逃げ切れないのはお約束
さて、クリスが怒りのあまり家で大捕物をしている時同じくして、なんとか復学し父が心配してつけた護衛を撒いてエリザベスは図書館の影に隠れた東屋で本を読んでいた。
恐らく今頃護衛たちが血眼になって探し回っているだろうが、エリザベスは1人になりたかった。早半年。エリザベスは本のページを捲るようにゆっくりと、記憶を思い出していた。
半年前の魔物の襲来の日、馬車を降りたエリザベスの前にあらわれたのは、一目で盗賊と分かるような荒くれ者だった。
御者がエリザベスを守る様に立ったが、盗賊が軽く腕を振っただけで、気を失ってしまった。魔術だ。それもかなり高位の。
エリザベスはその盗賊にあった事はないだが、見たことがある気がした。
禍々しくて、身も凍る様な不気味さ。
怒りを思い出す、あの愉悦に歪んだ顔。今まで1度も忘れる事はなかった、その存在。
「……魔王」
「ほう……余が誰か分かるのか」
盗賊の身体を乗っ取っているのだろう。あの日アンネに乗り移っていた時と同じ様に。そうして人の身体に紛れて結界を抜けて退魔の"力"を退けたのだろう。
「レインフォードの娘は"力"を持たぬ出来損ないと聞いていたが……"力"を、それも強大なものを使った形跡があるな。しかも今この時もお前自身から並々ならぬ"力"を感じる。……隠していたのか?」
「……」
「フッ……応える気はないか。まあいい。お前に"力"があろうが、無かろうが構わん。肝心なのはその"血"だ。かの生物の血を引き、"力"を持つ者を産み出す可能性のあるその身体。抵抗せずに差し出すなら我が妃にしてやろう」
「お断りいたしますわ。……ああ、でも……。道連れくらいにはなって差し上げましょう」
「っ……!?」
エリザベスはその二つの石を両手で包んでしっかりと胸元で握り締めた。抱え込んで、離さないように。決して触れ合わないように保管していた二つの魔石は、重なり合って互いに互いの魔力を奪うようにして発動した。
"炎"と"風"が混ざり合い争い合い融合して"劫火"となって魔王を襲った。
しかし魔王もほぼ同時に氷結の魔法を繰り出した。相反する性質の魔法がぶつかり合い、大爆発を起こしながらも消えることなく相手に向かって顕現し続ける。
「人程度の身でこのような"力"を出し続ければ貴様は死ぬぞ!!今すぐ止めろ!そうすれば命は助けてやる!」
魔王は盗賊に憑依しているような状態のため、出せる力には限界がある。押し負ける、そう思ったから余裕を装って声を上げた。
しかし、エリザベスはそれを聞く理由も、みすみす魔王を逃してやる義理もない。あるとすれば、真逆。今確実に、片鱗を焼き尽くしてしまわなくてはいけないという思いだけだ。
(もっと、もっと、大きく、強く。
私ごと焼き尽くしても構わない)
「私の"最愛"と"親友"を奪った貴方は、絶対に私が殺す」
"力"を使ったあの時に、死ぬ覚悟くらい出来ている。
「独りで孤独に消えろとは言わない。
私も一緒に、罰は受ける。だから大人しく、灰塵となれ」
炎がより一層その熱量を増す。風の魔法がエリザベスの身体を守ってはいたが、魔石を包むその手には徐々に火傷が出来始めていた。
エリザベスは炎がより強く、より熱く燃えるほど、自分の中から重たくて苦しかったものが抜けていく感覚を覚えた。軽くなって、痛みが薄れていく。それは嬉しい筈なのに、何故か涙が溢れた。
炎が揺れる。記憶にあるよりも遥かに轟々と音を立てて。
ゆっくりと思い出を糧にするように。
ああ、私は今、何をしているのだろう。
何でこんな事をしているのだろう。
分からない。
けれど、目の前の存在は、許してはいけない。消し去らなくてはならない。それだけは、間違い無いから。やり遂げなくては。私の大切な人を守る為に。……大切な、ひと……?
