愛と番と鼬ごっこ(4)
「シア様に薔薇を贈ってくださる方はどんな方ですか?」
カティアは先程届けられて飾られた薔薇の花束を見て質問した。レイシアには、そこに込められた感情を正確に読み取っていた。
「薔薇の色と、本数には意味があるのをご存知でしょう?」
「ええ」
「シア様は、受け入れたのですね」
「……ええ。……知ったのはつい最近ですが」
「でも今は知っているのでしょう?先程のお花を贈った方も喜んでいるでしょうね」
「……そうかしら」
「ええ。とても」
"死ぬほど焦がれている"だなんて、まるで番持ちのよう。とは口にせずに、カティアは黙って話の続きを待った。自分にとって、番とは呪いに近い。それをわかっているから。
「……実は、何故あの方が私の事を愛しているなどというのか、未だに私は知らないのです」
レイシアが少し戸惑い気味に、けれどゆっくりと話し出す。
「容姿や所作の美醜、明晰な頭脳、魔術師としての力量、国を共に背負うだけの度量。
それらだけなら、自分よりも際立った方々はいくらでもいた。碌に挨拶もした覚えもなければ、話も殆どした事が無かった。」
「それなのに、あの方は私を選んだ」
訳がわからない、と呆れているような風に話を続けるレイシアの瞳に映る感情は多分、嬉しさ。他の令嬢がここで話を聞いていたら、惚気あるいはただの自慢ですかとブチ切れるかもしれない。
だがその中でカティアが思ったことといえば、羨ましい。……ただそれだけ。
この方は向けられる好意を、ただ純粋に好意として、その人自身の選択であり意志の結果の愛として、受け入れる事が出来るのだ。
それは、カティアからすれば、羨ましい事。
カティアには、出来ないこと。
目に見える形で向けてもらう事も、それを受け入れる事も。
「セレス様は、婚約者などは?」
「おりませんわ」
滑らかに嘘をつくように言葉を放つが、嘘はついていない。周辺諸国どころか自国の貴族に対してすらセインにもカティアにも婚約者はいない事になっているのだから。
「公爵令嬢ですものね、相手選びも慎重になるのでしょう。セレス様の美貌なら引く手数多でしょうし」
「それを言うならシア様こそ。貴女の王子様が必死に虫除けしていたからずっと高嶺の花だったのでしょう?」
思い当たりがあるのか、それ以外の理由か、笑顔で話を逸らしたレイシアに対して、カティアは不毛だなと思い始めた。
カティアは目の前の彼女が何をしたいのか、どんな情報が欲しいのか、既に知っている。それどころか、彼女の近況や過去や置かれた状況まで、知っているのだ。
なぜかと問われれば、企業秘密、ならぬ乙女の秘密と言っておこうか。
「セレス様の国は帝国の隣国とお聞きしましたが、帝国とのお付き合いは深いのですか?」
令嬢同士がする会話とは少しだけズラすその問いは、恐らく単純な興味を隠蓑にした、帝国に関しての情報収集の開始を意味していた。流石公爵。自分が今1番しなくてはならない事を忘れる気はないらしい。勿論カティアもそれはわかっている。
「浅からず、深からず……でしょうか。恐らく他の国とも同じようなものでしょうね。帝国の皇子方がそれぞれ幾つかの国と外交しているのはご存知ですか?」
「ええ。我が国も隣国を通してですが間接的に交渉することもあります」
「私のいた国はトーリ様が担当ですの。現皇帝の第二子の長男の息子ですわ。この国は対極にありますので……となれば……、隣国との交渉の窓口は、セイン・ステファノス殿下でお間違いはないですか?」
レイシアには何故対極の国にあるからセインが担当だと分かるのか分からなかった。が、それを疑問に思っても、不快には思わない。何故ならレイシアの国は、帝国とは直接の関わりがない国だから。対してカティアは帝国と隣接する国の公爵令嬢。帝国と直接やりとりをする親密な国々の中での共通認識がある……レイシアが知らない情報を、カティアは幾つも持っている。と、思わせるに足る発言を聞いて、レイシアは今日初めて、というかかなり久方振りに姫さまグッジョブと思った。
