烙印(5)
「一人ぼっちは寂しいから……だからきっと、嫌な事ばかり考えちゃうんだよ」
カンタイルの町並みを眺め、うさ子はそう呟いた。人工太陽の恩恵を受けられない夜の街はそれぞれが必死に輝こうと灯りを振りまいているかのようにも見える。冷たい風が吹きぬけ、うさ子の癖のついた髪を揺らしていく。ホクトはその隣に立ち、腰に手を当てて街を見下ろしていた。
ぴょこんと跳ねるように振り返り、うさ子はホクトを見上げた。くりくりとした丸い目が男の姿を映し、ホクトは静かに笑顔でそれに応える。伸ばした手でうさ子の髪をわしわしと撫で回し、それから煙草を取り出した。
「シェルシちゃん……きっと、とってもとっても辛いんだろうねぇ……」
シェルシが己の目的やこれまでの行動を全て洗い浚い白状したのは、数時間前の話である。UG脱出から丸二日――それが、砂の海豚が彼女から情報を引き出すのに要した時間であった。
ロゼとリフルの質問にシェルシは大人しく答え、そこに何も感情を織り交ぜる事はなかった。敵への尋問――そう読んだところでなんら差異のないその聴取にホクトとうさ子は参加する事はなかった。故に、それは人づてに聞いたものである。
それでもうさ子は胸を痛め、シェルシにとても同情していた。ホクトはと言うと……特に何を言うでもなく、何をするでもなく。また暇をもてあますような砂の海豚としての当たり前の日々に戻りつつあった。
「うさはね、記憶喪失なの。だからね、シェルシちゃんの気持ちを、本当の意味でわかってあげることは出来ないの……。記憶がないから、大切なものがないから……だから、その痛みを感じてあげられない」
ぱたんと、うさ子の巨大な耳が落ちた。もこもことした、しかし柔らかい弾力を持つ耳は先ほどから頻繁に上下している。ホクトは火をつけた煙草を片手に紫煙を吹き出し、空を見上げていた。上の世界に阻まれた、遠く高くしかし有限の空を。
「ねえ、ホクト君ホクト君……? シェルシちゃんの事、助けてあげられないのかなぁ? うさたちには、何もしてあげられないのかなぁ?」
「うーむ……それは難しい問題だなぁ、うさ子隊員……」
そう、難しい問題なのだ。砂の海豚としては、帝国の要人を捕らえる事が出来たというのは大きな成果なのである。仮に、帝国側が彼女を軽視していたとしても、彼女の故郷である第四界層プリミドールの王国、ザルヴァトーレは黙ってはいないだろう。彼女を捕まえ、人質として運用し、それだけでどちらにせよ帝国に対する攻撃とすることが出来るのだ。
人質などという手は帝国には通用しない――わかっている。それは、ロゼもリフルも、ホクトとて理解している。だが、それでも帝国への批判を募る事は出来るかもしれない。帝国という余りにも巨大な組織を相手に出来る事は限られている。
砂の海豚でどうこうしなかったとしても、他の組織に売り渡せば金にだってなるだろうし、利用する方法はいくらだってある。ロゼもリフルも最初からそのつもりでいたのだから、このまま手放すとは考えにくい。
「隊長は、ロゼ君の言葉には逆らえないからなぁ~……。それに、シェルシ自身が今後どうしたいのか、というのも問題だしな」
「…………はぅ~。うさ子隊員は、困った困ったなのです……」
「所詮、人間一人に出来る事なんて限られてる。俺達は聖人君子じゃないし、全知全能でもない。許せないものはあり、救えないものもある。それで当たり前なんだ」
UGで、罪人達全てを救えなかったように。当たり前のように背を向けて逃げ出したように。仲間を守る為に彼らを犠牲にした。救う為に救わなかった――。人生とはそんなもので、人一人に出来る事もそんなものなのだ。
せめて祈る事くらいしか出来ない世界の中で、人が誰かにして上げられる事などごくごく限定された物である。それでもシェルシを助けたいと願ううさ子は純粋で、真っ直ぐに悩んでいる。それがホクトには何故か嬉しかった。
