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剣創のロクエンティア(4)

 私たちの戦いを一つの物語だったとするのならば……そう、それは誰かが誰かを赦し、愛する為の物語だったのかも知れない――今になって、私はそう思う。

 異世界に召喚された私は、きっと自分を赦す為に闘っていた……。私は自分を赦せないまま……兄さんを見殺しにした弱い自分が大嫌いなまま、ただ毎日を無為に過ごしていたように思う。

 本城の家に呼ばれ、そこでの生活は楽しかったし幸せだった。でも、それは彼らが私に痛みを与えない存在であっただけに過ぎないのだ。私は彼らと共にすごしている間、弱い自分を忘れる事が出来た……ただ、それだけだ。

 でも、わかっているんだ。本当に弱い自分は、必死になって抗わなきゃ乗り越えられないんだって事……。馬鹿みたいに無茶して、わんわん叫んで、それでやっと見える物があるって事……。赦せる物が、あるって事。

 その行いの全てが正しかったなんて思わない。何もかもうまくやれたなんて胸は張れない。でも……それでも、間違いながら……。時々、自分の弱さに打ちのめされながら……それでも前に進んできた。それは誰だって同じなんだ。誰かが特別不幸なわけじゃない。誰かが優れているわけじゃない。人はみんな、同じ大地の上に立たされている。

 振り返ってみると、そこには沢山の可能性がある。例えば……召喚されなかった私。ミュレイを守れなかった私……。どれも全部同じ私。ただ分岐点に立たされた時、どんな風に動けたか……運みたいな要素で決まっているだけに過ぎない。だから正解なんかじゃない。でも、それは間違いでもない。

 人に出来る事は、所詮自分の事くらいだった。私は赦せない私を赦す為に旅をした……。時期的に考えれば、たった一年程度の旅だった。でも、私はその中で沢山の出会いを経験し……沢山の想いを経験した。

 心の底から笑い、絶望に打ちのめされて涙を流した。迷い、戸惑い、そして歩み……転び。その全てがどれだけ人間らしかっただろう? 私は召喚された私を赦せると思う。間違いだらけの自分を赦して上げられると思う。それくらい、今は自分の事を好きになれたんだ。

 弱くて、情けなくて、甘ったれで……自分は悪くないって何もかも他人のせいにしていた私……。そんな小さい子供みたいな私の頭を撫でて、手を引いてあげる……きっと今なら出来るんだ。兄さんが見ていたものを、私は今同じ目線で見る事が出来る。少しは追いつけたかなと思う。きっと彼なら……笑って私をほめてくれるだろうから。

 長かった物語の結末は、決して優しいだけのものではなかった。でも、私はそれを受け入れられる。背負っていけると思う。きっと、もう二度と逢えない兄さんも……同じように、そんな自分を認めてくれるだろうから。

 あの戦いの後、剣の世界に起きた全て……私はそれを見届け、記録したいと思う。彼は……そう、伝説になったのだ。異世界より表れし救世主の伝説……。その伝説は、また誰かの手で書き換えられていくだろう。

 その物語の出来る限りを見届けて、それを知り、赦し、愛したいと思う。私たちが犯した罪は一生消えないのだ。誰かが赦したとしても、私たちは私たちを赦せない。矛盾したその二つの赦すという言葉の狭間で、私たちは己と対峙する。

 だからきっと、私たちの戦いを一つの物語だったとするのならば……そう。それはきっと……誰かを愛し、赦す為の物語。憎しみでも後悔でもなく……それぞれが、前に進んでいく為の物語だった――。




剣創のロクエンティア(4)




『北斗君は……どうして死んじゃったのかなぁ?』


 うさ子がそんな事をつぶやく傍ら、北斗はあの日、自らが命を落としたビルの上に腰掛けていた。風が吹き抜ける、真昼の屋上……。誰も人っ子一人寄り付かないその場所は立ち並ぶビルの中でどこか別世界のようだった。

 男は空を見上げ、ぼんやりと懐かしい空気に耳を澄ませる。車の走る音……。人々の声……雑踏。何もかもが懐かしい。かつて自分が存在していた世界……そこに戻ってきたのだ。懐かしくないはずがない。そしてその気持ちこそ、彼が北条北斗である証拠であった。

