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炎魔ノ姫(1)


 彼女はまるで、炎のような人だった――。

 その身に紅蓮を纏い、燃え盛る焔の中で舞い踊る姫――。ずらりと並んだ兵士たちの先頭に立ち、彼女はあえて危険にその身を晒すのだ。そうする事だけが、唯一信頼を勝ち得る行いである事を知っているから……。

 私に出来る事は、ただ彼女の無事を祈る事くらいである。彼女の眼前、夜の荒野には数え切れない程の影が蠢いている。荒野を行軍する、黒き魔物の群れである。群れが向かっているのは、彼女の背後にある村――。人工僅か数十人の、とても小さな――しかし決して彼女が見捨てようとはしなかった村。彼女はそれを守る為、兵を引き連れてここまでやってきた。救いを求める、願いの声に従って。

 彼女が空に手を伸ばした。そこに、紅い光が集っていく。編みこまれた優雅な剣、しかしそれは剣というには余りにも奇形だった。彼女の持つ魔剣、“炎魔剣ソレイユ”は剣であって剣ではない。その刀身は何かを切断するためではなく、彼女の魔術を強化する為に使われる。

 焔の巫女はその剣を揮い、兵達はそれに従う。まるで一つのオーケストラを見ているかのようだった。揮われる紅き刃はまるで指揮者のタクト――。演奏が開始されると同時に兵士たちが同時に弓矢を放つ。雨のように降り注ぐ矢は弧を描き、魔物の群れへと襲い掛かった。それが合図であった。


「誰もわらわの前には出るでないぞ。その命惜しくば――ただその瞳に焼きつけよ。これが、大魔道の力よ――!」


 彼女は時に、こうよばれる。“大魔術師”、“炎魔姫”――。彼女は……ククラカン第一王女、ミュレイ・ヨシノは。この世界で最強の魔力を持つとまで噂される、絶対無敵の力を持つ魔剣使いなのである。

 ミュレイが着物のスリットから長くすらりと伸びた足を広げ、炎魔剣ソレイユを振り下ろす。大地に巨大な紅い魔方陣が浮かび上がり、ミュレイの身体は宙に浮かび上がった。兵士達が放つ矢が一斉に停止し、舞い上がったミュレイを誰もが見上げていた。

 踊るように、まるで空中に舞台があるかのように……ミュレイは優雅に舞い続けた。大地に浮かび上がった魔方陣から紅い光が空に立ち上る。光は厚い雲を突き破り、天空の彼方から紅き光の雨となって降り注ぐのだ。

 彼女の周囲を舞い踊る紅い花弁にも似た魔力の光、そしてその美しさに見惚れている間に炎の流星群は戦場へと降り注ぐ。大魔法と呼ぶに相応しい、絶対的な威力と範囲を誇るそれを彼女は何の前動作も無く、あっさりと放ってみせるのである。

 魔物に突き刺さるように降り注ぐのは一つ一つが圧倒的な破壊力を秘めた炎の魔法である。大地に落下すると同時に大爆発を巻き起こし、魔物を次々に巻き込んでいく。それでも魔物は止まらない。数が多すぎるのだ。それは三桁単位の大軍団であり、決して一人でどうにかできるような数ではない。

 だが私は迷いもしなかったし、焦る事も不安に思う事もなかった。ミュレイは再び剣を揮い、舞い踊る。その鼓舞に引きずり起されるように、大地の魔方陣より巨大な光が浮かび上がった。

 空中、光は折り重なって形を成していく。ミュレイはその巨大な影の上に載り、優雅に足を組んで座っていた。出現したのは炎を纏った巨大な龍であった。ミュレイが口元に手を当て、そして剣を振るうとそれを合図に龍は空に慟哭する。

 魔物の全てが怯え、足を止めた。しかし龍は翼を広げ、二本足で走り出す。ミュレイを乗せた左掌を掲げたまま、右腕を振り回し魔物の群れを薙ぎ払っていく。口元に溜め込んだ莫大な魔力を一気に炎として吐き出し、荒野を更に焼き尽くすような焔の吐息は全てを薙ぎ払っていく……。

