令嬢は婚約者を救いたい
簡単な粗筋。
「"力"を使えば、お前はこの世の神にすらなれるだろう。けれど、使ってしまったら、お前は死の運命から逃げられなくなる」
エリザベス・レインフォードは、かつてそう予言を受けた。怯える彼女を支え、常に守ってきたのは幼なじみ。
「君は僕が守る。だから、"力"を使ってはいけないよ?……約束だからね」
彼女達は成人すると同時に祝福されて夫婦となったが、その幸せはほんの一瞬だった。結婚式の最中、魔王と魔物が襲来したのだ。手引きをしたのはなんと友人のアンネだった。明るく朗らかな少女は見る影もなく、虚な目でエリザベスを見るとその表情を怒りか憎しみに染めて襲いかかった。エリザベスを庇い倒れたのは夫。アンネも壊れたように笑い出して事切れた。魔王は言った。
「お前の"力"を私に差し出せ。そうすれば、この惨状をなかった事にしてやる」
魔王の目的は自分の"力"で、その為にアンネの心の隙間に付け込んだ事を悟ったエリザベスは、"力"を使った。この悲劇を起こさせない為に。最愛の人との約束を破った。最愛の人を守る為に。(シリアス全開で行きます。苦手な方は要注意)
「よ、よろしくお願いします……!」
そう言って頭を下げた彼女に、かつての私はこちらこそと返して、彼女をお茶会に誘った。けれどそれではダメなの。私は彼女と仲良くなってはならない。
「……クラスメイトとして、歓迎致しますわ。手助けが必要な時はお声がけください」
結果として私が放った言葉は遠回しに、普段は声をかけないで。仲良くするつもりなんて無いわと伝えるものになった。私の隣で彼が困惑している。それはそうでしょう。いつもと違うもの。でも仕方ないの。"力"はもう、使ってしまったのだから。
数年前。私はお父様に連れられて、予定通り予言の魔女の元へと訪れました。この国はかつて不思議な生き物が住んでいました。いつしかその姿は無くなってしまいましたが、現在に至るまでその血を引く一族がいくつか存在します。我が伯爵家もその一つ。"力"と呼ばれるそれは、人間の身体と相性の良い物もあれば悪い物もあり、使える人間は血を引く一族の中でも一握り。まあ、簡単に言えば、人の身には余るもの。それが"力"。
我が一族は、直系のみ必ず"力"を有している為に、ある程度の年齢になると、必ず予言という"力"を持つ魔女に見てもらうのです。それが良い未来を示すのか、否かを。
そして今回、
「……お前はかつて、"力"を持っていた。
この世の全てを手に入れることすらできる力だ。しかし、今はもう何もない。一体何に使ったのかは知らないが、こうなってしまってはもう、お前にはその代償である死が待つだけだ」
予言の魔女はそう言った。お父様は私を失う事を恐れ、屋敷から出さなくなった。学校へと行かざるを得ないこの歳まで、お父様は自分の目の届かない場所に行かせなかった。行かせるとなればそれはそれでご自分の"力"を込めた魔石を御守りにと持たせ、それを見た弟も自分の作った魔石を渡してきて……。友人とお出かけもなく、誰かと会う際には保護魔法を持つ使用人をつけた上で屋敷の中でというのが2度目の世界の当たり前でした。
「エリィ。……エリザベス」
彼女と対峙した時の様子がおかしいと思ったのでしょう。東屋で休む私の隣に座って、まるで壊れ物にでも触れるかの様に優しく、私の手を包む様に握ります。ああ、1度目も、この人は私が落ち込むと、こうしてただ手を握って側に居てくれた。
"力"があった私の世界と、"力"を無くした私の世界は全くと言っていいほどちがいました。家族の過保護さであったり、私の"力"の恩恵に預かろうとしていた貴族たちの分かりやすい掌返し。
……その中で唯一変わらなかったのは、幼なじみである彼の私への接し方。彼は私に"力"がないと分かっても、見下したりなさいません。
『必ず守る。だから、ずっと一緒にいて欲しい。……婚姻を前提に、側に居させてくれないかな』
"僕は君の側に居たいんだ。だから絶対に"力"は使わないで。君を必ず、守るから"
2度目も、1度目とほぼ変わらないその言葉や、その言葉以降の振る舞いに、嗚呼、本当に、私はこんなに愛してもらえていたのねと思う。記憶を辿り、振り返るような、幸せを一つ一つなぞる様な、そんな気持ちでした。
一度失ったのに。私はまた、その幸せを感じている。それだけでもなんと奇跡的な事でしょうか。
こんなに優しくて、温かくて、大切な方だから、だから私は、約束を破っても、この人に生きていて欲しいの。生きていて欲しかったから、私は"力"を使ったの。
今も胸の奥を焦がす炎を覚えている。
