アニマ覚醒(3)
なんだか、とても……とても長い夢を見ていたかのような気分でした。
夢の中で私はある一人の魔剣使いの記憶を辿っていました。彼は……ヴァン・ノーレッジは、とても孤独で……とても寂しい人……。彼の人生は、どうしようもない数々の悲しい運命に導かれ……そして、どこかがおかしくなってしまったのかもしれません。
彼は生まれてすぐに親に捨てられ、祖父母の手によって育てられました。しかしその祖父母はある日野党に殺され、ヴァンは一人で生き残る事になりました。彼は街の地下に逃げ込み、そこでまるで獣のような生活を強いられたのです。
生きる為に盗みを働く日々……。時には捕らえられ、一晩中暴行を加えられる事もありました。私はやめてと何度も叫んだけど、夢だからか誰にも声は届きません。必死に彼をかばおうとしてみても、彼の身体にはただ痣が増え……私の身体は透明なまま。
彼は毎日毎日必死になって生きていたのです。汚泥を啜らねば生きていけないような掃き溜めの中で……。そんな彼の目の前に、ある日炎を引き連れて一人の魔剣使いが現れました。彼が現れ、それからは少しだけ彼にとっては幸せな日々が続きました。
毎日毎日、彼は師となった男と共に笑顔で暮らしていました。彼が生まれてから初めて見せた笑顔……それがずっとずっと続けばいいのに。でも、それは長くは続きませんでした。数年後、彼はまた師匠と離れ離れになり……そして、あの力を手に入れてしまった。
闇の魔剣、蝕魔剣ガリュウ――。全てを飲み込み、喰らい尽くす運命の魔剣……。彼はそれを持つが故に様々な戦いに巻き込まれていきました。その中で何人も何人も、望まぬ人を斬り……。望まぬ死と直面するのです。彼は呪いました。この世界を呪い続けました。そして事件は起こったのです。
魔剣の力が彼の悪意に反応し暴走……。街一つを破壊し……彼はその瓦礫の中に立ち尽くしていました。もう何もかもが壊れてしまった……。どうして彼にばかりこんな悲しみを背負わせるの? 私は彼の代わりに泣いてあげたかった。でも……彼の身体を優しく抱きしめてくれる人が現れたのです。
それは……私の母、シャナク・ルナリア・ザルヴァトーレでした。彼女は反帝国組織を率いる革命の女神として各地と転戦していたのです。その途中、偶然彼と母は出会ったのでした。母は彼を仲間に迎え入れ、そして自らの右腕として活躍させました。
彼にとって幸せな時間がまたやってきたのです。失われた母の面影をシャナクに重ねた彼……。彼は母の為になんでもやりました。何とでも戦いました。その中で母は彼に力を使う者の覚悟と責任を説いたのです。力に振り回されるのではなく、それを制御し正しく扱う事が必要なのだと。
彼はもう乱暴に剣を振り回すだけの人間ではなく、立派な一人の騎士でした。ですが、帝国との戦いは激化し……シャナクは囚われの身となってしまうのです。そして……彼にとって忘れられない日がやってきました。
アンダーグラウンドに捕らえられた女王を救いに単身乗り込んだ彼は、そこで虐げられ、陵辱され、生きているだけの人形と成り果てたシャナクの姿を見たのです。彼は大声で泣き叫びました。私も一緒に泣きました。母は……わかっていた事ですが、とてもとても惨い仕打ちを受けたのです。
彼は一人UGで暴れ周りました。たくさんの人を殺して、殺して、殺しまわって……。でも心の中では助けてと叫んでいたのです。もう殺させないでと泣いていたのです。身体は大きくなっても彼の本質は安らぎを求めるただの子供でした。そして母は……最早自由に生きる事のかなわなくなったその身を斬るように、彼に頼んだのでした。
どうして……こんな事になってしまったのかと。どうして……彼はこんなにも悲しいのかと。私はずっと泣いていました。彼は自らが殺した母の亡骸を抱きしめ、涙を流していました。それはとてもとても美しい、儚い光景でした。彼の心にあったのは闇なんかじゃない。ただ……報われない孤独な光だったのだと、私はそう気づきました。
