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俺と彼女のイチャイチャ契約

作者: 墨江夢

 俺・但馬雄司(たじまゆうじ)は、付き合って3日の彼女と喧嘩した。


 よく交際してから3ヶ月経過した頃に破局するカップルが多いと聞くけれど、3日ってなんだよ、3日って。いくらなんでも、早すぎるだろ。


 喧嘩の原因は、単なるすれ違いだった。

 俺が調理実習で一緒の班だった女の子と仲良くしていて、その光景を見た彼女が激怒したのだ。


 玉ねぎを切っている途中だったからか、包丁片手に俺に襲い掛かってくる。目尻に溜めていた涙は、嫉妬が原因か玉ねぎが原因か。

 家庭科教員の協力も得てなんとか平静を取り戻した彼女だったが、機嫌は依然として悪い。


 だけど、よく考えて欲しい。俺が何か悪いことをしただろうか?

 恋人でない女の子と仲良く話していたからと言っても、別に下心があったわけじゃない。

 第一話していたのだって、調理手順を教えて貰っていただけだ。


 だというのに、謂れのない罪で刃物まで向けられんだぞ? 怒りたいのは、こっちの方だっての。


 俺たちは互いに謝ることをせず、結果交際3日目にして破局寸前に陥っているのだった。


 彼女の嫉妬深い性格は、直した方が良いと思う。ちょっと女の子と話しただけで包丁を持ち出されては、命がいくつあっても足りない。

 女の子と手を繋いだ日には、ミサイルでも撃たれるんじゃないだろうか?


 他にも彼女に対する不満はあるぞ?

 毎晩のように電話してくるのがしつこいとか、朝6時に「一緒に学校行こう」と迎えに来るのが重すぎるとか。

 ……付き合って3日でここまで不満が溜まるなんて、ある意味凄くないか?


 じゃあ、別れれば良いじゃないか。……いいや、そういうわけにはいかない。

 だってそんな欠点も含めて、俺は彼女――晴野美憂(はるのみゆ)のことが好きなのだから。


 顔が好みだから。最初はそれだけの理由で、興味を持った。

 それから話しかけてみて、意気投合して、そして付き合うに至った。


 詰まるところ、俺は美憂にベタ惚れなのだ。

 恋は惚れた方が負けというが、いやはや、まったくその通りである。


 だから美憂と別れるなんていう選択肢はない。今回も、どうにかして仲直りしたいと思っている。


 と、いうわけで。

 俺は現在、美憂と一緒にファミレスに来ていた。


 大事なことなのでもう一度言っておく。俺は悪くない。

 なので絶対に謝らないのだが……嫌われたくもないので、俺はせっせと彼女にドリンクを運んでいた。


「オレンジジュースで良かったか?」

「……コーラ」

「ですよねー」


「彼女の考えることすらわからないのかよ」。美憂がそんな視線を俺に突き刺してくる。

 美憂がコーラを飲みたいと思っていることくらい、わかってましたよ。えぇ、わかっていましたとも。だって俺は美憂の彼氏ですもの。


 俺はオレンジジュースを自分の席に置いて、急いでコーラを取りに行った。

 自分用に持ってきたアイスコーヒーは……食後に飲むとしよう。


 コーラを美憂の前に置いて、俺も腰掛けたところで、ようやく本題に入ることにした。


「なぁ、美憂」

「何?」

「このまま喧嘩している状況が続けば、きっと俺たちは近いうちに別れることになる。3日前に付き合い始めたばかりなのに、だ。お前はそれを望むか?」

「……やだ」


 良かった。「別れても良い」って言われたらどうしようかと心配していたところだ。

 美憂の愛情を再確認出来て、俺は嬉しいよ。……だからさ、その右手のナイフは置きなさい。


「だろ? だったらこの件はここで手打ちにすべきだと思うんだ。そして二度とこんなつまらない喧嘩をしないで済むよう、対策を立てる必要がある。違うか?」

「私もそう思う」

「理解してくれて、何よりだ。……同じような喧嘩を起こさない為には、互いの交際に対するスタンスを共有し合うべきだと思う。そこで聞きたいんだが……付き合うにあたって、美憂が俺に求めることって何だ?」


