幸福者の畏敬
今回はダイル視点です。
……これまで散々、従兄妹弟や再従兄は、努力知らずの天才だと思っていた。いや、先天的天才という意味で、更にそこに努力をしないという意味ではない。そこはとりあえず気にしないで欲しい。
ともかく、先天的天才であるアイツらを俺はずっと見てきた。だから、そう、少し前までかなり卑屈だったとは思う。従妹に言わせれば、嫌味ったらしくて仕方なかったそうだ。……まあ、確かに否定は出来ないが。曰く、平凡であるはずがないのに、"平凡"だと言って過ごしている非凡、と。どっち側の人間が聞いても卑屈か嫌味でしかないから金輪際平凡という言葉を使わないようにと言われた上に、超マイペースな従兄には一筆書かせられた。
ああ、その認識に関しては自分の黒歴史を振り返る拷問のように思うので、考えないようにしていたのだが、こうして俺も一応そちら側の人間だったと先の一件で気付かされて、一つ冷静に思うことがあった。具体的には、再従兄への敬意というか、畏敬の念がより強まり、やはり俺程度では同じ側などと名乗る資格はないのでは無いかと思ったのだ。
先の一件……。番を傷つけた国への介入の事で。
「ダイル様」
「シエスタ」
その優しげな声に、その琥珀の瞳に、その存在自体に、安心感を覚える。
私の番。
なぜ俺は彼女に出会うまで、彼女なしで生きていられたのだろうか。シエスタと出会ってからというもの、片時も離れたくなくて、一部屋離れているだけで集中できない。彼女がそばにいないだけであまりにも不安で、満たされず、心を失っているような、世界から色が失われているような状態だ。前ならこんな依存状態を精神病だと思ってただろう。
……というわけで、婚約状態でしかない令嬢を執務室に入れるなど以前の俺では考えられない事なのだが、執務室どころか自室や寝室にまで入れて、俺以外にあまり会わないでもらっている。誰かに連れ出されたら大変だ。部屋付きの侍女は彼女の快適な生活のためには必要だからともかくとして、俺以外の男は必要ないだろ?
……あー、まただ。彼女に出会ってからというものの、本能というものを酷く実感していた。一緒にいると、酷く安堵する。そうでなければ不安定で、満たされない感情で狂いそうになる。彼女の為なら何でもできる、いや、やってのけると宣言できる。……そういう、理屈や合理性とかそう言ったものが全てどうでもよくて、彼女のためだけに存在したい。彼女も俺だけの為に存在している。その関係性が、自然の摂理と同じ、獣と同じような、本能。
……もう言っていることもやっていることも合理性も理性もかけらもない支離滅裂で訳が分からないと言われると思うが、実際私自身がそう思うし、訳が分からなくなっている。冷静さも理性も欠いている。そこを否定する気はない。そしてこれが番をもった故の心境の変化か、その行動を省みる気持ちも全くない。これを読んでいる方々には申し訳ないが、フィーリングでなんとかしてくれ。
ここまで話して、俺が言いたいことは、自分の番への愛がコントロールできるものではないということ……。
そして、番という存在がすぐ近くにいながら、自分を律して、剰え、その番が自分の元から離れるなんて事を許すなんて自傷行為にも等しい事をするなど、我が再従兄は、本当に俺と同じ人間なのだろうか?……ということだ。
俺は幼い頃から、再従兄と従妹という番を見ていたせいで、番持ちというのがこんなに苦しいものとは知らなかった。あの人は、涼しい顔でこんな灼熱にも等しい想いを飲み下していたのだと、番を持って、初めて知った。
再従兄はカティアに甘すぎると思っていた。だがその認識が全くわかっていない人間の思考であったことを身をもって知ったのだ。
番を持っていて、このような抑えの効かない本能に支配されていて、何故、あんなにも"良き兄"を演じていられたのか、疑問を通り越して恐怖すら感じる。
「ダイル様、どうしたんですか……?」
「いや……。最近自分が同じ側の人間だと気付いた人が、実は更に天上の人だと気付いただけだ……よ」
「ふふ……。ダイル様、無理なさらないでください。私は、あなたの言葉であれば、恐怖心はありませんから」
「……そうか」
朗らかに笑う俺の番。可愛い。
