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『お姉ちゃんを守ってね』
祝福であり呪いの言葉を紡ぐ声が聞こえた気がして彼女は森の中で目を覚ました。寝覚めの悪い夢と分かった安堵の深い溜息は同時に彼女の中の苛立ちを表しているかのようだ。
眠りを妨げないようにと気を利かせてか離れていた大小様々な無数の光が、彼女…キエラを慰めるかのように寄り添う。
よくよく光を見れば、一つ一つが人の形をしていて、その背中には蝶を模したような半透明な羽がある。しかも体全体が光で出来てでもいるのか、発光している。
妖精、と呼ばれる不思議な存在だと、彼女はこの世界に引き摺り込まれた時に教わった。誰から?勿論、引き摺り込んだ者たちから。
「きえら、だいじょうぶ?」
子供のような舌足らずな声が彼女…キエラという少女に少し安心感をもたらした。先程までの嫌悪に似た感情が薄らいでいくのを感じながら、ありがとうと声をかけて起き上がり体を伸ばした。キエラが寝ていたのは一枚の大きな石。その上に置いた木を枕にして身体が痛まないのも彼女が妖精たちにとって特別な存在であるからだ。
大丈夫だと答えると妖精たちは嬉しそうにくるくる回った。そして王様がキエラを呼んでいるという。時間からするとご飯かなと、今行くと言って木々の中でも目印になりそうなほど大きな木へ向かって歩き出す。
訳あってキエラは今、一般人が寄り付かないような深い森の中にいる。その訳あってが長いため多少の偏見を交えて簡単に羅列すると、
・ある日聖女召喚とかいう次元レベルの誘拐に巻き込まれてこの世界に連れてこられた。
・キエラの姉が聖女とか言うやつで、記憶に無いが2人は元々この世界の人間だった。慣れるためにと生家だという家で世話になることになった。
・ある日キエラが呪われていると判明(本人は誘拐前から薄々気づいてた。というかガッツリ呪いだと思ってた)し、そんなものを聖女のそばには置いておけないと追い出された。
・死の森とやらに追放されたが、妖精たちが嬉々として世話を焼いてくれている為キエラは超快適に過ごせている。(←今ここ)
…と言う感じである。
どこのラノベだこれは。とキエラは振り返っては思いつつも、ま、いいか。生きてるし。で自己完結する。
妖精達がキエラの世話を焼く理由は、誘拐犯達が召喚した聖女…というか、召喚したかった妖精たちに無条件で愛される稀有な体質の人間が、キエラだったから。
世間的には愛子と呼ばれる。その愛子に妖精たちは惜しみなく力を使って生活を豊かにしようとし、過去には枯れて人の住めない死の大地なんて言われた土地を水の都に変えてしまった事もある。
そんな愛子がいれば国の窮地を救えると、召喚という誘拐をしたこの国の王をはじめとする重鎮達は、見事に愛子を間違えて追放したので、妖精たちは激怒した。普段姿を見せない妖精たちの王様すらおかんむり。しかも直々にその怒りの丈をぶつけに行った。
キエラへ謝罪の上、かけた呪いを解かない限り国には戻さないし、そもそも恩恵なんてくれてやるものか。日を追うごとにこの国を死の土地にしてやる。と。
…怒りをぶつけると言うより、脅迫かなとキエラは話を聞いて思ったが、同時に自分のことでだれかが憤ってくれることが嬉しかった。むしろそちらの気持ちのほうが勝っていたので聞かなかったことにした。浅はかな子どもの考え方と言われても、キエラは物語のヒロインのように優しくはなれない。だって人間から優しくされた記憶なんてほとんど無いのだから。
そして森の中で快適に過ごしてるキエラからすると、森の外は地獄と言われてもピンと来ない。だがそれも知ったことでは無いと思う。誘拐した奴らが自業自得で地獄を見てるだけだしと気に留める事はない。
キエラは追放された死の森…とは180度違う、夏も近い春の森とか言われた方が納得できそうな光に満ちた森を妖精たちの案内で進む。
辿り着いた巨木の幹に空いた穴を潜り抜けると、どういう理論なのか小屋の中に出る。可愛らしいという印象を受ける小屋の中に。
それに対して窓の外は薄暗くて、鬱蒼とした森だ。この小屋は昔死の森にて労働を言い付けられた木こりの小屋だった。…だが、その当時の内装はきっと今とはかけ離れていることだろう。