 男は剣を腰から提げたまま、風に長髪を靡かせている。のんびりとした、平日の昼下がり……。誰もがあくせくと働き、学び、そんな時間の中これだけゆっくりしていられるのはなんだかとても得をしているような気分になる。


「そうだなあ……。どうして死んじまったんだろうなあ……」


『はう……? 北斗君にもわかんないの?』


「……死因って意味なら、わかるけどな? こっからダイブ! 頭から、グシャーッ! ひでえもんだぜ? 見たいか?」


『……うさ、遠慮しておくの』


「だろ? 俺だって遠慮してえよ。でもそうなっちまったんだ。不思議だよな……」


 異世界に導かれ、そこで北斗が経験した全て……。壮絶な戦いもあれば、くだらない小さな幸せもあった。そんな中、数え切れない悲劇があり……すれ違いがあり。誰かがそう望んだわけではない。でも、小さな小さな赦せない気持ちがそうさせるのだ。望まぬ争いに、望まぬ力……望まれぬ罪。人は驚くほど残忍で、そして驚くほど穏やかだ。

 誰かを愛するその両手で、誰かを傷つける事が出来る……。その二面性を信じられないと嘆くのか、希望の形なのだと捉えるのか……それは人の価値観それぞれだろう。どんな悪人にだって、きっと優しい気持ちはある。どんなに清く生きようとしても……ふとした間違いを起こすことがある。

 例えば、決して望まなかったはずなのにビルの屋上から落ちる事になったり……。それはもしかしたら偶然だったのかもしれない。もしかしたらただの事故だったのかもしれない。でも、そうなったのは。そうなる経緯は。きっと、北斗自身の中にあったのだ。


「先の事ってのは、わかんねえもんだよなぁ……。まさか、こうしてまたこっちの世界に戻ってくる事になるなんてな」


『うさは、いろいろなものが見れてうれしいの~! はうう!』


「……あのね、お前を消せないせいで俺がどれだけ苦労してるかわかってるか……? ま、こっちの世界で剣提げてる奴を見つけたとしても、せいぜいコスプレしてる危ない野郎にしか見えないだろうけどな……」


『こすぷれ……? あぶない?』


「この世界に剣なんか持ってるやつはそうそういないんだよ……。どう考えても剣を持ち歩いてたら危ない奴だ」


『じゃあ、北斗君は危ないやつなの~?』


「……まあ、そうなるんだが、改めていわれるとちょっとショックだな……」


 うさ子とくだらないやり取りを繰り返し、肩を落とす北斗……。そんな彼の背後、屋上へ上がってくる女の姿があった。それは白衣を纏い、眼鏡をかけて変装したメリーベルであった。

 メリーベルの姿を捉え、北斗は片手を上げて挨拶する。歩み寄る二人……そして風の中、同時に歩みを止めた。眼鏡を外し、メリーベルはそれを胸ポケットに収めて語り出す。


「とりあえず、接触は出来たわ」


「そうか、そいつは良かった。んで……様子はどうだった?」


「んー……。まあ、無事ではあるけど……あまり芳しくはないわね。彼女……孤立してるっていうか」


 メリーベル・テオドランドの転移魔術で北斗がヴァンを追いかけてきたこの町で、彼らが起こした行動……それは昴への接触だった。ヴァン・ノーレッジがわざわざこの世界に逃げ込んだのは、当然ロクエンティアと呼ばれた世界とこの世界が近しいということもある。だが……理由はきっとそれだけではないのだ。

 本来ならばヴァンは、何の問題も無くあの世界を滅びに向かわせる事が出来たはずだった。だが彼はそれが出来なかった……何故か? それは昴が異世界から召喚され、あの婚姻の儀の際に彼へと立ち向かったからである。昴の召喚……それがあの世界の全ての運命を狂わせていたのだ。

 ミュレイを殺し、そして婚姻の儀に乱入したヴァンはそのままハロルドを打ち倒し、全ての魔剣を手に入れるはずだった。アニマは復活するはずだった。結果的にその結末には結びついたものの、そこにたどり着くまでに大きなタイムロスをしてしまった。結果……北斗たちが結束する時間を与え。彼らに成長の余地を与え。そして……全てが頓挫した。

