもう泣きたい気分でいっぱいだった。何でこんな目に会うんだろうか。私は別に何か悪い事をしたわけでもないのに……。きつく目を瞑り、恐怖をかき消すように心の中で助けを求め祈り続けた。ふと、脳裏に大切な人の後姿が思い浮かんだ。彼ならきっと、こんな時には助けに来てくれるのに――。
刹那、一瞬の思考の停止――。そして私は大きく前に突き飛ばされていた。女の立っていた場所の背後は宿の壁だったはずだ。しかしそこが轟音と共に砕け、女は私と共に吹っ飛ばされたのである。
襲撃者の背後から現れたのは巨大な槌を手にした大男だった。まさか壁ごと砕いて背後から襲撃があるとは思って居なかったのか、女は慌てた様子で受身を取り、体勢を整える。しかしそれと同時にミュレイが魔剣を装備し、ウサクが短刀を手に走り出していた。
一瞬に全員が動き出す――。そんな中、私の時間だけが止まっていた。吹き飛ばされた勢いで背中を強く打ち、呼吸が苦しくなる。必死で立ち上がり逃げようとするが、足がもつれて上手く動けなかった。女の襲撃者は白いマントで全身をすっぽりと覆っていたが、その下に見えるのは蒼いドレスのようは服装だった。とてもじゃないが戦闘に向いているとは思えない服装――しかし、腕には見覚えのあるものが見える。
それはミュレイの腕にもあった、魔剣使いの紋章だった。女の腕が輝き、空間に剣が構築される。それがどんな形状だったのかはわからなかったが――わからなかったのは私だけだったらしい。乱入してきた槌を持った兵士、ウサク、ミュレイ――全員がまるで何かを避けるように屈んでみせる。ただ棒立ちしているのは、私だけだった――。
「――――昴ッ!!」
「……え?」
ミュレイが絶叫し、一度は回避の姿勢をとったものの私目掛けて飛び込んでくる。ミュレイはまるで私を庇うように身体を抱き、倒れこむ。そして女が構築した魔剣が、ぐるりと周囲を薙ぎ払った――。
丁度それは私の胸元があったあたりの位置を横に一閃、薙ぎ払う――。部屋の中にあった全てが衝撃で吹き飛び、壁が崩れ落ちていく。そして私は見たのだ。私を庇い、飛び込んできたミュレイの背中を魔剣が確かに斬りつけたのを――。
大量の血が頭から被せられ、ミュレイが苦悶の表情を浮かべているのが至近距離で確認出来た。認識と遅れて私とミュレイは倒れこみ、彼女は私の無事を確認し……それから一瞬、優しく微笑んだ。
「……ミュレイ?」
ミュレイの身体からこんこんと湧き出る血の中に私が落ちていく。彼女は目を閉じ、そのままもう目覚める事はない――。ウサクの叫び声と同時に兵士が敵へと襲い掛かるのが見えた。私はそうして、彼女が自分を庇って死んだ事実を認識するのである。
私を庇って、ミュレイが死んだ……。余りにも唐突すぎる展開だった。正直、ついていけない……。息が上がる。動悸が激しくなる。頭の中がグチャグチャで、そしてあの時の事故の様子が脳裏に再生された。
ビルから落ちていく彼の姿……そして、大地に広がった彼の死体……。私を守る為に、また誰かが死んでしまう……。震える手でミュレイの身体を抱きしめた。血はとても、暖かかった。ぬるりとした感触……死を否応なく、私に協力に突きつけてくる。
カチンと、どこかで何かの音が聞こえた気がした。自分でもわけのわからない言葉にならない叫びを上げた。その瞬間、眩い白い光が世界を包み込んでいくのが見えたのだった――。
炎魔ノ姫(2)
一瞬に全員が動き出す――。そんな中、私の時間だけが止まっていた。吹き飛ばされた勢いで背中を強く打ち、呼吸が苦しくなる。必死で立ち上がり逃げようとするが、足がもつれて上手く動けなかった。女の襲撃者は白いマントで全身をすっぽりと覆っていたが、その下に見えるのは蒼いドレスのようは服装だった。とてもじゃないが戦闘に向いているとは思えない服装――しかし、腕には見覚えのあるものが見える。
