片翼の傾慕
今週は忘れずに投稿予約できました!
その日の事を忘れることは未来永劫あり得ないだろう。
気付いた頃には、大抵のことはできた。
教えられれば教えられただけ学習し、習得し、教えられずとも基礎だけで大抵の応用がこなせた。
早熟な私は、文にも武にも魔法にも優れた完璧な王子として周囲から畏敬の念を集めていた。特に努力らしい努力はした事がなかった。だから天才とも言われた。それを権力に群がる有象無象に囃し立てられようが、容姿に惹かれた有象無象に媚び諂われようがどうでもよかった。
出来る事が当然で、達成感も無ければ、興味もない。ただ名声に目が眩んで近づいてくる輩に対して馬鹿だなと笑顔を向けて思っていたくらいだ。
雰囲気で圧倒し、笑顔で牽制し、言葉で侵略し、呼吸する要領で支配する。
私がそれを覚えたのは、"家族"だけは守らなくてはならないと思ったからだ。一番歳の近い再従弟は二歳下で、私に歳上の兄(もしくは従兄、または再従兄)はいない(強いて言うなら大伯父上がそんな存在だろうか?)。
……だから歳上の"兄"として、きちんとしなくてはという意識を持つようになった。
たしか、ゼクトが2歳の頃だったかな。
周囲のあまりの甲斐甲斐しさ。
自分も受けていた身としては疑問に思った事はなかったが、他者に向けられているのを見て、それは異常だと思った。将来を嘱望されているからといって、今はまだ特に何もできない二歳児だ。それに対する目としては、あまりに過ぎる。
期待、羨望、不満。そういったものを、二歳児では上手く捌くどころか、そもそも意識するようなものではない。だが少なくとも私は、あの頃既に自我らしき自我があった。私の場合は大伯父上が蹴散らしてくれていたことを知っている。つまりは傘が必要なのだ。
大伯父上はいい人だがただのお人好しではない。変人だ。だから私が"弟たち"を守ってやらねばと思うようになった。いざとなったら、大伯父上からも守れるように、と。
そんなある日に、あの子は生まれた。
現帝の二番目の息子の3番目の息子の娘として。
その日は目覚めた時に、いつもと違う気分だったのを憶えている。
違和感というのか、期待というか、……とにかく、落ち着かなかった。他人の感情の機微に恐らく周囲で最も聡い大祖母様が私の様子を見て、何か嬉しいことがあったの?と、質問する程には。
大祖母様にしか分からないほど、殆ど普段と変わらないとの事だが、気を引き締めなければと思った。どこで誰が見ているかなど、分からないのだから。
けれど、昼が近づくにつれて落ち着かなくなっていく。城は今日、私の再従弟妹またはゼクト、トーリ、ダイルの従弟妹が生まれるという事で大忙しだった。
私は彼らよりも血が遠いし、つい昨日までは宰相の飼い猫に子供が生まれた事並みに関心がなかった筈なのだが、どうしたことか、私は気付けばトーリ達と共に、この日の為に、……生まれてくる子の為に用意された城に来ていた。
同じ部屋にはいなかったというのに、彼女が生まれた瞬間が"分かった"。泣き声ではない。感覚だ。
今まで画面の中の映像を見ているかのように現実味も、痛みすらも感じた事がなかった私が、初めて、この世界に実在するのだと実感した。
色が鮮やかに見えた。
視界が広がり、空気の流れすらも鮮明に感じる。塞がっていた視界が開けたようだ。
ああ、私は今、やっと生を受けたのか。
そして同時に酷い渇きを覚えて部屋を出た。
赤子の声がしない。隣の部屋の中に配置されていた魔術師達があわてている。
混乱に乗じて、私たちは部屋に踏み入った。魔術師達が何人も治癒魔法や回復魔法をかけるが、その先で生まれたばかりの命が尽きかけている。それではダメだと直感した。
彼女は、魔力を取り込み過ぎて、魔力によって身体が蝕まれて死にかけているのだから。
何より、私の愛しい番に、私以外が魔法をかけているのが心底気に食わない。
彼女の命が尽きるというのなら、きっと今日は私の命日にもなることだろう。
私を止める声を無視して、魔術師達を魔力を乗せた言霊で、彼女の周りから離れさせる。
赤子用のゆりかごの中、息は微かで体温は低く、それでもまだ生きている。
その事に安堵し、番を目の前にして愛おしく感じ、そして、私の彼女を魔力程度のありふれた物質如きが蝕むなどと憎悪した。
柔らかな頬に触れて、新たな魔力を外から入り込む余地がないよう、彼女の中に既に取り込まれて一部となった魔力を全身に巡らせて、外との壁を作る。馴染んでいない有害な魔力は抜き取った。
彼女の体温が、心音が戻ってくる。その音や温度ですら心地が良い。
魔術師達が私に対しての賛辞の言葉を述べる中母親が涙を浮かべて私に礼を言うが、私はただ当然のことをしたに過ぎない。
私は、私の番を失わないための行動をしたのだから。
「彼女に異変があれば、直ぐに報告を。
私の愛しき番にもしもがあってはいけないのですから」
大人達は息を呑んだ。
