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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

†片翼の天使達† / † One-Winged Angels †

作者: サクラクロニクル


 私が本物の天使なら、思い悩むことなどないのに。


「我が同朋よ。時は来た。我ら比翼連理(ひよくれんり)となりて夏の祭典に(のぞ)もうではないか」

 友達の逆城(さかしろ)瑠璃(るり)は重篤な病を患っている。出会ってからいくつかの季節が過ぎたが、いまだ快癒の目途は立っていない。

 脱色を疑われるような白い髪をしているが、これが彼女の自然だ。不自然なのは右腕に巻かれた包帯と左目を覆う眼帯の方。友達でなければ、一緒に歩きたくない相手。

 私はズレてしまった眼鏡を整えながら次のように返す。

「瑠璃。比翼連理は夫婦の仲のむつまじいことを表す四字熟語だ。私と瑠璃は女と女。よってその表現は適用範囲外。オーケイ?」

 これだけでは、彼女の病状が軽減されることはない。

「汝は恋のサジタリウス。堕天使となった我が暗闇を照らす月光。なれば(われ)が汝のプリンスとなろう」

 ため息は幸せを(こぼ)してしまうという。だから私は、彼女の相手をする時にいちいち呼吸を乱したりしない。

「いい。わたし、そういうの興味ない。それより夏祭に行くんでしょ。浴衣を買いに行かないとね」

「諦めぬぞ、我がエンジェルよ」

 聞きたくない音が鼓膜に触れた。心が沸騰する。噴き出す蒸気を止めることができず、怒気を孕んだ声を使ってしまう。

「その呼び方、マジでやめて」

 不機嫌をそのまま叩きつけてしまった。瑠璃が黙る。だけど、その目は凛としている。彼女は揺らがない。そんな瑠璃に、私は甘えているんだろう。

「ごめん、怒鳴って。買い物、一緒に行こうか」

「ああ。そうするとしよう」

 そう言って微笑む瑠璃は、確かにプリンスになる素養を持っている。

 もしも彼女が彼であったら。

 ――なんて、詮無いことを考えてしまうくらい、彼女の瞳は純粋で美しい光を宿している。


 なんであの呼ばれ方を嫌うのか。

 エンジェルなんて響きを喜ぶ女子がいるとは思えない。けど、怒鳴りつけるほどではない。事情を知らぬ人なら私の沸点の低さに呆れることだろう。

 これにはちゃんと理由がある。

 私の名前は落田(おちた)天使(えんじぇる)という。天の使いと書いてエンジェル。恐ろしいほどの輝きを放つ名前だ。自己紹介するたび、私はこう付け足す。

「この名前は呼ぶ方も恥ずかしいと思うので、テンコと呼んでください」

 なんなら、それほど長く付き合わない相手には最初からテンコと名乗るくらいだ。

 小学生の頃は名前が原因でよくいじめられていたし、中学の時も初対面の相手から嘲笑を受けた。だから、いまでも親を恨んでる。彼らは、私が小さかった頃、遠いところへ行ってしまった。そのせいで、どんな恨み言も届くことはない。

 そんな私を物理的に支えてくれるのが瑠璃。

 視力が極端に低い私はよく転ぶ。転ぶ子と書いてテンコと書いてもあながち間違いではない。それを根気強く受け止めてくれる瑠璃の腕は頼もしい。

 初めて助けられた時のことを、今でも鮮明に覚えてる。

「ごめん、ありがとう。――怪我してるのに、大丈夫?」

 細いくせに力強い腕。そこに巻かれた包帯の感触。運動部の子かな、と思いながら私は眼鏡越しに瑠璃の顔を覗いた。眼帯をしているけれど、とても美しい女の子だった。同性相手に一目惚れしそうになる。

「ああ、我に怪我はない。この装身具は、我が身に封印されし大逆の悪魔を押さえつけるための神器だ。無用の心配をさせたな」

 ああ、中二病って実在するんだ。そういう気持ちで心が冷えた。

 だから、私はすんでのところでノーマルでいられた。

 その時は、まだ。


 瑠璃が浴衣を眺めている。候補を一着選んであげる。

「黒が似合うよね」

 髪の色との対比でそう思う。

「我が同胞には桜花の色こそ相応しい」

 言われるがままに袖を通して、試着室で自身の姿を鏡に映す。私は数秒も経たないうちに、そこから目を逸らしてしまった。

「素晴らしい。我が目に狂いはない。汝はいま美しい」

「あっそ」

 自分でもそっけないと感じる。

 でも、褒められても、どう受け取ったらいいのかわからない。とても瑠璃みたいには振る舞えない。

 鏡に映っていたのは、ぼさぼさ髪で貧相な身体つきの眼鏡女。瑠璃のいないところでもよく転ぶものだから、あちこちが絆創膏だらけ。浴衣で隠蔽しても、手の甲のやつまでは隠しきれない。こんな傷だらけの女に、彼女の方こそよく付き合っていると感心する。