それはミュレイの腕にもあった、魔剣使いの紋章だった。女の腕が輝き、空間に剣が構築される。それがどんな形状だったのかはわからなかったが――わからなかったのは私だけだったらしい。乱入してきた槌を持った兵士、ウサク、ミュレイ――全員がまるで何かを避けるように屈んでみせる。ただ棒立ちしているのは、私だけだった――。
「――――昴ッ!!」
ミュレイの叫ぶような声が聞こえた瞬間、私は逆にミュレイの方に跳んでいた。何故そんなに思い切った事をしたのかはわからない。しかし、それは正しい行動だった。ミュレイの身体を逆に抱きかかえ、私は転がった。その頭上を構築された女の魔剣が薙ぎ払ったのである。
部屋全体の衝撃が広がり、壁が砕け散る――。私はミュレイの身体を必死に抱きしめたまま床で丸くなっていた。この戦いが早く終わってくれる事……それを祈る事しか今の私に出来る事はなかったのである。
魔剣を手にした女は私とミュレイの無事を確認し、しかしウサクと槌を持った兵士が同時に襲い掛かってきた事により後退する。既に周囲は兵士によって包囲されていた。襲撃者は引き際だと判断したのか、崩れた壁の上に一度跳躍し、そこを足場に兵士の包囲を飛び越え走り去っていく。
兎に角、襲撃者は居なくなった……。崩れた壁の瓦礫の中、私はその事実に今度こそ胸をなでおろしていた。強く、強くミュレイを抱きしめる。彼女が無事である事を確認したかったのである。そうしてゆっくりと身体を起すと、丁度ウサクが駆け寄ってくるのが見えた。
「姫様、昴殿ッ!! 無事でござるか!?」
「……ウサク。うん、なんとかミュレイも無事――――?」
ふと、そこで私は違和感を覚えた。確かにミュレイは無事だ。無事なのだが……ふと、抱きしめているミュレイの顔を見つめる。ミュレイは随分とかわいらしい様子で気を失っているようだった。いや、かわいらしい……?
「…………ひ、姫様?」
「……ミュレイ……?」
私もウサクも同時に絶句した。なんと、私の腕の中にいたミュレイは――。こんなことってあるのだろうか。折角、助けたのに――。血の気が引いていくのがハッキリと判った。何がどうなったら、こんな風に――。
「姫様が……ちっちゃくなったでござる――」
「う~む……? まさか、本当に童に戻ってしまうとはのう……」
焚き火に当たりながらミュレイらしき子供はそんな事を呟いた。中々あっけらかんとしているのだが、片やウサクは炎の前で両手足を地面について項垂れており、私も両手で頭を抱えて沈黙していた。
謎の襲撃者による攻撃から既に数十分が経過している。私達は一先ず焚き火の前に戻ったのだが、とんでもない状況に変わりはなかった。依然、問題は何一つ解決などしていない……。
襲撃者が剣を振り回した次の瞬間――厳密にそれが発生したのがいつかは誰も覚えていないが――異常事態が発生したのである。なんと、ミュレイの身体は突然小さくなり、子供のような姿になってしまったのである。外見的には十歳前後くらいだろうか? 声色も随分と幼くなり、巨大だった胸もすっかりしぼんでしまった。イやそれはどうでもいいところなんだが……。
正直、混乱するなというほうが難しい話である。ミュレイは今は元々着ていた着物の裾を切ったりして小さくして何とか着ているものの、つい先ほどは小さくなったことが良く判らず裸のまま十二単から引っ張り出してしまうなどのハプニングがあり、ウサクが奇声をあげたりしていた。
「まあ、全員無事じゃったのだから、よいではないか」
「よく……ないと思う……」