「エリィ!」
聞き覚えのある声。
けれど思い出せない声。
胸の内が少し、暖かくなって、厚い氷を破る力をくれた。炎に包まれた標的を炎の外の声の主が切り倒したのを確認して、安心して力が抜けた。ああこれで、やっと"終わり"だ。
「ユル……サ、ヌ……!絶対、二……キサマヲ……!!」
薄れゆく意識の中で途切れ途切れの怨嗟を孕んだ言葉が鼓膜を揺らして、消えていった。
次に目を覚ました時、本当に記憶は無かった。しかし医者の言った通り、本当に事件の事で混乱していただけで、徐々に記憶は戻っていった。ゆっくりと、"終わり"に出来なかったのだという"実感"とともに。
「……忘れられれば、よかったのに」
「何をですか?」
「あら、アンネ様。ご機嫌よう」
盗み聞きだなんて、趣味の悪い。
「何を忘れるんですか?貴女は覚えているんじゃ無いですか?もう、思い出してるんじゃないんですか!?」
「……何のことでしょう?それより、アンネ様とスタンフォル様の婚約がもうすぐ纏まると伺いましたよ。おめでとうございま「それでいいんですかっ!!?」……アンネ様、落ち着いてくださいな。鳥たちが驚いてしまいますよ」
良いも悪いもない。そうならなければ、あの日が来てしまう。"力"を使った意味がない。私の決断は無駄になってしまう。それだけは、嫌だ。
「……私は、確かにあの方の婚約者でしたが、今ではその記憶もございません。
積み上げたであろうものは私のせいで全て消えてしまいました。私はあの方の事を何とも思っておりません。そんな婚約者の存在があれば、あの方は幸せにはなれません。ならばあの方の為に私が詫びる方法があるとすれば、婚約を解消し、他の誰かと結ばれて幸せになる事を祝福する事ではございませんか?」
「……本当に、そう思うんですか?」
「ええ」
「じゃあ何で、嘘をついてるんですか?」
どうしてと言葉にしそうになって、エリザベスは息を飲んだ。重ねた手に力が篭る。
その動揺をアンネは見逃さなかった。畳み掛けるように言葉を連ねる。
「エリザベス様。何故手袋を外さないんですか?」
「こ、れは。……火傷の跡が、残ってしまって」
「幸い跡が残る程重症化しなかったので、治療を受けて跡は残ってないって聞きました。
ついさっきまで外していたのに、私が来たら急いでつけましたけど、……火傷というよりは、傷と痣に見えました。
記憶を失う前に付けた傷ならもう治っている筈です。では何故そんな跡が?
つい最近、記憶が戻って、嘘をつく時の癖が出たから、傷だらけなのでは?」
誤魔化しは効かない。エリザベスは直感した。友人として過ごした事があるから知っている。アンネは感情の機微に敏感だから、言えずに溜め込み、あの日に繋がったのだ。
言わずにいた"無かったことにした日々"は、エリザベスの中だけに留めておくつもりで、実際にそうしてきた。……今までも、これからも。その筈だった。
誰にも告げる気は無かった。
"人の心の強さ"を信じられないから。
「……失われた世界の話をしましょうか」
堰を切ったようにエリザベスは話し始めた。"力"を持っていた世界の話を、何故使ったのかを、何があったのかを。全て話して、そして思う。ほらやっぱり、私自身も結局話してしまった。"人の心は、弱いから"。本当に、その脆弱さは、"見るに耐えない"。
「……私の望みは、ただ1つ。クリス様が生きて、幸せであること。その為に"力"を使った事を、私は後悔しない。だから、貴女がクリス様と結ばれたいというのなら、それを実現させなければならない。
"力"は1つ。一度きり。もう使ってしまったのだから」
望みを得られなければ、意味がない。自分には死が待っているのだから。
「貴女はきっと、諦められない。
私は望みが叶うなら、それでいい。
あの人さえ幸せなら、その為の苦しみも痛みも傷も死も絶望ですら、私の誇りになる」
その為の嘘をどうか暴かないで。私の嘘一つであの日が起きないなら、これほど合理的な嘘もないでしょう。
「人の心は弱い。私自身がそれを知ってる」
「……弱くなんて、ありません。エリザベス様やクリス様を見ていれば分かります!
エリザベス様が弱かったら、きっと、……きっと"力"を魔王に差し出していた筈です!大切な人を守る為なら命すら差し出す覚悟が出来た心が弱いはずがありません!!魔王も尻尾を巻いて逃げ出しますよ!」
「…………そんなの、誰が証明できるの」
「出来ますっ!
私はもう吹っ切れました!クリス様はエリザベス様の事しか見てません!告白する前にばっさりでした!!あまりに相手にされなすぎて諦めがつきました!」
「……嘘だ。人間がそう簡単に変わるわけ無い。強くなれるわけが無い!」
「うるさいです!なれます!!
エリザベス様は耐えました!"魔王"なんかに負けなかった。その強さに憧れたから、私も強くなったんです!