彼女の額に唇を落として触れてから、頭を撫でる。女児が生まれた。きっと大祖母様や現帝も報告を受けてそろそろここに来るだろう。名残惜しいが、またすぐに会いに来ようと決めて、部屋を後にした。
後から普通は他人の魔力を操る事など出来ないだとか、女児が産まれて皆絶望していただとか言われた気がするが、そんなことはどうでもよかった。番さえ、あの子さえ、……カティアさえ無事であるなら、後は全てどうでもいい。
あの子がいるから私は生きている。あの子が死んだら私も息絶える。それは当然であり、私と彼女がいつでも繋がっているように思えて、ただ嬉しい。
それだけで満たされた私としては、それ以上の幸せとして考え付くのはカティアが幸せであること。
面倒な立場の問題で、カティアが聡明で賢くあることはそのまましがらみの中で自由にいる為の絶対的な条件だった。だから私はカティアに偏った知識や自身の偏見を吹き込みそうな教師は排除して、私を筆頭に他の従兄達にカティアの教育をさせた。ここでも大伯父上は大いに役立った。マナーなどの淑女の嗜みは大祖母様や母君が行った。
最初、カティアの教育係を外して私たちで教える事に宰相を始めとして大臣達は一様に難色を示したが、その際には大伯父上が付いていて補足などを入れると言われたら簡単に黙り込んだ。分かりやすい大人共だ。
順調にカティアから余計なものを遠ざけて、たまにお茶会を開いては"教材"に触れさせ、予習、実戦、復習と順調にカティアを誰もが憧れるだけではない帝国の皇女に相応しい存在へと育て上げた。
そんなある日、カティアの事が大好きで、私に対して敵対心を持っているトーリが、"教材"で少々遊び過ぎたらしく、そのお咎目により14歳(成人前)で外交国に赴任する事になった。だからあれ程計画は後始末の方に気を付けろと言ったのに。
そして、事もあろうにカティアがトーリに付いていくと言い始めた。
……まあ、トーリに懐いていたのは知ってるよ?番である私よりも、トーリの方が歳も近ければ、甘やかしてもくれてるし。カティアが1番懐いているのが誰かと聞かれたら、私もトーリと答えるだろうね。憎しみでトーリを呪い殺さないように気をつけながら。
それに、前にも言ったと思うが、私はカティアが幸せならそれでいい。最悪、自分以外と結ばれようが、血の涙を流しながら祝福するだろう。それが私の愛する人の望みならば。
それに、知っているのだ。
カティアが私に対して、愛情を抱きながらも、私からの気持ちに怯えていることを。
疑いがある。……とでも言えばいいのだろうか。
番に対して向ける情。それは本当に、愛なのか……と。
私の愛は番に対する執着でしかなく、カティア自身の事を無条件で、番というだけで愛しているのではないか、と。
まあ、生まれた直後の赤子に、執着を見せた私ならば疑われても仕方はないが。実際、あの時まで、彼女が生まれたその瞬間まで、私はかけらの興味もなかったのだから。
だから初めは番という存在に対する執着でしかなかったのだろう。でも、今はそれだけではない。
カティアという人間自身が愛おしい。
褒められると涼しい顔で私たちが教えた事をただ行っているだけといいながら、内心嬉しく思っているところも。
私がまだ手慣れていない状態で淹れたお茶を、美味しくもないだろうに自分の為に淹れてくれたから、その気持ちが嬉しくて、とても美味しいと言ってくれた事も。
私を差し置いて1番懐いているトーリに無意識にでも触らせない仮面に私だけは無条件で触れる事を許しているところも。
……枚挙に暇がないが、すべてが、今までの時間で積み重なった事の細々が、それが詰まった彼女が、愛おしいと、思う。
だから、私はその彼女の望みならばと、叶えたいと思った。それが私の幸せだから。
私の元から逃して、トーリがカティアの幸せを守るならば、それで今はよしとしよう。
彼女の好きにさせた事を後悔していないし、恐らくこれからもしない。ただし、誰かがその望みを阻む事もましてや命を握ろうとする事も許さない。許されない。そんなものは、あの子の番である私が許さない。
今回の事柄の原因がなんであろうが、許すつもりは毛頭ない。昼過ぎにゼクトから、カティアが誘拐されたとの連絡を受けた。私は隣国のあたりまで来ていた。馬車では遅い。外を単騎で走る護衛から馬を借りてスピードを上げた。ついてこられるやつだけついて来ればいい。私は立場上護衛をつけているだけで、実際それは意味がないのだから。
北側からこの国の城に着いたのはアフタヌーンティーも終わる頃。我ながら最速で来られたはずだ。
「何者だ!止ま「エステラ帝国公爵、セイン・ロンバルドだ。先にここに来ているだろう他の王子と同じ用件で参上した。王に目通り願いたい」」
城門の衛兵が邪魔だ。こいつらが私の顔を知っているとも思えない。時間の無駄だな。今からこの国の公爵やらを引きずってきて証言させるべきか?