「俺達に出来る事は限られている。守れない物は守れないし、救えない物は救えない……。でも、今うさ子はシェルシの傍に居てやる事が出来る。決定的にあいつを救う事が出来ずとも、傍に居るだけで救える事もあるさ」
「……ふわぁ。隊長、くすぐったいよう~」
「はっはっは! うりうり~!」
うさ子の頭をわしわしと両手で撫で回し、ホクトは白い歯を見せて笑った。うさ子は耳をぱたぱたとさせながらホクトに抱きつき、頬擦りしてから跳ねるように後退し、謎の敬礼――のようなポーズを取る。
「じゃあ、うさ子隊員はシェルシちゃんをなでなでなでなでしに行ってきます!!」
「おう! うさ子隊員、出撃せよ!」
「らじゃああああっ!!」
うさ子が元気よく走り去っていくのを見送り、ホクトは煙草を口に咥えた。胸も大きく、顔も愛らしくスタイルもいい美少女なのだが、どうにも“そういう目”で見る事が出来ないのは何故だろうか……? 雑食を自負しているホクトは独りでに悩みつつ、もう一度街を見下ろした。
世界は理不尽だ。そしてそれが当然でもある。失望も絶望も、こんな世の中では有り触れた言葉だろう。ならばそれを前にした時、そしてそれを踏みしめた時……。どんな選択をするのか、それこそがこの世界を生き抜く為に必要な力なのかもしれない。
一人で煙草を吸うのは心地良い時間だった。考えるべき事は山積みだったが、ホクトは気持ちを切り替える術を知っていた。常に思い悩んでいたところで、現実はそう簡単には変わらないのである。いつまでも意味もなく悩んでいるのならば、いっそ逃げていると言われようが悠々と過ごす事……結果的にその方がいざという時いつもより踏ん張れるのだとホクトは考えていた。
夜風は紫煙を絡め取り、あっという間に吹き飛ばしてしまう。悩みも吐かねばきっと消え去る事は無いのだ。燻して散らす……あとはすっきりとした心で考えればいいだけの事。
ぼんやりとそうして一人で夜景を眺めていると、ドタドタとうさ子の足音が聞こえてきた。こんなにドタドタ走るのはうさ子くらいしかいないので、直ぐにわかってしまう。振り返るとうさ子は慌てた様子でホクトの元に駆け寄り、そのまま叫んだ。
「ホクト君ホクト君、大変大変なのっ!! シェルシちゃんがね、居なくなっちゃったのっ!!」
「はぃい?」
「だーかーらーっ! シェルシちゃんがね、居なくなっちゃったのーっ!!」
両手をぶんぶん振り回しながらそう叫ぶうさ子。ホクトは疲れた表情で肩を落とし、冷や汗を流しながら視線を伏せるのであった。
烙印(5)
シェルシ・ルナリア・ザルヴァトーレの人生は予定調和の四文字の中を飛び出さないものであった――。
生まれた時から帝国の保護の恩恵を受ける第四界層プリミドールで暮らし、そこで姫として何不自由ない、理想的な生活を送ってきた。下層の人間ならば誰でも羨む、ロマンチックな夢物語の住人……。そう、彼女は決して不幸などではなかった。むしろ恵まれていたのだ。
食べる物に苦労する事も、住む場所を求めて彷徨う事もなく。魔物の脅威に怯える事も、その身を穢す事も無かった。そんなシェルシにとってこの旅は――“家出”はとても勇気の必要な、そして無謀な行動であった。
彼女の自由は、いずれ消える……。彼女が姫として自由にのびのびと、そして幸せに育てられてきたのは全て迫る収穫の時の為。カンタイルの夜の中、シェルシは一人砂の海を眺めながら静かに思いを馳せていた。
この街に来て、そしてホクトたちと出会った。旅の目的を果たす事は叶わず――こうして失意に暮れている。色々な事があった。色々な事がありすぎて、シェルシにはもう何がなんだか判らなくなっていた。
