8 まさかの告白
「さっきは、ありがとう」
ポツリと、それでいてまっすぐな感謝を告げられたわたしは動けなくなってしまった。
それは少しも邪念がこもっていなくて。それでいて少し照れくさそうで。
……なぜわたしを嫌いなはずのフェルス様がそんな態度をするのか、わけがわからなかった。
「い、いいえ……。わたし、出過ぎた真似をしてしまいました。あんな場所で剣を抜くなど……」
思わずしどろもどろになるわたし。
フェルス様はお強い。なのに彼を貶されたことが許せず前に出たわたしは、あの時なんとみっともなかったのだろうと反省していたのだ。
なのに感謝されるなんて……おかしいだろう。なのに『岩の貴公子』様に向けられる視線は真剣そのものだった。
「あの時、貴女は俺を英雄と、そう言ったな」
「……はい」
思い出される、エリーに向かって言い放ったわたしのセリフ。
『わたしのことは何と言っても構いません。でも、フェルス様を……わたしの英雄を貶すことは、わたしが許さない』
あれはわたしの本心だった。あれを、フェルス様の前で、言ってしまうなんて。きっと変な女だと思われただろう。わたしはいつもいつもヘマばかりして……。
「貴女は、あの時のことをまだ覚えていてくれたのだな」
「あ、あの時……?」
心臓の鼓動が激しい。
何を言われているのだろう。咄嗟に問いかけるわたしに彼は静かな声音で言った。
「連れ去られた貴女を、俺が助け出したあの日のことだ」
「――」
「それを覚えていてくれたから、貴女は俺に……傷物になった俺に、あんなに親身に」
「ふぇ、フェルス様は……わたしのこと、覚えていらっしゃったのですかっ!?」
震える声で、さらに質問を重ねる。
まさかと思った。わたしみたいな地味で目立たない奴よりもあそこにはたくさんキラキラした女の子たちがいて、みんな泣いていた。
だから忘れているだろうとずっと思っていたのだ。そんなまさか覚えているだなんて。
フェルス様は、黙って頷いた。
それが何よりもの答えだった。
「あの時から、わたしはずっとフェルス様に憧れていました。わたしを救ってくださった、英雄だからです。だから剣を覚えました。元々貧弱だった体も鍛えたんです。岩みたいに大きくはなれませんでしたけど。でも……男爵家の娘でしかないわたしがそんなこと、烏滸がましいですよね。ご、ごめんなさい」
「……謝るな。俺は先ほどの言葉が嬉しかった」
「えっ」
なになになに?? どういうこと?? わたしの頭の中は疑問で埋め尽くされる。
あんな恥ずかしすぎるわたしの、一瞬で黒歴史になりつつあるセリフが、嬉しかった? どうして? あんなのはわたしの勝手な愛であって、わたしのことが嫌いなフェルス様にとっては良い迷惑のはずでしょう?
「マリア。実は俺は、貴女に忘れられているんじゃないかと思っていたんだ。あんな昔のことだ。覚えられているはずがない。貴女はまだ幼かったからな」
「――――」
「王女と別れて、絶望して。どんな相手と結婚することになるかわからずに俺は不安だった。そんな時に俺の前に現れた婚約者が貴女で本当に嬉しかったんだ。ああ、あの時のあの子だと思って」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですかっ。フェルス様はわたしのことが嫌いなんですよね? なんでそんないい話になるんですか? さっきまで、あの少女と出会うまで、フェルス様はわたしとほとんど喋ってくださいませんでした。わたしのこと嫌いだからなんじゃないんですか?」
たまらず、そう口にしてしまう。
だっておかしい。おかしすぎる。今まであんなに素気ない態度を見せていたフェルス様が急にこんなに……。彼の瞳を見てみれば、あのピンクブロンド少女エリーを見下ろしていた時の冷酷さが一転、真剣な眼差しを向けている。
理解不能に陥るわたしに『岩の貴公子』様は不思議そうに言った。
「俺がいつ貴女のことを嫌いと言った」
「だって話しかけても何も答えてくれないし……。それに贈り物だって」
「……それは誤解だ」静かに、しかしはっきりとフェルス様は否定した。「それは貴女への態度を決めかねていたからであって、別に嫌いというわけではなかったのだ。誤解させてしまったようですまない」
「えっ……そ、そんな」
小さくわたしは震える。
これはもしかして、もしかすると。いやもしかしないでも。わたしのただの勘違いだったということ? それで不安になって勝手に『フェルス様のハートを射止めちゃうのだ作戦』だなんて馬鹿なことをしていたと?
フェルス様がもしも恥ずかしくてわたしに言葉をかけなかったのだとしたら。……それはつまり。
「初めて出会った時から貴女のことはずっと気になっていた。数年ぶりに再会した時はどれほど懐かしく思い、そして貴女の優しさに触れるうち心が癒されたことかわからない。今までは貴女があの時のことを忘れているだろうと思い躊躇していたが……ずっと俺のことを覚えていてくれたなら、何も心配はいらないな」
『岩の貴公子』様はゴツゴツとした手をわたしに差し出して、
「マリア・ホットン。俺は心の強い貴女が好きだ。他の令嬢たちがみんな泣いていた中で貴女は一人だけ涙を流さなかった。さっきもそうだ。エリーに詰め寄られても何も動じていず、むしろ俺を守ろうとしてくれた。……俺は貴女が好きだ。何年も前から、それこそ初めて出会ったあの日からな」
なあんだ。
そうか。そういう、ことなのか。
わたしは全てがストンと胸に落ちるのを感じた。真っ黒な岩のようなフェルス様のお顔がほんの少し赤く染まるのを見つめながら頷いた。
「わ、わたしも。わたしもフェルス様のことを……愛しております。あの日あの時あなた様にお助けいただいた時からずっと。ですから――」
岩のような手を取って、一言。
「あなたと婚約できて本当に嬉しいです、『岩の貴公子』様」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そうして、何はともあれわたしの『フェルス様のハートを射止めちゃうのだ作戦』は成功した。……というより、最初からそんなことをする必要はなかったのかも知れない。
だってわたしたちは両片思いだっただけなのだから。でもそれが本当の両思いに変わったこのデートは一生の思い出になることだろう。