女王殺しの騎士は一人、帝国と戦い続けました。あらゆる敵を斬り殺し、斬り殺し、斬り殺して死体の山を積み上げて、彼はそれでも斬り殺しました。亡き母の為に……。彼はいつしか魔剣狩りと恐れられるようになり、そして彼はその呼び名に相応しくその心を黒く塗りつぶしていったのです。
そんな殺戮の戦士の前に、ある日一人の女性が現れます。それはシャナクと同じ、優しく人を許す心を持ったククラカンの姫でした。姫は男を抱きしめ、もう戦いは止めましょうと説きます。彼はようやく剣を下ろし……そして姫との旅が始まったのです。
心のどこかで彼はもう、失うことを覚悟していました。でも姫は大罪の使い手で、彼と同じくらいに強かったのです。彼と彼女は世界中を転々とし、様々な問題を解決しました。たくさんの闇と、たくさんの光を見ました。そしてゆっくりと、彼は彼女を愛するようになったのです。
二人にとってとても幸せな日々が続きました。帝国の追撃は続き、彼は姫を守るために戦いました。でもそれは守るための戦い……復讐ではなかったのです。彼にとって満たされた、優しい戦いでした。
黒き闇の騎士は、一生姫を守ると誓いました。しかしククラカンという国はそれを許しません。二人は駆け落ちをしようと、逃げるように旅を続けました。しかし……その幸せな時にも終わりがやってくるのです。
姫は彼をかばって死に絶えました。その時、彼の中で決定的に何かがおかしくなってしまったのです。与えては奪う、この恐ろしい地獄のような世界……この世界にある全ての光も闇も憎み、呪い、殺意で突き刺そうと男は吼えたのです。
彼は各地を転戦し、殺しに殺しを重ねました。その途中、気まぐれでギルドに加わったり人助けをしたりしながらも、心の中で疼く憎悪の炎をかき消せずに苦悩していました。がんばれ……負けるな! 私は声をあげます。でも、彼にそれは届きません。せめて誰かが彼の傍にいてくれたら……こんなにも彼は苦しまなかったのに。
そうして彼の一生が終わったのは、異世界からやってきた白き救世主の刃の煌きを見た時でした。男は心のどこかでこれでいいと思いました。もう、これで何も殺さなくて住む……と。眠りについた彼の心の中に別の人格が生まれ、そして彼は彼が願ったように、もう誰かを憎む戦いはしないと誓ったのです。
でも……なぜでしょうか? 今の彼は激しい世界に対する憎悪に埋め尽くされていました。魔剣狩りと呼ばれた彼は、シャナクから聞いたアニマの話を信じていました。だからこそ魔剣を集め、神の力を手に入れようとしていたのです。今まさに彼は神の力を手に入れようとしています。そして……彼はこの世界で最強の、孤独な……とても悲しい魔王になりました。
誰でもいい、彼の本当の気持ちを聞いてあげて! 彼を攻撃しないで! 彼を許してあげて……! 声を上げて叫んでも、白き勇者は彼と刃を交えるのを止めません。私は……私はただ、見ているだけ……。
魔王は何故、こんなにも世界を憎んでいるのでしょうか……? あんなにも優しい気持ちがあって、あんなにも誰かを愛せる人が……どうして。私は暗闇の中、ただ全ての景色から遠ざかります。どうして私には身体がなくて、声も出せなくて、手も伸ばせないの……? 考えて……私は何かを理解しました。
ああ……。もう、私の物語は……終わってしまったんだ、と……。
振り返るとそこには仲間たちの姿がありました。彼らはいよいよ、最期の戦いに向かおうとしています。この世界を終焉が包みこみ、数え切れない命が失われていく今……。彼らは、それでもまだ尚抗おうとしていたのです。
