愛と番と鼬ごっこ(2)
「……」
「おぉーい。トーリ?生きてるー?」
「……」
「うん。返事がない。こりゃだめだ」
王都ルーティルッタ。
その中心部では芸術祭が行われている。カティア達はそれを見るためにわざわざ寄ったのだが、今回はそのせいでトーリがポンコツになっていた。もちろん、カティアが側にいないからである。
そんな弟を目の端に入れつつ、ゼクトは通信用魔道具に魔力を込めた。通信相手は勿論、頼れる再従兄だ。ハイスペックな弟の頭が使えないなら、超ハイスペックな再従兄の知恵を借りるに限る。
『セイン。うちの弟が使えないんだけど!』
『弟を守るのは兄の仕事だろう?急に連絡を入れて来て、そんな事を言われても、私はなんと答えてやればいいかわからない』
『……カティアが何故かこの国の王女に連れて行かれちゃった。僕らはあの小娘が世間知らずの無知な令嬢だと思ってたのに、カティアは相手が王女だと気付いて付いて行った』
『……へえ。まったくいつもの事ながら、カティアはどこから情報を仕入れているのだろうね』
途切れる事なくカティアの方からは、一方的に映像が魔道具に送られて来ているので、無事なのはわかっているが、早く連れ戻さないとまずいのは事実。
だから怒られるのを覚悟でセインにも連絡したのに!真面目に取り合ってくれないような声色に思わずゼクトは声を荒げた。
まあ直ぐに勘違いだと気付いたのだが。
『どっかの過保護な叔父やら番の再従兄からじゃないかなぁ!?』
『怒るな、ゼクト。双子並みにトーリと似ているお前の声で喚かれるとまるで仕事をしていないトーリに怒られているようで……腹が立つ』
『え?セインってトーリのこと嫌いだっけ?トーリが帝国を出る時に仲直りしてなかったっけ?』
『それとカティアが連れて行かれたのは、別問題だろう?しかも私が丁度動けない時に限って、何で離れたんだ』
『……今更だけど、仕事大忙し?』
『ああ。少し面倒なのが外交先から姿を消している。嫌な予感がする。……それと、どこの誰だか知らないが、私の番を名乗る輩がいるらしい』
『それは僕も聞きたかった。愚問っていう事は分かった上で聞くけど、セインの番は誰』
『カティアに決まっているだろう。馬鹿か。今すぐカティアを奪還しろ。私から離れる事は許せても、私の目の届かない所に置くのは論外だ。トーリに自分で言った仕事をしろと伝えろ』
『……再従兄も弟も僕のこと何だと思ってるのさ。……揃いも揃ってカティアが絡むとほんと怖いんだから』
それから少し言葉のやりとりをして、ゼクトは魔道具の通信を切った。長距離通信は魔力の消費が高いので疲れる。いつもならトーリと協力して連絡をするので、こんなに疲れないのだが、そのトーリは今、いつもの有能っぷりが嘘のようにただの置物と化している。
ああ面倒くさい。と、心の中で毒を吐きながらゼクトは王都の宿の部屋に入ってから、隅の方でずっと放心状態で膝を抱えている弟を小突いた。
「トーリ!いい加減しっかりしろ!