相手が持っている情報をいかに引き出せるかについては不安であるが。
対してカティアは、目の前のレイシアがあの手この手で大型犬から餌をくすねようとしている小型犬に見えていた。
当たり前といえば、当たり前である。だって、現在この部屋で向き合っているのは、この国の公爵と遠い国の公爵令嬢……と、見せかけて実際は帝国を相手に皇子の番のことで危ない橋を渡ろうとしている国の公爵と、その帝国の皇子の番である帝国皇女。
事情を全て知る第三者がいたら卒倒ものである。
そしてそれを分かっていて楽しんでいるカティアはどう見ても意地が悪い。
「はい。氷の貴公子様と名高いですよ」
「……氷?……そこまで冷たい方では無いのですが」
「公私共に隙のないお方で、誰もその本心からの笑みを見た事がないという噂は枚挙にいとまが無いそうです。
……セレス様は、直接お話しした事があるのですか?」
「……ええ。まあ。隣国ですので、式典などの際には参列してくださいますのよ。その際には何度かエスコートをして頂きましたわ」
レイシアはその言葉に目を光らせた。
隣国の公爵家の1人娘を式典の際にエスコートする。しかも複数回。よほど気に入っていなければ、そんな事はしないだろう。
「……もし宜しければ、是非ともセレス様の事を聞かせてくださいませんか?」
「私のこと?」
勿論、聞きたいのはセインの事である、が、ここで直球に聞くのは馬鹿のする事である。情報を集めるには、どうでもいい事を主に聞き、気付かせないように欲しい情報の答えを引き出す。そうする事で相手が知らぬ間に欲しいものが手に入るし、相手に自分が欲しい情報が何かを特定される事も防げる。貴族らしいやり方が染み付いて離れないでいるレイシアに対して、カティアは内心苦笑をこぼした。さて、本当に友達になれるのはいつかな、と。
「そう……ですね。公爵家は長年の間、王国と帝国の橋渡し役を担っておりますの。まあ、公爵は両国間専門外交官、と言えばいいでしょうか。
帝国からの要望は大抵公爵家を通して国王に届けられ、逆もまた然りですから。
こういった背景から、必然的に公爵家の重要性は国の中でも高く、国中の貴族から王族まで興味を示される事多数……」
「……よく、無事でしたね」
「ええ。……まあ。おにい様達の教育が効いたのでしょう。私から近づく事はありませんでしたし、向こうから近づいてくる分にはおにい様が断ってくださいましたの」
「セレス様の兄君はセレス様を相当大事になさっているんですね」
「はい。大変ありがたい事です」
……嘘は言っていない。実際、クロムクライン家はトーリの家の王国での貴族籍だし、カティアはそこの令嬢として戸籍があるし、クロムクライン家は帝国と王国の間のパイプである事に間違いはない。
「ありがたい、のですか?……結婚相手は兄君が見つけてくるのでしょうが、中々いいお相手に巡り合えないのは、……退屈を通り越してしまいませんか?」
「退屈……ですか?そうですね……退屈はしませんでしたよ?」
何せ、退屈しのぎに婚約破棄計画を実行していたし。一国の王族と貴族たちを罠に嵌めて遊んでいたし。
「やるべき事が多かったので、それをしているだけで、時間などすぐに無くなりました。……不敬かもしれませんが、この国の姫君が少し羨ましいです。
彼女は素直です。その心根も。あまりに素直過ぎて、……王族らしくない」
「!……セレス様」
「失言ですね。申し訳ございません。
ですが国によって、此処まで違いが出るとは思いませんでしたの」
「……セレス様の国と、それ程までに違いますか」
「……ええ。帝国の隣国ですから、訪問がある事も関係して、王族と、各公爵家も、遜色ない教育を受けます。
12歳までには、学校卒業程度の知識や技能の教育が終わっておりますの。でなければ、帝国の王子達の話し相手にもなりませんわ。
取り繕っても無駄です。彼らは人を見る目をすでに養っておりますから、付け焼き刃もかなり精度の高い嘘も見破ります。
……姫君は馬車の中で、一切嘘をついていなかった」
