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日本の神輿のルーツは神との契約の聖櫃アークである







                        モーゼ五書


 平成18年5月。

 波多と志保、古川は常滑に帰る。自宅でくつろいですでに2週間が過ぎる。古川は波多家の側に住んでいる。朝昼晩の食事は波多の家で摂る。ゆっくりと休む間もない。

 ”波多家のお宝”を求めて次のステップが待っている。

波多達が眼をつけたのが”聖書”だ。キリスト教徒はこれを自分達の聖典と位置つけている。旧約聖書はユダヤ人の歴史が載っている。歴史というと大げさかもしれない。

 旧約聖書には原典がある。古川の主張だ。5月中旬夕方、波多家の応接室で3人が顔を合わせる。古川の眼鏡は度が強い。毎日のように本とにらめっこしている。眼を酷使する。タオルで眼を覆って休憩する事がある。

 ――無理するなよ――波多が慰める。


 志保の炒れたコーヒーはうまい。本物なのだ。

「引っかかりは聖書にある」古川の声に波多と志保は頷く。

――一般的に・・・――

 古川は淡々と述べる。

 モーゼ五書と言われる。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、以上は律法と言われる。ユダヤ教、ユダヤ社会の基本原理となっている。

「この話、前にも聴いたわね」と志保。

 古川は志保の声を無視する。

律法トーラーは我々の言う法律ではない」

絶対神ヤハウエがイスラエルの民に与えた約束事だ。

 一つは人間同士が守る約束事。これは現在の法律と似ている。十戒は典型的な例だ。もう一つは、人間1人1人が精神的に向上するための約束事、神への祈り、瞑想。

 現在の新旧2つの誓書は、主としてローマカトリック教会によって編纂されている。新約聖書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書を基幹としている。何故4つなのか、古代は四が聖数だった。だが聖書が形を整えた頃、三が聖数となる。

――父と子と聖霊――三位一体思想が中心となる。

 四つの福音書の他に使徒トマスによる福音書、その他多くの外典と言われる福音書が存在している。

 現在流布している新約聖書も成立過程の間に手が加えられ改竄されている。

イエス誕生の時の東方からの博士の話も作られたものだ。娼婦マグダラのマリアの話。マグダラという姓は当時のユダヤの貴族という事が判明している。

 マグダラのマリア――ダビンチコードという小説で有名になった。彼女はイエスと結婚している。イエスの死後フランスのマルセーユに渡る。イエスの子を産む。後のカロリング王朝の始祖となる。マリアの産んだ子こそ、イエスの正当な後継者だ。ローマカトリックの教会はこの事実を隠すために、カロリング王朝を徹底的に弾圧する。

 ノートルダム寺院の地下に祀られている黒いマリア、彼女に抱かれている幼児こそ、キリスト・イエスの忘れ形見だ。

 ローマカトリック教会が隠そうとしたもの・・・。イエス存命の頃、ユダヤ教パリサイ人らが隠そうとしたも・・・。

 それはヤハウエ神から与えられたとする宗教体系だ。イエスはこれを世に広めた。この事が十字架上で刑死することになる。


 ――面白そうな話ね――志保が眼を輝かす。波多は身を乗り出して聞き入る。

「宗教体系と言ったね」波多が念を押す。

「宗教と言うよりも精神修行と言い換えてもいい」

 1つ1つの方法に則って修行する。マニュアルと言ってもいい。旧聖書の創世記、エデンの園に何気なく登場している。

――イブは善悪を知る木の実を食べた。この善悪の木の隣に生命の木がある――

 生命の木こそ人間が精神的に進化するためのマニュアルなのだ。生命の木、人間が地上に出現し始めて頃から存在している。


 「ちょっと待ってくれよ」波多は古川の話の腰を折る。古川は何だとばかりに不快な顔をする。

「何ね、俺、昔、タロットカードを習ったことがあるんだ」

「へえ、タロットカード?」志保は夫の秘密を見たような顔をする。

 波多は喋る。名古屋でタロットの講習会があった。講師はテレビでもちょこちょこ顔を出す西洋神秘思想家の大沢忠一。今年1月、名古屋で講習会があった。

――タロットカードとカバラ――

 この講習の中で、大沢忠一は以下のように語る。

――カバラはユダヤ教思想の中心的な教義だ。イエス存命中、パリサイ人達がカバラの知識と知恵を独占していた。一般民衆は蚊帳の外に置かれた。これに憤慨したイエスは公にさらしてしまった。十二使徒達に教えたのがカバラという。新約聖書はカバラの奥義でちりばめられている。

 つまり、新約聖書はカバラの知識で読んでこそ理解できる――


 ・・・カバラ・・・古川は何度もつぶやく。


                     カバラ


 平成18年6月20日。波多夫婦、古川の3人は三重県鳥羽市船津の船津ホテルにいた。5階の喫茶室。

 船津ホテルに来た理由は1つ。伊雑宮の御田植祭を見るためだ。24日に行われる。3人はテーブルに頬杖をついたまま、呆然としている。出されたコーヒーを飲もうともしない。

――カバラ――

 お宝探しの糸口が見つかったと喜んでいた。カバラの本は沢山出ているが、一般的な本ではない。たまに書店に並ぶ事がある。それもまれだ。十数冊、出版元から取り寄せる。3人がかりで読む。

 読了後、感想を述べ合う。3人ともお手上げだと言う顔をする。専門用語が沢山出てくる。その注釈を読んでもさっぱり理解できない。

 カバラ――ヘブライ語で”授けられたもの” ”受け取ったもの”という意味。授けるのは絶対神ヤハウエだ。

 絶対神から授かった深遠な叡智をカバラという。予言者とはその叡智を悟った者を言う。彼らは進んで予言者になったのではない。絶対神から一方的にカバラを授けるに相応しい人物であると選ばれたのだ。

 絶対神から授けられる。それだけ大変な資質を有しているのだ。

 世の中には、自分こそカバラの習得者に相応しいと豪語する者がいる。絶対神から授けられていないにもかかわらずだ。彼らは間違いなく闇の世界に足を踏み込む事になる。

 カバラは魔法実践の書だ。一歩間違えれば悪魔の虜となる。カバラを実践する。必ずそこから生ずる霊気にとらわれる。”我欲”で実践する者は心のバランスを失う。悪魔に魂を売るか、身の破滅を呼び込むことになる。

 それ故、ローマ、カトリック教会はカバラを徹底的に排除した。ユダヤ教会は一般大衆から隠してしまった。キリスト・イエスはそれを公にする。弟子や授けるに相応しい者に習得させた。

 キリスト没後、原始キリスト教徒はカバラを携えてイスラエルを後にした。


 カバラを生命の樹という。その体系はモーゼによって完成されている。

――天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。死人の復活も、また同様である――新約聖書、コリント人への第1の手紙第15章。

 ここに出てくる日、月、星はカバラの至高世界、中高世界、下層世界に対応している。

 カバラ(生命の樹)は図表として知られている。3本の柱がある。右から慈悲の柱、真ん中が均衡の柱。左が峻厳の柱となる。

 3本の柱には10個の球体が付いている。右の柱には上から、2番のコクマー(知恵)、4番のケセド(慈悲)、7番のネツァク(永遠)

 真中の柱には、上から1番ケテル(王冠)、6番ティファレト(美)、9番イエソド(基礎)、10番マルクト(王国)が配置される。

 左の柱には、上から、3番ビナー(理解)、5番ゲプラー(神々しい力)、8番ホド(威厳)が続く。

 10個の球体は単数形でセフィラ、複数形でセフィロトと言われている。10個のセフィロトはモーゼが絶対神より授かった十戒が対応している。

 1番ケテル――わたしをおいてほかに神があってはならない。

 2番コクマ――あなたはいかなる像も創ってはならない。

 3番ビナ――あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

 4番ケセド――安息日を心に留め、これを聖別せよ。

 5番ゲプラ――あなたの父母を敬え。

 6番ティファレト――殺してはならない。

 7番ネツァク――姦淫してはならない。

 8番ホド――盗んではならない。

 9番イエソド――隣人に関して偽証してはならない。

 10番マルクト――隣人の家を欲してはならない。

 十戒は単なる戒律ではない。カバラ実践上、守るべき人間の行動規範として、セフィロトに表現しているのだ。

 カバラには、11番のセフィロトが存在する。真中の柱の3番ビナーと4番ケセドの球体の間に隠されたセフィロト、ダアトが存在する。ダアトは秘中の秘とされるセフィロトだ。

 ――また主なる神は、見て美しく、食べるに良い、すべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とを生えさせられた。――旧約聖書、創世記第2章

 イブが食べた善悪を知る木とは11番目のセフィロト、ダアト(知識)を暗示している。

命の樹(生命の木)=カバラの中に隠された球体、それが善悪を知る木なのだ。

 生命の樹のセフィロトはお互いに小径パスでつながっている。パスはぜんぶで32本ある。その中で重要なパスは22本。このパスは22枚のタロットカードに相当する。各パスは人間が進化の過程を歩む道筋なのだ。


 ――一応ここまでは判った――古川が沈痛な声を出す。冷めたコーヒーをぐっと喉に押し込む。

今、古川が調べた事は、カバラの本のさわり程度だ。カバラの知識は厖大な量になる。知識として理解するだけでも至難の技だ。

 たとえばケテル、第1のセフィラーと呼ぶ。

 ケテルの称号――王冠

 魔法のイメージ――髭を生やした古代の王の横顔

 木の上の位置――至高の三角形における均衡の柱の頂上

 ケテルの称号――存在の存在、隠れたるものの隠れたるもの、太古の太古、創造の日々、原初の点、円の中        心点、いと高きもの、巨大な顔、白い顔、存在しない顔

 神名――エヘイエー――、以下略

            ――神秘のカバラ――より――

 この本はユダヤの象徴体系、生命の木の解説書であり、実践カバラの入門書である。難解な文章が長々と続く。何を言っているのか、さっぱり理解できない。


 重ぐるしい空気を吹き飛ばす様に、志保が切り出す。

「私達の目的って何?」

波多と古川は顔を見合わす。波多家のお宝だ。それがどうしたと、志保を見る。

「カバラの図表に隠されたお宝を見つける事ね」志保の言葉に2人は頷く。

 志保の声が続く。

モーゼ5書はモーゼによって編纂されたと言われている。モーゼはカバラの体現者だ。カバラはモーゼを通じてモーゼの後の予言者に伝えられている。

 ではモーゼは誰からカバラを体得したのか。

――さて、レビの家のひとりの人が行ってレビの娘を娶った。女は身ごもって、男の子を産んだ――

 当時エジプトでは、イスラエル人の勢力が強くなっていたので、エジプト王パロはイスラエル人(ヘブル人)に男の子が生まれたら、川に投げ込んで殺せと命じていた。

 レビ人の娘は産んだ子を隠していた。3か月たって隠しきれずに、パピルスで編んだあし舟に赤子を入れてナイル川に流した。

 それを見つけて拾い上げたのがパロの娘。レビ人の娘の姉がパロの娘に近ずく。乳母として、自分の妹、レビ人の娘を紹介する。

 モーゼと名付けられた赤子は、生みの親の乳で大きくなる。パロの娘の子供として成長する。

 後年、モーゼはミゼヤンの地で祭司の娘を娶る。

「この話は旧約聖書の出エジプト記に出てくる話よ」

――モーゼは妻の父、祭司人からカバラを習得したと考えられるのだ――

 祭司の名をエテロという。エジプトの祭司と考えられる。エジプトは往古世界の中心だった。魔法の国でもある。イスラエル人やモーゼ達はエジプトの文化や文明の影響を受けていた筈だ。