 ならば、何もかもをもう一度やり直すのならば邪魔になるのは昴の存在だ。ヴァンが逃げ込んだ先……それは昴が召喚される前の世界である。ミラ・ヨシノの魂を取り込み、彼は擬似的にだが全ての大罪の力を得た。アニマは全ての次元を時間軸無視して自在に移動する力を持つ……。そのアニマが作ったルートにギリギリで滑り込む形とは言え、メリーベルと北斗は何とかヴァンを追う事に成功した。

 となれば、やるべきことはたった一つだ。歴史を正しく進ませる為に……昴を救う事。そして彼女を正しく異世界へ転送すること……それだけである。北斗は昴に顔が知られてしまっているし、そもそも本来は死んでいるはずの身だ。実際に接触する役目は、メリーベルが負担することになった。


「他人に心を閉ざしている……という感じね。彼女が孤独なのは、あなたへの罪の意識のせいじゃなかった?」


「うぐ……。な、なんとかしてやりてえが俺が出て行くと話がややこしいからな……。リアル幽霊だぜ」


「……まあ、問題は彼女にもあるのよ……。心は開けと言われて開けるものじゃないわ。おのずと、自分から開いていくものなんだから」


「……だな。しかし、大事な妹をまたあんな地獄みたいな世界に突き落とすってのか……。なんつーか……やりきえねえな」


 腕を組み、北斗はうなだれてため息をついた。彼の気が重いのも無理は無い。これから昴は沢山の苦難に直面する。最後の最後まで、地獄の中であがくことになる。それを思えば……あんな世界はほうっておいて、昴は召喚されないほうが幸せなのではないか、とも思ってしまう。

 だがそれを今の昴が聞けばきっと赦してはくれないだろう。そんな事をしたらもう一生お兄ちゃんとは呼んでもらえないだろう。彼女は強くなる……悲劇の中で、苦悩の中で。そしていつか……弱い自分を受け入れられる存在になる。


「ヴァンはまだ見つからないんだよな?」


「ええ……。でも、ヴァンだって昴の事は見覚えあるだろうから、見つかるのは時間の問題ね」


「それまでは待機か……。なんつーか、じれったいな」


『うさは町をうろうろしてるだけでたのし~の~っ』


「俺にとっちゃなじみの町なんスけど……」


「まあ、こればかりは仕方ないわよ。私は引き続き大学に潜入し続けるから、あなたはサポートをお願い」


「あいよ……。ってか、大学って結構テキトーなんだな……。お前が潜入してて誰も気づかないとは」


「気づいてるけど……あの組織はそういうものなんじゃないの? 部外者も結構出入りしてるみたいだし」


「……んまあ、な」


「それじゃ、私は続きがあるから。じゃあね」


 白衣を翻し、メリーベルは立ち去っていく。その背中を見届け、北斗は手持ち無沙汰に空を見上げた。そうして……ゆっくりと彼もまた、ビルの屋上から去っていくのであった。

 うさ子を引きつれ彼が向かったのはかつて暮らした実家……。あるいは、昴と一緒に歩いた河川敷。カブトムシを取ろうと早朝に繰り出した山の中……。一緒に通った学校、幼いころ作った秘密基地……。まるで思い出の欠片を一つ一つ拾い集めるように、北斗は歩き続けた。


「……どうして、大事なものを守れないんだろうな」


『はう……?』


「どうしてさ……大切だって、本当に大切だって思ってるのに……そんな大事なものを忘れたり、失ったりしちまうんだろう」


 夕日に照らされ、茜色に染まる川……。それを眺め、北斗は両手をポケットに突っ込んでつぶやいた。うさ子はしばらく考え……しかし、その答えはやはり簡単には出ない。


『きっと……大事であれば大事であるほど、むずかしいの……。守ったり、傷つけたり……。全てのものが、一筋縄じゃいかないから』


「……そうだな。好きなはずなのに傷つけたり、愛しているはずなのに遠ざけたり……。俺……もっとちゃんとおにいちゃんらしくしてやりたかったのに」


 川原に転がっていた小石を一つ拾い上げ、それを水面に鋭く投げつける。それは水面で何度かパシャパシャと音を立てながら跳ね、川の中腹あたりで沈んでいった。北斗が何をしたのかわからなかったうさ子は驚愕し、興奮した様子で声をあげる。


