冬の朝に思う~お味噌汁を作りながら
なろうラジオ大賞参加作品
丁寧にだしをとる。
用意した具材を入れる。
具に火が通ると、味噌を溶き入れる。
もう何百回、ひょっとすると何千回、繰り返してきた手順。
朝に夕に、ほぼ毎日のように作ってきたお味噌汁。
母に教わり、最初に作った味噌汁は煮干しのだしだったが、あれはあまり好きではない。
かつおだしの味噌汁を一番多く作ってきたが、かつおと昆布の合わせだしや、焼きあごのだしも美味しいと思う。
思うが、手軽さや手に入れやすさでは、かつおのだしが一番だろう。
そんなことを思うともなく思いつつ、熱いだしの中へ具を入れる。
今日は長ねぎと薄揚げ。
味噌を溶き入れた後、さいの目切りの豆腐も入れるつもり。
もう一つのコンロでは、ごく小さな土鍋が湯気を上げている。
一食分、五勺の米がもうすぐ炊きあがる。
細く開けた台所の窓から、雪の気配を感じさせる風が時折、鋭く吹き込んでくる。
今日から師走。
土鍋の火を止め、味噌汁の小鍋へ豆腐を入れる。
雪が降ると子供たちは庭へ飛び出し、雪玉を作って投げ合った。
鼻や頬を真っ赤にしてひとしきりはしゃいだ後、雪だるまを作るのがいつものパターンだ。
あれから幾星霜。
子供たちの子供たちすら、雪遊びに興じる年齢でなくなって久しい。
見るべきものは見、見送るべきものは見送った。
私の中の時計がいつ止まるのかはわからないが、そう遠い未来ではない。
青ねぎとじゃこを混ぜた玉子焼きを手早く焼き上げ、皿へ移しながら私は思う。
こうして自分の朝ごはんを自力で作れるうちに、死にたい。
死に方の希望など傲慢かもしれないが、冬の朝、窓越しに緩やかな陽射しを浴びていると、そんな願いが胸の奥から湧いてくる。
炊きあがったご飯を茶碗に盛り、出来立ての味噌汁と共にちゃぶ台へ置く。
さっき焼き上がった玉子焼きもある。
熱いほうじ茶と一緒に、ゆっくりといただく。
味噌汁の奥にあるかつおだしの香りと味が、じんわり身体に沁みる。
炊きたてのご飯を噛みしめ、甘めに作った玉子焼きを、ねぎとじゃこの香りや食感と共に味わう。
食事そのものを純粋に楽しめるようになったのは、ここ最近かもしれないとふと思う。
取り残されたような独りきりの寂しさも、かえって気楽と思えるようになって薄れた。
今日、このまま電池が切れるように最期……も悪くない。
食器を洗いながら私は、そんな不敵なことを思う。
最後の食事を終え、後片付けも済まし、ちょっとのつもりで横になり……次の瞬間、あの世。
上等の死に方だ。