8.5 セイン視点
大陸の北側諸国を回っている最中、急に不快感に襲われた。よほどのことがない限り…それこそ、大おじが厄介な企てでもしない限りは安全なはずのカティアの存在を、何故か海を挟んだ先の北大陸に感じた。
直後に慌てた様子でゼクトがやってきて、カティアが攫われたと聞いてからの記憶がない。
気付けば自分は"あの日"のように姿を変えて、恐らく北大陸であろう場所にある城を踏みつけにして、咆哮をあげてしまっていた。
この国の人間から見れば急に南から飛んできた化け物が、自国の王城を破壊し、今にも周囲の全ての命も奪おうとしているように見えているのだろう。絶叫、逃亡、恐怖に狂乱としながら武器を構える者もいるが、どうせ何もできない。
それよりも、カティアは。近くにいる気がするが、此処ではない。全て破壊する勢いで突っ込んで、城を半壊させて、そこに彼女がいたらどうするのだと言われそうだが…そもそも私が無意識状態だとしても私の愛しい番を害するような真似はしない。
近くにはいるだろうが、奥に見える屋敷だろうか。…何となくだが、カティアが怒っている気がする。彼女がここまで怒りを募らせているのは初めてではないだろうか。
今すぐにでも駆けつけたい所だが、やはりどうにも、この姿から元に戻れない。前回同様理性が戻れば姿も戻ると思っていたが、カティアの無事をその姿を見て確認しないと私の根幹の部分が平静を取り戻せないのだろう。私は嫌になるくらい臆病だから。
一応、周囲にいる人間や建物をこれ以上破壊しないよう気を付けて待つ。
ゼクトの姿が見えたから、カティアを連れてくるだろう。
自分の視界に映る人ならざる皮膚が映って、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。…初めてこの身体が変化した時のことを。
……突拍子のない話に聞こえるだろうが、いつものことだと思って、少しだけ昔話を聞いてほしい。カティアを含め私たちの先祖は、元々北の大陸に住んでいた。現皇帝の何代か前の祖先が南大陸に渡って国を作ったのが全ての始まりだったという。
その北大陸は大昔、知性ある人間以外の力ある種族で溢れていた。それが進化したのか退化したのか、人と交わることでその数を減らしていき、ある頃から人間が支配する土地となった。ただし、大昔の不思議な力を持つ者たちの血筋からは、度々不思議な力を持つ人間達が生まれた。稀にその性質も受け継ぐ一族がいて、我々の祖先もそういった血筋だったのだろう。
カティアの途方もない魔力量も、トーリの見かけによらず強い身体も、ゼクトが妖精達に好かれているのも、…番という繋がりも、全てそこに起因している。(一部では先祖返りと言われているが、)私のこの、怒りや恐怖で我を忘れると変化する身体も。
全身を覆う鱗、小さな街なら簡単に踏み潰せるような巨体、長い尾と爬虫類のような一対の翼、地を建物を抉り壊す鋭い鉤爪。
物語の中でしか見ないその姿を、人は竜と呼んだ。
平凡な私が受け継いだ平凡ならざるこの姿を初めて自覚したあの日は、まだ私もカティアも幼かった。カティアの命が狙われて、私はそれが到底許せなくて、いつの間にか竜になっていて、気付けば跡形もないくらいに壊れて砕けた瓦礫の山と火の海の王都で、目の前にカティアがいたことしか覚えていない。カティアの無事を確認したのが恐らく理性を取り戻したきっかけだった。だから今回は、まだ理性がすぐに戻ってきた方だろう。…姿は戻れていないが。
大人しく待てば崩れている足元や瓦礫の山をものともせずに優美にカティアが姿を見せた。ゼクトの気配は近くに無い。彼女は私を見ると少し意外そうな顔を見せた。
「あら、セイン。やはり身体が成長すると、そちらの姿も成長なさるのね?」
と、朗らかに、嫋やかに笑う。その姿には微塵の恐怖も浮かばない。予想外の感想だし、そとそもこの姿の私をカティアが怖がる事は無いと分かってはいても、内心胸を撫で下ろした。
…昔から、カティアが自分の番である事に安堵することが多かった。
あの当時、狐狸やハイエナ達は、私を都合良く扱う為にカティアを狙っていたが、(まあ、その時点で何もわかっていない。)私がカティアを守っているのでは無い。むしろ、カティアによって守られているのだ。私も、国も。あえて正確に言うならば、私の暴走からカティアがその存在によって国を守っている。心持ち一つで容易く全てを葬るような不安定な私から。
あの日もカティアが来てくれたから、私は戻れた。思えばあの時からだろう、私が本当の意味で不安にならずにいられるようになったのは。
私の愛しい半身が、少なからず私を想ってくれている事をその随分前から知っていても、それでも拭いきれない不安が私の中には残っていた。この欲に塗れた姿を見られたら、きっと怯えさせてしまうのだろう、そもそも私だとは気づいてもらえないかもしれない。例えわかったとしても、やはり、怖がられ、気味悪がられてしまう可能性が高いと思っていた。そう思っていなければ、実際に拒絶された時、狂ってしまうと、それこそ愛しいカティアを巻き込んで心中してしまうと、本能で分かっていたような気がする。