私は……ただ、見ているだけ。手伝ってあげたい。一緒に居てあげたい。でも……何も出来ない。自分の無力さが悔しく、私はただ暗闇の中で手を握り締めます。何もかもが遠い……。自分の身体なのに、まるで動く気がしない。私はもう……何もかも……。終わってしまったのですから――。
アニマ覚醒(3)
世界を終焉が包み込もうとしていました。覚醒を始めたアニマは世界中に魔物をばら撒き、人々はそれに抗おうと必死で団結しようとしていました。
崩れていく世界……。帝国も、反帝国組織も、元ギルドも……全てが集まり、一つになろうとしています。全ての界層が崩壊を始め、大地が失われていく中、人々はインフェル・ノアをはじめとした浮遊、飛行施設に集まり、何とか世界から脱出を図るしかありませんでした。
第二界層ジハードを後にしたガルガンチュアはインフェル・ノアに格納され、そこで修理と補給を受ける事になりました。そのインフェル・ノアに降り注ぐ魔物たち……。彼らは剣を取り、それぞれが守るべきものの為に戦いました。
ヨツンヘイムの街が崩れさり、プレートは次々に落とされていきます。それもそのはず、この世界を支えるメインシャフトが動き出していたのです。第二界層以下の全てのプレートが崩落を初め、慣れ親しんだ世界は次々に失われて生きました。
私は浮かんだ世界の上から、世界の本当の姿を見ていました。この世界は……。ロクエンティアと呼ばれた世界は……。一つの巨大な、とてもとても巨大な剣だったのです。シャフトの外壁が崩れ去り、そしてプレートが無くなった空間に光の刀身が出現します。それは、世界に穿たれた一振りの刃……。アニマの身体へと突き刺さった巨大な剣。六英雄がそれぞれの世界の一部を切り取って作った、一つの巨大な剣だったのです。
そう、アニマは最下層……UGの更に先に眠っていました。結晶に覆われた巨大な神は今はまだ“世界”の最終安全装置によって覚醒を阻止されています。突き刺さった剣……それが抜け落ちた時、世界は本当の意味で終焉を迎えるのです。
ヴァン・ノーレッジはその剣のコントロールを掌握しようと、第一界層へ向かっていました。剣の柄に値する第一界層は、アニマの封印を解き放つ為の装置が隠されているのです。七つの大罪全てがそろったわけではなくとも、ヴァンは世界中の魔剣をその身体に宿しています。彼はもう、アニマを覚醒させるに十分な存在だったのです。
あらゆる世界を飲み干す力、アニマ……。それは暴食の魔剣ガリュウに導かれ、徐々に覚醒が始まっていました。私はそんな崩壊していく世界をただ俯瞰する事しか出来ません。そんな私の背後から、誰かの声が聞こえました。
「……あそこに、戻りたい?」
そこに居たのは……ミラ・ヨシノでした。光だけとなった彼女と対峙し、私はようやく自分の肉体を自覚します。いいえ……それは魂と呼べる物だったのかもしれません。私たちは互いに空の上、形の無い身体で向かい合います。
「世界は滅びを迎えようとしている……。ううん、もう全ての階層が崩れた今、彼らに帰るべき場所はない。インフェル・ノアが落ちたら、もう彼らは死ぬしかないわ」
「…………もう、どうにも……どうにもならないんでしょうか」
「……ヴァンはきっとアニマの封印を……封印の剣、ロクエンティアを解き放とうとするわ。そうなれば最期……アニマはヴァンの言うとおりに動き、あらゆる世界を食い尽くす神になるでしょうね」
「貴方は……貴方は、ミラ……? それとも……?」
「私はこの世界に残留する、ミラ・ヨシノの心の欠片……。シェルシ、貴方はもう十分頑張ったわ。もう、これ以上傷つく必要なんてないの。あそこに戻る必要は……ないのよ」
ミラは私の肩を叩き、そして私たちは一緒にインフェル・ノアを見下ろしました。次々に襲ってくる魔物の群れ……。それに先陣を切って立ち向かうのは昴でした。彼女は一人ボロボロになって、ずっとずっと戦い続けています。彼女はこの絶望だらけの世界の中まだ諦めていませんでした。そんな彼女を希望の光とするかのように、集った人々は諦めずに戦い続けます。