「セイン、セイン。威圧やめて。その衛兵気を失ってるよ?」
開いていく城門の先で、ゼクトがやや苦悶の表情を浮かべているのを見て、自分が無意識に殺気を向けていた事に気付いた。実際その矛先が向いているのはカティアを拉致した人間だが、発していたものは仕方がない。
よく見れば衛兵は確かに気絶している。……軟弱な。拉致されたカティアの方が怖い思いをしていると言うのに。
「……怒るのは、ごもっともだから、一回落ち着いてよ。せめて殺気を抑えてくれないと、国王のところには連れていけない。皆ぶっ倒れて話し合いどころじゃないよ」
「必要ない。お前がそうやって出てきたという事は、私が来るまでに、この国の協力は当然得られたのだろう?ならあとはどうでもいい。建前と形式で承諾だけもらえれば。
どうせ彼らにも、お前達にもカティアの居場所はわからないのだろうから」
「あはは……お見通し……。どうするの?」
「今すぐカティアを奪還する」
「どうやって?その馬、かなり酷使したでしょ。疲れ切ってて使えないよ?」
「それはそこの陰にいる彼に解決してもらう」
その言葉に顔を出したのはトーリだ。あれだけの誓いを立てて、カティアを守ると言っておきながらのこの不始末に対しての小言を言ってやりたい気もするが、そんな事はカティアを取り返す二の次だ。
「お呼びですか?セイン兄さん」
「君じゃない。それと、今回の説教はまた後だ」
まだ隠れている人間がいるのは分かっている。思った通り、出てきたのはこの国の王子……ロイド殿下とその婚約者の女公爵だ。
「………やあ、ロイドくん。先月の夜会以来かな?」
「はい。……今回の事は、誠に申し訳なく思っています」
「……そう」
「殿下の番の姫の行動は、私の妹と婚約者を救ってくださいました。感謝しています。もうすぐ捜索隊が出ますので、殿下はどうか城でお待ちいただけませんか」
「……カティアは立場からその状況での最善を選んだだけだ。……誤魔化せる可能性があったとするなら、何故大人しく連れて行かれたのかは疑問だが」
あの子がわざわざ誰かを気遣ったのだとすれば、余計に腹立たしいが。それはさておき、
「馬を一頭貸していただきたい。
それから、トーリとゼクトが捕まえて兵士に引き渡した盗賊ですが、……今どこに居るのかを調べる事をお薦めするよ。トーリ達に事情聴取をして、盗賊を監視しているはずの衛兵の名前も」
カティアを連れて帰ったら、色々と手続きするので。
話を聞いていた兵士が用意した馬に乗り、東へと進ませる。後ろから付いてくるものは付いてくればいい。それを咎める気はない。
ただし彼女の元に1番に駆けつけるのは、自分だ。
「カティア……」
側にはいない番を想った。
いつもなら、教育通りなら、今回のような茶番にわざわざ付き合ったりせず、逆に事が起きる前に犯人たちを拘束しているはず。
あの子の事だから、襲われるのは織り込み済みだった筈だ。では何故わざわざ拐われてやったというのか。
私や彼女の合理性から外れた行動。
……彼女が合理性を無視して、感情的に何かをするとしたら?
それが私が感情をこうして揺らす理由と同じであるなら、……それは嬉しいを通り越して至福としか言いようが無い。
彼女が名乗り出たのが、自分以外の誰かが私の番を名乗るなんて嫌だという感情からなら、かつて向けられることが少なく、私に対してあるか分からなかった独占欲的な感情を彼女が私に持っているという事だ。
……醜い嫉妬心だと誰かは嘲笑うだろうが、逆に聞こうか。
縁も所縁も無い、家族でも親戚でも恋人でも無い人間に愛情を抱き勝手に嫉妬し他者を蹴落とそうと画策するその心はともかくとして、
家族に対する独占欲、執着は誰にだってあるものではないのか?大事な家族が自分よりも出会ってすぐの人間を優先したら?
自分の最早一部になっている箇所を土足で踏みにじられて怒らない人間など居るはずもない。
そして、その感情を彼女が私に抱いているのなら、誰がなんと言おうと私にとってはただ幸福なのだ。
……だからといって、今回の彼女の行動はリスクが大きいので、私個人としてはやらないで欲しかったとは思うが。
君の望みは、何なのだろうか。
この世で最も自分に近い存在の心が分からない。
それは先程までの幸福を掻き消して、余りに深い谷を覗く気分で私を包もうとするから、
手綱を強く握って、より速く馬を駆けさせるしかなかった。
読了ありがとうございます。
第三章、あとちょっとで終わりの予定です。
最後までお付き合い願えれば幸いです。