「カバラの元はエジプトにあると考えたらどう?」

志保の結論だ。古川はすごいと感嘆する。志保は得意そうな顔をする。エジプトにカバラの原点が存在したのかどうか、3人そろって調べる事になる。


 3人は喫茶室で談笑している。そこへ船津ホテルの女将がやってくる。相変わらず縦縞模様の和服姿だ。きりっとして美しい。伊勢神宮で巫女さんをしていたという。姿形が美しい。

――6月一杯、逗留したい――波多は意向を伝える。

 6月23日まで、伊勢地方の各所を廻る。波多家のお宝は伊勢地方のどこかに隠されている。――3人の共通した認識だ。

 6月24日、伊雑宮の御田植祭を見る。船津ホテルの女将から、車が駐車できない程観光客が集まる。タクシーで行った方が良いとアドバイスを受ける。以前、御田植祭のビデオを見ている。それでも実際に目にするときの感慨は別だ。近隣からの信者が大半を占めるという。駐車場に満杯になった車、ナンバーは東京、大阪方面も多い。

 御田植祭で目に付くのが田に出す舟だ。船――契約の聖櫃アークである事は間違いない。その中に女装した男の子が乗る。幼児は神の化身だ。

――ひょっとしたら、男の子は絶対神ヤハウエ・・・――古川が呟く。

「えっ!」波多と志保は古川の意外な言葉に声を失う。


                   陰陽道の秘密


 平成18年7月。真夏の暑さに、家の中に閉じこもる日が多くなる。6月の末日、伊勢から戻ってゆったりと寛ぐ暇もない。

 古代エジプト文明とイスラエル人との関係を調べ上げる事になる。注意すべき点が1つ、カバラという言葉はエジプトには存在しなかったと考えられる。だが、カバラの元となる思想、遺物は”あった”と考えられる。


 7月上旬。波多家に1人の男が訪問する。半袖シャツにネクタイを締めている。屋外の空気は熱い。男は上品な顔立ちだ。清々しい表情をしている。髪を7,3に分けている。眉毛が濃い。

 玄関先で志保が対応する。男の差し出した名刺、賀茂商事代表取締役、賀茂光一とある。住所は東京。志保が要件を聞く。賀茂光一と名乗る男は船津ホテルの5階を借り切った者だと自己紹介する。

 玄関先で追い払う客ではない。志保は応接室に通す。波多は家の西側にある書斎にいた。志保からお客の名前を聞く。船津ホテルの女将は東京の某商事会社と答えている。波多は船津ホテルに電話を入れる。女将に女将に某商事とは賀茂商事の事かと問う。女将は解答を渋る。波多は賀茂商事の社長、賀茂光一とと名乗る男が来ていると告げる。女将はその方ですと答える。

 波多は対応する。賀茂商事の社長は礼儀正しい。応接室に波多が入る。賀茂社長はすくっと立ち上がる。深々と頭を下げる。波多も負けじと頭を下げる。応接ソファに腰を降ろす。同時に志保がお茶を入れる。

「船津ホテルの件、お世話になっています」波多は改めて礼を言う。賀茂社長は軽く頷く。

「今日は常滑まで、わざわざ・・・」志保が伐り出す。

「いえ、九州からの帰りでして・・・」

 賀茂社長の受け答えに淀みがない。以下賀茂社長の答え。

――賀茂商事は自分を含めて社員10名。貴金属、宝石の輸入を主業とする。そのために海外に出かける事も多い。国内でも、貴金属、宝石商社との取引が多い。伊勢、志摩へは真珠の仕入れでよく出かける。船津ホテルが常連宿となっている。

 3日前、九州、熊本に出かけた。帰りに名古屋の宝石店に立ち寄るつもりでいる。今日、中部国際空港に降り立ったばかりだ。

 船津ホテルに宿泊されているのはどのような方か、お会いしてご挨拶でもと思い立って立ち寄った。本来ならば電話で連絡でも入れるのが礼儀と心得るが、お留守なら、お住まいだけでも拝見させて頂こうと、お伺いした――

 賀茂社長は表情1つ変えない。涼しい顔で答える。

「1つお聞きしたい」波多は身を固くする。

「船津ホテルはあなたが借り切りにされたのですか」

「いえ、さる”貴い御方”のご意志によります」

・・・貴い御方・・・波多はオウム返しに答える。

 志保は波多をのける様にして身を乗り出す。

「その貴い御方、どこの誰かを教えてくれませんか」

 賀茂社長は薄笑いを浮かべる。志保を軽蔑しているのではない。自嘲的な、諦めにも似た笑いだ。

「私には貴い御方がどこの誰かは存じ上げあげません」

 それを知ろうとするのは厳禁なのだという。もし無理に知ろうとすれば、死を覚悟しなければならない。


 波多と志保はそれ以上の言及を避ける。これ以上の詮索は賀茂社長を苦しめるだけだ。

それに――、わざわざ訪ねてくれたお客に対して失礼に当たる。


 ――私・・・――賀茂社長は波多の顔をじっと見る。

「昔を遡れば、私とあなたは親戚でしてね」

 波多は驚く。志保と顔を見合わす。

 賀茂光一は京都の賀茂神社の出身だ。

 彼は波多夫婦に驚くべき秘密を述べる。天皇は神道界最高の祭司だ。天皇が行う祭祀を取り仕切るのは、過去、白川氏、大中臣氏一族だった。だがその裏では彼らを仕切る元締めがいる。遙か古代から連綿と天皇祭祀を支配してきた一族、――それが賀茂氏だ。

 京都の葵祭り――皇室から唯一祭りという言葉を許される賀茂神社だ。上賀茂神社、下鴨神社に分かれる。

 上賀茂神社は全国の一之宮を束ねる、高い格式を持つ。賀茂氏は忌部氏、中臣氏などの神道祭祀氏族の頂点に君臨している。


 道教思想――古くから日本に入ってきている。仏教伝来よりも古い。道教思想は陰陽道に発展する。賀茂氏は陰陽道を握ってきた。賀茂光栄、賀茂忠行、賀茂保憲と数多くの陰陽師を輩出している。

 10世紀、陰陽師安倍清明に陰陽道を伝授したのは、賀茂忠行だ。安倍清明は賀茂氏の出なのだ。安倍清明の母は浄瑠璃の世界では狐とされている。実際は賀茂氏の女だ。

 安倍清明の子孫は代々土御門氏を名乗る。賀茂氏が歴道、土御門氏が天文道を分担して継承することになる。


 賀茂神社に丹塗り矢伝説が伝わっている。

――賀茂建角身命には、玉依姫という娘がいた。ある時、玉依姫は瀬見の小川で遊んでいると、上流から丹塗り矢が流れてきた。娘はそれを拾い上げて、家に持ち帰り、床の間に差して置いた。それからしばらくして、玉依姫はひとりでに懐妊、1人の男の子を産んだ。

 父親の賀茂建角身命は当惑する。子供の父親が判らないのだ。子供が大きくなる。ある日の事、彼は7日7晩の祝宴を開く。その席で子供に父親は誰かと尋ねる。

 男の子は天を指指すと、そのまま天井を突き破って、天高く上って行った。

 丹塗り矢の正体は”火雷神ほのいかずち”だった。そこで、父の神の名にちなんで男の子を賀茂別雷命と命名した。

 上賀茂神社な賀茂別雷命が、下鴨神社には、母の玉依姫と祖父の賀茂建角身命が祀られている。父の火雷神は松尾大社に祀られる。

 松尾大社――秦都理の創建。宮司は代々、秦氏が勤めている。

 松尾大社の丹塗り矢伝説では玉依姫が秦氏の娘となっている。賀茂神社の葵祭りも本来は秦氏の祭りであったと伝承されている。

 秦氏の系統を綴った”秦氏本系帳”に上賀茂神社、下鴨神社、松尾大社をまとめて、秦氏三所神社と記録する。


 この時、古川が応接室に入ってくる。志保の連絡でやってきたのだ。古川は賀茂社長に、軽く頭を下げる。賀茂社長はソファから立ち上がる。深々と挨拶する。

「私達のパートナー、古川安男君です」波多が紹介する。

「私、こういう者でして・・・」賀茂社長は古川にすっと名刺を差し出す。ソツがない。

 波多は今までの賀茂社長の話の経緯を手短に話す。

 古川の飛び入りで話の腰が折れる。すかさず志保がコーヒーを入れる。

「賀茂さん、お時間の方は・・・」波多が探りを入れる。

時計を見る。午後1時半。

「お食事は?」と志保。飛行場で済ませてきたと賀茂社長。

「名古屋は、夕方、業者との懇親会でして」賀茂社長はさらりと受け流す。改まった表情になる。

「お三方が、太秦の秘宝をお探しの事、承知しています」


 室内に緊迫した空気が流れる。賀茂社長は、これから申し上げる事、我が家の伝承だと前置きする。

 我が先祖賀茂氏は秦氏の支族だ。それもレビ系秦氏だ。モーゼの跡を継いだアロンは直系のレビ人。その子孫はレビ人の中のレビ人である。神殿祭祀で、もっとも神聖な至聖所の奉仕を担っている。

 賀茂氏はアロン直系のレビ人だ。それ故天皇に代わって神道祭祀の一切を管理統括する事になる。

――天皇を裏で支えているのは秦氏なのだ――

 3人は賀茂社長の端正なかおだちを見ている。賀茂社長が驚愕の事実を口にする。

 陰陽師芦屋道満、日本霊異記等では安倍清明に対抗する悪者として描かれる。彼の名は秦道満。芦屋の名にあるように播磨国の出身。世に名高い陰陽師の多くは播磨国の出である。この国は秦河勝の出身地だ。

 陰陽師の支配頭の裏の名を漢波羅カンバラという。

・・・カンバラ・・・カバラ・・・。

 古川は眼鏡がずり落ちるのも忘れて、賀茂社長の口元を見詰めている。


                 道教の謎


 陰陽道は道教から派生している。道教タオの開祖は老子だ。彼は紀元前6世紀、楚苦県に生まれる。姓は李、名は耳で、李聃として知られる。”母の胎内に70年もとどまっていたので”生まれた時から年老いていた”という。やがて史家となり、周王朝の公文書を管理する史管に任ぜられる。

 周の君主たちは老子を評価していなかった。周が凋落の道を歩むと、老子は牡牛にまたがり、西方に向かう。途中、ある関所にさしかかる。関守(関令尹喜)が老子に、この世から隠遁する前に、老子に教えを請い求めた。