「それでも私は……戻りたい。見ているだけなんて嫌なんです。あそこで……みんなと一緒に戦いたい」
「でも、貴方にはもう身体がないわ……」
ミラは背後から私の身体を優しく抱き寄せ、目を瞑ります。そう……私はもう、身体を失ってしまったのです。もう、どうにも出来ない。どうにかしたくても、何も出来ない……。無力で、ちっぽけで、どうしようもない……弱い自分。そんな自分が嫌で嫌で、私はずっと……変わりたいって、そう願っていた――――。
「復活しようとしているアニマに対抗する手段は……たぶん、たった一つだけね」
ガルガンチュアの艦橋、残された仲間たちは集いメリーベルの言葉に耳を傾けていた。つい先ほどまで魔物の襲撃があり、昴も仲間たちもボロボロに傷ついていた。だが休んでいる時間はない――。回復魔術でだましだましでも最期まで走り抜けなければならないのだ。そう、この世界が終わってしまう前に……。
「昴……これは私たちにとっても無関係な話じゃないわ。恐らくアニマは覚醒したらこの世界を食い尽くし……次は私の住んでいた世界か、貴方の世界に向かうはずよ」
「……私の世界に……?」
「……色々事情があるから詳しくは説明している暇がないんだけど、私の住んでいた世界と貴方の住んでいた世界はある事情から非常に近い存在なの。そして、私はアニマの存在を知り……自分の世界を守る為にこの世界にやってきた」
メリーベルがその異変に気づいたのは数年前の事である。彼女の住んでいた世界に未知の魔物が現れ、世界を混乱が襲ったのだ。その騒ぎはすぐに解決したものの、元凶が何なのかわからなかった。魔物が異世界から来た物だと知り、メリーベルは異世界へ通じる扉を開いてこちらの世界へ調査にやってきたのである。
結果、世界を超えて被害を撒き散らすこの世界の異常性と危険性に気づき、その問題を解決するためにこの世界に残ったのである。そして今その危惧は現実の物となろうとしている。今はまだ影響はないが、アニマが完全に覚醒してしまった時、彼女たちの住む世界はその襲撃を受ける事となるだろう。
「そうなれば、夏流やリリアも平穏無事にってわけにはいかなくなるわ」
「……だからメリーベルは……二人を巻き込まないように黙ってたんだね」
それはメリーベルなりに二人の幸せを考えての結論だった。二人には気づかれないように、この問題を解決しなければならない……。結果、彼女の立ち回りは完璧だったとはいえないだろう。この歳になってようやく、“彼”の苦労を知る事になった。それはそれで、いい経験だったのかもしれないが――。
「とにかくこのままじゃこの世界が滅ぶだけじゃ済まないわ。私たちの世界……そして全ての世界がアニマによって崩壊する……。それだけは絶対に阻止しなければならない」
「だが、アニマをどうする……? 六つの世界の一部を切り取って封印を作るしかなかったような代物だろう? 俺たちに今更何が出来る……?」
ゲオルクの言葉に誰もが黙り込んでしまう。そう、最早スケールが違いすぎるのだ。魔剣使いだとか大罪だとかそんなレベルではない……。相手は世界そのもの――。今、これだけ疲弊した戦力で一体何が出来るというのか……。しかしメリーベルはあえて強い口調で言葉を続けた。
「“神”に対抗するのならば……“神”にすがるしかないわね」
「神……?」
「アニマは元々この世界が生み出した“守護者”なのよ。その存在は“アニマの器”と呼ばれる存在に依存しているわ。現状は、大罪を集めたヴァン・ノーレッジが器に該当する。ということは、前の器はもう開放されているはずよ」