 炎の龍はミュレイを乗せたまま、わずかばかり残った魔物の群れに吼えた。それだけで魔物たちは尻尾を巻いて逃げ出していく。こうなる事は、誰もが理解していた。しかしそれでも歓声が沸きあがり、賞賛の声が彼女へと向けられる。

 人々の感謝と崇拝の念は割れんばかりに響き渡り、正に嵐のようだった。私はその渦中に身を置き、静かに彼女に視線を向けていた。人々の声に応える気さえもない彼女のつれない態度は、しかし高貴さを振りまくに十分足るものであった。

 私がこうして戦場に出てくるのは、既に何度目だったか……。しかし、毎回私達に出番が回ってくる事はない。なぜならばこの国は――。ククラカンという国は。彼女、ミュレイ・ヨシノという絶対的な守護者によって守られているのだから……。

 この私こと、北条 昴がロクエンティアと呼ばれる世界に召喚され、早くも一ヶ月の時が経とうとしている。私はいつしか、彼女……ミュレイに憧れの念を抱くようになっていた――。




炎魔ノ姫(1)




 こちらの世界に召喚されてから暫くの間、私はそれはもう引き篭もりに引き篭もった――。

 元々、活発な性格とは程遠かったし、わけのわからない状況に強く打ちのめされていたという事もある。正真正銘、心の底から私は途方にくれていたのである。

 わけのわからない世界。わけのわからない召喚。失われてしまった一部の記憶……。救世主だとか呼ばれてはいるものの、私にはこの世界に救世が必要なようにはとても見えなかった。なぜならばククラカンの首都、ラクヨウはとても明るい人々の活気に満ちており、今日も昨日も、そして恐らくは明日も平和そのものだったからである。

 何もする事のない私は、ただラクヨウにあるラクヨウ城の一室から城下町を見下ろす日々を過ごしていた。食事はウサクが持って来てくれるし、困ったことはなんでもウサクが相談に乗ってくれた。まるで忍者というよりは召使だなあ、なんて事を思っていたが、それはあながち間違いでもないらしい。

 ウサクは忍なのだが、ミュレイ専属の忍なのだという。故に通常時はミュレイの面倒を見るのが主な仕事であり、彼女の出す無理難題に必死で応えるのが彼の日常なのである。それに比べれば私の世話はまるで手を焼かないと、彼はニコニコしながら語ってくれた。

 そんな平和ボケした毎日が続き、私はすっかり悲しみに暮れていた理由も忘れてしまった。そういえば現実世界でいろいろあったよーな気がするが、もーどうでもいいーっていうか……。考えてもしょうがないというか……。だって戻れないのだ。全部台無しになってしまったのだ。もう、私に生きている意味はない。だけどおなかはすくし死ぬのは怖いのだ。だからしょうがない、生き続けるしかないのだ……。

 失意に暮れ、ただ部屋の隅で膝を抱えて過ごす日々……。そんな日々が数週間続いたある日の事。久しぶりに私の部屋にやってきたミュレイは、私の前に腰掛けてにっこりと笑みを浮かべていった。


「お主、剣を習ってみぬか?」


「…………は?」


「剣術じゃよ、剣術。お主も救世主なのじゃから、剣術くらいは嗜んでおかねばのう」


 そう語り、ミュレイは片手を軽く掲げ、指を弾いた。すると窓からウサクが現れ、一振りの刀を主へと差し出したのである。ウサクは何かあると直ぐに動けるように、常にミュレイの傍に隠れているらしい……。

 ミュレイは受け取った刀をそのまま私へと差し出した。顎でそれを受け取るように指図してくるが、私は正直それが怖くて仕方がなかった。何しろ本物の刀というやつなのである。そんなもの、怖くて持てる気がしない。

 おどおどと、ミュレイの顔色を伺いつつたじろぐ私に彼女は笑みを作り、そっと優しく私の手を取って剣の柄を握らせた。それに逆らうことが出来ず、私はただなされるがままに剣を握り締めた。