 老子は関守の請いに答えて、道徳経を書き著す。いずこともなく、立ち去る。

老子は160歳まで生きながらえたとも、2百歳以上の長寿を全うしたとも言い伝えられている。

 道教には実に沢山の仙人や神々がいる。現在でも中国、台湾、香港、シンガポール、マレーシアといった国では信仰が盛んだ。多くの廟が建てられ、道子(仏教の僧侶)が人々の願いを祈る。

 賀茂社長の説明が続く。古川は疑問を呈する。

 太一神が道教の神である事、天皇の称号は道教の神からとられている事、これぐらいの事は知識として知っている。日本にやってきた道教思想が陰陽道になったという事も理解できる。

 だが――、日本では道教はなじみが薄い。これはどういう理由によるものか。


 賀茂社長は話の腰を折られても嫌な顔をしない。古川の質疑に応える。

 道教を積極的に取り入れたのは秦氏だ。

秦氏――ユダヤ人原始キリスト教徒の信仰の根源はカバラだ。カバラを学び、カバラを体得する事、これがキリスト・イエスの教えの基本なのだ。

――、原始キリスト教の秘密とはカバラだ――

 秦氏は道教の根底にセム神秘主義カバラがある事を見抜いていた。神道の儀式、習慣に道教の影響がみえるのは当然だ。

 中国から伝承された道教は秦氏によって日本風にアレンジされていく。中国的な道教要素が見られないのはこのためだ。

 本来の道教は実に幅広い。四神相応、風水、奇門遁甲、易、正月行事、ひな祭り、七夕、七五三、これら民間行事はほとんどが道教に関係している。

 易の陰陽五行説、この世の全てを陰と陽に分ける。この二元説が日本に根付く。山岳修業を主眼とする修験道と呪術的な色彩を強める陰陽道が派生する。

 道教思想を根底とした陰陽道に原始キリスト教のカバラが加わる。それが神道という形で、日本に定着する。日本の陰陽道は神道に隠されたカバラを具現下している。


 日本に渡来してきた後も、秦氏は朝鮮半島や中国との交流を積極的に行う。遣隋使や遣唐使らのバックにいたのが秦氏だ。小野妹子、藤原葛野麻呂、空海、最澄、朝元、これらの人々は秦氏と関係が深い。

 賀茂社長の声に淀みがない。波多、志保、古川の顔を交互に見る。語り口は優しい。

 三人は黙然として耳を傾ける。彼らが知りたいのは、道教思想から陰陽道が生じたという事実だ。陰陽道にカバラがあるとは・・・。大きな衝撃を受けている。


 天皇の称号は道教の最高神の1人、天皇大帝に由来している。元来は北極星の神格化で、3世紀にごろに成立している。

 准南子では天皇大帝の前身を、紫微宮に棲む太一神と称している。

 太一神は、伊勢神宮別宮の伊雑宮の御田植祭に用いられている。また伊勢神宮の遷宮に伴う用材の運搬には大一(明治までは太一)と印した旗を掲げる。

 天皇の称号が日本で使われるようになったのは、八世紀末の天武天皇の時代からだ。天武天皇は天文、遁甲をマスターし、道教の占星台の造営や道教の神の風神を祀るための社も建立している。

 天武天皇の諡は、天渟中原瀛真人あめのぬなはらのおきのまひとという。瀛真人とは道教の高級神仙を意味する。

 唐の高宗皇帝は熱心な道教信者であった。彼は生前自らを天皇と名乗っている。天武天皇は高宗皇帝と同時代に活躍している。遣唐使を通じて道教思想を取り入れている。

 ちなみに、瀛は蓬莱、方丈、瀛州という道教三神山の1つである。真人は仙人を指す道教用語だ。

生前、天武天皇は、自ら八色の姓制度を定めている。この最高位に真人の称号を置いている。

 皇室の三種の神器も道教の影響がある。道教では宇宙の最高神と地上の最高権威を直結させる象徴的な神器がある。鏡と剣だ。後世、三という数字が神格化していく。勾玉が三種の神器に加えられる。


 賀茂社長がいったん口を切る。

「質問があります」タイミングよく古川が挙手する。

「何でしょう」賀茂社長がコーヒーを口に入れる。

――話していいか――古川は波多と志保に同意を求める。

 古川は今までの経緯を述べる。太秦の秘宝は神との契約の聖櫃アーク、伊雑宮を起点として、伊勢のどこかに秘匿されている。それを解く鍵はカバラにある。ユダヤ神秘思想――カバラはエジプトが発祥と推察している。

――陰陽道は道教から派生したとおききしました――その事は理解できたが――カバラについては何も語られない。古川はカバラの図形を応接机の上に広げる。

 賀茂社長はにこやかに笑う。

「これはユダヤ神秘思想のカバラの図形ですね」

 賀茂社長は3人の顔を代わる代わる見比べる。カバラは時代、国と共に変化する。インドではヨガの体系としての7つのチャクラとして知られる。

 道教では唐の時代に描かれた、伏羲と女媧がある。2人は蛇身人頭の姿で描かれる。

イエスキリストが十二使徒に説いたカバラ、その教えがそのまま日本に伝わっているとは考えにくい。そのままの姿で今日まで伝わる事はまずない。

「それじゃ、カバラは・・・」古川は落胆を隠さない。エジプトまで遡るのは無駄なのかと問う。

 賀茂社長は笑顔を絶やさない。無駄どころか大いに意義がある。カバラとは何か、その本質を見極めるためにも、原点に立ち返ることは大切だ。


 ――1つヒントをお出ししましょう――

賀茂社長は貴き御方から許可を得ていると、強調する。

・・・エジプトの三大ピラミッドはカバラです・・・

 3人は唖然として息を飲む。


                   ピラミッドの謎


 わざわざ常滑に立ち寄った賀茂商事の社長に謝意を表する。賀茂社長が帰った後、3人はピラミッドについて調べる。ピラミッドに関する本は沢山ある。だが、ピラミッドをカバラと言い切る本は一冊もない。インターネットで検索しても見つからない。


 平成18年7月下旬。波多夫婦、古川の3人は名古屋から新幹線に乗る。東京に向かう。前日、波多は大沢忠一の事務所に電話を入れる。彼はタロットカードを教えた先生だ。

――カバラとピラミッドの関係を教えてほしい――

 波多はピラミッドはカバラではないかと考えているが、大沢先生のご意見を伺いたいと迫る。

 ピラミッドはカバラだ――大沢忠一は明確に答える。明日夕方なら自宅にいる。東京まで来れるかと問う。波多は了解する。

 東京へは波多1人で行くつもりだった。真っ先に志保が反対する。自分もついていくという。波多は迷惑そうな顔をする。内心、たまには1人で羽を伸ばしたい。波多の心の内は志保に見抜かれている。

「絶対ついていくから!」志保のきつい声。

「それなら俺も・・・」古川が相乗りする。


 大沢忠一の自宅は東京都新宿区百人町。東京駅から山手線に乗り換える。新大久保で降りる。駅前を北に向かって百メートル歩く。西に左折する。中央総合病院の西隣りの新宿グランドマンション。10階建ての建物だ。相当古い。

 大沢忠一は名古屋で生を享ける。幼い頃から俊才の誉れ高く、学校の成績は常にトップだった。名古屋の国立大学に入る。大学院も首席で卒業。請われて、同大学に講師として席を置く。将来は当然教授との評判が高かった。

 30歳の時、大学の職を辞す。評論家としての道を歩む。40歳で東京に移る。西洋神秘思想の第1人者だ。数々の書籍を発表している。

 波多は大沢主催のタロットカードの講習を受ける。名古屋の友人の紹介による。

 キリストに子供がいたという話は大沢から聞いている。ダビンチコードで一躍有名になる。大沢はこの説は古くから知られているので、別に目新しくないという。

 カバラ=ピラミッド、この説は一般に流布していない。大沢なら知っている。波多の読みは当たった。


 山手線新大久保駅に着いたのは、午後4時。大沢の携帯に連絡を入れる。5時にはいるという。波多達は大沢に言われた通りの道順で歩く。新宿グランドマンションはすぐ判った。周囲は公務員宿舎、スポーツ会館、ホテルなどが林立している。新宿グランドマンション近くのビジネスホテルに向かう。大沢からの紹介だ。予約を入れてある。5時まで落ち着く。


 5時10分、大沢から今帰宅したとの連絡が入る。3人は大沢のマンションに出かける。最上階だ。建物は古いがしっかりとした造りだ。中も広い。北側の玄関を入る。廊下は半間の幅、圧迫されるような感じだ。廊下の突き当りがダイニングキッチン。16帖の広さ。

 大沢は今年還暦を迎える。独身。年の割には若く見える。黒々とした髪、金縁の眼鏡が上品な顔立ちを引き立てる。面長の知的な風貌だ。

「波多君、元気そうね」気さくな性格だ。

 波多は妻と古川を紹介する。

「大沢先生、相変わらずお忙しそうで・・・」

 大沢は中肉中背。若い頃にラグビーで鍛えた体だ。背広姿からでも逞しさが想像できる。

「貧乏暇なしでね」如才がない。

――歳はとりたくないね。お腹が出てきてね・・・――

 大沢は3人を食卓のテーブルに座らせる。ダイニングキッチンの棚からコーヒーカップやインスタントコーヒーを取り出す。湯沸器からコーヒーカップに熱湯を入れる。

「一人暮らしだから碌な接待も出来ないよ」

 コーヒーカップをテーブルに置く。

 大沢が着座する。

「これ、お土産ですが・・・」波多は志保に促されて、紙袋で梱包した小箱をテーブルに乗せる。

「常滑の、朱泥の急須セットです」

「こりゃ、こりゃ・・・」大沢は目を細める。ありがたく頂戴する。

「ところで先生、お食事は・・・」波多が気を使う。

 大沢は、近くに美味い中華飯店がある。7時頃食べに行こうと切り出す。

「お部屋きれいですね」志保が尋ねる。男1人暮らしにしては掃除が行き届いている。キッチンに生ごみもない。

 玄関からダイニングキッチンまで廊下でつながっている。その両側に4つ、部屋がある。柾目模様のドアで仕切られている。部屋の壁紙も柾目模様だ。

――縦じまのこういう模様が好きでね――大沢の言葉だ。


 コーヒーを飲みながら、大沢は口を切る。天井の照明灯が金縁眼鏡に反射する。

「ピラミッドについて知りたいとか・・・」

「カバラは先生のご専門とか・・・」古川が質問する。

「ピラミッドがカバラそのものという説があるそうですが」古川が畳みかける。

 大沢忠一の目がキラリと光る。

・・・どこで、その説をしったのか・・・波多は大沢から質問されるかと思った。

 大沢は黙然とする。コーヒーを飲み干す。

「ピラミッドがどうして作られたのか」

 数々の伝説がある。エジプト王の墓説、クス王の三大ピラミッドについては、その説は現在は否定されている。

 最近話題になったのは、三大ピラミッドとオリオン星座との関係だ。

オリオン星座の3つの星、アルニタク、アルニラム、ミンタカ、これらの星がギザの三大ピラミッドと位置、大きさまで見事に一致する。王の間の南の孔からオリオン星座が見える。