それは“元々のこの世界”であるUGに封印されている。UGとは本来あるべきこの世界の大地であり、その上に無数の封印、緩衝装置として作られた界層を貫き封印の剣であるロクエンティアが突き刺さった事により、世界は成立していた。故にこの世界の原初、この世界を作った神はUGにて眠りについているはずなのである。
今まではそれを覚醒させる事が出来なかった。彼女の覚醒はアニマの覚醒を意味している――。だがアニマが覚醒し、新たな器を手に入れた今彼女もまた夢から目覚めているはずなのだ。もしもこのどうしようもない状況を何とか出来るとしたら、それはこの世界を作った……アニマを作った神以外にないだろう。
「結局、最期は神頼みってわけね……」
「ロゼ殿、そう言わずに……。拙者も、その最期の希望にかけてみようと思うのでござるよ」
「どっちみち、ボクたちに出来る事はもうそんなに多くないからね」
「…………いってみるの。うさたちに出来る事……この世界の為に、出来る事……。きっと、まだ何かあるはずだから……」
うさ子の言葉に頷く仲間たち。彼らはガルガンチュアから直接、転送魔術を使ってUGへ向かう事になった。その間メンバーの半分は残り、インフェル・ノアの防衛……。実際に現場に向かうのは、ロゼと昴、そしてうさ子とメリーベルの四人だけであった。
UG、そこに眠る古代遺跡……フラタニティ。昴たちはその中へ足を踏み入れた。結晶の森の中、ロゼは興味深そうに周囲を眺める。そこはかつて父が研究していた古代遺跡……。冷たく反響する靴音の中、疲れた様子の昴を気遣いロゼはゆっくりと歩く。うさ子も、昴も、誰もがみんな疲れていた。もうエデンの戦いからずっと、戦いっぱなしなのだから。
「……こんな時に何言ってんのって思われるかもしれないけどさ。僕たち……今日まで色々あったけど、よくやってきたよね」
「……はう。ロゼ君、がんばってたの~。うさもね……みんなもね、がんばったの」
「だからさ……僕は最期まで諦めたくない。諦めないで……最期まで足掻きたいんだ。リフルがくれた命を……僕は、無駄にしたくない。みんなもそうだろ? 何かを受け継いで、僕たちはここにいる。みんな何かを背負ってる。だから……もう少し頑張ろう。そんな疲れた顔……悲しい顔、しないでさ」
ロゼの言葉で昴は少し驚き、それから笑顔を作った。うさ子も元気よく耳をぱたぱたさせ、うさ語で何かを叫んでいたが誰も聞いていなかった。というより理解出来なかった。そうこうしている内に彼らはついに、神の眠る場所へとたどり着いたのだった。
「これが……神……?」
「はうう……? うさと、おんなじ顔なのー……」
「そうみたいだね……。父上はずっと昔にこれを見つけていたのか……。すごいな……」
神は……少女は結晶の森に守られるようにして光の中で眠っていた。柔らかな光……。結晶は全てがよく見ると一つ一つが剣である。その中で磔にされているかのようにして眠る神は、確かに神々しかった。
昴はそれに吸い寄せられるように近づいていく。その靴音が空洞に鳴り響き……それが神の浅い眠りを覚ますかのように、ゆっくりと顔を上げさせた。神はその目そっと開き、昴を見つめる……。その顔はまさしくうさ子そのものだった。
「……やっと、逢えたね……昴」
「え……?」
「昴だけじゃない……。ロゼも……メリーベルも。うさ子も……みんな、知ってるよ。ずっと……長い間、夢を見てたんだ。私の……長い長い、夢……」
神は自らの手で拘束の結晶を砕き振り払うと、ふわりと一同の前に舞い降りた。そうして裸の姿のまま、にっこりと無邪気に笑ってみせる。ロゼだけが明後日の方向を向いていたが、その神にうさ子は駆け寄ってじっと顔を覗き込んだ。
「うさにそっくりなのーっ!? はうう……!? びっくりなのー……」
「こんにちは、うさ子……。ずっと、私は貴方と意識を共有していたの。だからうさ子、貴方の事も……みんなの事も、よく知ってる」