「つくづく、愛い奴じゃのう~……昴は」


「……ミュレイ、あの、私は……その、こういうものは……」


「大丈夫じゃ、まずは挑戦する事が大事なのじゃ! 昴、お主には沢山の才能がある。それを開花させる為には、己の腕を磨くしかない。才能とは、己の力で目覚めさせる物なのじゃ。まずはその手で何かを掴んで見よ。さすれば、自ずと何をすべきかは見えてこよう」


「……いや、それ以前にミュレイ。私は、救世主として何をすべきなんだ?」


 私の質問にミュレイの笑顔が固まった。そう、実のところ今日まで何度もこの質問はミュレイへと投げかけているのである。しかしミュレイは毎回質問の答えをはぐらかしてしまう。今日こそはと引き下がらない覚悟で身を乗り出すと、ミュレイは仕方が無くと言った様子で溜息交じりに教えてくれた。


「実は、お主が何で召喚されてしまったのか、わらわにもよくわからんのじゃ――」


「……はいっ?」


 そう、ミュレイは答えをはぐらかしていたのではない。ただ、答えられなかっただけなのである。彼女は元々、私を召喚するつもりなど、微塵もなかったのだ――。

 彼女は魔術師であると同時に、“式神”と呼ばれる存在を使役する特殊な術者でもあるのだ。式神は代々ククラカンの王族にのみ継承されている秘術であり、“魔物クリム”と似た存在を己の意のままに操ることが出来る強力な術なのである。

 ミュレイはその術を使用する為に必要な、契約と召喚の儀式を行っていた最中、私を誤って召喚してしまった――というのが事の顛末である。その話をしている最中、ミュレイはあっけらかんと笑っていたのだが、私は今にも泣き出しそうであった。

 元々、式神とはこの世界に存在するものではなく、外なる世界――つまり判りやすく言うと異世界から召喚するものであり、彼女が得意としている式神の召喚というのも全ては異世界から、ということらしい。しかしこれまで人間を召喚してしまった事は一度もなく、そして戻し方も判らなくなってしまったらしい。


「本来ならば、式神は召喚から一定時間が経過するか、わらわが任意で元の世界に戻す事が出来るはずなのじゃが、お主はどうにもそれが出来んのじゃ、すまぬすまぬ」


「すまぬすまぬって!?」


「兎に角、お主が何故召喚されてしまったのか、そしてお主が何を成すべきなのか、それはわらわにはわからんのじゃ」


「じゃあ、救世主っていうのは!?」


「それは、ククラカンに伝わる伝承の一つじゃよ」


 そう切り出し、彼女が聞かせてくれたのは所謂御伽噺であった。かつて、ククラカンがまだ国として成立するよりも前の時代を舞台とした、文字通りのファンタジーである。

 ククラカン王族の先祖は、式神の術式を開発した際、初めて召喚に成功したのが救世主と呼ばれる存在であったという。それは人の形をしており、異世界の知識を人々に与え、ククラカンの発展に大きく貢献した。そしてその後に起こった“大破壊”と呼ばれる巨大な災いを退け、人々に安息を齎したとされている。


「ざっくばらんに言えばそういうことでな。人型の式神というのは、代々救世主であるとされていたのじゃ。そして実際に召喚されたのが、お主であったというわけよ」


「…………。じゃあ、私はその御伽噺を信じて救世主なんですか?」


「そういう事じゃな、ふふふ」


 いや、ふふふじゃなくて――。私は盛大に溜息を漏らし、その場に両手両膝をついた。ミュレイはまるで私の事を深刻に考えてくれている気配が無い……そう思ったのだ。彼女の式神とやらになってしまった以上、彼女が私を元の世界に戻してくれることが唯一の希望であった。しかし、その望みは儚くもあっさりと断たれたのである……。

 これはへこたれざるを得ない……。泣きそうになっている私の肩を叩き、そしてミュレイは何を思ったのか私の身体を優しく抱きしめてきたのである。ミュレイの身体からは、優しい花のような香りがした……。はだけたデザインの胸元の白さと押し当てられる感触の柔らかさに思わず赤面してしまう。ミュレイはとても女性的で、かつ魅力的だった。同じ女でも、ドキリとしてしまうほどに。