「瑠璃も着てみなよ」

 私はわかりきった結果を確認する為、試着を促した。

「ふむ。悪くない。堕天使の装いはやはりノワールに彩られるべきものだな」

 自信たっぷりに立ち、私の評価を待つ姿。堂々たるものだ。

 彼女の病気がもし治ってしまったら。その時は、彼女は私の許から飛び立ってしまうんだろうな。そんな心配をしてしまうほどの美貌が瑠璃にはある。黙っていれば美人、という概念をこれほど体現する子もそうそういないから。

「白黒は彩りって言葉からは相当遠いと思うけど」

「そうとは限らぬぞ。完全なる白がこの世に存在せぬように、完全なる黒もまたこの世にはない。ゆえに現世には幾多の灰が繚乱し、滅びゆく世界に色彩が満ちるのだ」

 うん。病状は安定してる。この分なら、瑠璃に悪い虫がつくことはないだろう。

 彼女の中二病は筋金入りだ。包帯を取るくらいならとプールの時間はいつも見学。眼帯を取らないから左の視力はいつも測定不能。その徹底ぶりは、いくら瑠璃が美麗と言っても、嘲りを避けることはできない。

 だから私は、安心して彼女の横で笑っていられる。


 そのはずだったんだけどな。


 その日は朝から天気が悪くて、雨が地面に叩きつけられていた。低気圧で頭が重くて、なにをするのも億劫な一日だった。

 うちの高校の近くで夏祭があるということは有名な話。毎年このタイミングに合わせて男女のペアが作られる。女子は隣が空いている男子を捕まえ、他方で男子は手ごろな女子を求める。その動機は往々にして破廉恥なものであるケースが多い。

 ただ、瑠璃に向けられた好意は、実に奥ゆかしい手段で表現された。

「テンコ。我が心が汝の助けを欲している」

 瑠璃の雰囲気がいつもと違っていた。彼女の頬に紅色を見る。

「どうした。告白でもされたの」

 私は彼女の言う通り射手なのだと思う。ただし、自分の望まぬものを射る。

「ああ。恋文を渡されてな。蹴球部の鶴城(つるぎ)王子(おうじ)というらしい」

 ドキリとした。美男と噂の男子だ。名前の音だけをもじってソードプリンスなんて呼ばれたりもする。けど、そういう綽名を笑って流せる、度量の広い男と聞いている。サッカー部の次期エースと目される有望株だ。

 もし彼と瑠璃が一緒に並んだら、さぞかし似合うことだろう。少なくとも、私のような地味眼鏡とは月と(すっぽん)と言ったところ。

「中身は読んだの」

「ああ。その筆致に迷いはなかった。どうやら、我が魔力に魅了されたらしい。はたしていつ夢の覚めることか」

 瑠璃の恥じらいは、彼女の白い肌に綺麗な赤を浮かび上がらせる。

 私は慎重に問いかける。

「付き合いたいの」

 瑠璃も女だ。それなりの欲望があってもいい。その結果として、余計なものが捨て去られたり、重い病が回復に向かうのであれば、それは瑠璃の幸せに繋がることだろう。

「いや。どう断るべきかを考えていた」

 浮かない表情。喉に音がこもっているように聞こえる。私は自分の心がささくれ立つのを感じる。それが表にも出てしまう。

「とりあえず一度会ってみたら。案外、理解してくれる人かもよ」

「もとより、直接相見(あいまみ)える他に手立てはなさそうだ」

 瑠璃の他、私には友達と呼べる相手はいない。学校で他に繋がりがあるのは文芸部の面々くらい。それも深い結びつきというわけではない。

「私みたいなのといるより、ずっと健全になるかもしれないじゃん。なんなら付き合ってみなよ。それこそ、比翼連理の片翼を担ってくれるんじゃないの」

 雨の音がひどい。まるで私の感情を誤魔化すように降り続ける。

 瑠璃の透き通った瞳が、私のことを射竦める。

「本気で言っているのか、エンジェル」

 彼女の苛立ったような言い方に、私も応じてしまう。

「本気で悪かった? 見た目がいいやつは見た目がいいやつとくっつく。それが分相応ってものだよ。それに瑠璃の中二病にもそろそろうんざり。ちゃんとした恋愛ってやつをして、外見相応の言葉遣いをするようになればいいんだよ」

 会話をしたくなかった私は、それだけ言い捨てるとさっさと逃げ出してしまった。瑠璃は追いかけてこない。何度も転んでしまう。私を受け止めてくれる人はどこにもいない。それでもいいと思った。傘も差さずに家に帰り、おばあちゃんに心配されたりしたけど、あらゆる感情は熱いシャワーで洗い流した。あんなひどい言い方をした私に、涙を流す資格なんてないから。


 それからしばらく、瑠璃とは顔を合わせても会話をしなかった。だから恋のやりとりがどう進んでいるのか知ることもなかった。夏祭の日が近くなる。せっかく買った浴衣だけど、使うことなく終わりそうだ。