「おはようございます、王様」
「あら、イレイラって呼んでいいのよ〜。おはよう、キエラ。よく眠れたかしら?」
「はい。とても」
木のテーブルに料理を並べながらおっとりした口調の眩い美女が振り返り、キエラの姿を捉えるとそれはそれは麗しく微笑む。愛しいものを見つめるように。
母親感満載のふわふわしたこの美女こそ、キエラの言う通り現在の妖精の王様と呼ばれる存在だ。
キエラは出会った当初、それはもう熱烈な抱擁をされた。外見といいキエラを迎える歓待ぶりからすると、凡そキレて誰かを脅しに行ったなどと言われても誰も信じないのではと思うほどだ。
妖精王はキエラが退屈しないように話題を振りながら、食事を用意していく。偏りのないバランスの取れた食事が、空腹になる直前で提供されるのでキエラの現在の身体の状態は超健康である。
「今日明日くらいなら南の国のマーケットにでも行きましょうか。それ以降はちょっと、来客があるかもしれないのよ〜」
この妖精王、実は色々な国へとよく出かけている。王ともなれば実体も自在なのか、遊びに行くのに困らないのだとキエラは教えられた。ここに連れてこられてからは便乗してというか、妖精王がキエラの暇つぶしにと連れ回すようになっていた。今回も同様に出かけようという話を振られて、キエラは喜んでと返した。
この自由を体現したような妖精が外出を控えて対応する相手については疑問符を浮かべたが。気になっていることが分かりつつも、妖精王は客人については言わない。
「誰が来るかはまだ内緒よ〜。どこぞの誰かみたいにキエラを自分のものだなんて思う勘違いも甚だしい迷惑をかけるだけの害悪になりそうなら、」
と、不自然に言葉が途切れた。キエラと目が合うと、大変麗しい顔で笑って食べたらおでかけね。と楽しそうに、クローゼットを漁り始めた。知らぬが仏。キエラはそう思って食事を続けた。
数日の後、来客は突然の事だった。
確か自分を追放した国の王が、北大陸の最後の国を攻め落としに行った日だ。キエラは森の外のことは伝え聞くだけなのだが、精霊王がその事についてあり得ない、ふざけてる、完膚なきまでに負けてしまえと静かに怒りを爆発させていたことは知っている。
…正に間の悪い時に来たのが原因の一端だろうが、渋々と妖精王が道を開けてキエラは客人と対面した。
客人はキエラの呪いを解きに来たと言った。キエラを溺愛する妖精王ですらどうにも出来なかったそれを解けるのかと質問すれば、自分なら出来ると言い切った。何故かキエラは、その言葉が嘘ではないと思った。
物語に出てくる愉快犯的な猫を連想させるその客人に対して、胡散臭さとか不信感とかそういう感情よりも先にどうしようもなく安堵してしまう。疑う事を自分自身が拒否しているような感覚だった。
「…あなた、誰?」
「誰だろうね」
知らないけど知っているという言葉が合う気がする。だからか分からないけれど、とキエラは思う。だれでもいいよと。それを知ってか知らずか、客人は笑った。
一方その頃、とある王都のとある離宮は異常事態に陥っていた。離宮だけというより、最早国全体がという方が正しいかもしれない。
国境の方角の空が朝でも夕方でも無いのに、燃えているのは全ての国民が見えている景色だろう。だがそれが全くもって気にならない程の出来事が国の中心で起きているのだから、気付いていなくても当然なのかもしれない。
戦場に発った王に密命を受け…というか、恋人への手紙を託されて、道中蜻蛉返りした1人の伝令が見た景色は、疲れだとかこんな時に恋人に手紙かという呆れだとかそんなものを忘れるくらいの衝撃だった。
辿り着いた歴史ありつつも荘厳な城は、見る影もなく半壊していた。
「あれは、…なんだ…?」
その言葉は半壊した城ではなく、城を半壊させたであろう生き物に向いていた。
それは空に浮かんでいる。というより、飛んでいる。
数階分はある巨体には長い首と尾、コウモリの様な羽があり、キラキラとした白い鱗で覆われて、爪と牙は鋭い。…古い文献に記されていたあの絵に似ている。お伽噺の竜に。似ている、ではなくそれは竜だ。
乾いた笑いが溢れた。いや、笑うしか無かったというのが正解か。その鋭い爪で薙ぎ払われたのか、翼の風圧で吹き飛ばされたのか、または体当たりで潰されたのかは定かでは無いし、どれでもいい。どうでもいい。ただ、伝令にとってどうでも良くないことは、壊れて見る影も無くなったその最上階の角の部屋、そこにいたはずの人物たちの安否だ。