…だから、あまりにも自然に、静かに、まるで全てを受け入れるというように開かれた腕に、私は恐らく、あの時畏怖すら抱いた。
「帰りましょう?」
目の前で物理的に潰えた命に動揺することもなく、
たった今鋭く強靭な爪で容易く人の命を刈り取った人ならざる手に触れておきながら、
戸惑いも恐怖もその眼には浮かばない。いつも私を見ている時と同じ目。
あの日のカティアと目の前のカティアが重なる。何も変わっていない。ああ、本当に、私は臆病で鈍感でもあった。何も変わらないという事は、私の番はあの頃からずっと、今と変わらない想いを抱いていてくれたのだ。
「セイン」
名前を呼ばれるだけで簡単に私の姿は元に戻る。
「迎えに来てくださってありがとうございます」
「感謝してくれて嬉しいけれど、お礼を言うのは此方の方な気がするな…」
「そうですか?随分落ち着いて見えましたよ?…けれど、自力で戻れない所も、私の姿が見えるまで怯えてらっしゃる所も、大変愛らしくて私としてはご褒美でした。お礼を言うこと自体は間違っておりませんわ」
…カティアは随分歪んだなぁ。とダイルとゼクトは言うだろうが、多分これは誰でもいいわけではなくあくまでも私のその姿がという事だろうから甘んじて受け入れよう。事実、自力では戻れなかった。ただし、
「怯えてはいないよ。ただ…」
「ええ、セインがあの姿で歩き回ると振動で建物が破損してしまいますもの。ですから私は、壊さないように細心の注意を払ってらっしゃるところを怯えると申しただけですわ」
分かっていて言ってるから、歪んではいなくとも多少は捻くれているようだ。そこも愛おしいけれど。結局どんな行動かではなく、誰が行なっているかが重要であることに変わりはなくて、私もカティアも互いにそう思っているのだ。
「無事でよかった」
「ご心配おかけいたしました」
そのまま出かける前にカティアがしてくれた『おまじない』を返そうとしたのに、その前に邪魔が入った。(恐らく新たな発明品によるものだろうが、)空を跳ねて此方にやってきたのは、大おじとその弟子だ。
「やあやぁ〜!2人とも無事かぁい?」
「はい。発明品の欠点が見つかるように叩き落として差し上げれば良かったです」
笑顔を意識して私が答えると、弟子は首を傾げるだけの師匠のはるか後方からそれはそれは丁寧に頭を下げた。大丈夫、君は見逃してあげるから。
「大丈夫大丈夫!結界魔法展開しながら走ってるから誰も僕を撃ち落とせないさ!!」
邪魔をしたことを分かっていてか、…いや、多分わざと気付かないふりで自信満々といった返事をする大おじにため息を吐くしかない。この人が私の話を聞くことなんて稀だ、諦めろと言い聞かせながら。
「剣撃込みでお母様から無事逃げ切れるか試してみるのはいかがです?」
「……シュリーヌの斬撃に耐えるだけの結界出しながら動き回るのは、ちょっと…」
今回は思いがけずカティアが大おじにそういいながら、私の腕に自分のそれを絡めて手を繋いだ。寄り添うように私の隣に立ってくれる。じわりと胸の内が温まるような感覚。
「……天下の最強魔術師だって思うところがあるに決まってるじゃないか」
大おじが羨ましそうにというか、恨めしそうに此方…多分私を見ている。…何か小声で呟いたようだけど、珍しくカティアが自分から腕を組んでくれたり手を繋いでくれた感動の方にほぼ全ての意識が向いていたせいで聞き逃した。軽い呪文とかじゃないといいけど。
「セイン、お気になさらず。大おじ様は私達が羨ましいだけですから。ただの僻みです。自分が公然ではお相手と仲睦まじく出来ないのでせめて自分の視界に入る恋人の邪魔をしたいだけですよ」
「…そういえば、公的には大おじ殿は結婚どころかお付き合いしている方もいらっしゃいませんでしたね」
カティアと共にだと思うと嬉しくて普段は出ない笑みが自然に浮かんでしまうが、まあいいだろう。今はその方が効果的な気がしたし、実際大おじにはよく効いた。
最初は恥も外聞もなく急に奇声をあげて、避難していた弟子に泣きつきに離れていった。愉快だな。
「……羨むくらいなら、……素直に夫婦になればよかったのに」
浮かべた笑みは柔らかく、ただ少し悲しそうに見えた。大おじに相手でも居たのだろうか。
呼びかけると、瞬きの次に私を見る頃にはいつものカティアだった。
「子離れできない父親は嫌われますから気をつけてくださいね、セイン」
と、とてもいい笑顔で大おじ達にも聞こえるように言っていた。確かに大おじは自分たちの親より親…というか、保護者的な振る舞いを度度しているが…視線の先では大おじがその言葉に静かにトドメを食らって沈黙していた。…効きすぎでは?