「まあ、なんでもよいではないか。わらわはお主に逢えて、良かったと思っておる」


「……よかった?」


「お主は可愛いし、話していて楽しい。それだけでわらわは満足なのじゃ」


 本当にそうなのだろうか――? 私は、ただ食っちゃ寝の生活を続けているだけで、何一つ人の役に立つようなことはしていない気がするのだが……。こうしてミュレイに抱きしめられ、撫でられているともう何もかもどうでもよくなってきそうでとても怖かった。うう、美味しい食事に綺麗な眺め、何不自由ない生活に更にこんなに優しくされたのでは、マトモな生活に戻れなくなりそうだ……。

 思えば私の現実世界での生活も今とあんまり変わっていなかったような気もする。大きく変わったのは文化とそして大学に通い他人に合わせてヘラヘラするという一日の大半を占めていた愚行が無くなったくらいで、結局向こうでも私は先生や奥さんにベタベタに甘えていたわけで……。

 甘え癖がついてしまっているのだとすればそれは由々しき事態である。しかし、ミュレイの撫で方はとても心地よく、中々離れられる気がしない。このまま式神として躾けられてしまうのではないかと考えるとなんだか泣きたくなった……。


「兎に角、その刀はお主にやる。好きに使え」


「……は、はあ」


「ウサク、使い方を教えてやれ」


「拙者がでござるか? しかし拙者、刀の扱いは専門ではござらぬが?」


「だったら自分で何とかしろ。お主の頭は南瓜なのか? わらわがやれと言っておるのじゃ、なんとかしろ」


「え、えぇ~……? 姫様ががそう仰るのであれば、まあ拙者も頑張ってみるでござるが……」


「最初からそう応えんか、ばかもの」


 ミュレイは散々ウサクをいじめた後、そのまま退室していった。窓の外に立っていたウサクはノロノロと窓から部屋の中に入り、肩を落として困り果てていた。


「姫様はいつもあんな感じなのでござるよう」


「……大変なんだ、ウサク」


「大変でござるよ~……。まあ、命じられてしまったものは仕方が無いのでござる。不肖このウサクが、剣術の稽古をつけて差し上げよう! ニンニン!」


 なんだかんだでノリ気だったウサクに連れられ、こうして私の剣術修行が始まった。とはいえ、実は少しばかり師匠に齧らせて貰った事があったので、初めてというわけではなかったのだが――。

 ふと、剣術の稽古というものをしていると師匠たちの事を思い出した。今頃師匠は何をしているだろうか……。私が居なくなったら、あの道場の門下生は一人もいなくなってしまうわけで……。そんな心配をしつつ、ウサクに連れて行かれたのは城の中にいくつか存在する道場の一つであった。広々とした道場の中では、既に何人もの人々が剣の鍛錬を重ねている。竹刀を打ち合わせる音だけが響き渡る落ち着いた雰囲気の中、私は何故か懐かしさを感じていた。

 とりあえず邪魔になると悪いので、隅っこの方に移動する。当然行き成り真剣なんて使ったら危なすぎるので、練習用の竹刀を手に取る。こうしてウサクによる剣術修行が始まったのだが……。


「まずは簡単なところから伝授するでござるよ」


「よ、よろしく」


「では、まず竹刀を構えるでござる!」


「うん」


「そしたらまず二人に増えて……」


「ストップストップストップッ!!!!」


 大声を出す私の目の前、二人に分身したウサクが同じように目を丸くしていた。


「「 どうしたでござるか? 」」


 なんというセルフステレオ……。じゃなくて、そんなの行き成り素人が――というか人間が出来るはずがないだろう。私は懸命にそれをウサクに伝えたのだが、彼は困ったように腕を組み、一言。


「これより簡単な術は拙者判らないでござるよ」


 なんで剣の稽古をするはずがまず分身なのか全く理解できなかったが兎に角ウサクに任せていたのではまるで上達出来る気がしなかった。まあ別に元々上達したいともあまり考えていないのだが、ハイ、分身してね~といわれてニコニコ分身出来るわけがないだろう。