「うさの……意識……?」
「そう……。うさ子、貴方の中にサルベージされた私は、貴方と一緒にこの世界を見てきた……。みんなの戦い……。みんなの想い……。それを感じて……」
神は目には見えない空を仰ぎ見るかのように天を見上げた。そこにはただ結晶の光が降り注ぐ世界だけがある。その神々しい、静かな気配に誰もが思わず言葉を詰まらせていた。神は優しく微笑み、そうして昴へと向かい合う。
「こんな世界に呼んでしまって……ごめんなさい。でも……貴方はこの世界にとって必要な人だから……」
「…………。教えてくれ。どうすればアニマを葬る事が出来る……? どうしたら、私は兄さんを救える……?」
「新しい器は、より明確な破壊という意識をアニマに与えてしまった。アニマはその命令に純粋に従うだけ……。新しい器は私よりもずっと強い意志を持っている。もう、私にはアニマを止める事は出来ない」
「そんな……」
「でも、それは私一人だけなら……という話。うさ子……昴……。みんな……。この世界にいる人たちの力があれば……アニマを倒す事は出来ずとも、封じる事は出来るかもしれない……」
アニマとは、この世界に召還された創造した守護者……。彼女の孤独を癒す為に存在する、たった一人の“ともだち”……。それは、彼女が心の中に宿していた七つの感情を元に、全てを飲み込む純粋な存在として世界に猛威を振るった。
そして今、彼女の中にはアニマに奪われてしまった感情以外にも残っているものがあった。ただ、悪意だけが……寂しさだけが心を満たしていた過去と今は違う。彼女はうさ子にサルベージされた魂を通じてこれまで様々な物を見つめてきたのだ。そう、それは数え切れない人々の愛と勇気の物語――。
「うさ子が私に教えてくれた……。愛、勇気、友情……たくさんの優しい気持ち。貴方たちは失意や絶望の中で、それでも愛を忘れなかった。誰かを愛そうと必死になって戦っていた。私は貴方たちからその力を教わった。だから……今なら出来る事がある」
神はうさ子へと歩み寄り、その手をぎゅっと結んだ。繋いだ手と手……。うさ子と神の身体がゆっくりと輝き出し、その優しい暖かな光が空間を包み込んでいく……。
「う、うさ子……!?」
「……うさ子、貴方はこの世界を守りたい……?」
「……うさ……うさはね、守りたい……。この世界を……仲間を、友達を、大切な人を……」
「彼を――助けたい?」
「うさは――助けたいのっ! もう、誰も泣かなくていい世界がほしい! うさは……そのためならなんでもするっ!!!!」
「……わかった。なら、貴方のその傷ついた身体と……貴方の中に芽生えた二つの心をちょうだい。私も力を貸すから……」
「え……? ど、どういう……!?」
戸惑うロゼの目の前、うさ子は光の粒に変わっていく。そうして光は神の身体の中に溶け合い、一つに交じり合っていく……。うさ子という人格……。ステラという人格……。二つの魂が神という器の中に溶け合っていく。
そう、ステラは神の魂だった。何も知らない無垢な神の心……。そしてうさ子はそんな神の身体の中に芽生えた、もう一つの魂。愛を知るために、愛するために生まれてきた心……。ステラだけでは無機質で不完全だった心に、うさ子というゆらぎが生まれた。そしてそれが本来あるべき魂へと還っていく……。
神は眩い光を放ち、そしてその形を変えていく。それは……神がこの世界に生み出した最期の希望。人間の手の中に託された、もう一つの大罪。否、それは大罪と同じ工程で作られた、しかしまったく魔逆の意味を持つ剣……。
愛や、勇気や、友情や……。たくさんの暖かい心。うさ子が持っていた全ての存在に対する愛情……。その愛の輝きが結晶となり、剣の形を紡いだのである。それは静かに大地に突き刺さり、白く刀身を輝かせた。