…………じゃなくて。
シエスタは祖国で婚約者や父親や兄達に強い言葉で責められたことがあるので堅苦しい言い方や粗雑な言葉遣いを怖がる可能性がある。彼女を怯えさせない為には、従兄達や再従兄の言葉遣いを見習うべきだと考えて、彼女と話す際にはなるべく気をつけるようにしているのだが、何年も続けている口調を変えることは中々に難しく、ここまでにするのにも四苦八苦していた。
シエスタはそれを分かっているのか、俺なら平気だと言ってくれる。俺の言葉なら、と。それがとても嬉しく、またこの独占欲を満たすことを彼女は分かっているのだろうか。……まあどちらでもいい。天然だろうが計算だろうが。俺にはもう彼女以外に女性として見られる存在はいないのだから。
「天上……。ダイル様が仰るのですから、カティア様や他の皇子方ですか?」
「……再従兄」
妖精の様な彼女を抱き上げて、膝の上に横抱きにした。こうして体温を感じられる距離にいる事がなんとも言えぬ幸福をくれる。抑えきれない感情を、目の前の彼女を抱きしめる事で腕の中に押さえ込む。彼女は少し恥ずかしがりながらも、俺の気の済むようにやらせてくれている。その姿すら愛おしさを倍増させるんだが。
「……俺の再従兄と、カティアは番なんだ」
「私たちと、同じですか?」
「……ああ。……番で、あるはずだ。けど、俺とは違う」
「?」
今、俺は番を前にして、触れずにいることはできない。
番が側にいないのを分かっていて、それを肯定できない。
番をすぐに会えない距離に置くことを、絶対に許せない。
これが番ではなく、ただの婚約者だったとしよう。政略的な結婚相手でも、恋愛結婚でも構わないが、番ではないことが前提だ。
その場合ならば、容認できるだろう。仕事も普通にこなすだろう。婚約者を放って他の女に手を出す事だって出来るかもしれない。
俺は番を得た今、そんなことは出来ない。そう確信している。これは番への本能とほぼ同じくらい強いものだ。
恐らく再従兄も同じような状態だろう。だが、再従兄は、側から見ても、カティアに対して、"かなり溺愛している従妹"くらいの距離を保っているのだ。再従兄は俺が無理だと確信している事柄を、現在進行形で許せているのだ。
番持ちという点では同じであるのに、全く違う。
俺がおかしいのか、それとも再従兄がおかしいのか。俺も再従兄も正常だが、再従兄はその上で異常なのかもしれない。この衝動を隠せている時点で異常だ。……俺と同じような状態なら、だが。
「……同じでないことが、怖いですか?」
「……不思議なことに、君さえ怖がらないならどうでもいい。それに……怖いというよりは……再従兄が心配だ」
もし、この本能を押し殺して、番が自分から離れて過ごすことを、なんとか我慢できたとして、それで自分の手の届かない場所で、……もう二度と、帰らぬ人となったなら?
考えるだけでも悍しい。
それを再従兄が分からないはずがない。何故あんなにも、平然としているのだ。
考えられる可能性としては、再従兄の番への本能が俺より軽いか、無理矢理捻じ伏せているか、もしくは、……カティアが、番ではないか……。……一番最後のは再従兄を見る限りでは一番あり得ないとは思うのだが、従妹を見ると可能性は捨てきれない。
何にせよ、再従兄が可哀想である。どれだけカティアを想っていても、カティアに振り向いてもらえていないのだから。カティアがトーリについて行くことを決めた事も、何度戻ってこいと言っても頑なに頷かなかったことも、再従兄の気持ちに応えない事も含めて。普段報告書関連で苦労をかけてくるカティアに対しては多少挫折や苦渋を味わえばいいと思うが、再従兄には世話になっているしシエスタとのことで相談にも乗ってもらった。だから多少なりとも、再従兄の力にはなりたいと思っているのだが……。
考え込む私同様、シエスタが俯いて考え事をしているようだ。
「……どうした、シエスタ」
「…………前に、カティア様に、番に憧れるかと聞かれて、羨ましいと即答した際、カティア様はなんだか寂しそうな、……お辛そうな顔をされた気がして……」
「……カティアが?」