セインが自分の言ったことくらいやり遂げろってさ!!」
「……自分の、……言ったこと……?セイン?」
「何か約束しちゃったんじゃないの?僕らの王様と」
「…………………………約束なんてしてません。啖呵を切っただけです」
「もっと酷かった。セインに喧嘩売るとか僕の弟って命知らずだったんだね。知らなかったよ。そしてそれが本当なら仕事して。流石に僕も、弟の不始末だからって理由で殺されたくない」
弟よ。お前は一体いつ王様に唾吐いたんだ。そしてよく生きてたな。
「とにかく、カティアを連れ戻します」
一先ず相手は王族誘拐罪で国家的に訴えて良いですよね。と弟が言い出した。多分良いと言った瞬間にどうにか出来る算段は付いてるんだろうなと思った。いつもの弟に戻った様子に安心して待ったをかけつつ、どうしたものかなと思考を巡らせた。
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一歩その頃。
カティアはまだ馬車に揺られていた。
相変わらず目の前では姫が飽きもせずに、帝国について質問していた。カティアは帝国の隣国の公爵令嬢を名乗っているので、色々と考えながら回答していた。勿論、8割方は曖昧に。それでも姫と従僕は興味深そうに聞いている辺り、帝国として関わりを持つだけの魅力はない国であるのと同時に、帝国の情報が巧く操作出来ているのだろうと満足した。……逆にこの国の情報や噂話はカティアがその気になって調べれば、色々と筒抜けであった。
「……姫様は何故、帝国での暮らしにご興味が?」
「私の王子様がいるの。当然でしょ」
従僕は焦ったように姫に待ったを掛けようとするが、その前にカティアが言葉を放った。
「……王子様、と仰ると……セイン・ステファノス殿下でしょうか?」
「あら。知ってるの?」
従僕の顔は焦りが見える。カティアは夜会で噂になっていると言った。姫様は、セイン・ステファノス殿下のような、隙のない男性に魅力を感じているといった噂ですが、と。
それはこの王国の上層部が意図的に操作した噂そのものなので、従僕も安心した様に閉口した。それに対して面白くなさそうにしたのは姫である。
「好みなんじゃなくて、好きなのよ。愛してるの。彼も私の事が好きなのよ。だって私はあの人の番なんだから!」
自信満々に。それが事実だと。
従僕はまた慌てて姫君にそういう事を言ってはいけないと言うが、もう遅い。
カティアは聞いてしまった。それも、目の前で。分かりきった嘘を。
けれどカティアは分かっていた。
……思い込みの妄言に過ぎないが、目の前の姫君にとっては、それが本当なのだと。
カティアは兄達がどれだけ素晴らしい人たちか知っている。その上で恋する女性たちが後を絶たないのも分かる。むしろあの兄達に恋しない女性なんて、いないのではないかと思っているし、その全力のアプローチを受けようが兄達が決して靡かない事も知っている。
だから、それは別にいい。そこに関して微塵も関心も嫉妬もない。姫君がセインを好きだと公言しても平気だ。ただ、番という言葉だけはいただけなかった。それに関してだけは、不快に思った。
「……番とは何か、ご存知ですか?」
「当たり前よ。運命の相手の事。必ず結ばれるの」
自信満々に言い放つ姿に、確信する。この姫君は、"番"が何であるかを正しく理解していない。
シエスタの時と同じように、ただ物語のような甘い恋に揺れているように見えた。あの時は思う事があった。その純粋さすら羨ましく思えた。だが、あれはシエスタが伯爵令嬢だったからだ。
カティアの中で、不快感すら消えた。
その感情をわざわざ持ってやるだけの価値はこの姫君には無い。
「……姫様が本当に帝国にご興味があるのなら、よくよく考え、色々と学ぶ事をお勧め致します」
「分かってるわよ。帝国に留学したいもの」
「それは失礼致しました。ですが、本当に、帝国で学びたいなら、予め知識を蓄えておく事は必要なことなのです。
あそこは学院で学ぶ前から、それぞれがかなり高い学力や多岐にわたる知識を持つ者が多いです。それ故、……留学して箔をつけたい方は後を断ちません」
