とある令嬢の疑問あるいは辟易
とある王城の花の庭で、1組の男女がお茶を楽しんでいました。……とでも言えそうなこの状況に、私は少々、苛立っている。
私は今、不本意ながら殿下とお茶を飲んでいる。そう。不本意ながら。
私は愛想のいい方ではないから、令嬢としてはかなりアレな筈なのだが、この王子は数ヶ月前からずっと、毎日変わらずに私との時間を作ろうとする。
最初は恐れ多いからと断り、仕事が忙しいからと避け、時に自分で仕事を引き受けて多少のオーバーワークにも耐えて逃げていたというのに、この王子ときたら……寄ってくる権力者の令嬢も、見目麗しい令嬢も、聖女とまで言われた不思議な力を持つ令嬢も見事に人前で振りまくるという、礼儀作法も真っ青な事をして時間を作り、私に接触しているのだ。
普通は人前で堂々と令嬢を振ったりしない。当たり前でしょう。本来、マナー的にも、人間的にも好まれることではない。令嬢は傷つくし、本人の評価も下がってしまう。
……なのに何故、彼の王子としてはあり得ない行動が黙認されてしまっているのか?
「早くレイシアが私との婚姻に同意してくれたらなぁ」
「そもそも婚約自体しておりません」
「大丈夫。遅いか早いかの違いしかないからね」
「……そうですか」
「うん、そう…………って、……え?」
「……何でしょう?」
「え、あ……。ううん。ずっと君の返事は"その予定はありません"だったから」
驚いてしまったんだ。との王子の言葉に、まあそれはそうだろうなと頭の片隅で思う。別に籠絡されたわけでも勿論耄碌しているわけでもない。ただ単に、働き過ぎるしかない案件が次々持ち込まれるせいで頭が痛くてもう色々考えるのを休んでしまいたい気分であっただけで。
それもこれも、この王子の身内のせいではあるのだけれど。
「……フランベルも何でよりにもよって、君に負担をかけるような事を言いだすんだ」
……そう、これこそ、王子のあんまりな行動が否定的にみられる事がなかった要因。
自身の公務はきっちり行った上で、私の予定に配慮しつつ、本来ならば無理のない範囲で口説きに来ている殿下は、臣民からの信頼も厚く、しかも私にアプローチをかけている事をカケラも隠さない。……外堀は父親たちの事も含めてとうに埋められ、本当に私が婚姻契約書というペラッペラなくせに重い紙に名前を書いて仕舞えば、自動的に1年後婚姻になってしまう所までになっており、登城すると大抵誰かに挙式はいつになりますかと聞かれる程に、本当に、崖っぷちである。……別に……その、嫌だとかそういう悪感情は無いし、顔も、攻略対象の王子だから悪いわけ無いし、優しいし、私の苦手な俺様タイプではないし、……こほん。まあそれはさておき。
私に夢中であるが故に、他の令嬢たちには必要以上に仲良くならない、というきっぱりした対応になるという印象を周りに付けまくった事と、先程あげた普段の王子としての役割をきっちり果たしている事が良い方に作用している。
……私が今頭を悩ませている事柄がよりその王子の様子をよく見せているのだ。
「……ねえ、レイシア。君の意見も聞きたい。妹のあの発言は、本当だと思う?」
「本当だと思っているなら、私は多分今こうして忙しくしておりません」
「だよね」
ロイド殿下の妹、フランベル王女殿下は、御歳12になるまだ未成年。
明るく多少元気すぎる、……王女殿下とお呼びするには少々マナーや教養などを詰めこんでやりたい感じの王女。……私らしくないか。簡単に言うと、勝気・強気・策略なしの力技で正面突破、欲しいものは手に入れる、多少の壁は愛を燃え上がらせるスパイス!……と、素で考えてそうな子です。
ああ、余計ややこしいって?