あの従妹が、寂しそうとか、辛そうとか、それは一体どこのそっくり令嬢の話だ?うちの従妹は自分の気分を害すようなものは大元を含めて原因排除して踏みにじってチリも残さないぞ?間違ってもその為に顔色を変えるなど、帝国の皇族としてもあのカティアとしてもあり得ない。と、本気で疑問に思ったが、今言える雰囲気ではない。というか、悩む私の番も可愛らしくて、目の前の彼女以外どうでもいい。だが俺が再従兄を心配するように、彼女は従妹を心配してくれている。しかも従妹には俺と彼女を結びつけてくれたという恩もあることだし、なによりシエスタが俺以外に心を砕く様子を何故こんなにも至近距離で見ていなくてはならない?こんな問題は口に出してしまった以上、早く終わらせるに越したことはない。私の番の憂いを払うのは重要な事だ。
「カティアに手紙を送るが、シエスタも何かあるか?」
「私の分も送ってくださるのですか?」
「ああ。長い道中だろうから、長い手紙もいい暇つぶしにするだろ」
並んでカティア宛の手紙を書く。シエスタは嬉しそうにお礼の言葉から綴っていた。俺も手紙に文字を走らせるが、その手紙の言葉遣いは以前と全く変わらないものだとふと気付いて、番の偉大さを改めて感じた。細やかなことであっても改善するのは番に対してだけなのだ。……再従兄も、カティアにだけは対応が違っていた。
裏表のない笑みを向けるのも、紅茶を自ら淹れてやるのも、本を取ってきてやるのも、全て、カティアに対してだけだった。俺たち再従弟は再従兄の社交界での顔を良く知っているが、自国の貴族達の前では"貴公子然とした魔王"だし、他国の貴族達の前では"冷徹な氷の外交官"であって、交渉用の笑みを浮かべることはあってもそれ以外では鉄仮面ではないのかという噂が立つほどの人物なのだ。従妹にデレてるとは思えない人間だ。兎に角、カティアと一緒にいる時とは違い過ぎるのだ。……俺たち再従弟に対して優しくないわけではない。身内だから。だが、やはりどう考えても、カティアだけは無条件で、あの人の中では特別だ。そのある意味異常的存在の名が番でないと言うなら、なんだというのだ。
カティアもどれだけ引っ付かれても特に不快感を示していたことは一度もない。自分から近づくのは再従兄にだけだったし、なにより、魔力避けの仮面をカティアの顔から手で外すのを許していたのは再従兄だけだった。
疲れたのか、仮面をつけたまま眠っている従妹を見つけ、トーリにも同じくらい懐いていたから、トーリでも大丈夫じゃないかと思い、俺が外してやれば?と提案したことがあった。だが眠っているカティアの面にトーリが触れようとした瞬間、カティアは目を覚まして距離を取った。偶然起きたのかもしれないとその時は思ったが、俺が前に何気なくカティアの面に触れようとした時、カティアは俺の手を払い落とした。やってから慌てて謝っていたから、多分無意識。危機回避の本能的な反射だった。
カティアの反応は分からないでもない。カティアのような許容量の底無しの器にとって、仮面は器が安定するまでは生命維持装置。それを外されるかもしれない可能性に対して敏感になるのは当たり前のことだ。だが、その唯一の例外が再従兄。命を握られることを許せる相手。
そこまで思い出して、理解した。なんて下らない可能性を候補にあげたのだろう、と。
いま書いていた手紙を破り捨てて新しいものをとり出す。シエスタは突然手紙を破り捨てた俺に驚いていたものの、俺より早く書き上げないと送ってあげないと言えば焦ったようにペンを持つ。ああ、可愛らしい。
とりあえず従妹への手紙には、上の従兄の悪ふざけに付き合わない事、下の従兄のいうことに無闇矢鱈に付き合わない事、それから再従兄の為にも無茶な行動は絶対するなと書き付けて印を押しておく。
シエスタはまだ夢中になって書いている途中なので、黙ってそれを見守る。俺がとうの昔に書き終えて見ていたことに気付いたらきっと恥ずかしがって顔を赤くするだろう。それすら楽しみだ。
……その時の俺は番のことで頭が一杯だったので、失念していたことがあった。後から思い出して再従兄には申し訳なく思ったのだが、……そういえばカティアは、反抗心なのかなんなのか、俺にやらないように言われた事柄を守ったことは一度もなかったな、と。
読了ありがとうございます。