信じていたものが崩れたような、しかし信じていた結果通りになったような……。反帝国思想の反逆者と、支配者である帝国の騎士……。アンダーグラウンド、そしてそこに広がる謎の古代遺跡……。全てが答えを出すには遠く、しかしシェルシの心を思い悩ませていた。
涙を流すのにも疲れてしまった。蝶を模した髪留めが微かな光を弾き、煌いた。見上げる空の下、金色の美しい髪が靡いている。もう、残された時間は決して多くない。少女は目を瞑り、静かに唇を噛み締めた――。
「――――彼女が一人で無謀にここまでやってきたのは、きっと婚姻の儀が迫っていたからなんだろうね」
その頃、ロゼは自分の部屋からカンタイルの町並みを眺めていた。背後にはリフルが立ち、腰から下げたサーベルの柄に手を置いて黙り込んでいる。二人はシェルシが居なくなったとの連絡を受け、しかし何をするでもなくここに居た。シェルシ捜索はうさ子とホクトに任せる……それが彼の判断だった。
「迷っているのですか?」
リフルの言葉は単刀直入かつ図星を突いていた。ロゼは振り返る事無く、窓ガラスに映り込んだ自分自身と掌をぴたりと合わせた。
迷っている――。当然かつそしてあってはならない事であった。ロゼは反帝国組織の人間として、これまで帝国が行ってきた非道の数々を目撃している。そしてそれを体験し、阻止する為に今日までやってきたのだ。その為の砂の海豚、そしてその団長である。
ロゼは、砂の海豚の発足者にして先代の団長である男の実の息子である。父から継承したのは、ガルガンチュアや団員、組織だけではない。帝国を倒し、世界から理不尽な悲劇を無くそうという志も継承しているのだ。そんな自分が迷う事は許されるはずもない……わかっていた。しかし、ロゼの気持ちはブレ始めている。
無理の無い事だった。たった十七歳の少年に、組織の長として立派に振舞えという方が間違っているのだ。リフルはそれを強く感じ、だからこそ不安に思い、常に傍にあった。少年の背中を見つめる剣士の視線は普段とは違い、とても優しくしかし悲しげだ。二人の間には大きな壁があった。それは、二人とも承知している事である。
「婚姻の儀が行われれば、ザルヴァトーレはより帝国との関係を強める事になる……。いわば、シェルシは帝国に捧げられたザルヴァトーレの生贄だ」
“婚姻の儀”、とは――? それは、ザルヴァトーレという国の成り立ちに関わってくる事である。そしてそれこそロゼたち反帝国組織が帝国打倒の為に狙うチャンスであり、そしてシェルシを有効利用できる理由なのである。
ふと、ロゼは己の肩に手を当てた。そこには生まれた時に捺される“烙印”が残されている。誰とて同じ事である。烙印は身体のどこかに記され、その者の身分、立場、人生の全ての価値を表している。そして同時に、帝国の支配下にあるという証拠でもあるのだ。
ロゼの身体に刻まれている烙印は、第四界層プリミドールのものである。それはロゼが第四界層という、恵まれた世界で生まれた事を意味していた。第四界層に生まれ、しかし反帝国思想に染まった貴族の男が立ち上げたのが砂の海豚であり、そしてザルヴァトーレはロゼの故郷でもあるのだ。
二重の意味での裏切りが帝国との戦いを意味している。ロゼはそれを気にかけた事もなかったし、ザルヴァトーレを故郷などと意識した事もなかった。しかしシェルシという人間と出会い、彼女を見て僅かに迷いが生まれた。彼女もザルヴァトーレも、倒すべき敵だと割り切ってきた。しかし全ては結局帝国の奴隷であり、境遇に差異はあれど本質は一緒なのかもしれない。
「きっと……シェルシは最期の希望をここに求めていたんだろうね」
「……希望は、求める物ではありません。己の胸の内に、宿す物なのです」
リフルの言葉にロゼは漸く振り返った。それから溜息を漏らし、リフルの脇を抜けて部屋から出て行く。その背中を見送り、リフルは静かに目を閉じた……。