「ちなみに二人に増えて……その後はどうするんだ?」


「三人に増えるでござる」


「出来るかああああ――――っ!!!!」


 竹刀を投げ出すと同時に絶叫した――。こんな感じで、私の剣術修行はまだまだ上達には程遠いらしい。毎日暇で暇でしょうがなかったので、やる事が出来たのは嬉しい事なのかもしれないが……。

 さて、そんな私の日々の中、もう一つやる事――というより興味のある事があった。それは何を隠そう、式神である私の主であり、姫でもあるミュレイ・ヨシノの事である。

 彼女は美しく、そして常に凛と、堂々としている。高嶺の花という言葉が似合うような彼女は、このククラカンの第一王女なのだ。ククラカンは代々女性が王になるとのことで、現在はミュレイの母親が女王として君臨しているのだとか。

 そんなわけで、ミュレイは姫として悠々自適な生活を送っている――のかと思いきや、実際にはそれどころではない。彼女は一日中慌しく動き回っており、常に公務に追われているのだ。そして彼女が担っているのは、姫としての仕事だけではない。

 女王の処理しきれない仕事は彼女が代行し、女王からも国民からも厚い信頼を得ている。彼女は政の世界にも積極的に口を出し、そしてその発言力もとても強い。曰く、彼女はもう一人の女王であり、ククラカンにとって欠かせない存在なのだという。

 それだけではない。彼女は魔剣と呼ばれる、こちらの世界にしか存在しない魔力とかいう不思議な力で構築される武器の使い手で、式神の術と魔術、そして魔剣の力を使い、ククラカンの国土で発生する魔物事件、あるいは国民に脅威を与える存在に対処し続けているのだ。

 武力、知力、その両方に置いて彼女はこの国で最も優れており、さらに絶世の美女と来ている。その言動は若干子供染みており、理不尽な事を部下に申し付けたりもするが、それは彼女の悪戯心から来るものであり、本当にどうしようもない事は部下に押し付けたりはしない。そのあたりもきちんとわきまえているのだ。

 さて、どうしてそんな事を知っているのかという話になるわけだが、私は毎日暇だったので彼女の事ばかりを見ていたし、ウサクはいつも彼女の話ばかりを私に聞かせてくるのである。まあそれは苦労性の部下の愚痴なのだから止め様もないのかもしれないのだが、兎に角私は毎日毎日寝ているか食べているかミュレイの話を聞いているかと言った具合であり、彼女を意識するなというほうが無理な相談であった。

 ミュレイは時々私の部屋に来ては、何をするでもなくのびのびとした無防備な素顔を見せ、歳に似合わぬ子供染みた笑顔で私の話を興味深そうに聞いていた。私の住んでいた世界の事は彼女にとってとても珍しく、興味深い話だったのだろう。話を聞いている彼女はいつも楽しい物語に胸躍らせる乙女のようでさえあった。


「いつか、お主のいるような平和な世界に……。そんな世界に、この国をしてみたいものじゃのう……」


 目を細め、青空を見上げながらミュレイはそう呟いた。彼女のこのしみじみとした呟きの意味が私には理解できなかった。ククラカンは――少なくともこのラクヨウ城から見下ろす分にはとても平和のように見える。商いに活気があり、人々は皆笑顔を浮かべている。だがそれでも何かが足りないのだろう、ミュレイはいつも無邪気に笑った後、寂しげな瞳で街を見下ろしていた。

 元の世界に戻る事は叶わず、途方に暮れる私。しかし私と話すことを楽しみし、私を必要としてくれる人が此処にはいる……。そう考えると少しだけ気持ちが楽になるような気がした。

 夜月を見上げながら私はどこにも通じなくなってしまった携帯電話を取り出し、一日の事をそっと記録した。電池がいつ切れるのかとハラハラしていたが、どうも電池は切れる気配がなかった。理由は……良く判らない。もしかしたら召喚されたものはある一定の状態で停止し続けているのかもしれないなんていう憶測を立ててみたが、その成否は誰にもわからないわけで。

 ぼんやりと過ごす日々の先、自分がどうなっていくのかもわからなかった。そしてその数日後、私はミュレイに連れられ、初めてラクヨウの外に出る事になる。そこには、彼女の憂き目の理由と呼べるものが、当たり前のように転がっていたのだった――。


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