 オリオン星座の3つの星信仰はエジプトで始まった。日本の住吉大社の祭神はオリオン星座の3つの星を神格化している。

 古事記に、イザナギ命が冥府から戻る。彼は海で禊をする。水の底から底筒之男神、中筒之男神、表面から上筒之男神が誕生する。この3神が住吉大神。万葉集で星を夕づつと表現する。筒とは星を意味する。オリオン星座だ。

「君達は知っているかね」大沢は少々脱線するがと断る。

 伊勢の内宮、外宮は、元は正殿が3つあった。

「まさか!」波多と古川は絶句する。志保は瞬きをわすれている。

・・・そんな事、信じられない・・・3人の表情だ。

 大沢は淡々と語る。

「三井財閥を知っているね」大沢は3人を見る。

三井家はその昔、伊勢の松坂で酒造業を営んでいた。1673年、4男の三井高俊は江戸へ進出。呉服店、越後屋を開店。彼が崇敬した神社が三囲神社(三圍神社)だ。

 三井家は京都でも呉服物仕入れ店を開業する。呉服に関係の深い神社、養蚕神社、通称、蚕の杜、木嶋坐天照御魂神社の摂社だ。ここは三柱鳥居で有名だ。

 古代、殖産豪族として知られていたのが三井氏だ。賀茂氏が神道を支配する。同氏族の三井氏は伊勢神宮を財政面で支えてきた。

 財団法人”三井文庫”その中に伊勢両宮の図がある。昔の内宮、外宮が鳥観図のように描かれている。

 内宮、外宮がそれぞれ正殿が斜めに3つ並んでいる。この配置はギザの三大ピラミッドそのままだ。

「3つの正殿はオリオン星座の3つ星を模している」

 起源はエジプト。この3つというのは、もう1つの隠された意図がある。

 大沢はつっと立ち上がる。玄関寄りの部屋に入る。一冊の本を持って出てくる。テーブルの上に本を拡げる。

「君達の知っているカバラだ」大沢はカバラ、生命の樹の図表を見せる。ギザの三大ピラミッドは三柱、慈悲の柱、均衡の柱、峻厳の柱を表している。

「大沢先生、ピラミッド=カバラというのは?」少々気の短い志保、結論を急ごうとする。

 大沢はクス王のピラミッドの断面図を見せる。回廊や王の間や王妃の間がある。

「まず地下の間は星の栄光と下層世界を表す」大沢はタロットカードを取り出す。カードのⅠからⅦまでがこれに相当する。人間界だ。

 王妃の間には月の栄光で中高世界、タロットカードではⅧからⅠⅩまでのカード、天使界。

 最上階の王の間は太陽の栄光を表す。至高の世界だ。タロットカードではⅩⅤからⅩⅩⅠまでのカード、神々の世界だ。

「真のカバラとはね」

 大沢は講義が得意だ。話術もいまい。話に熱が入る。

 ギザの三大ピラミッドの内の第一ピラミッド。王の間は重力拡散の間ともいわれる。フタのない石棺が置かれている。重力拡散と言われる数々の石板。頂上に切妻型の石板が置かれる。その下に5つの石板が積み重ねられる。その下に石棺が置かれる。

「いいかね、これは古代のカバラ、生命の樹だ」

 生命の樹は3本の柱とセフィロトの球体が10個。隠されたダアトを含めて11個のセフィロトがある。重力拡散の間を横から輪切りにする。そこに11個の石板が浮き彫りになる。

 1番下のセフィロトつまり10番のマルクトに対応するのが玄室の石板。9番イエソド、6番ティファレト、ダアト、1番ケテルが重力拡散の間の床石となる。8番ホド、7番ネツァク、5番ゲプラー、4番ケセド、3番ビナー、2番コクマーが、重力拡散の間の各階の支え石に対応する。

 重力拡散の間のの最上部の床石には支え石がない。ピラミッド本体が支えとなって、独立している。これに天井の3角形(切妻屋根型)の部分を加える。3角形の空間だ。ここは生命の樹の至高世界となる。この空間は絶対神の目を象徴している。

 アメリカの1ドル札の裏に、ピラミッドが描かれている。その上部に光る三角形が浮かんでいる。三角形の中から目がのぞいている。この目は絶対神ヤハウエなのだ。

 古代エジプトは唯一絶対神を崇拝している。絶対神の側面から太陽三神が派生する。生命の樹は絶対三神となる。

 ラー=天空の太陽(中央の柱)

 アトウム(アトン)=日の出の太陽(右側の柱)

 ケプリ=日没の太陽(左側の柱)

 絶対三神から多くの神々が誕生する。エジプトは多神教だ。本質は唯一絶対神から産まれる。

どの宗教にも根底にはカバラがある。三神ワンセットで祀られる事が多い。

 エジプトで最も知られた三神、オシリス、イシス、ホルス。エジプト神話ではオシリスとイシスは兄弟であり、夫婦でもある。ホルスは2人の間に出来た子供。三神が祀られる時は、真ん中がオシリス、右側がイシス、左側がホルス。この配置は不変だ。これも生命の樹となる。


 大沢の口調に淀みがない。彼は講師だ。波多達三人を生徒として扱っている。三人は魅入られたように大沢の口元を見詰めている。

・・・すごい・・・古川の感想だ。

 大沢は西洋神秘思想の大家だ。喋っている話は、彼の知識のほんの一端でしかない。

 話し終わって、大沢は三人を見る。

「カバラを知り尽くそうと思ったら一生かかる」それだけカバラの知識は厖大だ。その深慮な知恵は海よりも大きいし、深い。

「カバラとはね・・・」

 大沢は一息つく。

「人間そのものなのだ」

 人間は宇宙の縮図と言われる。カバラは人間が神へと進化していく、絶対不変のマニュアルなのだ。

・・・話がややこしくなってきた・・・波多は一歩退こうと身を引く。

「もう1つ、ピラミッドについて付け加えておく」大沢は瞠目すべきことを語り出す。


 古代の聖数は四、ピラミッドの基盤(四角形)は四つの徳、沈黙、深慮、知性、真理を表している。また、南は寒さ、北は熱、東は光、西は暗黒を表す。

 ピラミッドはカバラ、人体を象徴化している。地下道と地下室は人間の生殖機能を示している。王妃の間は心臓、つまり情緒性を示している。王の間は頭部。

 5つの未完の部屋がある。それと王の間は肉体の松果腺に対応する。控室は視床下部。王の間は脳下垂体、つまり意識の座を示す。大回廊は甲状腺、王妃の間への通路は副甲状腺、王妃の間そのものは胸腺、王妃の間の床は脾臓、大理石の栓は膵臓を表す。洞窟は肝臓を示す。3つの通路の結合点は太陽叢、降り道は副腎、地下室は尾骶腺を、立抗は性腺、つまり生殖器官を表しているのだ。

 大沢は自分の声に酔ったように話している。物に取り付かれたような表情で喋る。

 ピラミッドには秘密の入り口がある。秘伝伝授の求道者が秘儀を受けるためにピラミッドに入った。

モーゼ、イエスもそうだ。イエスをピラミッドに導いたのは、失われた十支族レビ人。新約聖書マタイ伝の冒頭に登場する博士たちだ。彼は占星術の達人で、イエスの誕生を予言している。イエスの誕生後、イスラエル神秘主義カバラを伝授している。エジプトにイエスを導く。

 ピラミッド内、王の間の石棺で一夜を過ごす。この間、恐怖心や肉体的な欲望を抱いた時、その肉体は抹殺される。

 石棺に横たわる。これは肉体と霊体の死だ。石棺から無事出た時、肉体と霊体の再生となる。つまり神の領域に足を踏み入れた事を暗示している。

 モーゼ、イエスは数々の奇跡を行う。彼らは人間でありながら霊的には神と同格なのだ。


 大沢は一息つく。志保がキッチンでお茶を入れる。大沢はお茶を飲むと、我に還ったような顔になる。

「先生」古川が声を出す。

 ピラミッド=カバラについて大体判った。カバラは人間が神へと進化するための修行方法の解説書という事も・・・。

「実際にどのように修行するんでしょうか」

 大沢は目を瞑る。しばらくして口を開く。

「答えはない!」声に力がない。

・・・ない、というより、あったとしても答えられないというか・・・波多は古川を見る。お互い頷き合う。

「どうしても知りたければ、ハタヨガに関する本を読みなさい」


 大沢は質問には答えたという顔をする。ピラミッドに関してはまだ沢山の証がある。今答えたのはそのほんの一部にしか過ぎない。

「さてと・・・」大沢は腕時計を見る。7時を過ぎている。近くにある中華料理店に行こうと波多達を誘う。

 中華料理をつつきながら、大沢の講釈が続く。

――カバラはそれに一生をかける事の出来る人。カバラを学ぶにふさわしい人のみに伝授される。その後、教えられた原理に従って、瞑想修行する。その後カバラの秘儀が伝授される。ピラミッドの石棺に横たわるにはそれからなのだ。

 モーゼはエジプトの祭司からカバラを伝授される。エジプト脱出後、カバラの秘儀はアロンに伝えられる。アロンから次の予言者へと口伝で伝えられた。

 その後、カバラは書き留められる。祭祀族レビ人に伝えられる。イエスが最後のカバラ伝授者となる。以後、カバラの本質はエルサレム教団、失われたイスラエルの十支族のレビ人のみに伝承されていく。


 大沢は美食家だ。よく食い、よく飲む。会食は9時にお開きとなる。

波多達は中華料理店で大沢と別れる。一泊後、常滑に帰る。


                      ヨガの真実


 東京から帰って、反省会を行う。応接室でコーヒーを飲む。朝9時。

「カバラって難しいのね」志保が声をあげる。

 カバラはエジプトを起源とする。波多達の考えだった。大沢はそれを言下に否定した。カバラは人類の起源と共にある。

 中華料理店での大沢の独演会。ビールを飲みながら、よく喋る。波多達は専ら聞き役に回る。

ギザの三大ピラミッドはエジプト人が造った物ではない。1万数千年前、大西洋にアトランティス大陸があった。それは1夜にして海底に沈む。難を逃れた人々によって建てられた。

 酔いのせいもあろうか、大沢の話はファンタジックじみてくる。彼の専門は神秘思想だ。話は面白いが、現実離れしている。

 ユダヤ神秘思想のカバラ、古代エジプトのカバラ。その相違を聞きたかったが、大沢は多くを語らない。

「東京まで行って、無駄骨だったかな」と波多。彼は1人で東京へ行くつもりだった。2,3日いて、東京の夜の街を徘徊する予定だった。そんな下心を志保に見破られる。これ以上いても収穫なしと見た。早々に帰郷した次第だ。

「そうでもないさ、参考になる事が色々あった」古川の答えはいつも生真面目だ。

 インターネットでヨガを調べる。これはという本を購入する。


 平成18年8月。異常なほど暑い日が続く。地球温暖化と騒がれて久しい。波多はそんな事には無頓着だ。彼はドライブが好きだ。近頃志保に嘘をつくのがうまくなった。ちょっと、どこどこに買い物に行ってくる。1,2時間ぐらいで帰ってくる。志保のご機嫌を損ねないように出かける。