ぼんやりと砂の海を眺めるシェルシの背後、いくつかの影が揺らめいた。気づけば彼女の周囲から人気は無くなり、代わりに現れたのは以前彼女を襲った唐傘の男たちだった。シェルシがその襲撃に気づく頃には既に包囲は完全となり、短刀を手にした男たちは桟橋に立つシェルシをじっと見つめている。
「…………私を、殺しに来たのですか……?」
男達は答えない。彼らはずっと砂の海豚の動きを監視していた。いずれは必ず、このオケアノス唯一の都市であるカンタイルには戻ってくるのだ。当然彼らとてここで張っているのは当たり前である。シェルシは無謀にも一人になり、こうして暗殺者に囲まれる事となった。しかしそれは、シェルシが望んだ事だったのかもしれない。
少女はとても冷静だった。ただ静かに両手を胸に当て、唇を噛み締めている。凛とした視線は彼女の高貴さの現れであり、夜の月明かりにも似た微かな光の中、少女は幻想的に美しく輝いていた。白の装束が風に揺れ、そして少女は静かに目を閉じる。
「私を殺して……それで、満足ですか……? それで……この世界は、変わるのですか?」
シェルシが婚姻の儀を終えれば、喜ぶ者も居れば困る者も大勢居るのだ。どこの人間が放った刺客かは、大体推測が出来ている。シェルシは子供の頃より常に暗殺の危険に晒されてきた。何となく、直感的に判るのだ。この装束、戦闘スタイル……自分を狙う、その目的も。
目を開いたシェルシがゆっくりと後退する。じりじりと、追い詰めるように暗殺者たちはシェルシに迫ってくる。桟橋は長くはない。シェルシの退路は直ぐに断たれてしまった。砂の海に落ちれば、砂の圧力とナノマシンによる分解が待っている。そこで漸くシェルシは気づいた。自分は殺され、このまま砂の中に投げ込まれるのだと。
証拠の残らない、完全な殺人である。暗殺にこれ以上相応しい場所もないだろう。鼓動が早まるのを感じた。シェルシは静かに暗殺者を見据える。自分がここで死ぬ……それも一つの結末なのかもしれない。
少女は静かに両腕を広げた。身体が恐怖で震えていた。自暴自棄になったわけではない。だが、正常とも言えない。シェルシは泣き出しそうな顔で胸を張り、歯を食いしばった。それが彼女に出来る、彼女なりの抵抗だったのだ。
不意の影の一つがゆらりと動いた。刃が光に煌き、闇の中でハッキリとその冷たい存在を露とする。死ぬのも運命――そう考えて諦めようとした。しかし身体は正直に恐怖に震え、シェルシは悲鳴を上げそうになった――その時である。
暗殺者の正面、何かが飛んで来るのが見えた。白い影は一瞬でシェルシの前に立ちふさがり、接近する暗殺者へと襲い掛かる。ホクトに違いない。きっとホクトが助けに来てくれた――何故かそんな事を考えた。しかし、目の前に居たのは予想外の人物であった。
近づく暗殺者を殴り倒し、びしりと拳を構えたのはなんとうさ子であった。鼻息荒く、小刻みにその場でステップを踏んでいる。その構えは見覚えはなかったものの、どこかの拳法のようにも見える。シェルシが目をぱちくりさせていると、うさ子はシェルシの手を握り締めて頷いた。
「シェルシちゃん、シェルシちゃん! さくせんっ!! いのち、だいじに!」
「へ……?」
「シェルシちゃんはね、大事な大事な“くらいあんと”さんなの! だからね、うさ子はシェルシちゃんを守るのっ!! ふんふん!」
両手をぶんぶん振り回すうさ子。唖然とするシェルシであったが、敵は待ってはくれない。暗殺者が三人同時にうさ子へと襲いかかった。しかしうさ子は投擲された刃を全てキャッチし、それを投げ返してみせる。暗殺者達の足に突き刺さった刃は煌き、三人同時に転等させる事に成功したのである。
「え、えぇ~っ!? うさ子、あ、貴方は……!?」