『北斗君、今のは魔術なの!?』


「いや……ただ石を跳ねさせただけだ。昔、昴がこれを出来ないってんで友達に馬鹿にされてな……。二人で……こう、練習したんだ」


 石を再び投げつける北斗。そんな景色に、在りし日の自分たちの姿が自然と重なった……。半べそをかきながら石を懸命に投げる昴と、お手本を見せる自分……。二人はいつでも一緒だった。出来るようになるまで昴は諦めたがらず、日が落ちた後も二人はずっと小石を投げ続けていた。

 昴は負けず嫌いな性格で、子供のころは男勝りだった。昴はしょっちゅう兄にも噛み付くようなやんちゃな子供で、よく勝手におやつを食べられたり……ゲームソフトを奪われたりしていた。でも北斗はそんな昴がかわいくて仕方が無かった。大事な大事な……たった一人の妹だった。

 自転車に乗れないと泣いていた昴を手助けし、補助輪が外れた時……。初めて昴が自分ひとりの力でゲームをクリアした時……。昴が受験に受かった時。いつもいつも、北斗はその背中を見守っていた。優しく微笑んでいた。振り返って満面の笑みを浮かべる昴……そんな妹が大好きだった。

 小石を手の中で転がしながら北斗は笑みを浮かべ、目を閉じる……。色々な事があった。でも、ずっとそばにいて守ってあげる事が出来なかった。大切な妹……。可愛い妹……。結局、自分は彼女に何もしてあげられない。


「俺は……兄貴としてはどうしようもねえ部類に入るんだろうな。妹の事さえ忘れちまったり……世界を壊そうとしたり。勝手にくたばったり……」


『……北斗君は、がんばってるよ? 北斗君が本当は一生懸命で、いつも必死だってことみんなわかってるよ。うさも……わかってるよ』


「どうかな……。本当はきっとどうにもならないって諦めてたのは俺のほうなのかもしれない。シェルシが倒れた時……改めて思ったよ。俺は無力なんだってな」


 投げた石は水面を跳ねず、沈んでいってしまう。北斗は両手を叩いて泥を落とすと、少々大きめの石の上に腰掛けた。


「……強くなりたかったんだ。早く大人になりたくて……昴を守りたくて……。背伸びしてたのかもな……。結局、中身はガキのまんまだった」


『北斗君……』


「だから、昴を今度こそ守るって決めたんだ。もう遅いなんて思わない……俺は、大事な妹一人くらい守ってみせる。兄貴の腕ってのはそのためにあるんだ。ちっこい弟や妹を守るためにある……。だから俺は、闘うよ」


 立ち上がり、踵を返す北斗。思い出の中では生きられない……。時は流れ続けているから。だから……今は、今の自分に出来ることをするしかない。

 北斗はそれから昴にぴったりとくっつき、護衛を続けた。通学路……授業中。昴がいくところにくっついて行った。そうして昴の暗い表情や悲しげな横顔を見て、どうしようもなく寂しくなった。

 どこにだってついていく。どんなときだって守っている。本当は、ずっと……ずっとそばにいて、守ってやりたいけど。でもそれは出来ないから……せめて今だけは、ずっとそばにいる。これから沢山経験する悲しみや苦しみから彼女を守ることは出来ない。でも……せめて、今だけは……守っていく。見守っていく。どんな時でも……ずっと。

 それは北斗にとって幸せな時間だった。だからなんだといわれればそれまでだろう。だが……彼はそれで良かったと思っていた。やがて、ヴァンが昴の前に現れても……彼は彼女を守ることが出来たから。

 現れたヴァンは黒衣を身に纏い、ガリュウを握り締めて怯え戸惑う昴の道行きを閉ざす。暗闇に包まれた町……北斗は迷わず、白いコートを羽織って飛び出していく。

 ヴァンと北斗は異世界の大地で再び刃をぶつけ合わせた。戦いの中、北斗は様々な思いを胸に抱く……。そうして北斗は昴をかばうようにして背に隠し、声を上げるのだ――。


「逃げろ、昴……!」


「あ……? えっ?」


 ヴァンのガリュウを弾き、北斗はヴァンへと猛攻を仕掛ける。そう、もう絶対に間違えるわけにはいかない。手放すわけにはいかない……。だから、逃げる昴を守る為、男は最後の死闘を繰り広げる。