一目散に駆け出す先は勿論、壊れた部分の真下の瓦礫の山。今も救助の声が聞こえているあたり。
見たくないものを見ることになっても、行かなければならない。そうしなければ、大切な人の安否すら、確かめられないのだから。
…伝令が次に状況を把握できた時、彼は離宮にいた。ここに来るまでの道中に何があったのか、何をしたのかは覚えていない。(…よく思い出せばこの離宮の…この部屋を守っているはずの騎士達が1人残らず気を失って倒れていたし、侍女たちも倒れるか腰を抜かすか叫びながら逃げていった気がする。)
だが、そんなことは伝令にとってはどうでもよかった。都合がいい、これならやり易くなったと思ってここまでやって来た。一目散に。全ての元凶に償わせるために。
すぐ目の前にいる。腰を抜かして座り込み恐怖を浮かべて助けてと喚いているその女に。
伝令の男が命を受けて届けに来た手紙の贈り主。王の最愛の女性。
この状況の、全ての原因。
「(そんな言葉を言う資格が、お前にあっていいはずないだろう)」
誰もが何度も口に出しかけては飲み込んできた言葉を、男は何とか口に出さずに終わったが、思いの分だけ恐怖以外の感情で身体が震えていた。
怒りと憎しみ。先程見た現実を思い出してまた頭の中に霧がかかったように思考がそれだけに固定される。働かなくなる。
伝令は手を伸ばす。あとは振り上げた腕を落とすだけ。それだけだったのに、急に頬に走った痛みに正気を取り戻した。手にしているのが手紙ではなく、剣である事に気付いて慌てて放した。
…伝令が何故伝令になったのか、それは彼が度重なる戦いと同胞の死のストレスにより刃物の恐怖症になり戦場に騎士としては居られなくなったからだった。
それに配慮してくれたのは紛れもなく上司や、自分をここに使わした王だった。…が、その恩や恐怖心すら忘れるほどの事が起きてしまった。
…問題は刃物への恐怖を思い出しても尚殺意は消えないことだった。再び落ちた剣に手を伸ばしてしまう。
しかし、それを止めたのは、本来ここにいるはずのない人物だ。
「しっかりなさい。貴方にはその資格があるのかもしれません。けれど、彼女の罪は、殺された程度で贖えるものなのかしら?」
そんなわけがない!
そう思うのに、口ではそう言えても手を伸ばすことをやめられない。
カティアはそんな復讐者の殺意と戦士の恐怖の成れの果てのような男を憐れんだ。
いい意味でも悪い意味でも人生なんて自業自得。自分の立場を決めるのも、自分の選択を増やすか減らすのも自分次第。出過ぎる事で不況を買うのも、それを叩いて気分を晴らすのも、叩いた誰かを不快に思うのも、その後何を仕出かして、結果がどうなっても。人生の結末は全て、自業自得の結末に過ぎない。
自分が意図的に手を出して他者を歪めた自覚があれば、カティアはそれに応じて手を差し伸べる。それを払われたらそれまで。それも含めて自業自得だから。
…今回のこの騎士や、この国の人々が妖精の祝福を失ったのは自業自得としても、更に悪化したことや望まない戦争を続けていることが要因を排除せずに従った事の自業自得と割り切れても、彼らには、手を差し伸べる人間がいない。救いの糸を垂らす人間はいない。その事実において、カティアは憐れだと思った。
まあ、だからといって他人の不始末に自分が手を差し伸べるほど博愛主義ではない。ついでに言えば自分の用事が最優先だ。その為、カティアは躊躇いなく伝令の男の意識を刈り取った。軟禁されていた部屋からここに来るまで多数の騎士達を倒してきた飾りの剣で。
またひとつ片付いたことに満足し、やっとかと多少呆れつつ、カティアは話の続きに戻ることにした。正気を失い剣片手に怒鳴り込んできた乱入者に無様にも腰を抜かして命乞いをしていた女を見下ろして、珍しく嫌悪を隠さずに。
そして苛立ちを隠さず足元に剣を突き刺した。小さな悲鳴があがる。
「さて、続けましょうか」
まだまだこの状況は変わらないのだと恐怖を意図して植え付けて。しかし…いつもなら笑みを浮かべそうなところで、カティアは全く笑えなかった。
読んでくれてありがとうございます。
次回はカティア視点(2024/12/22)