志保は波多の放浪癖を知っている。何せフーテンの寅さんだ。家の中に”監禁”ばかりしておくのも可哀そうだと思っている。時には鳥籠から出してやらないと・・・。

 ただし、甘い顔はしない。どうせ嘘だと判っている。

「早く帰ってきてね」しぶしぶ認める。

「ついでにこれ買ってきて」用事を押し付ける。


 ドライブ、と言っても長距離ではない。半田、長浦、大府周辺まで。片道で30分から1時間ぐらい。ぶらりと出かけて、ぶらりとかえる。途中喫茶店でコーヒーを飲む。それ以上何もしない。

 志保が大目に見ているのも、その辺の事を理解しているからだ。

――今日は何処へ行こうか――久しぶりの外出だ。波多の心は浮き浮きしている。

 半田から東浦に出る。大府に回る。刈谷の町を通って高浜へ行こうか。喫茶店に寄って、所要時間は3時間。志保に頼まれた買い物は半田のスーパーですます。

・・・時には独身気分もいいものだ・・・

 波多は鼻歌まじりでハンドルを握る。車はトヨタの高級車レクサスだ。半田の乙川から東浦の町に入る。東浦の旧市街地には、紡績工場の建物が点在している。道路も狭い。道路の拡張が難しい。発展性がない。商店街も活気がない。

 東浦の郊外、大府市に近づく。東浦役場を中心にして、宅地開発が進んでいる。大型ショッピングセンターがある。新しい住宅が色鮮やかな屋根を見せている。

 大府市に入る。大府も刈谷市に近い方に宅地開発が進んでいる。大府市の繁華街の手前で南に曲がる。

 ものの5分も走ると刈谷市内に入る。高浜も刈谷に近い程工場群が建ち並ぶ。製材工場が多い。道路は衣浦湾に沿って走る。吉浜町に入る。吉浜人形店の前を通る。大きな店だ。五月人形で有名だ。

 しばらく走る。高浜市役所前を通過する。ここから約5百メートル内は旧市街地だ。街並みも古い。商店街が軒を連ねる。

 10年前、ここを通った事がある。百メートル程先が十字路になっている。そこを左折する。10メートル程行くと、映画館があった。戦前に建てられたような古い建物だ。当時、日活ロマンポルノを上映していた。駐車場が広いし、人通りも少ない。2,3回入った事がある。

・・・映画館があったら、入ろうか・・・懐かしさと好奇心が交差する。志保の怖い顔が眼にチラつく。

 そこはスーパーに変わっていた。何故かホッとする。10メートル程行く。車が3台止まれる喫茶店がある。随分古い建物だ。2階建てで、2階の雨戸が閉め切ってある。入り口は片引きのドアだ。窓がドアの両側にある。

・・・入ってみようか・・・腕時計を見る。家を出たのは昼の1時。今は2時だ。4時までに帰れば、志保の頭から角は出ない。志保の気性は飲み込んでいる。

 ドアを開ける。1メートル先にカウンターがある。店内の左側奥はベニヤ板で仕切られている。丁度窓の所まである。客席が2つ。雑誌が無造作に置いてある。

 右側に眼をやる。テーブルが4つ。一応掃除はしてあるとみる。テーブルも椅子も古い。骨董品店で買ってきたのでは・・・。思わず想像してしまう。

「いらっしゃい」カウンターの奥から声がかかる。出てきたのは老婆だ。白髪で顔に深い皺が刻まれている。柔和な表情だ。

 波多はコーヒーを注文する。窓際に腰を降ろす。壁紙が日に焼けたように煤けている。何かの絵のようだが判然としない。

 おしぼりと水が運ばれてくる。水は生ぬるい。おしぼりで顔をふく。コーヒーが運ばれてくる。新聞がない。所在なさそうに窓の外を見る。遠くに眼をむける。青や赤、茶色の瓦が山と積まれているのが見える。

・・・高浜は瓦の産地だったな・・・

 この時3人の老人が入ってくる。波多の隣の席にどっかと腰を降ろす。3人とも半袖の作業服を着ている。1人はハゲ、2人は白髪。

「トメさん、3人ともレイコね」声が図太くて威勢がいい。

「今日は収穫があったな」1人がデジカメをテーブルに置く。

「源さん、写真出して」「信さん、豊田はどうだ」3人ともにぎやかだ。

 老婆がアイスコーヒーとおしぼりを持ってくる。

「信さん、連れが亡くなって何年になるだね」

老婆はハゲに声を掛ける。自分も椅子に腰を降ろす。

 波多は4人の老人の話ぶりに見入っている。1人がテーブルに地図を拡げている。1人がカラープリントの写真をテーブルに載せる。

「古い町並みがなあ、だんだんと少なくなってなあ・・・」捜すのが大変だと言う。

「これは、この前、碧南で見つけたやつだわ」

 波多は見るともなしに写真を見る。

・・・お地蔵さんか・・・

「何をなさっているんですか」波多は興味を覚える。4人のお年寄りの気楽な会話だ。すっと声が出る。

 4人の顔が波多に集中する。

「これ?」カラープリントの写真を拡げた1人が答える。

「道祖神ですわな」

 ハゲの年寄りが説明する。昔の集落の道や辻などの古い石碑を見る事がある。三叉路か十字路などに、石像の形で祀られる神だ。古い時代には男女一対を象徴するものが多い。村の守り神、子孫繁栄、旅や交通安全の神として信仰されている。道祖という言葉はすでに平安時代に表れている。

 道祖神と石碑に銘を彫ったもの、地蔵さん、道教の影響から陰陽の文字を入れたもの、男女一対のほほえましい彫り物、餅つきと称する男女の性合を象徴したものなど数が多い。

「高浜なんか、町の古いとこは、一杯あるんだわ」写真を見せながらの講釈だ。1週間に一回はここに集まる。4人とも人間が古い。この近辺の古い町の事は知り尽くしている。古い道を丹念に歩く。石碑や石像が見つかるとデジカメに納める。

 自分達の趣味を興味を持って聞いてくれる。それが嬉しいのだろう。代わる代わる、小鳥の囀りよろしく話しかけてくる。

「これなんか、ほら・・・」1人がA4の大きさの写真を見せる。

 一対の男女が顔を合わせている。相当古いのか、鼻や眼が擦り切れている。判然としない。体は蛇だ。絡み合った形をしている。

――これは・・・――

 中国神話に出てくる人類の始祖伏羲と女媧ではないか。2人とも人頭蛇身の姿だ。ヒンズー教のナーガとナーギ。日本神話のイザナギ、イザナミのルーツともいわれている。

「写真1枚、売ってくれませんか」波多はせきこんで頼み込む。

「余分にあるから、1枚あげるよ」ハゲは気前がいい。

 波多は写真を貰うと、古川の携帯に電話を入れる。

――人頭蛇身の伏羲と女媧は日本にもあった――波多は自分の手柄を熱っぽく語る。そんな波多を老人たちは無視する。4人だけで談笑する。

 電話口の向こうで、古川の声は冷淡だ。

・・・そんなこと、知っているよ・・・そんな雰囲気だ。

「お前、どこから電話しているの?」古川の不審そうな声。

「えっ!」面食らう波多。

「にぎやかな声が聞こえてくるからさ」

 志保に買い物を頼まれた。そのついでに高浜まで足を延ばした。波多は久し振りのドライブだと答える。


 夕食後、波多は志保に書斎に呼ばれる。

「古川さんから聴いたわよ、高浜まで行ったって・・・」

波多は言い訳が出来ず、口をもごもごさせる。

「私をダシに使わないでね」

 波多がちょっと出かけるからと言うから、買い物を頼んだのだ。怖い顔で波多を睨みつける。波多は必死になって志保のご機嫌を取る。古川が風呂に入っている。そのすきに、志保は波多にお灸をすえたのだ。波多はますます志保に頭が上がらなくなった。

 午後7時、応接室で古川の講義が始まる。

――題してヨガの真実――

 ヨガはカバラだ。古川の第一声だ。

 ヨガの発祥はインドと言われている。沢山のヨガがある。

1、ラジャーヨガ=精神集中、瞑想修行を主体とする。

2、カルマヨガ=因縁を解くことを主体とする。

3、ジナーナヨガ=叡智の獲得を主体とする。

4、ハタヨガ=肉体の訓練を主体とする。

5、ラヤヨガ=超能力の獲得を強調。

6、バクティヨガ=神への愛を強調。

7、マントラヨガ=真言を唱える。

 ラジャーヨガはムヤクラへの精神集中を行い、それを目覚め指す。ラヤヨガは独特のクンダリニー開発法を持つ。

 チャクラとは肉体と霊体を結んでいる鍼灸のツボのようなものだ。肉体から霊体、又はその逆にエネルギーが流れていく場所だ。一般的に7つあると言われる。7つのチャクラは絶えず回転している。その開口部へ高い次元の世界(神の世界)からエネルギーが絶えず流入している。

 まずは尾骶骨にあるのがムーラダーチャクラ。

 脾臓の上にあるのがスワデスタナチャクラ。

 臍部、太陽神経叢上にあるのがマニプラチャクラ。

 心臓に位置するのがアナハタチャクラ。

 咽喉のチャクラがビィシュダナチャクラ。

 眉間部がアジナチャクラ。

 頭頂部がサハスラチャクラ。

 7つのチャクラを繋ぐ一本の管がある。スシュムナー気道という。眼に見える管ではない。その両側にイダ、ビンガラの2つの気道が存在する。スシュムナー気道はムーラダチャクラの下に眠っている大地のエネルギー=クンダリニーと言われる。

 ヨガの修行で7つのチャクラが覚醒した時、あるいは何らかの衝撃でスシュムナー気道を目覚めさせたとき、そこに眠るクンダリニーのエネルギーが上昇をはじめる。

 7つのチャクラを下から1つずつ刺激していく。イダとビンガラの気道を交互に交叉していく。その様は、蛇が鎌首をもたげて、どくろを巻くようにして上昇していく。

 クンダリニーのエネルギーは体が焼ける様に熱い。間違った修行法でクンダリニーを上昇させてしまった場合、実際に肉体が焼けて死ぬと言われる。

 クンダリニーが頭頂のサハスララチャクラを突き抜けて空中に解放される時、人間は神になる。クンダリニーの上昇で各チャクラが完全に覚醒される。その時、色々な超能力が体得される。


 古川はここで言葉を切る。度の強い眼鏡をたくし上げる。波多と志保は神妙な顔付で聞き入っている。今日の波多は借りてきた猫のように大人しい。

 古川はコーヒーを飲む。

「志保さんの飯やコーヒーは本当にうまい!」古川は機嫌がいい。

「カバラのセフィロトは隠されたものを含めて11ある」

 古川はカバラの図とチャクラの図をテーブルに並べる。チャクラは7つ。8つあるという説もある。基本的には7つだ。セフィロトは11。

 まず3本の柱。右の慈悲の柱はビンガラに相当。左の峻厳の柱がイダに当たる。中央の柱がスシュムナー管。

 問題なのは、11個のセフィロトがどのチャクラに対応するかだ。10番目のマルクトがムーラダチャクラに相当するなら、頭頂のサハスララチャクラが1番目のケテルに当たるとみるのが妥当だ。

