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今回もよろしくお願いいたします。
国境線に国境線どころかその境界を持つ両国の領土の一部すら消し飛ばしそうな隕石が迫っていた頃、カティアは監禁されていた部屋を堂々と出て、離宮へと足をすすめていた。
護衛の名目で監視のためにカティアの部屋に常駐していた騎士達も、戦闘を得意とする侍女達も、1人もそのそばには居ない。…それもその筈。1人残らず部屋で倒れている。恐らく数時間は起きられないだろう。
カティアが離宮に何の目的で進んでいるのかは後にして、彼女が国境線の開戦を悟ってからここまでの経緯を説明すしよう。…尤も、経緯も何も、自分の進む道を邪魔するものを1人残らず叩きのめしただけであるので、もしかしたら説明は要らないかもしれないが。
「始めましょうか」
監視を兼ねた護衛の騎士達の耳には、その声とほぼ同時に金属が弾けるような音がした。手枷の消えたその手首に、解けるはずのない拘束が解けてしまったのだとその場の者は悟る。どんな魔法が飛んでくるかと緊張と動揺が広がる。
「…魔道具の鍵を、どうやって…!」
「知る必要はありませんよ。強いて言うなら、大おじ様の作品を利用したのが間違いでしたね」
魔力を封じている魔道具を外して、驚愕する周囲を嘲笑うというには綺麗に笑ったカティアは、直様魔法を放つかと思いきや、優雅に壁にかけられた対の剣をとった。
元々飾り用として誂えられたそれは、非常に美しくも刃は実は潰れている。木刀と変わらない打撃しか出来ないものだ。しかも装飾にこだわった重みがあるため、一般的な令嬢では一振りすらも苦労する代物。それをカティアは一刀ずつ手にした。
「…何の、おつもりでしょうか」
その場の指揮権を持っている騎士、ギルアが前に出た。
カティアのチェスの相手をしていた騎士だ。鍵もなしに外れた魔道具に内心舌打ちをしながら後ずさる侍女たちを庇うように前に出て、いつでも剣を抜ける状態で問いかけた。脅しのつもりではあるが、カティアにはそれがフリであり、彼ら…彼が歴とした騎士である以上絶対に剣を抜かないと分かっている。ギルアはそれも理解しながら、彼女の行動の真意を探る。魔道具が外れたなら、魔法でかかってくればいいのに、何故か飾りの剣を手にするカティアへと。
「私、相手方の手のひらの上で踊ることを好まないのですけれど、」
態とらしく一度言葉が途切れて、カティアが剣を構えた。少なくとも、その構えが素人のそれではないことはギルアには理解できた。
「相手方の領分で、完膚なきまでに叩き潰すことは吝かではございませんのよ」
油断は勿論あったのだろう。気づいた時には間合いに入り込まれていた。
間一髪鞘に収めたままの剣で横腹を狙った一撃を受け止めた。もう一撃くる。その前にと後退するギルアの動きをカティアは見逃さない。受け止められた剣の握り方を素早く逆手に持ち直して鞘の表面を滑らせて弾くと、更に後退しようと下がった片脚を追うように勢いよく踏み込む。
騎士は次の瞬間、先程ガードした側ではない腹に衝撃を受けて倒れた。その結果、カティアが2本手に取った理由にギルアは思い至った。
重い剣を2本扱えるはずがないという侮りを誘う為。実際、壁から一対取り外したカティアに対して、その場の騎士の殆どは油断の上で笑っていた。お陰で構えていた自分が倒れてようやく焦り構えようとするが、その前にカティアによって的確に振り下ろされた一撃で一瞬意識を持っていかれていた。
倒れた衝撃で少しだけ意識は浮上するものの、動けない身体で、重たく落ちていく目蓋に必死に逆らって事の顛末を見送る。
…いつの間にかカティアの片手から剣が消えている。よくよく考えれば、動けない理由は打撃により意識が混濁していく以外にここにあった。
消えた剣は倒れた自分の服を床に縫い付けるように肩布を貫く形で刺さっていた。恐らくこの中で最も強い騎士を一撃で仕留められなかった際、多少の足止めをするために使うつもりで持っていたのだと気付いて、笑ってしまった。命を取らないなんて、とカティアに対して呆れた訳ではない。
命を取らずとも制せる相手と判断される実力に成り下がった自分に呆れたのだ。
次々と倒れていく自分の部下達を見て、自分の情けなさは感じても今すぐこの首元の剣を引き抜いて、姫に対峙する気はない。そもそも、現王が即位した時点で自分の忠誠心は失われていた。罪人というに差し支えのない1人の人間を守る為に、国を巻き込んで犠牲を払い周辺国を支配し、北大陸を治めようとしている事を知り、当時のギルアは意見した。大臣も含め、戦争には反対する者が殆どで共に異論を唱えた。
…しかし、結果として、王政のこの国において、王が決めた事には従わなければならない。王はこれは決定事項だと言った。そして反対するものは処分するとも。大臣含め貴族ばかりのこの城の中、切り捨てられたのは当然のように平民のギルアだった。
王に意見した責任を丸投げされた。王はかつて剣闘大会で優勝したギルアを自ら己の騎士とした過去がある。実力は分かっている為重い処罰は無いだろうというのが切り捨てた大臣達から言われた言葉だったが、王はギルアの名前を聞いて、誰だそれはと言った挙句、騎士の称号を剥奪されかけた。幸い、理解ある上司の計らいでとある人物の護衛任務に就かされることになった。
南大陸の大国の皇女の。