性格は多分良いと思う。ただ、自分がコレ、と思った事には一途というか、譲らない。ついでにちょっと周りが見えなくなる。フィルターかかってるのかな。掃除したいけどどうやって掃除すべき?
先月お忍びで隣国に行った時に、……厄介な事に一目惚れをして城に帰ってきてしまった。相手は何と、冷徹外交官と名高い帝国の皇子の1人。中性的で、スッと通った鼻筋や切長の瞳に薄い唇、深紫の瞳は実に神秘的で見ている人間の目を惹く容姿。交渉のテーブルでその麗しい顔が笑うことはない。……けれど柔らかな雰囲気に騙されて大抵の外交官たちは気を緩めてしまう。交渉に入れば鋭く噛みつかれ、彼と話をする外交官はどんな敏腕であっても一様に、精魂使い果たした様子で取られるだけ取られたと話すという。怖。私絶対嫌。この王子と今すぐ結婚するか、そいつとの外交のテーブルに着くか決めろと言われたら王子の方を取る可能性が60パーセントくらいはある。……いや、比べることじゃないな。というかもっと頑張れや外交官。国益かかってるんだぞ。うちの国の外交官も何人か潰れたけど、ベテランは何とか持ちこたえているから、彼らが優秀かそれか相手が分野によっては手加減しているのだと思う。なにそれ。余裕過ぎでしょ。怖っ、本当に怖っ!
というか、話に伝え聞くだけでもどこの乙女ゲームの攻略対象だそれはと思う。目の前でにこにこしてるこの国の王子も相当だと思っていたが、やはりどこの国でも王子とはハイスペックなのだろうか。
とりあえず、今それはさて置こう。
……そんな人間に恋した姫さまは(……本当どこでどうやってそんな恐い人間に惚れたんだか)、苦手でも一応取り組んでいたマナーや魔法の講義に積極的になりました。それは良い変化。でも、結果王子の評判を上げているのは何故かというと、……王族としての在り方を放棄してしまっているから。
たとえば王子はやるだけの事は完璧にやって王子としての振る舞いは忘れない。その上で私の所へ来てのティータイムだけど、姫さまは自由時間だけでは飽き足らず、帝国の暮らしやその外交官の話を聞いて回っては度々お勉強を疎かにする。私も何度か頼まれた講義をサボられている。
我が公爵家は建国からの歴史を綴り、この国の王よりも深くその歴史を知り、時に教師として教壇に立ち、歴史から学ぼうとする者に対して、惜しみなくその知識を与える役割があるので、王家の皆さまは嫁入りした方も含めて我が公爵家の誰かが歴史を教えている。私も何人かに教えさせてもらった。
今の担当は姫さまであるが、実の所、まともに講義を受けてくれたのは帝国にお忍びで遊びに行くなら、私の講義を受けてからと言われて本当に軽くこの王家の成り立ちを話した時だけ。つまり、初講義後はまともにお会いもしていない。
多分身内になるのだから見逃してもらえるという甘い考えでいるのだと思う。今のところわざと報告はしていないが。
まあ本当に、そこだけなら、対外的には姫君らしく振る舞い、ボロを出さないなら、内輪だけなら見逃せるのだが……。
お茶会も殿下は笑顔でこなしながらも相手を傷つけない話し方で、「彼女に気があるからごめんね(意訳)」で断っていたのに対し、「私が好きな人は凄いのよ!」と、あまり関わりのない帝国の話や外交官の容姿の話ばかりして招かれた令嬢や令息はずっと聞き役。
……まあ、別にそれでも良いんだけど(事実私は義妹がベラベラ話していたお陰で口を開くことも無く静かに読書をする時間を沢山とれた)、このお茶会は王族にとっては、貴族を見極める時間でもあるのだ。
自分の立場に擦り寄って甘言を垂れ唆すような貴族。流行り物や噂に精通しており手札に加えて損のない貴族。常に真意や情勢を見極めるのに長けた信頼を寄せても良い貴族。お茶会とは、真の忠臣を見つける、目を慣らす為の初歩的な篩。