 美憂は「うーん」と声を唸らせながら、しばらく考えた後で、


「私以外の女の子に触れないで。私以外の女の子と話さないで。私以外の女の子と同じ空気を吸わないで」


 それって、俺に死ねって言ってるんですかね? 美憂の俺に対して抱いている感情が、愛なのか殺意なのかわからない。


 前者二つは兎も角、同じ空気を吸わないことが現実的に不可能なことは、美憂もわかっている。だからこその、話し合いだ。


 俺は事前に用意していた折衷案を、美憂に提示した。


「美憂は俺が他の女の子に取られるんじゃないか、そう思っているんだな?」

「……うん」

「だったら他の子と仲良くした以上に、お前と仲良くすれば良いんじゃないか?」

「つまり、私ともっとイチャイチャしてくれるってこと?」

「端的に言えば、そういうことだ」


 他の女の子と10秒手を繋いだのならば、美憂とはその倍の20秒手を繋ぐ。他の女の子と楽しくお喋りしたのならば、美優とはめっちゃ楽しくお喋りをする。

 何においても美憂が一番で、美憂以上なんていなくて。


 今後喧嘩しない為の対策として、俺たちは『イチャイチャ契約』を結ぶのだった。





 翌朝、俺はスマホのアラーム音ではなく着信音で目が覚めた。

 朝っぱらから電話をかけてくるなんて、どこのどいつだよ? どうせ美憂に決まってるけど。

 俺は誰からの着信か確認せずに電話に出る。


「もしもーし、美憂かー?」

『残念。愛しい彼女じゃなくて、小林(こばやし)です』


 電話の相手は、美憂ではなくクラスメイトの小林さんだった。


「小林さん? どうしたんだ、こんな時間に?」

『連絡網ってやつだよ。今日の1時間目、数学から英語に変わるんだって。なので、教科書を忘れないように!』

「りょーかい。連絡貰えて、助かったわ」


 今日は元々英語がない予定だったし、小林さんに連絡を貰わなかったら一人だけ恥をかいていたところだ。

 電話を切るなり、俺は鞄の中の数学の教科書を英語の教科書と入れ替える。


 そうしていると、またも電話がかかってきた。

 スマホの画面に表示されている名前を見ると、今度こそ美憂からの電話だった。


「美憂か? どうした?」

『誰と電話してたの?』


「おはよう」よりも前に向けられる詰問。心なしか、美憂の声に怒気が含まれている。


『私ね、今電話しようと思ったんだよ。モーニングコールしようと思ったんだよ。でも……電話、通じなかったんだけど? ねぇ、誰と通話していたの? 女? 女なの?』


 怖い怖い。朝から恐怖体験させるんじゃねーよ。


「小林さんだ。今日の数学が英語になったって、教えてくれたんだよ」


 だから何もやましいことはない。暗にそう伝えたつもりだったんだけど……


『そうだったんだ。でも、私以外の女の子と話していたのに変わりないよね?』


 ……まるで取り付く島などなかった。

 

『イチャイチャ契約』


 その単語を最後に、プツリと通話が切れる。

 ……何の根拠もないけれど、凄く嫌な予感がする。


 嫌な予感というのは、総じて当たるものだ。

 通話が切れて5分足らずで、美憂が我が家にやって来た。


「来ちゃった」

「……」


 確かに俺と美憂の家は近い。しかし朝の身支度をする時間を考慮すれば、5分という移動時間は流石に速すぎる。俺の彼女は、瞬間移動でも使えるのか?


 美憂は一枚の紙を、鞄から取り出す。

 汚れたり破れたりしないよう、丁寧にファイリングされたその紙は……他ならぬ「イチャイチャ契約書」だった。


「……手を繋いで登校するので、許して下さい」

「ダメ。腕を組んでくれるなら、許してあげる」


 自分で発案したものなんだけど……イチャイチャ契約は、予想以上の効力を持っているようだ。





「但馬くん、少しだけ時間をくれないかな?」


 4時間目の授業が終わり、昼休みに入るなり、小林さんが俺に話しかけてきた。

「何だ? 告白か?」などと冗談を返そうものなら、漏れなくヒステリック彼女から殺意を向けられることだろう。

 ブラックジョークならぬ、ブラッドジョークになってしまう。割とマジで。


 なので無難に「何だ?」と短く返したわけなんだけど……


「ごめん。みんながいるところでは、言いたくないんだよね……」


 ……もしかしなくても、告白ですかね?