「拙者は……拙者はどうすればよいのでござるかあああっ!! ぬおおおおおお――――ッ!!」
「うっさいわばかもの!! 少し落ち着かんか!」
「ミュレイが落ち着きすぎだよ……」
「まあ、大方襲ってきた女の魔剣が持つ固有能力か何かじゃろう。相手を童子の姿にする能力というのがあっても別におかしくはない」
「そんな能力ってあるのかなぁ……」
ってか、誰得……。
そんな事を考えていると、背後から大きな影が近づいてきた。先ほど、巨大な槌で壁を破壊し背後から私を助けて(?)くれた兵士だった。男はどっかりとウサクの隣に腰掛け、それから腕を組んで小さくなったミュレイを見下ろした。
「ほお……。随分とまぁ、小さくなったもんじゃあねぇか……姫様よ」
「“せくしぃ”ではなくなったが、“ぷりてぃ”になったじゃろう? ゲオルク」
ゲオルクと呼ばれた男に私は見覚えがあった。普段から見ているわけではなかったが、剣術の訓練で道場に行ったり城内をぶらぶらしているとたまに見る事があったのだ。かなりの巨体に強面の顔のお陰で強く印象に残っていた。
どうやらゲオルクとミュレイは親しい仲にあるらしい。ゲオルクは倒れて泣いているウサクをひっぱり起し、無理矢理椅子に座らせていた。
「悪いな姫様。襲撃者は取り逃がしちまった」
「……まあ、そうじゃろうな。並の魔剣使いではなかったようじゃし、深追いは禁物じゃろう。それより襲撃者の正体は判ったか?」
「まあ、大体予想通り……と言った所かねぇ」
最後に現れた女は取り逃がしてしまったが、それ以外に襲撃してきた騎士たちからは装備などを押収することに成功したらしい。そこから大体どこの手先なのかが判断出来るという。
「まぁ、鎧はザルヴァトーレの一般兵がつけているものだった。剣も同じだな」
「ザルヴァ……トーレ?」
「隣国じゃよ。そして、ククラカンとは長らく険悪な関係の国じゃ」
ミュレイはウンザリした様子でそう教えてくれた。ククラカンとザルヴァトーレ、その二つがこの第四界層プリミドールには存在しているのだという。
丁度二つに分かれた国土を持っており、それぞれが太陽の国、月の国とも呼ばれている。ククラカンには昼の時間が多く、ザルヴァトーレは夜の時間が長い事に由来している。
そしてこの二つの国家は帝国に続く権力を持つ国で、どちらか帝国の恩恵を最も受けられる国なのか、その国力を争っているのだという。表向きに戦争は起きていないものの、ミュレイは幼い頃からザルヴァトーレの暗殺者の脅威に晒されていたのだとか。
「まあ、お陰で強くなったから良かったのじゃがな」
「それじゃあ、そのザルヴァトーレっていう国が、ミュレイの命を……?」
「婚姻の儀が迫っている今だからこそ、その可能性は高いな」
ゲオルクが言う婚姻の儀とは……。そういえば、ウサクもさっきそんな話をしていたような気がする。
「何はともあれ、今日のところは警戒を怠らずに休んだ方がいい。見張りは俺とウサクでやる。あんたとそっちの小娘はあったかくして寝てろ」
立ち上がり、同時にめそめそしているウサクの首根っこを掴んで持ち上げるゲオルク。二人に言われるとおり、私とミュレイは宿の中に入る事にした。
しかし、とてもじゃないが眠れるような心境ではない。暗殺者の襲撃と、小さくされてしまったミュレイ……。私はこれからどうすればいいのだろうか。先の事が不安でどうしようもなかった。
「まあ、なんとかなるだろうよ。そう気を落とすな、昴。お主が無事で、何よりじゃよ」
優しく、しかし子供っぽい愛らしい笑みを浮かべるミュレイ。その笑顔が嬉しく、そして心苦しかった。窓の向こう、空に浮かぶ光……。眠りにつけるかどうかは、怪しい所だった――。