「肝に銘じておくよ、けれどカティアに似ていたら可愛すぎて子離れできるか不安だな」
と、カティアに返事をしながら思っていたところ、遠くで花火が上がった。次いで大おじの弟子が何か思い出したかのように声を上げた。
「殿下方!国旗を燃やしてくれませんか!アレ合図なんです!!花火が2発上がる前に城の1番高い塔の国旗が燃えなければ制圧込みで砲撃っていわれました!!」
「あら。お母様ったら、随分わかりやすい目印を狙いましたのね。もうないですけど」
「大おじがやればよかっただけですよね、もうないですけど」
焦って捲し立てるように私たちに話す彼には残念な知らせかもしれない。
「その旗がついてたのは、私が壊したこの場所だろうね」
「そして花火ですが、もう1発上がりましたよ?」
彼が明らかに固まった。その後方でもう1発、花火の音が響いた。間髪入れずに空気を切り裂く音を立てて、複数の大きな球体が此方目掛けて落ちてくる。
国境や首都を包囲してはいるけど、この攻撃はもっと近くからだな。大おじ達が先程空を跳んできたのと同じようなカラクリで"空から落としている"とみて間違いなさそうだ。カティアの部屋と同じような細工であの重い砲台を運んでいるのだろう。カティアほどでは無いがそこに費やした魔力を考えれば流石と言わざるを得ない。
「…セイン、守ってくださいますか?」
「勿論。君のためなら」
わかり切ったことを少し控えめに伺う姿が可愛らしいなと思いつつ、カティアから距離を取る。彼女の安全だけは確保しないとね。
目を閉じて、後ろにいる大切な存在を強く感じる。再び竜へと変化するが、私が彼女を守れるのだと思えばそれだけで恐怖はない。自分のこの姿にも。
視界が高くなるほど近づく鉄球の群れに、私は喉奥に確かに感じる熱源をひと吹き放った。
火花が散ってそれらの殆どが弾けるように爆発するが一球だけここを避けて城の庭に落ちていく。身体を戻しながらその落下地点を4人揃って見ていると、見えている土にそれが埋まり、明らかに隠されていた自然のものでは無い何かが、落下の圧力に負けて壊れた。その先に見えたものにカティアと大おじが反応した。
「…あら?」
「おやぁ?」
地面に開いた空洞から見えたのは、恐らく通路。よくある最後の脱出手段というやつだ。大おじとカティアはお出かけに頻繁に使っているようだが…。
その開いた穴の中、鉄球スレスレで倒れている人間がいる。崩落した隠し通路の屋根部分が急に落ちてきた衝撃で転んだのだろう。…気を失っているようだ。
「あの令嬢、この国の国王の想い人だそうですよ。私は、一生分かり合えない部類の人間でした」
珍しくカティアが素直に嫌っている。…余程気に入らなかったらしい。
というか、国王の想い人?
「…レルゲン、回収しておいで」
「かしこまりました」
さて大おじの弟子が回収して戻ってくるまで、カティアのご機嫌でもとろうかな。と思った私の方が、今までの経緯を聞いて思わず怒りで我を忘れて原型を留めなくなるまで暴れ回りそうになった事は言うまでも無い。
読んでくれてありがとうございます。
眠い時に投稿予約するのはやめることにします…。
次回更新予定:12/22 23時