「……というと?」
「……名前はお聞きしませんでしたが、ある国の王子に恋していらっしゃるようで、想い人の事を熱弁していました。
今のお話から察するに、姫君の想い人はセイン・ステファノス殿下ですね?」
周りくどい事をなさらずに、もう直接聞くがいい。と、言外に言っている事をレイシアは悟った。この令嬢は、そろそろ周りくどいやり方に対して退屈だと感じ始めている、と。
「噂も流れておりましたから、想像に難くない事ですので、そう気を落とさずに。
私の知る事であれば多少の情報提供ができます」
「その対価は……?」
恐る恐る聞き返したレイシアに対して、カティアは笑った。
「貴女の話を聞かせてほしいです」
「……私の話?」
「はい。お相手とはいつ会ったのかとか、どんなアプローチを受けたのか、……あとは、……その人をどう思っているのか、とか」
そんな事?と、拍子抜けした様子のレイシア。自国を救う情報を得る対価としては破格すぎないだろうか。
「……私には番がいるのですが」
番。あまりにもタイムリーである。すぐにレイシアが反応したので、カティアは肯く。番です、と意味を込めて。
「幼少の頃から、ずっと一緒にいて、ずっと私を見ていてくれて、想い続けてくださっている、のですが……。……私は、それをどう受け止めて良いのか、分からないのです」
「……嫌いなんですか?」
「いいえ?寧ろ好きですよ。恐らく、……認めていいのなら、愛してさえいる。けれど、伝えられない……」
その姿に、少し前までの自分を重ねたレイシアは、もう少しだけ話を聞く事にした。
「……私は、小さい頃から、その方が私によくしてくれたから、自分の気持ちを押し付けるのではなく、相手の望みを、時に自分を殺して叶える事だけが愛だと思っていました。
私は、それが私にとっての愛だと思っていた。番がそうであるからこそ、それが私の絶対……でした。
だから、でしょうか。……自分の心を、相手に素直に伝える人々を見て、困惑しました。それが愛だというのなら、それはそれでいいのです。誰かを否定したいわけではありません。ですが、私達にとっては、未知の在り方でした。
……そして同時に、眩しくて、羨ましいと思いました。
言葉にできない、臆病者の私には、それは醜い願望なのです。……欲と言ってもいいかもしれません。それを言ってしまったら、その人は私から離れられなくなってしまう。その人にとって、それは本当に幸せな事なのでしょうか。番という呪いじみた鎖のせいで、意志もなくただ人形のように、それを叶えてくれるだけなのではないでしょうか。……そんな事は、望んでいない。だから、言ってはいけなくて、けれど、このままには、しておけない。
……申し訳ございません。訳の分からない事を申しました」
「いえ……。番持ちというのも複雑なんだなということが分かったので。
歴史上、他国に恐れられるだけの事をしてのける執着と、それをただ一人の相手に向けるという所は、確かに呪いじみているといえばそうかもしれないですね。
我が公爵家は、代々王族に歴史を授ける家系なので、ただ恐れられるだけだった番持ちにもそのような葛藤がある事が知れてよかったです」
「……こう言った事情がございまして、是非、番なんて概念が存在しない方々の話が聞きたかったのです。残念ながら、私の周りには、番持ちが多いので」
「わかりました。……といっても、思い出話くらいしか、ないとは思いますが……」
「それから、……何故、こちらの姫君は、あんなにも気軽に番という言葉を使うのかについても聞きたいところではあります」
「……それは、……はい。承知しました」
よろしくお願いいたします、と儚げに微笑みながら、カティアの瞳が一瞬冷たく光った事など、残念ながら、教育を怠った後ろめたさから目を逸らしたレイシアには、知る由もなかった。
……進まねえなぁ、話。と思ってる方、ごめんなさい。次の次あたりで多分急展開を迎える予定です!……予定です!!
今週も読んでくださって、ありがとうございます。




