愛と番と鼬ごっこ(5)
乗合の馬車の最後尾で揺られながら、レイシアは異国の令嬢の目的は何だろうか、とふと思った。昨晩、国の事とかを考えずにただ友人としての他愛のない話をしたレイシアから見て、カティアという令嬢は1を聞いて10を知ってしまうような聡い人物であり、
何処から正確過ぎる情報を得ているのかと驚かされてしまうほど諜報力に長けた抜け目ない令嬢で、
友人とするなら、恐らく最も頼りになる人間だろうと確信していた。
その人物が、恐らく自ら王族の自覚も責務も自覚をしないただのクソガキだと昨日のうちに目の前の姫の評価を固めたのであろうその人物に答えられないと分かっている問いをかける理由は何だろうか。
自国の姫に対して思うべきではないと思うが思うだけなら問題ないので言わせてもらうと……うちの姫様は、救いようのないほどただのクソガキである。夢みがちで世間知らずでわがまま。貴族令嬢ならまだ許されても、王族としては許されない。……それを、理解していない。理解させるのは臣民たる私たち教育者達の仕事ではあるものの、正直な話、現状はどうやって教えればいいのか分からない。
王に許しをもらって姫さまを椅子に縛り付ける訳にもいかないし、だからといって姫さまが授業を途中で放り出して出ていくのを無理に止める事は、王からの許しが出てない以上、できない事である。
……本当に、教育の難しい方だ。異母妹と比べるのは(思い出したくないし)嫌なのだが、あえて言う。姫さまは今、あの異母妹に近い。限りなく。
……一応王族だと自分で主張するためなのか、それとも単にマナーを教えた夫人が社交界の華として有名な方だったから真面目に教わったのか、茶会のマナーなど対外用の顔はそれなりに出来る。女性に対しては無条件で見下していた異母妹と比べたらそこに関してはマシだが、身内と思い込んでいる相手に対して見せている本来の姿があまりにも、王族らしくない……否、王族と名乗るには足りな過ぎる。
……何とかしなくてはと日々頭痛に耐えているが、限度と言うものがあると思う。改めて王宮というか、公爵の仕事ってブラックの極み。と、レイシアは思考していたが、目の前で続く会話に慌てて意識を向けた。
「……愛とは、何でしょう」
「へえ!あなた、番がいる癖に、そんなことも知らないの!」
その表情から言葉遣いから、カティアに対して優位にいたい気持ちは見て取れた。カティアは仮面の下で、どうして、と思う。何に対して?
「……押し付けることが愛ですか?」
「え?」
「主張し続けることが、押しかける事が、何より先に自分を見てもらうことが、自分がどう思っているか、……押し付けることが、愛ですか?」
「な、なんなの貴女……!私、……王女に向かって、令嬢如きが……」
また、どうして?と、思う。
「それが愛だというのなら、私の知るものとは程遠いでしょう」
彼女の目は静かで、その目には疑問だけが浮かんでいた。
怒りでも、嫌悪でも、関心でも何でもない。ただだ透明で、不思議そうな、純粋な、謎。それだけが浮かんでいた。
「っ……!貴女みたいに、顔を隠すくらいの人が番だなんて、相手が可哀想ね!
私と彼が仲睦まじそうだからって、嫉妬かしら!!」
姫君は先程までの挑発的な、相手を見下して笑っているような態度の中に、何か怯えを見せ始めた。
「私も、私の知るかの方も、相手が目の前にいる時程、相手の事ばかり見て、……相手がどう思うかばかりを気にして、けれど、聞けないのです。本質は恐らくただ臆病なだけなのですよ。あなたの様に、必ず勝ち取るという自信も無ければ、自分の想定しない結果を受け止めるだけの余裕もない。
……私も、……彼も。
貴女のそれが、愛だというなら、
……私は確かに、番と名乗る資格はない」
カティアは純粋に、疑問を持っていた。
自分とはあまりにもかけ離れたこの王女が本当に番だとするなら、自分はセインの番ではない事になる。ならばなぜ、こんなにも……怒りにも似た感情を、自分が感じているのかと。
自分たちの中での共通認識である愛や王族としての在り方と、姫が昨日の馬車の中にいる時から主張する好意や有様は、あまりに違う。それが番でないことの証明になるのなら、なぜ……なぜ、……今、こんなにも番だと言い張るこの目の前の姫を、ここまで嫌悪してあの人に会いたいと思うのか。
だから聞くのだ。恐らくは、あの頃の幼かった自分が自覚していなかったものを、向けられて恐怖したが故に、自身も持っていたが目を逸らしていたものを、直視する為に。
レイシアには、カティアが迷子に見えていた。勿論道に迷っているわけではない。……似たようなものだが、全然違う。
知らない。と、……分からない、と言いながら、それでも多分、このご令嬢の気持ちは、愛だと思う。レイシアは姫の抱く気持ちが愛…というか、好き?の暴走だと異母妹の件で知ってる。同時に……カティアが番に対して、自身の願いを素直にただぶつける事ができない気持ちが分かる。
実際に、自分も言えなかった。
言ったら全てが無くなると思った事が多々ある。