「ユダヤ神秘のカバラが日本にやってきた。それがどのように形を変えたかを調べている」

 古川はカバラは奥が深すぎてよく判らないと、バンザイする。

「古川、ヨガの修行で得られる超能力って何?」

 波多は超能力という言葉に弱い。超能力を使えれば楽して生きていける。ぜひ手に入れたい。

 古川は至極真面目な顔で聞いている。ヨガの資料を開く。ムーラダチャクラの覚醒法、古川の棒読み。正座の姿勢をとる。眼と意識を鼻端に集中する。これを約20分続ける。次に会陰に意識を集める。会陰をゆっくり収縮、弛緩を繰り返す。

 このチャクラが覚醒するとすべての病から解放される。気力が充実する。霊視、霊聴能力が目覚める。幽霊が見えたり、人の声が聞こえたりする。ただし抑圧されていた感情が解き放たれるので、心が不安定になる。

「次に眉間、アジナチャクラ」古川の声は素気ない。このチャクラが目覚めると、自分の前世、今世、来世の全てが見通せるようになる。他人の人生も判る。霊が見える。人の心を読む。人の病気を治せる。

「古川、超能力を獲得するにはどれだけの時間がかかる?」他のチャクラの説明がない。それはそれでよいとして、1~2年で超能力者になれるなら、修行するのも良いかと考える。

「波多、妙な事考えるなよ」古川が諭す様に言う。ある霊能者の書いた本によると、人間が神に進化するのに生まれ変わりをして約1億年かかる。ヨガを続けていると約1万年で済む。

「あなた、変な事考えないでね」志保が釘をさす。

「ヨガの真実とはね・・・」古川が結論を言う。

 心を神に向ける。毎日、祈りや呼吸法、マントラを唱える。日々平安を願うための方法だという。


                    神社の秘密


 超能力――この言葉の響きに、波多の心は騒ぐ。チャクラの開発方法について、もっと聞きたかった。残念な事に古川や志保は興味を示さない。

 2人の専らの関心ごとは、ユダヤ神秘思想のカバラが日本でどのように形を変えたかだ。

 数日後、波多はヨガの資料を古川から借りる。書斎に閉じこもる。丹念に読み通す。

「コーヒー淹れますね」志保の大きな眼が輝いている。夫が家に閉じこもる。熱心に資料や本を読みふける。志保は機嫌がいい。

――チャクラが覚醒する事で得られる超能力――

 水の上を歩く。空を飛ぶ。地中の金銀などの鉱石を知る。空中から物体を取り出す。その他・・・。

・・・まるでキリストの奇跡だ・・・

 聖書を読むと、死人を蘇生したり、水の上を歩いたりする。空中から魚やパンを取り出して、聴衆に分け与えたりする。

 モーゼもエジプトで数々の奇跡を行っている。

最大の奇跡は海を2つに割った事だろう。

――モーゼが手を海の上に差し伸べたので、主は夜もすがら強い風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた・・・モーゼが手を海に差し伸べると、夜明けになって海はいつものの流れに返り・・・――

                                (出エジプト記21章)

 海とは紅海と言われている。海が2つに割れる。乾いた大地が現れる。人々が底を歩いて渡る。

聖書に夜もすがらとある。夜明けになって、海はもとの流れになったと記している。

 海の水が割れたのは一晩中という事だ。1時間や2時間の話ではない。エジプトを出たイスラエルの民は数十万人に及んだはずだ。あるいは数百万人か・・・。

 海とあるからにはこちらの岸からあちらの岸まで歩くのに長い時間がかかったはずだ。それに大群衆だ。

モーゼのこの奇跡を自然環境、海の潮汐現象とする説がある。潮汐現象は1日に2回生じる。ただし干潮から満潮に転ずる時間は1時間もない。

 イスラエルの民が海を渡った時間は夜から明け方まで約12時間かかっている。そんなに長い干潮はどの地域にもない。

――絶対神ヤハウエの力を借りたモーゼの超能力――

 ギゼの大ピラミッド内の壁にはヒエログリフ(象形文字)は一切見当たらない。大沢先生の言う様に、ピラミッド=カバラとするなら単なる象徴としてのカバラではない。実践としてのカバラではないか。

 エジプト文明が始まる以前、選ばれた者のみがピラミッドの中でカバラの修行を行っていたのではないか。ヨガの修行で1万年かかる。それを生きている間に、神人としての超能力を体得する。後世、ピラミッドの秘儀は隠される。モーゼやイエスのような神人合一を果たす資格のある者のみが石棺に横たわる。


 蛇――クンダリニーの象徴だ。蛇がどくろを巻いて上昇する様子は世界中の宗教に秘伝として見られる。波多が高浜の喫茶店で見た伏羲と女媧、イダとビンガラから交互に上昇するクンダリニーを2つの蛇として表現しているのだ。それが頭頂のサハスララチャクラを覚醒して1つとなる。神人合一の誕生だ。

 後世、この秘儀は失われる。男女の交合として表現される。


 波多の脳裡に光がスパークするような衝撃が走る。

・・・ひょっとしたら、謎の組織、カバラを利用した超能力集団ではないか・・・

 波多達の行動、考えはすべて把握されている。そして――。

神との契約の聖櫃アーク、究極のカバラ!波多は身震いする。

 太秦――イエスキリスト、秦河勝、カバラを体得した超能力者への尊称ではないのか。

 波多はほっと一息つく。このことは波多の胸の内に秘められる。


 平成18年8月中旬、古川の講義が始まる。古川は波多家の近くに住んでいる。朝昼晩の食事、風呂は波多の家ですます。夕食後は応接室で3人そろって談笑する。日本のカバラは陰陽道として形を変えたとみている。これは波多も志保も認めるところだ。

――日本の神社は古代イスラエルの神殿だ。――時々古川の発言に驚かされる。神社は日本独自のものと思っていた。波多と志保は顔を見合わせる。古川の口元に見入る。

 古川は2枚の図をテーブルの上に広げる。1枚はソロモン神殿の構造図、もう1枚は神社の配置図だ。

 日本で神社としての建築物が建てられるようになるのは4世紀に入ってからだ。高度な技術を持った秦氏が日本に定着してからだ。

 ソロモン神殿と神社の相似点。

 第1、神社は囲いによって仕切られている。ソロモン神殿も囲いがある。神域として聖別されている。

 第2、神社にはご神体が収められている本殿、人々が礼拝する拝殿とに分けられる。

    ソロモン神殿は絶対神ヤハウエが宿る至聖所、人々が礼拝する聖所に分けられる。至聖所は、神社    の神官と同じく祭司人レビ人だけが入所を許される。

 第3、偶像がない。鏡を置く事はあるが、偶像ではない。イスラエル人は偶像を祀る事は厳禁だ。十戒     石板や聖別された宝、祭司用具のみだ。

 第4、神社の本殿や拝殿には灯明がある。ローソクを立てるための宝珠をかたどった燭台などだ。

    ソロモン神殿には、至聖所にメノーラーという7枝の燭台がある。そこに明かりがともされる。

 第5、神社には手を洗う手水舎がある。参拝者はここで手を洗い、口を漱ぐ。

    ソロモン神殿にも旋盤がある。人々はここで手を洗う事が定められている。

 第6、古くは神社の拝殿の側に、大きな水瓶が置かれていた。神職が手を洗うための旋盤だ。

    ソロモン神殿には大きな青銅の瓶が置かれてあった。瓶は12匹の牛が支える。青銅の海と呼ばれ    ている。祭司レビ人はこの中に体ごと入る。身を清めるためだ。後に、キリスト教のパプテスマ     (洗礼)となる。

    本来神社の境内には神池があった。ここで禊を行うためだ。三柱鳥居の蚕の社はその典型だ。

 第七、神社の鳥居、古くは鴨居の部分がなかった。2本の柱にしめ縄を張っただけのものだった。

    ソロモン神殿にも、ヤキン、ボアズと呼ぶ2本の柱があった。

 第8、神社は基本的には木造だ。ソロモン神殿も建物自体はレバノン杉で出来ている。

 第9、狛犬。神社の狛犬のコマとは高麗の事。中世の高麗ではない。高句麗を指す。犬とあるが本来は獅    子を象っていた。ソロモン神殿にも1対の獅子像が配置してある。


 古川はここで言葉を切る。2人を見守る。

「いいかい、ソロモン神殿はユダヤ教の神殿だ」日本の神社は原始キリスト教の神殿なのだと明言する。

 波多と志保は声も出ない。古川は畳みかける。ソロモン神殿には、燔祭のための祭壇があった。神にささげるための、牛や羊、鳩などの家畜を灰になるまで焼いた。

 神社にも燔祭の風習があった。平安京が完成する。桓武天皇は家畜を燔祭する。これを“あや神信仰”と呼んでいる。漢とは伽耶諸国の安耶を示している。

 仏教伝来後、動物を殺す事を忌み嫌う思想が入ってくる。斉明天皇は漢神信仰の禁止令を出す。以後燔祭の風習はすたれる。桓武天皇はそれを復活したのだ。

 ソロモン神殿の原型は出エジプト記にある。モーゼはシナイ山において絶対神ヤハウエから神殿を作るように命ぜられる。移動式神殿=幕屋だ。


 古川は1枚の絵図を取り出す、臨在の幕屋とある。四方を幕で囲まれた神殿。本殿と、拝殿が見える。その上空に雷雲が垂れ下がっている。そこから雷光と雷鳴が発せられる。絶対神ヤハウエは常に雷雲と共に現れる。稲妻と雷鳴をとどろかせた。

――3日目になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いた――(出エジプト記第19章)

――雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた――(出エジプト記第40章)

 ヤシロ――社(神社)は元来ヘブライ語だ。ヤはヤハウェ神、シロは臨在の幕屋が建てられた地の事。

――イスラエルの人々の共同体はシロに集まり、臨在の幕屋を建てた。――(ヨシュア記第18章)

 神殿には必ず賽銭箱がある。これは古代イスラエルの神殿にも存在した。

――王は命令を出して1つの箱を作らせ、主の神殿の門の外に置かせた。そして神の僕モーゼが荒れ野でイスラエル人に対して定めた税を主に納めるように、ユダとエルサレムに呼びかけさせた――(歴代記、下第24章)


 「波多・・・」古川が声をかける。何事かと波多は古川を凝視する。

「神社の正面には、しめ縄と鈴、それに綱がある」

 まずお詣りして、綱をふって鈴を鳴らす。それから柏手を打つ。

「しめ縄はね、臨在の神の雷雲、鈴は稲光と考えた」

 奇抜な発想に波多と志保は顔を合わせるのみだった。


                   日本の生命の樹


 平成18年9月中旬、波多達3人は伊勢にいた。船津ホテルを拠点として、太秦の秘宝を見つけ出そうというものだ。

 常滑の自宅は隣家の奥さんに留守番を依頼する。何か用事があれば携帯電話を鳴らしてもらう。

 船津ホテルの女将に神宮参拝について尋ねる。以前、内宮の巫女さんをやっていた。飛び入りで参拝するよりも・・・と考えての事だ。女将は外宮と内宮に電話を入れる。

「内宮、外宮共に、受付で船津ホテルの私の名前を出してください」

 女将の行為に謝意を表す。にこやかな女将の顔が厳しくなる。以下のような注意を与える。

――服装は正装の事。男は必ずネクタイ着用、酒気帯びでの参拝はもってのほか。手水舎で口をゆすぎ、手を洗う事。鳥居内は神域である。軽く頭を下げてから入る事。外宮様から先に参拝する――