……それを王子は理解していて、姫さまは理解していないと言われたら、それまで。ついでにそれは自分で気付かなくてはならない事だから、教えないであげてと私は王子に言われた。……元から教える時間もないのですが。忙しすぎて。ついでにそれこそ身内になるかもしれないからと甘くなってそれを教えてしまうかもしれない私の講義を彼女は高確率で無かったことにしてしまうから。……多分王子もその状況を把握しているので、わかった上での事なんだと思う。気づくの待ってるんだと思う。なら私が何か言える事もない。
……そんな姫さまが言った"爆弾"。
幸いにもその言葉を直接聞いたのは王子と王妃、そして宰相だけだったらしいが、
「私、あの方の番かもしれませんわ」
と、……そう宣ったらしい。……あー、ごめんなさい。そう言ったらしいです。
その時いた方々はあり得ないと判断して、姫さまに反省を促したらしい。……勿論、何がいけないのか分かっていない姫様は終始不機嫌そうだったらしいが。でもごめんなさい。私も思う。せめてその言葉は、王族ならばよくよく考えた上で発言してほしい。"歴史"を勉強していない以上、おそらく姫さまの頭の中には"おとぎ話の番"が浮かんでいるのだろうけど、12歳の時点で"歴史上の番"の話を知らない王族なんて姫さまくらいなんだよね。……私の講義をサボっても構わないからそこだけは理解してほしい。ついでにお茶会のたびにあったのかもわからない"王子様との会話"を大声で話すのもやめてほしい。あった事なのだから言って良いじゃないと姫さまは言いますけど、ダメです。普通に考えて。色々カードがあるんです。それも王族ともなれば。最近姫さまの護衛として同行した騎士たちは宰相から睨まれすぎて可哀想な状況にまでなってきてるので、本当にお願い。勿論心の中で言うだけで、絶対心中を言葉にはしないけれども。
なので、面倒ごとと判断してこの話題には触れないが正解。……だけど、実際その調査を公爵として任された私には、王子が多少なりとも考えを聞きたい気持ちもわかる。
国にも妹にも関わる事なのに、無関心を貫くのは次期王としても兄としても多分正しくない。
ちなみに今の心境は、少しでも処理の仕方を間違えたら貴方との婚姻だとか言ってる騒ぎじゃなくなりますよ殿下。である。多分殿下もそれは分かってる。
……これが並の国、並の王国相手なら良かった。噂を調べて、実際探りを入れて満更でもなさそうだったら姫さまをくれてやる代わりによろしくね、で済んだ。この国だってそれなりに大きいし、幸いにも現国王は賢王と言える人物で、ついでに次期国王も現国王より少々中身に難がありそうだけど、立派に王をやってみせる事だろう。……けど、そう言う時に限って、大抵身内から瓦解する。しかも今回の相手は帝国。相手にとって不足なし、なんて大それた言葉を言えない。恐い。本当に恐い。だって外交官レベルの話し合いをするとしたらこの件について調べている私が出て行くのは目に見えてるじゃん。向こうから誰が出てくるかは分からないけど、本人だったら私は死ねる。怖すぎて。さっさと貴族を辞めてればよかった。……流石にご本人はなくてもそれに近い外交官の方々が来そう。
ここ数ヶ月姫さまがセイン・ステファノス皇子殿下にご執心だということは、国内の貴族たちには伝わってしまっている。言葉を濁し、印象操作して、姫さまの好みは冷徹外交官だという程度にはしておいているが、姫さまのお転婆具合によってはいつ貴族たちがこれ幸いと何か良からぬことを企むかわからない。
私はお祖父様から頼まれたこの件をなんとしてでも丸く納めなくてはならない。その為に情報収集、護衛でついていった騎士と侍女たちの証言、事実確認、国内の貴族の国外への影響力を含めた状況までは何としてでも調べ上げ、出来ることなら帝国側の思惑やそのセイン・ステファノス殿下の現在の状況(姫さまと出会った経緯やその本心)まで調べ上げて万全の体制を整えたい。王子も分かっているから先程の発言なのだろうけど、つまりは時間がない。