私が望む物や、私にとっての幸福は全て、異母妹を溺愛する父や義母、異母妹によって無かった事になると知っていたから。今ある幸せすら、消えてしまうんじゃないかと思うと、流石に何度も死んだ私でも嫌だった。結局最後は諦めても、せめて私自身がその時持っているものだけは、失いたくないと思った。……それもあるのだろうか。私は面と向かって、ロイド様に愛してると言えた事はない。
どちらも確かに愛?好き?……愛情故の行動だという事は、分かる。どちらも間違いかもしれないし、どちらも正解だと思う。正義のようなものだ。きっと。立場や考え方によって、正義なんて十人十色。
肯定はしても、きっと否定する権利なんて誰にもない。
だからカティアは否定しない。相手の愛を、伝え方を、考え方を。
……やはり、帝国に近い国は同じような考え方になるものなのだろうか?帝国の官僚や……それこそセイン・ステファノス殿下もそうだが、相手の考えを受け入れた上で、それを否定せず、その上で自分の考えを伝える事に長けている。
カティアの話し方は、似ている。以前、同僚の貿易交渉に同行した際、夜会で偶々その同僚とかの殿下が話す機会があり、私は他人の振りをして同僚に背を向けて話を盗み聞いた事があった。その時にそっくりだ。
話している内容の違いはあるが、ゆっくり過ぎない速さで、滑らかに頭に入ってくる心地よい声色に意識を持って行かれて言葉が出なくなって、結局その同僚は国の売り込みが出来ずに終わった。
姫さまもあれ程主張しまくっていたのに、静かになっていた。
思い出したかのようにカティアを睨みつけて何で貴女にそんなことを言われなくてはならないのと言っているが、先程よりも狼狽しているというか、敗北寸前?どう考えても勝ち目はない。
「……その辺りでやめましょう。ここには沢山の人が乗っていますよ」
小声で話していたとはいえ、聞き耳を立てれば聞こえないこともない会話だ。あまり聞かれてよろしい話でないことはカティアの方が分かっているらしく、失礼いたしました、と引き下がった。
だが、姫はそうはいかない。依然としてカティアを攻撃するように、愛とか、番とか、大好きな殿下の話とかを勝ち誇ったように話している。
私は貴女より愛されている。
私の番は私のような可愛い子が番だったことを大喜びすることだろう。
貴女の番は、貴女とは会うのがきっと苦痛だろう。
……そんな姿を自覚していないのであろう姫に対して、公爵は大きな溜息をついた。一瞬姫が止まるが、いくら他国とはいえ、……否、他国だからこそ、この国の姫を小馬鹿にしたのはこの女なのに、この国の公爵がそれを咎めないのか、なんていう理不尽自己中極まりない言葉を掛けてきた。
「愚弄したのも、醜聞を振り撒いているのも貴女でしょう。王女殿下。これ以上客人への無礼を許す事は、この国の公爵としてできません」
レイシアは淀みなくそう言い切り、続けた。
「公爵や貴族達というのは、王や王族を尊敬し、支える事が仕事です。愚弄されたなら王の為にとやり返す事も吝かではありません。が、王族の醜聞を揉み消す。その為に尽力するのもまた、我々なのです。王族が自らの身勝手で醜聞を広めようとするのなら、その王族をどうにかするのが我々臣民の仕事です」
「っ……!黙ればいいんでしょう!?黙れば!!」
顔に不機嫌を浮かべて、姫は口を噤んだ。
東の領地に着き、祭りの出店や踊りを見ているうちにだんだんと機嫌を悪くしていては勿体無いし、何より共感する相手が欲しいが故に、義姉になるレイシアに対しては時折声を掛けたが、カティアの方には見向きもしなくなった。
カティアはお陰で静かに祭りの景色を楽しめたので、万々歳であったが。
芸術の国の芸術祭とあって、露店に並ぶ品物は一つ一つが美しいし、個性を持っている。踊りや音楽だけではない。簡単な串焼きですらソースを上手く使って彩られていた。
王城のある国の中心部だけではなく、国民一人ひとりが芸術祭を楽しんでいるのだろう。
だからこそ、惜しい。と、カティアは思う。
他国の高位貴族に、自国の売り込みを出来ない王女など、カティアからすれば、単に王の血を引くだけの罪人だ。
……まあ、あくまでカティアの意見ではあるが、そのような怠惰を、カティアは同じ立場にいる人間として許せない。
そんな人間が、もし本当にあの人の番であったとしたら、……それは今までの自分と、自分を作ってくれた大切な家族達の否定になる気がして、嫌悪を通り越して憎悪した。
この臆病さ故のまどろっこしい考え方に、親族ですら面倒と思うだろうもどかしさに、共感してくれなくていい。もちろん理解してくれなくていい。ただ、否定はさせない。
それもまた、カティアにとっては、カティアの番がカティアに与えたものだから。
自分以外が自分の番の番を自称していることへの憎悪と、不必要なのに手放せない自身の根幹を成す臆病さを、この時カティアは自覚した。そして漸く、自分もまた、"皇族の因子"を継いでいると納得して、自覚していなかったからこそ成立したこの現状に、笑うしかなかった。
私は私の為に逃げたのに、あの人は自分の為に私を閉じ込めることはしなかった。
「……私の為に自分を殺すなんて、本当にひどい方」
カティアの小さな呟きは、祭の喧騒に溶けて消えた。
読了ありがとうございます。