 9月中旬とは言え、残暑が厳しい。波多と古川は半袖のシャツに水色のネクタイ。志保は茶色の夏服。

 外宮は伊勢市内に鎮座している。平日なので交通量の少ない。駐車場に車を止める。時計を見ると午前10時。船津ホテルの女将に言われた通り、手水舎で口をゆすぎ手を洗う。鳥居前で一礼する。境内地はうっそうとたる樹木で覆われている。ひんやりとして肌に心地よい。受付で船津ホテルの女将の名前を出す。受付の女性は若い。白装束の衣装だ。

「承っております。こちらへ・・・」受付を出て、3人を神楽殿の待合室に案内する。緑茶が出る。待つ事30分。神楽殿に案内される。

 倭舞が始まる。6人の巫女さんの舞だ。白装束に赤い袴姿。清楚な美しさだ。約15分。舞が終わる。赤土で焼いた土器でお神酒を頂く。3人は感無量の気持ちで参拝を終わる。

 内宮は伊勢市内の外れに鎮座している。外宮の時のように受付で船津ホテルの女将の名前を出す。神楽殿に案内される。御神楽を拝観する。

 神宮参拝後、お陰横丁で朝食を摂る。内宮駐車場から徒歩4分。すし久。船津ホテルの女将の推奨の店だ。2階の席から五十鈴川や宇治橋が見える。客の入りは5分ほど。料理は手ごね鮨。

 朝食後、お陰横丁を散歩する。近くの茶店に入る。3人ともコーヒーを注文する。コーヒーを飲みながら、古川は外宮の受付で購入した神宮のパンフレットを拡げる。

 先ほど拝観した神楽殿の写真が載っている。内宮、外宮とも同じ構造だ。神楽殿は南側正面から入場する。百畳敷の大広間に入る。畳敷が切れたところから磨き抜かれた板の間になる。一段高くなる。その広さはざっと2百坪程。ここで倭舞が行われる。

 その奥に簾がある。簾の奥が神座だ。簾の左右に人の大きさ程の榊がある。倭舞の6名の巫女さんも右手に榊を持って舞う。

 榊=生命の樹

 日本に伝わったカバラは、ユダヤ神秘思想のカバラの体系として伝わってはいない。


 日本に渡来する以前、秦氏は朝鮮半島にいた。彼らは百済、新羅、伽耶と言った古代朝鮮国を建国する。朝鮮半島内でも生命の樹が見い出せる。

 古朝鮮の3人の始祖、壇君、桓雄、桓因。壇君の子である桓雄は地上に降臨。古朝鮮を開く。降臨した場所が、聖なる樹、神壇樹だ。

 新羅の建国神話、新羅の始祖は天空から降りてきた黄金の櫃の中に入っていた。この黄金櫃、鶏林という林の樹の枝に引っかかっていた。この2つの神話に出てくる樹は生命の樹=カバラだ。

 朝鮮文化の背景には中国より伝来した道教思想がある。道教にも神聖な樹、扶桑樹がある。

扶桑樹は前漢時代の絹織物”帛画”に描かれている。ここには、古代中国の神話に登場する10個の太陽が描かれている。カバラの10個のセフィロトに対応している。

 中国の三星堆遺跡、中国古代殷の時代に、揚子江中流域に栄えた三星堆文明があった。独特の青銅器文明を持つ。遺跡の中に巨大な神樹が見つかる。高さ3、8メートル。山をかたどった台座に立つ神樹は明らかに生命の樹だ。

 仏教――釈迦が悟りを開いたのが菩提樹の下。これも生命の樹を表現している。

 インドでは7つの首を持った巨大な蛇、ナーガを背負って修行する釈迦、あるいは7つの枝を持つ七枝樹=メノーラが見られる。

 七は7つのチャクラ、ナーガは上昇するクンダリニー.七枝樹は生命の樹。

 秦氏が日本にやってきた後、神道は道教と融合する。生命の樹の典型的な例として門松がある。

・・・門松・・・波多の脳裡に吉川の言葉が浮かぶ。日野家での忘年会の席だった。

 門松の竹は3本。真中のひとつ頭が出ている。他の2本は同じ高さで両脇に立つ。真ん中の丈の筋は4個、両脇の2本は3個、合計10個のセフィロトに対応する。


 一方的に喋るのは古川。波多と志保は聞き役にまわる。古川の推論の奇抜さに2人は声を失う。

「船津ホテルで伊雑宮の御田植え祭のビデオを見たよね」波多と志保は頷く。

 ゴンバウチワと呼ばれる大きな竹はカバラ=生命の樹。ウチワと言われるように、竹柱には太一の文字と船の絵が描かれている。太一は道教の唯一神。ここから天皇、神皇、地皇が生まれる。船は神との契約の聖櫃アーク。

 祭りが始まる。早乙女達が稲の苗を植えていく。8歳くらいの男の子が女装して田船に乗る。

 田船――神との契約の聖櫃アーク、である事は明らかだ。女装した男の子。天照大神は元々二ギハヤヒという男の神様だった。

 持統天皇の時代に女神になったと伝えられている。

「俺はね、女神になったのは平安時代だと思う」古川は自分の意見を付け加える。

 女装した男の子は天照大神であると同時に、イエスキリストを表している。その証拠が2つある。天照大神の本当の名前は、大日霊女貴尊と申し上げる。古い時代に祀った神社にはこの名前で祀られる事が多い。霊女は今でもミコと呼ぶ。元々は天照大神の御神言を取り次ぐ巫女なのだ。神話に登場する女神は機織で布帛を織る姿で描かれている。

 機織=ハタオリ=ハットリ

 ハタ=秦氏の出である事を暗示している。

 秦氏の神と言えば太秦、イエスキリストしかいない。

 2つ目。

 女神はスサノオの狼藉に怒り、天の岩戸に隠れる。女神が天の岩戸にお隠れになる。神々が共議する。天の岩戸の前に真賢木を立てる。そこに八咫鏡をつける。神々が天の岩戸の前で笑い講じる。天鈿女命が裸で踊る。女神が岩戸を開く。手力雄神が天の岩戸を押し開く。

 このモチーフはイエスキリストの復活にある。イエスは十字架で絶命する。墓に葬られる。

――さて、1週間の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリやが墓に行くと、墓から石が取り除けてあるのを見た。そこで走って、シモン、ペテロとイエスが愛しておられた、もう1人の弟子の所に行って、彼らに言った「誰かが、主を墓から取り去りました・・・」――ヨハネによる福音書第20章

 復活したイエスに最初に会ったのはこのマリアである。


 天の岩戸――死んだキリストの墓、復活したキリスト――

 天の岩戸から出た女神、天鈿女うずめの裸踊り――マグダラのマリア、うずめ――うず(太秦)の女=イエスキリストの女

 マグダラのマリアは足まで届く長い髪で裸体を覆っていたという。

 真賢木まさかぎ――榊=生命の樹、真賢木に掛けられたのが、八咫鏡やたかがみ

 八咫=やた、はた、はだでユダヤ原始キリスト教。鏡は太陽の象徴だ。エジプトを源とした宗教は太陽信仰だ。ユダヤ教、キリスト教も根源には太陽信仰がある。 

 日本は天照大神を太陽神として位置付けている。

「内宮の天照大神、このご神体は八咫鏡だ」古川の断定する声が響く。

 天照大神が孫のニニギノミコトを大和へ送り出す時、鏡を持たせたとされる。鏡を示して「これを私と思いなさい」と言った。鏡は天照大神であり、太陽である。

「古川さん、1つ聴いてもいい?」

 志保が古川の声を遮る。何事かと古川は口を閉じる。

「男だった天照大神が、どうして女になったの?」波多は志保の疑問を尤もだと思った。

「多くの歴史家はね、持統天皇が孫の草壁皇子に皇位を譲るために作り上げたとしている」

 つまり天照大神が孫のニニギノミコトに大和の支配権を与えたとする前例があった。だから持統天皇もこれに倣って草壁に皇位を譲ったとする。

 しかしこの説は神道関係者は黙視している。

「つまりね、歴史家の節を認めていないという事だ」

 古川はその原因を天照大神の岩戸隠れにあるとする。天の岩戸にお隠れになった天照大神、天鈿女が裸踊りをする。神々が大笑いをして、場は宴会のように騒動しくなる。

 不審に思った天照大神は天の岩戸を少し開ける。天の鈿女が八咫鏡を持って言う。天照大神がもう1人いると。天照大神は八咫鏡に写し出された自分の姿を見てひるんだ。それを見た手力雄が天の岩戸を開く。

 これは天の岩戸隠れの有名な場面だ。天照大神は何故自分の姿を見てひるむのか、天照大神は高貴な身分だ。鏡は見慣れている筈だ。

 鏡を見たのは女神、映し出されたのは男神だ。

 八咫鏡――原始キリスト教の太陽神、イエスキリスト。そしてキリストに仮託した男神、ニギハヤヒだ。

「でもなぜ、女神にしなければならないの?」志保の声。

「それはね・・・」古川の声が一瞬途切れる。

・・・合わせ鏡・・・陰と陽、この思想は原始キリスト教のカバラと道教の融合によって成立している。


 古川はテーブルの上に伊勢神宮のパンフレットを拡げる。

 外宮は21代雄略天皇(478)に丹波の国から豊受大神をお迎い申し上げたとある。古川は外宮正宮の写真を指さす。鰹木が9本、千木の先端が垂直に切られている。内宮は鰹木が10本、千木が水平に切られている。

「陰陽道だは九は南をあらわす。これは陽。十は一で北、陰になる」

 外宮の神様は男、内宮は女神とされた。平安期、陰陽師の力でこのような形になったと考えられる。

そして――サカキは逆木、陰の生命の樹を暗示している。


 この時、茶屋に団体客がどやどやと入り込んでくる。3人は今日はここまでと、茶屋を出る。


                      八咫烏の秘密


 平成18年9月中旬、波多達は伊勢のあちこちを見て回る。太秦の秘宝の隠し場所、謎の男は洞窟の中だと言っていた。それらしき場所を当てもなく捜していた。

 当初、伊雑宮、内宮、外宮がカバラを形作ると考えていた。しかし、日本に持ち込まれたカバラ、もはやユダヤ神秘思想のカバラではないと知った。失望感にとらわれる。

 生命の樹=榊と推理したまでは良かった。榊は葉を繁らした木の枝だ。伊雑宮、内宮、外宮とどう結び付けたらよいのか判らないのだ。伊勢志摩の地図とにらめっこする日が続く。もう1度資料を点検しようという事になる。船津ホテルに泊まりこんで1週間が過ぎようとしている。