「ホクト君の見よう見真似でやってみたけど、結構がんばれたのっ」
「え、えぇ~っ!? そ、そういう問題なんですか!?」
うさ子はシェルシを抱きかかえ、低く屈んだ姿勢から一気に跳躍した。その大跳躍と呼ぶに相応しい挙動は一瞬で暗殺者達の遥か頭上を通り越し、遠く離れた民家の屋根の上に着地する。軽やかな身のこなしで屋根の上へと降り立ったうさ子はシェルシを下ろし、耳をぱたぱたさせながら拳を握り締めた。
「シェルシちゃん、逃げるのっ!! ガルガンチュアに走って!」
「う、うさ子……でも、私は……」
「ロゼ君はね、いい子なの! リフルちゃんもね、本当は優しい子なの! ホクト君も、シェルシちゃんの事を助けたいって思ってる……。大丈夫、みんなシェルシちゃんを苛めたりしないよ!」
「でも私は、彼らにとっては敵……。私もザルヴァトーレの人間として、彼らと一緒に居る事は出来ない……」
心苦しそうに胸に手を当て、呟くシェルシ。だがうさ子は黙って力強くシェルシの手を握り締める。にっこりと、何も考えていないような底抜けの笑顔がそこにはあった。
「大丈夫、大丈夫っ!」
「な、なにが……?」
「元気出して、一緒に逃げよっ! 立ち止まるのはね、ダメなの。考えすぎるのもね、ダメなの。今はね、おなかいっぱいいっぱいになって、ねむねむ~ってすればいいの。そしたら明日はね、シェルシちゃんもにこにこ出来るよ」
うさ子の言葉に嘘偽りは一つとして存在しない――。シェルシは何故か頷き、一緒に走り出していた。理由を問われれば当たり前のように答えられない――しかし、それはきっと後悔しない第一歩でもあった。
暗殺者達は二人を追いかけ、暢気に話をしているうちに再び周囲に展開しつつあった。うさ子はそれを見て両手を空に掲げる。まるで闇の中から光を引きずり出すかのように――。
両腕に光の紋章が浮かび上がった。呆気にとられるシェルシを他所に、うさ子は眉間に皺を寄せ一生懸命にそれを手に掴もうと努力した。見よう見まねといえばそれまで――しかし、彼女が真似ているのは並大抵の物ではない。
想像し、創造する。刃を――。男は黒き剣を揮い、その凶悪な力を何かを守る事に使っていた。うさ子はシェルシを守りたかった。故に、それは当たり前のように召喚される。彼女の持つ素質、そして経験に基づき構築される――。
召喚されたのは、日輪――。刃と呼ぶには余りにも奇形――。腕に装着されたいくつかの刃のリング、それは既に剣ですらない。うさ子の両腕には輝く装甲で編みこまれたガントレットが装着され、その周囲に鋭利な円形の刃が付随している。
光を帯びた、篭手のような剣――。その名は“翔魔剣ミストラル”。彼女が元々持ち、そして忘れていた力であった。うさ子はミストラルを――拳を構えた。予想外な魔剣使いの登場に暗殺者達が警戒を示す。勿論、それはうさ子も同じ事であった。
「う、うさ子……貴方、魔剣使いだったんですか!?」
「なんか、そうだったみたい!」
「そうだったみたいって……えぇ~?」
「シェルシちゃん、シェルシちゃん! 危ないから、まるーくなっててね! うさがね、直ぐにやっつけちゃうからねっ!!」
うさ子が一気に走り出す――と、言うよりそれは一呼吸の跳躍であった。夜の夜景を背景にうさ子は跳んだのだ。限界まで強化された脚力はうさ子の身体を容易に空に舞わせ、そしてうさ子は一息で暗殺者達の中へと飛び込んでいく。
着地と同時に蹴りを放ち、一人を倒す。敵陣の真ん中に潜入したうさ子は両腕を左右に突き出すように構えた。手の甲に装備された円形のリングが変形し、うさ子の手の中に納まる。それをその場で横に回転しつつ、左右へと解き放った。