だから、……だから潔く負けを認めて、エリザベス様を返しなさい"魔王"!!」
アンネが退魔の力を発動させ、急いで距離を取ろうとしたエリザベスの身体に抱きついた。眩しい光がアンネとエリザベスを包む。街でエリザベスが"魔王"と対峙し倒れた際に、エリザベスの中に影を潜めた"魔王"の思念が消し飛んだ。
"魔王"はエリザベスの身体を乗っ取ろうとしていた。身体の中から、エリザベスの精神(心)を蝕み、時間をかけて自分に従順な駒にしようとしていた。しかし、半年かけても、"魔王"がどれだけの甘言と誘惑を呟いても、エリザベスは、彼女の心は屈しなかった。
常に"魔王"に抵抗している状態の為に、疲弊し、記憶が一部飛んだりしていたが、彼女が完全に思い出したと言う事はつまり、"魔王"の負けを意味していた。
まあ、自分が1人の人間に負けると思っていなかった"魔王"は、みっともなく彼女に縋り付いていたようなものだった。
アンネは退魔の力を持っている為、それに気付き、エリザベスの中に逃げ込んでいた残滓を吹き飛ばしたのである。
光が収まると、エリザベスはその場に座り込んだ。
「……どう、して」
呆然として、それしか言えずに黙り込む。アンネはすぐ目の前に座り込むと、エリザベスの傷や痣だらけの両手と自分のそれを繋いだ。
「"お友だち''ですから!エリザベス様は、ずっと耐えたんですよね。前の私が、しかも退魔の力を持ってた私は数日も耐えられなかったのに。正気で居られずに、友だちの、好きな人の幸福を祝福出来なかったのに。
エリザベス様は耐えた。愛のパワーの勝利です!"力"なんかより、よっぽど強くて美しい力ですっ!!」
「……それを持っていたとしても、記憶が戻っても、……どれだけ、クリス様を愛していても……、……私には、時間がない。"力"を使った罰は、まだ受けていない。
いつ死ぬか分からない私が、お側には居られないわ……」
お願いだから、私の嘘を暴かないでとエリザベスはそう言って静かにその頬を滴が伝った。
アンネはエリザベスがそこまで言うのなら、隠し通そうかと思い始めていた。だが、……まあ、そう上手くいかないのが世界である。
「問題ないよ。嘘をつかれるのは嫌だけど、私のためと耐えて自分を傷つけてしまう君も好きだからね。そんな天邪鬼な君がどこかに居なくなると言うのなら、捕まえて閉じ込めて隠して、逃げられないようにして勝手に愛でるだけだから」
「え」「ひぇ……」
笑顔で現れたのはクリスであった。エリザベスはクリスが現れたことに驚き、アンネは言った内容に恐怖を覚えてそれぞれ声をあげた。
「最近、余りにも外野が煩いからちょっと黙らせてきたんだ。お陰で少し遅くなってしまった。
そうしたら……興味深い話が聞こえてきてね?」
「「……」」
「エリィ……ひどい人だ。私の為にと願ってしまうなんて。君は"力"を使わせないよう苦心したであろう私の努力も無かったことにしたでしょう?」
「……それは、……」
「まったく。前にも言ったよね?
君が苦しむのなら、私は幸せなんかではない。君を守り幸せにする。それが出来ないなら私は死んでいるのと同じだよ」
アンネが頑張れと意味を込めて、繋ぐ手を一度強く握ってから離した。また自分の手を握りしめてしまいそうになるが、それよりも早くクリスがその両手を繋いで、立ち上がらせる。
「……人間は、いつか死ぬよ。"力"を使ったからとかではなく、それが自然の摂理だから。
いつ死ぬか分からない。それが人間。
……予言の魔女に会ってきたよ。君がいつ死ぬかなんて魔女も知らなかった。大きな事件や事故も未来に無く、大病もしないっていうことは聞けた。それってつまり、私でも君を守れるって事だ。
その為に爵位や実権(使えそうなもの)は全部私のものにしたからもう大丈夫だよ」
アンネは正直引いていた。王手の仕方がえげつない。クリスは多分、エリザベスに嫌われようがお構いなしに、絶対逃すつもりがない。出会った頃はハイスペックな爽やか優しめイケメンと思っていたが、その正体はハイスペックなイケメン但し、婚約者への愛と執着が重めの間違いだった。
さっさとこの場を退散しよう。と、アンネは静かに去っていった。
「……どうして」
そこまでするのですかと問いかけようとした言葉はクリスに拐われていった。
「愛してるよ、エリィ」
……はい。めでたしめでたし。
この後エリザベスは子供どころかお孫様の顔を見るまで生き、幸せに亡くなりました。クリスもその後を追うように寿命で。まあ、この世界の平均年齢より生きたので、長生きでしたとも。
それから……そうですね、彼らのひいひいひいひいひい孫くらいが色々やらかし、広い大陸のどこかに国を建てて、時々1人の人間に対して異常な程の執着愛を見せる皇族が誕生しました。その為になら国の一つや二つ簡単に滅ぼす。なんだってやり遂げる。そんな皇族が。
やがてその呪いじみた執着を誰かが因子と呼び始め、皇族の血の祖である竜の生態から、その執着を向ける相手のことを番と呼ぶようになり……いつしか海を越えた大陸にもその名が轟くとある皇女の話に繋がったりしますが……まあ、とりあえず、めでたしめでたし。
読んでくださってありがとうございました。
休眠中ですがリハビリで書いてみました。暇つぶしになれたら光栄です。