 そんな折、(くだん)鶴城王子(ソードプリンス)に声をかけられた。何度か遠くで見たことがあったが、こうして間近で見ると、目鼻立ちがくっきりしていて、爽やかな印象だ。髪の色が自然と薄く艶やかで、女の私が羨ましいと感じるほど。

「キミが噂の落田さん?」

 私は「ええ」と短く答えた。

「今日、逆城さんと待ち合わせしてる。放課後、校舎裏でってさ」

 首を傾げる。それと私になんの関係があるというのか。

「一緒に来てもらえないかな。彼女が話したいことがあるって」

 意味がわからなかった。私への当てつけかなにかだろうか。

「本当に私が必要ですか?」

 彼はとても気まずそうな表情をした。

「それが彼女の頼みだから。惚れた弱みってのがあるし、約束したんだ。キミを連れて行くって。俺の顔を立てると思って、ここはひとつさ」

「それじゃあまるで」

 フラれたみたいですね、などとは言えない。私は小さく首肯して彼についていった。


 彼は曲がり角で立ち止まり、見送るようにしてこう言った。

「もったいないよ、キミたちは。だから、俺はこの辺で失礼するね」

 なにを言ってるのかわからない。

 彼は、私に構わず去っていく。

 だから私は前を向くことにした。

 瑠璃が待っているのがぼんやりと見える。私は転ばないよう壁伝いに歩を進める。

「待ちわびたぞ、我が天使よ」

 瑠璃は相変わらずだった。私のことをまっすぐに見つめてくる。

「何の用。鶴城(つるぎ)くんまで巻き込んで」

 つっけんどんに言い放つ。私の根性は歪んでいる。

 すると、瑠璃が唐突に、自身の右腕に巻かれた包帯を外し始めた。一度たりとも、そんなことをするところは見たことがない。何が起きているのか理解が及ばない。

「――――いつまでも中二病の治らないわけ、話そうと思ったの」

 いつもと違う瑠璃の声に、私は息を飲んでその動きを見守る。

 包帯で包まれた美しい白い肌。腕の側面に走る稲妻のような傷跡を見る。その周囲は爛れたような色合いをしている。

「いつもテンコちゃんは綺麗って言ってくれる。でもね、そんなことないよ」

 左目を覆う眼帯が外されると、そこには生気のない瞳があった。

「それっぽく振る舞ってないと、いつも不安だったの。こんな不気味な姿でいたら、隣に友達なんていてくれないと思って。でも、中二病を装ってもたいした違いはなかったよ」

 ずっと知らなかった、瑠璃の本当の姿。

 彼女はずっと隠していたんだ。誰にも、私にさえも言えない傷を。

 思い返せば、彼女は確かにそれらしい行動を取っていたというのに。

「そんなわたしを受け止めてくれたのはテンコちゃんだけだった。だからね、わたしはテンコちゃんから離れたくない。自分勝手だと思う。嫌ってくれてもいい。それでも、本当のことを言わないと後悔すると思ったの」

「瑠璃」

 私はごく自然に、彼女の右腕に触れていた。すがりつくようにして。

「ごめん、瑠璃。違う。嫌ったりしない。私が悪かったんだよ。ずっと瑠璃に嫉妬していた。すごく綺麗な瑠璃の姿に。なんの欠点もない容姿のくせにって、ずっとそう思ってた」

 瑠璃の手が私の髪を撫でる。ぼさぼさで艶のない髪の毛に、彼女の指がするりと通る。

「テンコちゃんは強いよ。だって、こんなわたしが傍にいても、全然変わらなかったもん。どれだけわたしが変なことを言っても、ため息ひとつ零さずに一緒にいてくれる。だからわたしは、テンコちゃんのことが好きなの」

 彼女の腕は力強い。細いくせに、とても。私はそれに引き上げられて、彼女の胸の中に包まれていく。

「あの、瑠璃?」

 すごく近い距離。私はこれから何が起こるのか悟って目を閉じる。

 唇と唇が触れ合った。

 それはほんの一瞬だったけど、やわらかくあたたかい時間だった。

「こんなわたしとでも、一緒にいてくれる?」

 彼女の甘い囁き声は、私からつまらない意地を取り去ってしまう。

「もちろんだよ、瑠璃。夏祭、いっしょに行こう」

 それから、私は瑠璃の握っていた包帯を手に取って、丁寧に巻き直してあげる。眼帯で左目を隠せば、そこにはいつも通りの瑠璃の姿ができあがる。

「私たちは比翼連理。そうでしょう?」

 彼女は頬を流れる雫を拭き取りながら頷く。

「ああ。我らはさしずめ片翼の天使。ふたりでやっと空を飛べるのだ。いざ行こう、エンジェルよ。我らが恋の凱旋だ」

 私はもう、その呼び方に怒らない。








百合の間に挟まる男は斬刑に処す。

現世の皆様、また来世。

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