『何故邪魔をする……!? 俺はただ、すべてをやり直したいだけだ! お前にだってその気持ちは分かるだろう!? 何もかもを失った魂だけの存在よ……! お前はやりなおしたいとは思わないのか!?』


「思うさ……そりゃ俺だって思うさ! でもな……そんな風に何もかも台無しにしていいわけがねえんだよッ!! 俺は――ッ!!」


 異世界の大地で、仲間たちと出会った――。大切な人を見つけた――。離れ離れになった妹と再会する事が出来た――。


「ああ……いいじゃねえか、それで! 俺は……約束をきっと果たしてみせる! ヴァン……お前は確かに間違ってはいないのかもしれない。お前は悪くないのかもしれない。でもだからって――何もかもを壊していいわけじゃない!!」


 触れ合う刃と刃……。爆ぜる火花と鳴り響く音色……。現実離れした幻想的な戦いの中、何度も何度も思い出す。これまであった様々な出来事……。

 今は、それでよかったんだと思える。失っては取り戻そうと闘った沢山の人たちの悲しみの物語……。北斗は、あらゆる世界の中で最もヴァンを理解出来る。二人は一つの身体の中に居た……だからこそ――理解出来る。

 彼はとんでもなく不幸だった。とにかく不幸だった。大事なものを次々と失った。でも、だからといって―“赦される”わけではない。それは免罪符にはならない。過ちはただ過ち……。悲劇はただ悲劇。それを広げ、誰かに求めてはいけない。闇を――広げてはいけない。

 打ち合う力が彼らの思いを代弁していた。ビルからビルへと飛び移り、何度も月夜に音色を繰り返す二人……。本当に大切な物を沢山見つけた。帰るべき居場所を見つけた。そして――今、守りたいたった一人の妹を見つけた。


「俺は還る……! 俺のいるべき世界へ! 俺が在るべき場所へ! 俺を待つ人の所へ……!」


 ガリュウが闇の中で吼える。だが――ロクエンティアの輝きが全てを無力化していく。二つの影は夜の中で重なり合う。ヴァンの胸を貫くロクエンティア……。返り血を浴び、北斗は悲しげに目を閉じた。


『……俺を、倒して……それで、大罪が消えるとでも……? 違うな……。今度はお前が背負うだけだ。アニマを……世界の悪意を……』


「…………そうかもな。それでも……俺は、やってみようと思う」


 そっと剣を引き抜き、北斗は一歩身をを引いた。ヴァンはその場に崩れ……穴の開いた胸に手を当て、笑った。


『滑稽……だな……。同じことの……繰り返しだ。俺も、お前も……孤独の闇に呑まれ……消えていく……』


「…………だとしても、俺はアニマを背負っていく。守りたい物を守れるように努力し続ける。俺は……諦めない。闘い続ける。もっと強くなる。いつか……全ての罪を打ち滅ぼせるまで……」


 ヴァンは笑い、そうして光となって消えて行った。北斗はあえてそれを受け入れる……。黒い光の粒……それを己の身体の中に宿していく。七つの大罪……そして、アニマと呼ばれた孤独の塊を身体の内に宿していく。

 アニマは絶対に消すことは出来ない。今のロクエンティアではせいぜい大罪を相殺し、アニマを眠らせることしか出来ない。だから……その闇を抱えて、これからも生きていく。それは想像以上に過酷な事だろう。だがそれでも……やり遂げたいと思う。


『……北斗君……いいの?』


「ほったらかしといたら、またどっかの世界で形になっちまうだろ? そうなるくらいなら、俺が持ってたほうがいい」


『でも……それじゃあ、北斗君は人間じゃなくなっちゃうの……。ずっとずっと、永遠にアニマを見張ってなきゃいけないの……』


「…………だな。ま……気長にやるさ。どうせもう、やることはこれっきりだ。俺は……こういう生き方が性に合ってる」


 闇を抱え、北斗はヴァンをも赦そうと思った。何もかも全てを赦す事はまだ出来ないかもしれない。それでも……時間をかけてゆっくりと理解しあえたらいいと思う。ガリュウの中に眠る数え切れない負の魂……それと、向き合う為に。