 幸いなことに、美憂はお手洗いに行っている。なのでまだ「お昼食べよー」と、俺のところに来ていない。

 鬼の居ぬ間に洗濯ということで、俺は5分だけ小林さんに付き合うことにした。


 小林さんに連れられて、俺は校舎裏にやって来る。ひと気のない、校舎裏に。

 やっぱりこれは、告白――


「但馬くんって、佐藤くんの友達だよね? 私に佐藤(さとう)くんを紹介してくれないかな?」


 ――なわねないですよね! 

 どうやら小林さんは、俺の友人である佐藤のことが好きみたいだ。だから佐藤と友達である俺を、仲介役にしたってことか。


「びっくりしたな。告白されるのかと思ったぜ」

「いやいや。告白なんてしたら、晴野さんに殺されるって。家庭科室の一件、記憶に新しいんだから」


 まぁ美憂の独占欲を目の当たりにして、それでも俺に告白してくる奴がいるとしたら、そいつは間違いなく自殺志願者だろうな。


「で、どうかな? 佐藤くんへの紹介、頼まれてくれるかな?」

「構わないぞ。ついでにさり気なく、小林さんが良い奴だってアピールしておく」

「助かります。……お礼に今度、デートしてあげるからさ」

「それは勘弁だ。いや、本当に」


 デートがデッドに変わってしまう。


「冗談だよ。それじゃあ、1つ借りってことで」


 小林さんに貸しを作っておくのは、悪くない。デートとは違って、命の危険もないし。


 小林さんと別れると、タイミングを見計らったようにメッセージが送られてくる。

 送信主は美憂。本文はなく、添付ファイルとして写真が一枚あるだけだった。


「……」


 添付ファイルを開いて、俺は言葉を失う。

 美憂の送ってきた写真は……イチャイチャ契約書だった。


 前言撤回。命の危険めっちゃあるわ。

 取り敢えず、今日の昼休みは「あーん」でもしないと、許してくれないだろうな……。





 美憂との昼ごはんは、決まって彼女の手作り弁当を中庭で食べている。

 どうやら美憂は既に中庭にいるそうなので、俺も急いで向かうことにした。


 中庭へ足を進める道中、俺は佐藤に呼び止められる。

 丁度よく俺の前に現れてくれたものだ。

 俺は小林さんの要望通り、彼女のことを佐藤に紹介しておいた。


「僕も小林さんのことが気になっていたんだよね。早速今夜にでも電話してみようかな」


 この二人の恋愛は、恐らく上手くいくことだろう。佐藤にも小林さんにもお世話になっているし、是非ともそうなって欲しいものだ。


「雄司は、これから彼女とお昼かい?」

「そんなところだ。……実はさっき小林さんと話しているところを目撃されちゃったみたいでな」

「それはそれは、ご愁傷様」


 合掌するな。洒落にならない。


「まぁ、精々彼女サービスに励むとするよ」

「それは懸命だね。……前から聞こうと思ってたんだけどさ、どうして雄司は晴野さんと付き合っているんだい?」

「そんなの、好きだからに決まっているだろ?」


 何を当たり前のことを聞くのだろうか? お前が今夜小林さんに電話をかける理由と同じだ。


「そうじゃなくてね。晴野さんって、何ていうか凄く重いじゃん? 嫉妬深くもある。そんな彼女をどうして好きになったのかなーって」


 ……確かに。

 家庭科室での一件を目撃した人間は、漏れなくそういった疑問を抱くであろう。

 美憂が重い女だというのは事実なので、「まぁ、重いよな」と苦笑しながら同意した。


「付き合うっていうのは、何も良いことばかりじゃないんだよ。それまでは気にしていなかった相手の欠点だって、浮き彫りになっちまう。長所をどれだけ魅力的に思えるかも大切だけど、それと同じくらい欠点を許容することも重要なのさ」