だから今、正直な話、こんな所でお茶をしている場合でも、殿下からの熱烈なアプローチを受けてる場合でもない。私は多少の無理をしてでも、早急に調べ物をしなくてはならない。それをしたい。
なのに、断れなかった。相手が王子という立場だから、ではない。けれど、確かに、この王子だから、私はこうしてお茶を飲んでいる。
「……レイシア。ごめんね」
「……さて、何のことですか」
「君が忙しくしているのは分かってる。原因もね。本当に申し訳なく思う。僕は君を愛している。喜ばせてあげたいし、助けてあげたいし、頼って欲しいし、ほんの少しでも良いから、……少しの時間でもいいから、悩み事を忘れて欲しくて毎度懲りずに君をこうして連れ出している。
……でもやっぱり、君には油断ならない時間に変わりはなくて、……申し訳なく、思う」
たしかに時間はないし、なのに王子は構ってくるし、その間に仕事がたまるし、苛立つ要素満載だけど、私が苛立っているのはあくまであの国との直接交渉が近そうだから嫌でって意味で落ち着かないだけで、……このお茶会自体を不快に思ったことは、一応……ない。
「…………確かに、不本意です。ここでこうして休んでいる事は」
普段なら言わない。けれど、いつも余裕綽々としてあわよくば私の言質を取ろうとしている殿下にしては珍しいことを言うから。この一件のために私が忙しくしていると知って、本当に私の疲労がピークだったり休まないとまずい時には無理矢理にでもお茶に誘っていると私は気付いてしまったから。
「……私はたとえ仲の良い友人から体調を気遣われて誘われても、仕事の合間にこうしてお付き合いすることは、ありません」
「え?」
私への接触は最小限にして、けれど仕事の合間に様子を見に来て、終わった頃に顔を出して、どうしても無理そうな時は差し入れにお菓子をくれて、
「……それがたとえ王子でも、いえ、ただの王子相手なら尚のこと、現状の緊急性を理解いただけると判断してお断りするでしょう」
私が去る時には、笑顔で送り出すくせに、すこし寂しそうにするところは、……嫌いじゃない。
「……レイシア、それって」
「今私が殿下に薔薇を渡すなら、8本です」
「え。……うん、8本……」
「……ですが、用意するのは多分7本です」
きょとん。そんな様子の殿下が少しおかしくて、可愛くて笑ってしまった。あーあ。疲れてるな、私。
今度はびっくりした様子で私を見る殿下。……考えてみれば殿下の前で笑った事無かったかも。
「赤薔薇がお好みでしょうが、少し悔しい気もするので、敢えて白にしますね」
赤色を贈ったら、根気負けした気分になる。それはなんだかちょっと癪だ。四面楚歌、八方塞がり。もうどう考えても投降するしかない状態ではあったけど、どうせ同じ結果なら、殿下に"落とされた"のではなく、殿下に"落ちてあげた"がいい。
かつて義妹に悪役と罵られた時、高飛車や高慢と散々言われたせいで、その言葉の言い回し的に、色は好きだけど贈ろうとは決して思わなかった。
けれど、今は思う。そちらの言葉の方が私らしい。
「"私はあなたにふさわしい"……でしょう?」
だから何としてでも、生き延びましょうね。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。
短編の『令嬢の煩瑣もしくは煩累』のレイシア視点でおおくりしました。
読んでなくても大丈夫です。多分。
一応短編の簡単なあらすじ
乙女ゲームの世界で悪役令嬢役になった女子が、主人公に嵌められて婚約破棄され殺されるを繰り返し、100度目の世界にして漸くそのループから抜け出すも、ループから抜け出せた理由と思われる王子から熱烈なアピールを受けるようになる話。
読了ありがとうございます。