「へぇ……だから帝国の学力水準はものすごく高いのね?」
ええ、とカティアは笑顔と共に言葉を隠した。
それ故、馬鹿な人間が大嫌いです。……という言葉を。
馬車は王都の貴族の屋敷の一つについた。
この国に存在する公爵家の中でも、初代国王の頃より公爵位を持ち、信頼と実力のある大貴族。この家から何人か王族の妃も出ているし、逆に王族の血も何度か入っており、恐らくこの国の中で血の濃さだけで言えば王族とほぼ同じか、それ以上であろう。
その家の現当主は、なんとカティアと同じ16歳になる美しい女性だった。
「レイシア・ロスティーニと申します」
ついでに、淑女としても一貴族としても有能な女性だった。先ぶれを出していなかったのだろう王女がカティアを連れて訪問したが、焦った様子も見せず冷静に出迎え、仮面をつけている怪しい令嬢にも顔色を変えずに淑女らしく完璧な笑みを浮かべていた。
既に爵位持ちであるが王女が連れてきた令嬢なので、自分が先に最敬礼をして自己紹介した。
カティアが挨拶を返すと、すぐ様応接室に通された。急な来客だろうに、使用人にもきっちりと仕事をさせたようだ。
席に着くなり姫はお義姉さまに紹介したくて連れて来たのよ。ついでに暫く泊めてあげてと言いつけた。……王族に言われて逆らえる貴族はいない。部屋の隅で給仕をしていたメイドが音を立てないように静かに出て行く。恐らく客室の準備その他諸々を執事長辺りに伝えに行ったのだろう。
それにしても、幼すぎる。……そうカティアは姫の行動に対して思う。恐らくこの姫君自体が活発すぎるという点もあるが、教育……というか、教育側に、姫を制御して学習させるだけの根性のある人間がいないのだろうと当たりを付ける。
そうでなければ、一国の姫がカティアに声をかけるところから今に至るまでの言動は、考えなしに出来るはずがないのだから。
「お客様の前で失礼致しますが……。
フランベル王女殿下。ご自分が何をしたか、お分かりですか」
「お義姉さまにお友達を連れて来たのよ!
最近お義姉さまはずっと忙しく、帝国の事を調べてらっしゃるでしょう?そのせいでお兄様も寂しそう。だから帝国に詳しい人を連れて来たの!
お仕事を早く終わらせて、お兄様と結婚して、私の本当のおねえさまになって欲しくて」
カティアは女公爵が気の毒に思えて来た。多分綺麗にキープした笑顔の下では余計な仕事増やしやがってこのクソガキと思っている事だろう。同意しかないが。
因みに、姫が言った事は嘘ではない。馬車に連れ込んだ時は本気で侍女にするつもりだったが、公爵令嬢な上に帝国の暮らしも知っているという事を知ってからは、いま言ったように、その知識を最近忙しく動き回っている将来の姉に与えようとしていた。
……その将来の姉はかなり公爵としても令嬢としてもまともすぎる為に、助かるどころか逆に倒れそうだが。
「……姫さま、何故私が今、忙しくしているか、お分かりですか?」
「隣国が帝国と何か揉めて、輸入とかの事で干渉するからじゃないの?」
さも当然のように姫が言ってしまった。もちろん大外れである。だって忙しい理由は、目の前で自分勝手をしまくった姫君なのだから。
客人の前だ、と、女公爵は溜息を飲み込んで、明日の社会情勢の授業では隣国の事を中心に学べるように手配しますねと告げた。他国の高位貴族令嬢の前だ。余計な情報など渡せない。
その言動にカティアは仮面の下で感心していた。是非とも引き抜きたいと思うくらいには。
スカウトとは突然なものである。面接の合否が8割第一印象で決まるのと同じである。過ごした時間で決まるのではない。
カティアは、馬車から降りて挨拶をされた時点で既に、女公爵に関しては、貴族としても淑女としても有能だと位置付けていた。
話的に王子妃になる予定らしいが、それらしい物的な"所有印"が見当たらないので、姫君が帰った後で一応口説いてみようかなと思っていた。
「姫さま、そろそろお時間です」
「わかったわよ。……じゃあおねえさま、この子をよろしくね。それと……」
「……遅れて来たことと、ただお茶をしただけという事は伏せておきます」
「ありがとうおねえさまっ!