 俺は佐藤の肩をポンと叩く。


「数日前にリア充になったばかりなのに、随分と上から目線だね」

「数日前でも、お前より早く彼女持ちになったのには変わりないからな。顔も勉強も運動もお前には勝てないんだ。これくらいマウント取らせろ」


 佐藤との会話に夢中になっていたから、俺は気付かなかった。

 廊下の陰に、よく知る女子生徒が潜んでいたことに。


 俺が屋上に着くと、美憂の姿はなく。昼休みの間ずっと待っていても、終ぞ彼女は現れなかった。





 いつもなら「さようなら」と同時に俺に下校をせがんでくるというのに、なんなら放課後デートを要求してくるというのに。今日に限っては、放課後になっても美憂は話しかけてこなかった。


 荷物を鞄にしまい終えて、よし帰ろうと席を立つ頃には、既に美憂の姿はなく。

 ……昼休みの密会の件は「あーん」+間接キスで許して貰ったから、彼女が怒っている理由に皆目見当がつかなかった。


 美憂に限って、浮気しているなんてことはないだろう。となれば、俺に声をかける余裕もないくらい体調が悪かったとか?

 心配になった俺は、帰宅する前に美憂の家に立ち寄った。


 玄関チャイムを鳴らすと、美憂が出てくる。

 俺が一言「イチャイチャ契約」と言うと、彼女はすぐに出てきた。


「先に帰るなんて、酷いじゃないか。体調でも崩したのか?」

「……別に」


 素気ない美憂の返し。だけど怒っているのとは、少し違うような。


「もしかして……落ち込んでいるのか?」

「……」


 沈黙は、肯定を表していた。

 

 一体何に落ち込んでいるというのか? 俺が予想を立てる前に、美憂が口を開く。


「私って、重いよね。嫉妬深いよね」


「はい、そうです」。いつもならそんな軽口を叩くわけだが、今は違う。俺の返しによっては、美憂は取り返しのつかないくらい傷付いてしまう。


「そんなことない、とは言わせないよ。昼休み、佐藤くんと話していたのを聞いちゃったんだから」

「……盗み聞きしていたのかよ」


 俺は苦虫を噛み潰したようなしかめ面をする。

 本当、見て欲しくない光景を目撃して、聞いて欲しくない内容を耳にする女だ。


「私はね、雄司のことが大好きなの。だから自分でも気付かない内に依存しちゃって、嫉妬しちゃって。雄司が何も言ってこないから、それでも良いと思っていた。だけど……」


 何を思ったのか、美憂はイチャイチャ契約書を取り出すと、真っ二つに破る。


「お前!」

「イチャイチャ契約は、もう無効ね。これで雄司は自由だよ」


 唐突な別れ話。だけどその真意は、俺のことが嫌いになったからじゃない。寧ろその逆で。


 これ以上俺を束縛しない為に、別れるって? その方が俺が幸せだって?

 ふざけんな。人の気持ちを、勝手に決めつけるんじゃない。


 盛大な勘違いを、俺は正してやることにした。


「自由になんかなれるかよ。その契約書、クラウドに保存してあるっての」

「嘘!?」


 だから破ったところで、元のデータは存在する。

 しかも複数の媒体に保存してあるから、一つが吹っ飛んでもなんら問題ない。


「何でそんなことをしたの? それじゃあ、私と別れられないよ?」

「別れたくないからに決まってるだろうが」


 イチャイチャ契約は二人の約束であると同時に、俺がどれだけ美憂を想っているかの証明でもある。

 その証明を、簡単に失くしてたまるか。俺は何があっても、美憂を手放す気がないんだから。


「重い女でも良いの? すぐ嫉妬するけど良いの?」

「構わない。そういうところも含めて、美憂が好きなんだ。……だけど刃物を持ち出すのだけは、我慢してくれよ? 俺は死にたくない。これから何十年も、美憂と一緒にいたい」

「わかった。善処する」

「それ、絶対善処しない奴のセリフじゃん」


 失笑しながら言う俺に、美憂もまた笑みをこぼす。

 もう、彼女の顔に悲しさはなかった。


 そうだ。イチャイチャ契約に、新たな一文を追加するとしよう。


「相手を嫌いにならない限り、絶対に別れ話を持ち出さないこと」、と。


 そうすればきっと俺と美憂は、ずっと一緒にいられる筈だから。

 どうやら独占欲が強いのは、俺の方だったみたいだ。

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