忘れられない。忘れられるはずがない。
私はかつて、彼女と友人になった。
私や彼の知らない世界を知っていた彼女は、話していてとても楽しかったし、本当に稀有な出会いと大切に思っていた。私たちも、彼女も多分……そう。……だから、言えなかった。
彼女が私の婚約者である彼に惹かれている事には、私も彼も気付いていた。気付いていて、何も言わなかった。彼女と言う友人と縁を切るなんて事になりたくなかったから。彼女もまた、何かを言うことはなかった。私と彼が婚約者同士である事を知っていたし、恐らく彼女は、私と言う友人を傷つけるか、失う事を良しとしなかった。
互いが互いを思い遣った結果が、……あの惨状。
結婚式に現れた彼女は、その心の闇に魔王を住まわせていた。
彼女は私を見つけると、憎しみか怒りでその顔を歪めて、その手に鈍く光る何かを握りしめて私に向かって駆け出した。狂気に染まったその瞳は、私の知る彼女ではなかった。あまりの事に動けない私の視界を守る様にその広い背で遮ったのは、言わずもがな、彼で、その後すぐに悲鳴が上がって、会場中がパニックになった。
逃げ惑う招待客、崩れ落ち倒れる彼、何とか流れ出る血を止めようと傷口を両手で押さえる私、呆然とそれを見下ろす彼女。彼女は何か奇声のような声を上げて、再度私に向けて刃物を振りかぶった。けれどその切っ先が届く前に木の割れるような音がして、壇上から崩れ落ち消えたのは彼女だった。
何故?理由は明白。彼女の背後に立っていたその男が彼女の首を圧し折って、まるで邪魔になった物を捨てるかの如く、蹴り飛ばしたのだ。私の視界の外へと。
その男からは、禍々しい力しか感じなかった。優然と笑って、私と彼を冷ややかな目で見下ろした。
「この娘は愚かにもお前の夫を好いていた。親友であるお前との友情とやらと好きな男への恋慕の間で揺らぎ、苦しむ姿は中々の見ものであった。そしてとうとう自分の欲を優先させたこの娘は、私に魂を売ったのだ。お前を殺して、自分がその座を手に入れる、とな。全く罪深き人間の業だな。見るに耐えない。心というものの弱さは」
まるで今世紀最高の喜劇を見たかのようにその男は嗤っていた。
「だが……私は慈悲深い。愚かではあるがそう願われたのなら助けてやるしかない。私は優しいのでね。
……だから、この結婚式を台無しにされ、かつての友人に夫を殺される可哀想なお前にも、私は手を貸してやろう。お前の夫の命を助けてやろう。ただし、お前の"力"と引き換えに、だ」
割れたランプから溢れた炎が私たちのいる場所を侵食し始めていた。炎が揺らめく。まるでそれは、……私の中の怒りそのもの。空気を取り込んで、目の前の悪を目に焼き付けて、燃え盛る。
「……ごめんなさい」
口から出た言葉を魔王は自分にわたしが屈する事を許してくれと彼に言っていると思ったのでしょう。愉悦に歪んだ顔を睨み付けてから、私は笑顔で告げる。
「私には"力"があるのに、何故私が貴方などを頼ると思うの?」
魔王は首を傾げた。何故私が強気に出たのか理解できない様子で。
「ェ…リィ……だめだ……!」
私の手を包んだのは彼の手で、彼は私の言葉の意味を私の言った意味を正しく理解していた。
もう一度、私はごめんなさいと口にした。
「愛しているわ」
炎が、怒りが、外から内から私を焼く。
万能の力、神にすらなれる力。
人の身には余る力。
それを使って私は、やり直す事にした。
臆病に事の成り行きを見守っていなければ、
互いを想って黙っていなければ、
案じあうほど仲が良くならなければ、
友人になんてならなければ。
……彼を失うことは無かったのだから。
あんなことは二度と起きてはならない。起こさせてはならない。その為に、私は"力"を使って、やり直す事を実現させたのだから。
私は彼女とはあまり関わらないように過ごしました。"力"がないとは言え、クラス内でも家柄のよろしい私が我関せずを貫けばどうなるか、……勝手に色々してくれる方々がいるのを知りながら。……まあ、あまりにひどい時は邪魔したり、手を回して防いだり、知らぬ間に処理をしたけど。一応、……元友人ですし。……未来で彼女があんな風になってしまった原因は、私ですから。
勿論、彼女があまり良くない行動を取れば苦言も呈しました。周りからは嫉妬と取られそうですが仕方がありません。分かっていてやっています。"私は彼女と不仲でなくてはならない"。"彼女が私に遠慮をして想いを告げられなくなってしまってはいけない"。そうしなければ、私のしていることが、無駄になってしまう。この苦しみが、痛みが、水の泡になってしまう!