放たれた円刃は投擲武器として飛翔し、周囲を薙ぎ払う。と、同時に付随した魔力のワイヤーでうさ子の手から一定以上離れる事は無く、再び主の手の中へと引き戻される。キャッチと同時に再び刃を拳へと変形させ、うさ子は後方――シェルシの元へと跳んだ。遅れて暗殺者達がバタバタと倒れ、屋根から落ちていく……。そんな光景にシェルシはただ唖然とし続けるだけであった。
「す、すごい……。うさ子、貴方……そんなに強かったんですね……」
「えへへ、うさは頑張りました! シェルシちゃんも、頑張ろうねっ?」
「……は、はい」
なんだかうさ子の笑顔を見ていると全てが馬鹿馬鹿しくなってくる――。シェルシは口元に手を当て、静かに苦笑を浮かべた。うさ子は満足そうににっこりと微笑み、ごつごつとした武装状態の手でシェルシの頭を撫でた。ごりごりと頭皮が痛かったが、シェルシは冷や汗を流しつつ黙っている事にした。
「ところでシェルシちゃん、あの人たちは誰かな?」
「…………恐らくは、私が婚姻の儀を遂行する事を良しとしない人の差し金でしょう」
「こんいんの、ぎ?」
なにそれおいしいの? と言わんばかりのうさ子の目にシェルシは軽く目眩がした。記憶喪失ならば知らなくても仕方の無い事だが……婚姻の儀はとても重要な、世界的なイベントだったのである。
「兎に角、私は……命を狙われているんです」
「だれに?」
「ですから、その……。第四界層プリミドールの……ザルヴァトーレと敵対する、もう一つの国にです」
「の、だれ? その人、悪い子悪い子なの! うさがね、成敗しちゃうの!」
「む、無理ですよ。止めておいた方がいいです。彼女は……稀代の大魔術師とも呼ばれた、ククラカンの王女なんですから……」
シェルシがそこまで喋った時であった。うさ子の背後、迫っている影があった。それにうさ子が気づき、ミストラルで攻撃を防ぐ。火花が散り、うさ子はシェルシを片腕で抱えて後方へと跳躍した。
襲い掛かってきたのは唐傘の暗殺者ではなかった。白いマントで全身をすっぽりと覆い隠した、謎の男である。男は直ぐにマントを剥ぎ取り、その全身を露にする。男は騎士であった。唐傘の男達とは明らかに意匠の異なる甲冑を身に纏い、手には両刃の剣を携えている。
うさ子はシェルシを背後に控え、庇うように前に出た。しかし男は容赦なく、立ち止まる事無くそのままうさ子へと襲い掛かってくる。二人は同時に駆け出し、刃と拳を何度も打ち合った。火花が散り、うさ子は相手が強敵である事を理解する。
その時である。うさ子の背後、シェルシを追い越して迫ってくる影があった。男は黒い魔剣を騎士目掛けて叩きつけようとした。しかし、騎士は瞬時に剣を投げ捨て、己の魔剣を召喚する。
騎士が召喚したのは純白に輝く、美しい盾であった。その盾からは鋭利な槍のようなパーツが飛び出しており、それが彼の魔剣のデザインであった。盾の部分で攻撃を弾き、騎士は一歩後退する。
襲撃と同時に後方に跳んだホクトはシェルシの近くに着地し、その肩を叩いた。遅れて登場してきたホクトにシェルシは何故か怒りたくなったが、その理由も自分ではいまいち理解出来なかった。
「ホクト君、おそいようっ!」
「お前が早すぎ……。俺の何倍のスピードで走るんだよ……ったく……! で、こいつはなんだ?」
「“くくらかん”って国の、悪い悪い人!!」
うさ子の言葉にシェルシは首を横に振った。なぜならばシェルシは彼の顔に見覚えがあったから。戦いをとめようとし思ったのだが、騎士は止まる事無く襲い掛かってくる。それを迎え撃つようにホクトがガリュウを揮い、白と黒の剣は正面から激突した。
衝撃で屋根が吹き飛び、二人の魔剣がそれぞれの色の火花を散らしながら軋む。騎士と傭兵は至近距離から視線を交えた。ホクトが笑みを作り、騎士はそれを不快そうに睨みつける。二人の男は同時に刃を引き、身体をひねると同時に再び刃をぶつけ合うのだった――。