1 『岩の貴公子』フェルス様との顔合わせ
――ああ、倒れてしまいそう。
目の前に立つ男性を見て、わたしは眩暈がするほど心を震わせていた。
天に届くほどの巨漢であるその人物は、焦茶色の髪に漆黒の瞳をした美丈夫だ。全身の肉付きは逞しくどんな恐怖からも守ってくれそうな強さが感じられる。
そして何より、彼はわたしがずっと憧れていた人だった。
「…………」
しばらくわたしが言葉を失っている間、彼もまた沈黙し、こちらに視線を合わせていた。
どうしてそんなにじぃーっと見つめてくるのですか!?と思わず全身が熱くなるのを感じながら、わたしはやっとのことで声を絞り出した。
「あ、え、えっと。その……こんにちは。わたし、ホットン男爵家のマリア・ホットンっていいます。よ、よろしくお願いします!!!」
ああもう。すごく顔が熱い。真っ赤になっていやしないだろうか。恥ずかしいやら嬉しいやらで失神してしまうー!
身悶えしたい気持ちでいっぱいのわたしに向かい合う男性は静かに頷いた。
「マリア・ホットン。俺はクレーデ公爵家が長男フェルス・クレーデだ。これからは婚約者としてホットン家の力になれればと思っている」
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
わたしは叫ぶように言って、彼――フェルス様に頭を下げた。
その瞬間、喜びの気持ちが一気に高まり湧き上がる。パーティーに出る度にその姿に憧れ、長らく片想いを寄せていた相手。それがなんと今日、わたしの婚約者になったのだ。
こんなに嬉しいことってあるかしら? 全身が震える。憧れの『岩の貴公子』様の婚約者になれるなんて最高すぎて死んでしまう!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その巨体や、何事にも動じない鋼の心を持つフェルス様はまるで岩のようで、『岩の貴公子』だなんて呼ばれている。というより名づけたのはフェルス様の大ファンだったわたしなのだけど、いつの間にか社交界中に広がっていた。
そんなフェルス・クレーデ公爵令息が男爵家のわたしなんかと身分違いの婚約をした理由。それは彼が傷物になってしまったからだった。
『岩の貴公子』様は女子からの人気が高く、齢が十になる前に婚約が決まっていた。
そのお相手が王女様だというから彼の素晴らしさは一目瞭然だ。……もう別れてしまったとはいえ。
しがない貧乏男爵家のわたしはよく知らないが、フェルス様は大スキャンダルに巻き込まれたのだと聞いている。
かの『岩の貴公子』様がそんなことをするはずがないとわたしは思っていた。彼を疎ましく思う何者かの陰謀だろうと。しかしそのスキャンダルは本物らしく、彼は婚約者と関係を終わらせざるを得なかっただけではなく、公爵家の跡取りという地位も剥奪されてしまったそう。
そして傷物となり皆から倦厭されるようになったフェルス様にここぞとばかりに婚約を要請したのがこのわたし、マリア・ホットンである。
事情がどうあれ、憧れの『岩の貴公子』様と婚約者になれるなんてなんという幸せだろうか!
剣の訓練で鍛え上げられた逞しい腕が素敵。日に焼けて朝黒くなった肌がとても魅力的で惚れ惚れしてしまう。
……だがしかし、わたしのそんな気持ちとは裏腹に、フェルス様はダンマリでわたしを見つめ返すだけ。
そしてそのままお茶を飲み終えると彼は突然、「それではそろそろ帰る」と言って顔合わせの場から帰って行ってしまった。
「えっ。ちょっと。あの。フェルス様? さ、さようなら……」
わたしはあまりのことに呆気に取られてしまい、ただただ歩き去る彼の姿を見送るしかできなかったのだった。