『これが、今の私に出来る精一杯……。あとは……この剣を貴方たちが上手く使えるかどうか』
「う、うさ子はどうなったんだ!?」
『うさはね、この剣の中で一つになったの。この剣はうさの気持ちそのものなのーっ』
「…………うさ子」
『うさ、ぜんぜん悲しくないよ。うさはこうなるべきだったから……。ううん、きっとうさはこのために生まれてきたから。だからね、みんなを守る剣になって……今度はうさがみんなを助けるよ』
昴はその剣に歩み寄り、剣を一息に引き抜いた。美しく澄んだ刃の音色が響き渡り、刀身は輝きを弾いて眩い……。世界中の愛を集めたようなその剣は、大罪と対を成す物……。
『……“剣”は、人を傷つける象徴。でも、同時に何かを守る為の力の象徴でもある。剣はただ力、それは人の心と同じ。扱い方次第……全ては在り方次第。だから人はその力を恐れ敬い、そして信じなければならない……。私は、私が生み出した化け物に抗う為に、貴方たちに力を託します――――』
「それでも……それでも私、あそこに戻りたい……。私……まだ、諦めたくない……」
天の上、私はミラと向かい合いました。そんな私に彼女は呆れたように笑いかけます。とても愛らしい、優しい……慈愛に満ちた笑顔。彼女は私の手を握り、言いました。
「……本当に好きなのね。彼の事が」
「――はい」
「なら……力を貸してあげる。貴方の時間を、巻き戻してあげる。貴方はもうこの世界の摂理から外れた存在になる……。それでも……かまわない?」
「構いません」
即答だった。そうだ、そんな事は些細な事だ。私は彼を愛している……。まだこんなところで死んでいるわけにはいかないのだ。だから……そのほかのことなんて些細な事だ。
私の身体を光が包み込む。きっと、ミラは私たちのことをずっと見守っていてくれたのだと思います。その最期の最期の力で、彼女は私に命を託した……。光に包み込まれ、吸い込まれていきます。そうして私は……もう一度、諦めない為に……。今度こそ――希望を守る為に――。
「“創神剣ロクエンティア”――それが、この剣の名前ですね」
突如、昴の持つユウガが光を放ち、そこから伸びた手が神の剣を握り締めていた。完全に命を絶たれたはずのシェルシ・ルナリア・ザルヴァトーレがそこには立っている。そうして神の剣を握り締め、仲間たちへと振り返った。
「この剣――私に使わせてくれませんか?」
「…………てか……シェルシッ!? ど、どっから出てきたの!?」
『私が、ある人にお願いして呼び戻してもらったの。この剣は、本当に“彼”を愛する人間じゃないと使いこなせないと思うから……』
守る為に、傷つける為に、奪う為に、維持する為に……剣はただこの世界にあり続ける。だがこの剣は生み出し、与える為に存在する剣……。誰も傷つけず、誰も壊さない剣。だからこそ、それは普通の使い手ではこなせない。
『シェルシ・ルナリア・ザルヴァトーレ……。封印の力を継ぐ者。貴方なら、この滅ぼすのではなく、愛する為の剣を使いこなせる』
『うさもね、シェルシちゃんならきっと大丈夫だと思うの! というか、シェルシちゃんしかいないのっ! はうはうっ!!』
「ありがとう、うさ子。ほかの皆も良いですね? まあ――だめといっても、聞きはしませんが」
シェルシは踊るように流麗な動きでロクエンティアを振るう。光の風が起こり、シェルシはその髪を風に輝かせた。神の愛の剣……。大罪と対を成す剣。究極の剣がこの世界に産み落とされた瞬間だった。
「……さあ、行きましょう。私たちの大切な人を取り戻す為に」
遥か下、UGよりも更に奥深く……。世界という名の剣に貫かれた巨大な悪意が動き出そうとしていた。新たな器となった男はその反対側、天の上にて両手を振るう。遥か彼方まで広がる空を掌握し、全ての世界を睨みつける。最期の戦いは、すぐ目前まで迫っていた――。