王は南大陸の豊富な資源を確保する為にその皇女を妃に迎えるつもりだと聞かされた時、ギルアは納得したが、その後皇女は城の一室に監禁、妃になっても離宮からは出さない。…そして、【妃は王の寵姫に嫉妬し、財政を逼迫させて贅を尽くし、自分がいるから南大陸の資源が手に入るのだと傍若無人に振る舞い、挙句の果てに寵姫を殺そうとした為、幽閉されている】という噂を外に流す手筈と聞いて理解して失望した。
王は、本当に変わられてしまったのだと。
そんな噂を立てようが何の意味もない。皇女を嫌われ者として立て、自分達に今降り掛かっている槍の雨の標的を彼女に移したいのだということはすぐに理解できた。
すぐに理解できるということは、誰だって理解できるということだ。それを王は分かっていない。かつての冷静さがあれば、こんな馬鹿げた事を計画しないはずなのに。
いつから我らが王は、おかしくなったのだろうか。愛子の事で国が窮地に陥った件については、国民皆同罪の面がある。それは致し方ないと割り切れと言われればそうするしかない。だが、それを踏まえても愛子を騙った令嬢を庇い挙句には王から位を奪うように即位し戦争までするようになったその心境は理解できない。何もかも、原因は明らかなのに。それを排除しなかった。その立場からしてみれば一切正しくのない選択を王は選び取り、我々はそれを選択させる事をやめさせられなかった。…同罪といえば、同罪なのだろう。だがそれでもギルアは思わずにはいられなかった。
「あんな女さえ、いなければ…!」
今貧困に喘ぎながら戦争をしているのも、
王がおかしくなってしまったのも、
愛子を傷付け妖精の怒りを買ったのも、
すべて、あの令嬢のせいなのに。
何故王は、そこまでして守ろうとするのだろう。
…口にでていたのだろうか。その疑問に答えたのは、ここ数日で聞き慣れてしまった少し落ち着いた声だった。
「それは貴方達の王がその令嬢を心の底から愛しているからでしょう?王子…としては失格落第最低ですけれど、王になればその程度悪評くらいで済むかもしれませんわね」
不思議なことに落ちかけていた意識が浮上した。怒りに似た感情がいつの間にか鎮火する。その答えが腑に落ちたのだろう。今まで分かっていつつもあり得ない、あってほしくはないと否定し続けていたそれが。何故か、今。ギルアが視線だけ動かせば、ひと通り全員を倒し切ったカティアが汗ひとつかかずにこちらを見ていた。
「正しく、他の何を犠牲にしても。という言葉が合いますわね。ただの人間である事を考えるのなら、素晴らしく一途で重い愛。私が共感できるのだから間違いないですわよ。気持ちはね。王としても王子としても最善では全くないし何なら不快だけれど。
ただ、思慮分別のある人間と聞いていたから意外ですわね。愛と責任をとって王位を捨てるくらいの潔さがありそうと思っていましたが…」
そこで何か考え込むように黙ったカティアは、急ににっこりと可愛らしく小首を傾げて笑うと、ギルアの動きを止めていた剣を引き抜いた。
「……まあ、思い通りには進まない。それも人間の面白いところですものね。選んで進んだ道なら責任は自分で取れるでしょう。私も私のやりたいようにやるだけです」
呆然としたままギルアは動かない。やはり彼を動けなくしていたのは剣ではないようだ。カティアも分かっていて外したのだろう。
「貴方、確かギルアだったかしら?
為政者として民に対して正しくある王を望む貴方にとって、個人を優先した時点で貴方の王は王ではなかった。過去を知っているからこそ、否定して認められなくて、納得して絶望するのは当然の事でしょう。元々、同じ平民達が苦しむ姿を悼んで、少しでも待遇を改善する為に地位ある騎士を志した貴方からすれば間違っていないと私は認めて差し上げるわ。
この国をめちゃくちゃにした全てを好きに恨めばいい。国境ではそろそろ決着もつく。この国は負けるわ。こうなった以上、誰も貴方を責めないでしょう。例え、その全てに復讐したとしても。
…ただ、その前に私もやる事があるものですから、邪魔されては困りますのよ」
そういうわけだから、おやすみなさい?と、カティアは穏やかに剣を振り落として、ギルアは今度こそ意識を失った。
そしてカティアは堂々と切れない剣を片手に部屋を出た。向かう先を離宮と説明したものの、カティアは行き先を知らない。カティアが向かうのは、この"非常時の城の中で王が最も警備を固めている場所"というだけで、どんな場所かは知らない。知らなくてもいいのだ。何があるのかの予想はついているから。その上で自分がする事は決まっているから。
「ダイルにー様並みに分かりやすくて残念ですわね」
普通は国にとって無くなってはならないもの、例えば王位を継承する際、王座を示すものとしての冠を安置している部屋や、国宝を守るように非常時であろうと警備が置かれるものだ。ただ、この国の王には、今、何よりも重きを置いているものがある。想い人である令嬢。愛子の件で国中から嫌われているであろう要人を守る為に、かなりの警備を敷いているのは間違いない。だからカティアはそれを目安に目的地に向かえる。自分を可愛がってくれない従兄と考え方が似ていると分析したカティアは、従兄がいつも自分が留守にする際に番の警護をなにより固めていく事を知っているため、似た事をするとある種の確信を持っていて、それは今回も的中していた。
その為、目的地へと行き着く為に道中的をその剣で躊躇なく倒して進み続けた。
お久しぶりです。読了ありがとうございます。
気づいたら週末がいつの間にか1つ過ぎて次の週末に自分がいます。すみませんでした。恐らくまたやります。
次回もまっていてくれる方、よろしくお願いします。




