7 フェルス様の事情
「俺の前に二度と現れるなとあれほど言ったろう。お前は自分が大罪人であることを理解しているのか」
大きな『岩の貴公子』様が、突き飛ばされて床に寝転がるピンクブロンド少女を見下ろしている。
わたしは一体今目の前で何が起こっているのかわからず、動揺していた。
この少女がフェルス様の愛人ではなかったの……? なら、どうしてあのように親しげに。
「ふぇ、フェルス。それは違うって言ったじゃない!!! アタシは殿下に騙されたの! まさかあんな風なことになるなんて!」
「……あのせいでこの国がどれだけ大変なことになったかわかっているのか。お前は私利私欲のために、この国を、殿下たちをダメにしたんだぞ。それで俺の名をそう気安く呼ぶのであれば、やはり牢にぶち込むべきだったな」
「――!」
フェルス様がこんなに喋っていらっしゃるなんて!
わたしはそんな全く関係のない感動を抱きながら、この意味不明なやりとりを眺めていた。いや、見ていたのはフェルス様の漆黒の瞳だ。
――そこに映っているのは無だった。岩のように冷たく、まるで何の感情も感じられない。彼のそんな目を初めて見たわたしは、ゾワリと背筋に悪寒が走るのを感じた。
修羅場は続く。
「フェルスだってアタシのことを好きだったでしょうが! だから、あの時見逃してくれたんでしょ!?」
「勘違いするな。俺は俺に責任があると言っただけだ。お前を許すなどとは一言も言っていない」
「フェルス……! アタシ、フェルスのことをこんなにも想ってるのに! そうか、その女ね!? 婚約者だなんてふざけてる。こんな薄汚い女を選ぶあんたの目は節穴――」
わたしは、気づいたら彼女の前に剣を突きつけていた。
先ほど武器屋で仕入れたばかりの短剣だ。それをまっすぐピンクブロンドの女に向ける。
「わたしのことは何と言っても構いません。でも、フェルス様を……わたしの英雄を貶すことは、わたしが許さない」
それから女がギャアギャア喚き散らしていたが、よく覚えていない。
わたしはただ、自分が言い放ってしまった言葉が恥ずかしくて、その後身悶えすることになるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……あいつは、俺の過去と関係のある奴だ」
――帰りの馬車にて。
ピンク髪の女を追い払った『岩の貴公子』様は、隣に座るわたしにそう言った。
それまで外を眺めていたわたしは彼の方に顔を向けようとし、しかし赤ら顔を見せたくなくてやめる。そんな無礼な態度のわたしを咎めることなくフェルス様は言葉を続けた。
「半年前の侯爵令嬢殺害事件というのを……知っているか」
わたしは首を振った。あくまで末端貴族でしかないわたしはそんな話は聞いたこともなかったからだ。
それから『岩の貴公子』様がわたしに語ってくださったのは、あまりにも壮絶で血生臭い話――わたしが聞かされていなかった彼のスキャンダルの内容だった。
『岩の貴公子』フェルス・クレーデ様は公爵令息。
力も人望もあったフェルス様は当然のようにこの国の王太子殿下の側近に選ばれていた。
殿下にとっては妹の婚約者であったフェルス様は非常に都合が良かったのだと思う。
そして王太子殿下を側近として支えていたフェルス様は、半年前、大きな事件に巻き込まれることになってしまった。
それこそが侯爵令嬢殺害事件だ。
それは上級貴族だけが集まる夜会のことだったそうだ。王太子が突然、婚約者の侯爵令嬢への婚約破棄を叫んだのだという。……その隣にあのピンクブロンド――エリーという少女を従えて。
フェルス様をのぞく彼の側近たちは、王太子と同様にエリーにすっかり骨抜きにされていたらしい。
エリーはこの国の新しい聖女だった。若く力のあった彼女はその可愛さによってすぐに男に取り入っていたのだ。
フェルス様はずっとただ一人だけ、彼女のことを怪しいと思い、王太子たちに近づくなと言っていた。しかしその事件は防げなかったのだった。
王太子がありもしない罪状を並び立て、侯爵令嬢を断罪する。
そして侯爵令嬢が抵抗できないうちに……側近の一人が彼女を護身用の刃物で殺害した。大罪人だとそう罵って。
『岩の貴公子』フェルス・クレーデ様は彼女を庇おうとした。しかしエリーに絡まれ少し対応が遅れ、その惨劇を許してしまったのだという。
それからは大変だった。何せ侯爵令嬢を冤罪で、それも夜会という公の場で殺してしまったのだから、王太子は廃嫡され、他の側近たちは皆将来を失った。
そして暴挙を止められなかった『岩の貴公子』様も例外ではなく、侯爵令嬢の親友であった王女様からは「見損なったわ」と婚約を解消され……今に至る。
「あの女は事件の際に追放され、以来行方をくらましていた。それがまさかあんなところで俺たちと鉢合わせするなんてな。……すまない」
「別に、わたしは何とも思っていません。あの少女には少し腹が立ちましたけど……」
まさかフェルス様にそんな過去があっただなんて。
わたしはそのことに驚くと共に、あの見た目だけは可愛い少女を恐ろしく思った。侯爵令嬢に罪をひっ被せるだなんて、たとえ聖女であっても許されない。それは聖女ではなく悪魔の仕業だった。
……でも。
事件はとても悲しいことなのだけれど、その事件があったからこそ今わたしはフェルス様の隣にいられる。エリーという少女は大罪人だが少し感謝する気持ちもあるにはあった。
フェルス様にどれほどのダメージを与えたことなのかはわからない。わたしには到底理解できないだろう。だからその分、彼を幸せにしたい。大岩のような巨躯を見上げながらそう思う。
そしてしばらく馬車の中に沈黙が流れる。
すっかり慣れてしまったそれを破ったのは、なんとフェルス様だった。
「……マリア」
「ひゃ、ひゃい!」
突然名前を呼ばれ、わたしは飛び上がる。
今、マリアって言った? 言いましたよね? えっ。名前を言われるのなんて、初めて……?
「さっきは、ありがとう」
その言葉を耳にした瞬間、『岩の貴公子』様がわずかに口角を吊り上げたのを目にして。
わたしの中にとてつもなく熱い何かがブワッと湧き出した。