 北斗はビルからビルへと飛び移り、最後の役割の為に走り出した。月を背に影は往く――約束の場所へ。あのビルの屋上、あのビルの淵、立つ昴とメリーベル……。昴を異世界に転送する為に、術式の発動と同時にメリーベルは昴を突き飛ばした。そういう手はずになっていた。だから北斗は余計なことはしないようにと思っていたのだが……結局、駆けつけてしまった。

 落ちていく昴の手を握り締め、北斗は彼女を吊り上げる。月光を背にした彼の姿は昴にはよく見えなかっただろう。そしてきっと、転送のショックで忘れてしまうような些細な事……。それでも計画を崩されて呆れるメリーベルを背後に、北斗は最後のわがままを通す。


「――これから、つらい事がいっぱいあるかもしれねえ。でもな……それはきっと、お前を強くしてくれる。だがら……がんばれ。がんばれよ、昴。大丈夫だ、どんな時でも俺が一緒にいる。俺が傍に居る……」


 昴は目を見開き、小さく誰かの名前を呼んだ。そうして――つながれた手が放たれ、少女は落ちていく――異世界へと。北斗はそれを見送り、目を閉じ……そうして振り返る。メリーベルは腕を組み、不満そうな顔で北斗を見ていた。


「そんな怖い顔すんなよ……。どうせ忘れてるって」


「…………まあ、いいけどね……。一つ、謎も解けたし」


「謎?」


「あなたがいつ、あの世界に召喚されたのかって事よ」


 それ以上説明せず、立ち去っていくメリーベル。北斗はうさ子と共に目を丸くし、そうしてその後を追いかけた。去っていく二人の背後……昴を転送した魔方陣の中に吸い込まれる光があった。それはずっとずっと、肉体を失ったその時から彼女の傍にあった、彼女を思う一人の男の魂……。

 昴が、傷つかないように。昴を……守る為に。せめて傍に居ようと、彼はずっと近くに漂っていた。召喚された彼は肉体を持たず……しかし、昴を助けるために身体を得たのだ。

 世界に漂う名も無き魂を受け入れ、喰らうのがガリュウなら、彼がそれに宿ったのもある意味当然の流れだったのかもしれない。その魂はやがてその肉体の所有権を奪ってまで昴の前に姿を現すことになる。が……全てはきっと、当然の事だったのだ。

 記憶を失い、何もかもを失い、それでも彼は昴を守ろうとした。傍にいようとした。道中、争うことはあったかもしれない。けれど二人はきっと……ずっと、ずっと、最初から……傍に寄り添っていたのだ。


「……さて、最後の仕事も終わったし……還りましょうか、あの世界に」


「そうだな……。ま、こっちに来てやった事はたいしたことないけどな」


「あるでしょう? あなたはアニマを封印する、新たな“器”となった。これからどうするつもり? もう簡単には死ぬことさえ赦されないわよ」


「……ま、戻ってから考えるさ……。テキトーにな。時間ばっかりは腐るほどあるんだ。それなりに……見つけるさ、答えを」


 煙草に火をつけ、男は空を見上げる。くすんだ夜空に煌く星……。どんな闇の中でだってきっと輝いてみせるだろう。そう……彼女なら。

 それが、彼らの物語の終わりと始まり。全てはここから始まり、そしてまたここに還るのだ。

 誰かを愛し、守り、そして語り継がれていく罪のエピソード。それは、彼らが望み思い描いた夢の形……。


 剣創の、ロクエンティア――――。





「…………眼が覚めたか?」


 目の前には綺麗な真紅の瞳があった。燃えるように紅い髪……時代錯誤の和装。ああ、なんだ。全部夢だったんだ。ふと私は安堵する。握り締めていたのは、彼女の白くて柔らかい手だった。綺麗な手だ、と呆然と考えた。待て。そうじゃないだろう。

 周囲を眺める。どこだ、ここは? 見覚えがない。何故か、布団の中に寝かされている。全身汗びっしょりだ。何故? 何が? どうなって――?


「ようこそ、“ロクエンティア”へ。歓迎するぞ、救世主よ――」


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