「エリィ、どうしたの?……ああ、またこんなに握りしめて。だめじゃないか。エリィの手は、私とつなぐ為にあるのであって、自分の手を傷つける為にあるわけじゃないんだよ?」
重ねられた手があの日の最後と似ていて、とても苦しかった。言ってしまいたかった。
でも言わない。私が折れたら、あの日が来てしまう。来てしまったら、私はもう"力"を使えないのだから。
大丈夫。耐えられる。彼を生かす為なら。その為に私はあの日、一度炎に飲まれて死んだのだから。ここにいる私は、彼の幸せを願ったのだから。
「……お慕いしております。貴方が幸せに生きてさえいてくれるなら、私はどれだけ苦しもうと幸せです」
「君が苦しむのなら、私は幸せなんかではないよエリィ。君を守り幸せにする。それが出来ないなら私は死んでいるのと同じだよ」
だからずっと一緒にいよう。そう言って微笑む彼に、前ならはいと笑い返せたのに、今では自分の手を握りしめて胸の痛みに耐えることしかできなかった。
暫くすると彼女への嫌がらせが収まりました。どうやら彼がなんとかしてくれたようです。彼女は私がいない時を見計っては彼に会いに行ったり、話しかけたりしている事をクラス内のお喋りさんから聞きます。
順調に私への対抗心を燃やして、意志も強くなってきている。その内私に対して直接陰湿な嫌がらせになんて負けないとか吠えて去っていくようになりました。……してないですけどね、彼女の不利になるような事は何も。
彼女からすると、実習で作った彼への刺繍があまりにも壊滅的な腕だった為に、クラスの子女から笑われた原因を、実習の科目として刺繍を望んだ私(クラス中の子女のうち3/4が刺繍を選んだのでそれを教員に伝えただけ)の嫌がらせだと思い込んだのでしょう。
また、彼女が作ってきたというお菓子(なぜか可愛らしく包装された真っ黒な物体)を彼に渡す前に渡したら色々と問題になると賢明な判断した彼女の友人がこっそり処分した件を、私が権力で脅してやらせたと解釈しているようです。その友人からは平謝りされました。私としては寧ろお礼を言いたいくらいですけど。
……何にせよ、彼女とは仲が悪く、彼女が遠慮をするような間柄ではなくなりました。彼も様子の違う私に戸惑い、彼女から聞かされている私の非道な行いの話を表面上で否定しつつも懐疑心を持ち始めていることでしょう。
今が頃合。
あの日に辿りつかないために、もう一押し。私はとある情報を流しました。
彼女がとても稀有な"退魔"という力を持っていると。それも、彼の父親に。彼の家は権力がありつつも恋愛婚を推奨しており、公爵も息子の好きなようにさせるつもりでいますが、同時に……公爵家としては、私に"力''があればその血を取り入れて、子孫が"力"を持ちいずれはもっと権力を持てたかもしれないのにという不満もあるのです。
想定通り、私は彼に呼び出されました。
「父から、アンネとの婚約を打診された」
ここ最近、彼女が嬉しそうにしていた理由に納得がいきました。……予想通りではありますが、……胸が痛むのは、仕方のない事です。心の隙間が大きくなって見たくない闇が私の中に立ち込める。けれど、"愛する人"を失わない為なら、その虚無すらも誇りになる事を私は知っている。
「これで私から解放されますわね。おめでとうございます。私などという"力"のない平凡な女を本当は見下していらしたでしょう?清々なさったのでは?貴方の想い人を傷付けた罪を償えというならそういたしましょう。…………今度こそは、お幸せに」
真っ直ぐに見つめて、嘘をつきながらも本当にそれを願う。今度こそは、生きて、幸せになってくれますように。
がさりと近くの茂みが揺れて、そちらに視線をやれば、彼女が居ました。……覗き見なんて、趣味の悪い事。
けれど、……まあ、いい。これで私と彼が結婚する未来は消える。あとはどう転んでも、彼女が魔王を招き入れるなんて事はない。あの悲劇は起こらない。
「……さようなら、クリス様」
愛しております。世界を変えてしまう程に。
帰る途中だったエリザベスを乗せた馬車は、その道の半ば……街の中で止まった。
街中が大騒ぎになっていた。
悲鳴と、炎と、崩壊の音。
それはどこかで見た景色。
逃げ回る人々と、壊れた建物と、魔物の咆哮。
「見つけたぞ、エリザベス・レインフォード」
あまりの光景に馬車から出たエリザベスを見下ろすその男を見上げて、エリザベスは、あの日の覚悟を思い出した。
読了ありがとうございます!
この話含めて3話で終わりです(珍しく確定)。