そうそう、お兄様からこれを。今日は来られないからって」
姫の従僕が女公爵のメイドに手渡したのは、薔薇の花束である。紅色の薔薇を24本。カティアは薄寒さを感じたが、知らぬふりをして紅茶を口にした。それを贈られた公爵は少し困りつつも嬉しそうだったし。
「ありがとうございますと、お伝えください」
「じゃあ行くわ!カティア。また来るからここで暫く過ごしてて!」
ただ一つ、見送りはいいと言って部屋を出て行った姫君に言いたい事はあった。
……ファーストネームを呼び捨てにされるような仲になった覚えは全くない。
2人きり残った部屋で、漸く公爵はカティアをよく見た。警戒よりも何より、同情が透けて見えた。恐らく姫はいつもあの調子で、実害的な被害者はこの人なのだろう。……お気の毒に。声に出さず憐みを向け合う2人は冗談抜きで良い友人になれそうだった。
「……改めまして、私はこの国で公爵位を賜っております。レイシア・ロスティーニと申します。
貴女を責めるつもりもないし、こちらの非は全面的に認めて謝罪もします。衣食住も保証いたしますので、一先ず……状況の説明を願ってよろしいですか?」
もう疲労を隠す様子もなく頭を下げた公爵に、カティアは苦笑を零した。
映像記憶魔道具を再生して、女公爵がこれまでの経緯を観ている間、カティアは紅茶のお代わりを飲んでいた。
ところで読者諸君はソーサーが何故付いているのか知っているだろうか。うん。受け皿だと思っている人が多いだろう。実際、現在は受け皿としての役割しかない。
だが、元々は違った。
馬鹿みたいな話と思うかもしれないが、熱々の紅茶が飲めない人が冷まそうとしてソーサーに流して冷まして飲んでいたらしい。
だから昔のソーサーは今のソーサーよりも深めにできていたようだ。スープのお皿みたいに。
絵面的には笑えるが、熱い紅茶が嫌なら冷めるまで待てばいいのに。
……ああ、何故こんな事をカティアが紅茶を口にしながら考えていたのかと言うと、公爵は受け皿のような存在なのだと思ったからだった。
熱々の紅茶を冷まして口にできるだけの温度に調節する。厄介ごとを何とか処理して無害にする。やっている事は同じだ。
王家の醜聞を有耶無耶にしたり貴族たちの謀反を処理して、まともな国の姿を維持する者の1人。それが彼女。
カティアは楽しみだった。彼女は今回、どんな風にこの件を片付けようと足掻くのかと。
正直姫君の事はもう情をかけてやる気は更々なかったが、レイシアに関してはいざとなれば帝国に連れて行ってしまおうと思うくらいには気に入った。
真っ白な受け皿というのは、何枚あってもいいとカティアは思っている。使いようの問題だ。例えばカップとソーサーを一客揃えたとして、カップが割れたらソーサーは無用の物質になってしまうが、それが無地の真っ白なソーサーであれば、新しくカップを乗せて仕舞えばいい。ソーサーはまた受け皿としての役割を果たせる。
これはあくまで真っ白である事が前提だが、多分そこ自体に問題は無い気がした。彼女は恐らく、この国自体に縛られるような柄がない。この屋敷に、彼女らしさが無いから。
もしかしたら、つい最近まではこの国を出て行こうとすら思っていたのではないだろうか。
そこまで仮説を立てたところで、漸く公爵は映像を見終えたらしかった。
胃と頭が痛い。と、顔に書いてある。心なしか顔色も悪い。
忌々しげに溜息をつく公爵に対して、カティアは仮面を外しながら、さあ、ちょっとお話ししましょうか。と、とてもいい笑顔を向けた。
今週も、読んでくださった方々に感謝しつつ、日々を過ごしています。
じりじり進んでいきます。多分。急発進と急ふ