 波多と古川は図書室に入ったままだ。志保は船津ホテルの女将に案内されて、志摩の観光名所を歩いている。

 波多には気になる事があった。超能力、神のような力を人間が持つ。神への冒涜なのだろうか。

 波多は資料を整理する。一心不乱だ。物の気が付いたようなすごみさえ出ている。側にいる古川さえ声をかけるのを憚るほどだ。

 それから数日後、波多は志保と古川を図書室に呼ぶ。

「俺なりに調べてみた。ほとんど推測だ。細かい質問はしないでくれ」

 今までのまとめだと前置きする。ユダヤの十支族がシルクロードを通って、中国、朝鮮半島に辿り着く。後の新羅、百済、高句麗、伽耶などの国を造る。作るというよりも力を貸したと言った方が良い。

 十支族のほとんどがヤハウェ信仰を捨てて、バアル信仰に鞍替えしている。十支族の中に多くの祭祀族、レビ族が混じっている。彼らは生粋のヤハウェ信仰だ。

 バアル神は豊穣の神だ。日々の生活の糧を与える神で、誰でも受け入れる寛容な神だ。バアル信者はヤハウエ信者に対敵した考えを持ってはいない。レビ人はユダヤ人の中で特殊な種族、神官だ。神との契約の聖櫃アーク、、レビ人、祭祀人に対しては、バアル信者も畏敬の面を抱いて、接していいる。

 バアル信者の長はスサノオ。この尊称は代々受け継がれていく。最後のスサノオは九州で生まれ育った人物だ。彼は九州を制圧。その子ニギハヤヒは大和入りを果たす。

 ニギハヤヒが大和を征服後、契約の聖櫃アークは秘かに運び込まれる。その後征服地の地盤固めが行われる。

 応神天皇の時代、原始キリスト教徒が大量に渡来してくる。契約の聖櫃アークは失われた十支族ののレビ人、祭祀人、原始キリスト教徒によって守られる。

 時代が過ぎる。大和の宮中に保管された契約の聖櫃アークは伊雑宮に安置される。平安時代に桓武天皇の手で平安京に移される。鎌倉時代、武家の台頭後、秘密裏に伊勢に秘匿される。


 波多はここで言葉を切る。太い眉の下の小さな眼。面長で鼻が大きい。唇がつき出ている。決して美男子ではない。陽気な性格だ。笑うとひとを引き込む愛嬌がある。

――人に好かれる――波多の人徳だ。

 太秦の秘宝探しは、今、難問にさしかかっている。

「親父からね、道に迷ったら、高台に登れと言われている」今来た道を振り返る。今どこにいるかが判る。

 契約の聖櫃アーク、は宇佐八幡宮から運ばれてきている。本州の上陸地点が気になった。調べて驚いた。

”籠神社”など元伊勢と称する神社は27か所ある。しかし本伊勢は籠神社と伊雑宮だけだ。

 大和からでた契約の聖櫃アークは、まず籠神社に運ばれる。調べてみると、ここはアークの上陸地点だと判った。

 籠神社と伊雑宮には共通点がある。まず、籠神社の宮司は代々海部氏が勤めている。伊雑宮も磯部の海女たちの崇敬を集めている。どちらも海人の神社なのだ。次に伊雑宮の社紋、カゴメ紋、六芒星。籠神社も同じだ。


 波多は地図をテーブルに拡げる。中部と近畿地方だ。伊雑宮と外宮を一直線上に結ぶその延長線上に籠神社が乗っている。

「いいかい、籠神社は契約の聖櫃アークの上陸地点なら、伊雑宮は最後の鎮座地点なんだ」

 籠神社から外宮の神様豊受大神がやってきた。

 籠神社には以下のような極伝が伝わっている。

――古事記では天の御中主神、日本書紀では国常立尊と呼ばれるこの世で唯一の神が出現する。宇宙の根源神だ。

 北畠親房の神皇正統記に、伊勢外宮は天之御中主神也とある。つまり豊受大神と天之御中主神ほ同一神という。

 籠神社は秦氏の神社だ。唯一の神とはユダヤでは絶対神ヤハウエを言う。伊勢の外宮の根源神はヤハウエなのだ。内宮の天照大神はイエスキリストだ――


 「この船津ホテルを借りてくれた賀茂さんね・・・」波多は1冊の資料をテーブルに置く。賀茂神社の由緒録とある。

 賀茂氏の祖は賀茂建角身命、別名、八咫烏――

 神武天皇が大和に侵攻する。紀伊半島を大きく迂回、熊野に上陸。そこから吉野に抜けて大和盆地へ入る計画だった。先住民の抵抗に遭い、道に迷う。そこに現れたのが八咫鏡だ。神武天皇を先導する。無事、大和へと案内する。

 神武天皇を助けた八咫烏は秦氏の先祖だ。八咫はハタで秦氏、神武天皇=ニギハヤヒとすると、熊野、伊勢地方はすでにスサノオ系の勢力圏内に入っていた。伊勢地方に牛頭天王伝説があるのも、その理由による。

 八咫烏、中国神話では烏は太陽の精とされる。なかでも太陽に棲む烏は金色に輝いている。金烏と呼ばれる。金烏の足は3本。八咫烏も3本足だ。

 3本足はカバラの3本の柱。烏、太陽は鏡を象徴とする、生命の樹、カバラそのものだ。

 賀茂氏の先祖、八咫烏は伊勢神宮を凌ぐ程の力を持つ、全国の神社の総元締めなのだ。


 波多はコーヒーを飲む。窓から遙か東に臨む鳥羽湾は美しく輝いている。

「謎の男がね・・・」自分の先祖は失われた十支族のレビ人と打ち明けている。秦河勝の先祖はスサノオと共に日本にやってきたレビ人だった。応神天皇の頃に原始キリスト教徒が大挙して渡来してくる。スサノオ=失われた十支族のレビ人、祭祀人は原始キリスト教徒と合流、宗旨替えをする。

 牛頭天王としてのスサノオやニギハヤヒはそれを認めている。その代償として、原始キリスト教徒はスサノオやニギハヤヒを祀る。全国の神社の8割近くがスサノオやニギハヤヒを祀っている理由はここにある。

 八咫烏はレビ人であるが謎が多い。彼らは一生を神道の護持の命を捧げる。歴史の表舞台に出てくることはない。伝説の世界で妖怪、天狗として語られる定地だ。

 烏天狗のモデルは八咫鏡。天狗は山に住む。修験道の山伏だ。修験道の祖、役小角は賀茂氏だ。山伏の姿は伝統的なユダヤ人の衣装だ。

 八咫烏は古来より原始キリスト教徒の最高権力者集団だった。スサノオを九州に送り込んだのも八咫烏、応神天皇を大和入りさせたのも八咫烏。大和の宮中にあった天照大神の御霊=契約の聖櫃アークを伊勢に移したのも八咫烏。

 奈良朝末期、孝謙天皇を抹殺、桓武天皇の平安遷都を許したのも八咫烏。

「それじゃ、伊勢のどこかにアークを隠したのも八咫烏ね」志保は性急だ。すく先回りする。

 八咫烏は平安時代になると、陰陽道にみがきをかける。暦の制定は朝廷、天皇家の特権だ。陰陽師がそれを一手に握る。

 陰陽師を通じて八咫烏は生命の樹に細工を施した。

「そうか、波多、判ったぞ」古川が大きな声をあげる。

 ユダヤ神秘思想のカバラの図表が全く見られない。出てくるのは榊という生命の樹だけだ。神社へ行けば榊だらけだ。これ見よがしに榊を見せつけているみたいなのだ。

「俺たち、大事なものを見落としていないか」と波多。


 八咫烏は闇の中で日本の歴史を動かしてきた。古事記、原日本書紀、平安時代に改竄された日本書紀、その他の古記録の編纂に八咫烏がかかわりあっていたのでは・・・。

 天岩戸神話も八咫烏が作ったとみたい。

「古川!」波多の声が鋭い。古川は何だとばかりに波多を凝視する。

――合わせ鏡だ――波多は声を発して、手鏡を持ってくる。

「古川、みろ」古川の顔を写す。

「右手を上げて」古川は素直に従う。鏡に写った手は右手か、左手か。波多の声が飛ぶ。

「左手に見える」

「外宮と内宮は合わせ鏡だ」波多は古川の喋った言葉を述べる。内宮の鰹木は10本で陰、外宮は9本で陽。

「その他に・・・」波多の声が続く。内宮の千木は水平に切られている。これは大地を表す。つまり陰。外宮は垂直だ。天を指している。陽だ。

 波多はここで言葉を切る。一冊に資料をテーブルに拡げる。それをみて古川と志保は驚く。

 生命の樹が逆さになった絵図だ。根の部分が天になる。

「これはどこで」古川の声が震えている。

「古いカバラの図の中にあった」

 樹の根っこにケテルがくる。地面についた葉っぱがマルクトになっている。

――これが本来の生命の樹なのか――古川がうめく。

 合わせ鏡とは左右をひっくり返しただけのものではない。天と地をもひっくり返している。


                   榊の秘密


 日本神話でイザナギ命とイザナミ命が国土を作ったとなっている。

2神が天浮橋に立つ。そこから天沼矛を地上に刺す。泥海状態の国土を掻き回す。矛を抜く。その先から塩水が滴る。それが固まって陸地となる。

 宮崎県、高千穂、霧島山の山頂に天逆矛のモニュメントが立っている。天逆矛は天に向けられるように刺さっている。先は三叉だ。

――三叉はカバラの三柱だ――波多が言い放つ。天逆矛=カバラ=生命の樹を表している。

 道教に言う。一太一神から二(陰陽)が生じ、二から三(天皇、神皇、地皇)が生じる。三から万物が生じた。

 天逆矛は逆さに立っている。神道の生命の樹、榊は逆木と読む。カミノキとは読まない。

榊は神の木と書く。これは日本で造られた神道用語だ。神官、宮司は榊でお祓いを行う。榊を玉串とする。榊で結界を張る。

 榊は栄える樹から縁起のいい栄木という。境界線上にそなえるために堺木ともいわれる。だが、真の意味は逆木だ。インド神話の世界樹アシュブアッタも上下逆さになっている。

 木という文字は象形文字だ。木を逆さにする。横棒が地面になる。地面から伸びているのは三叉の幹だ。ここにも生命の樹の三柱が表現されている。


 「波多、すごいよ、今日のお前、見直したよ」古川が感嘆する。

「あなた、やったわね」志保の目が潤んでいる。

「もう1つある」波多は舞い上がろうとする心を抑える。

「さっき言ったろう。俺たち、何か大事なものを見落としているんじゃないかって」

 波多は1つの疑問を述べる。契約の聖櫃アーク、丹波の国籠神社に上陸したと伝えられる。丹波の国から大和までずいぶん遠い。初めから伊勢の国に上陸したほうが近いし、防衛上安全だ。

 神武天皇が熊野に入った時、すでに秦氏、八咫烏がこの地を平定していた。

 何故籠神社なのか。

「俺はね、八咫烏の遠大な計画に気づいて身震いした」波多の顔色が曇る。

 古川と志保は固唾を飲んで旗を見守る。

――契約の聖櫃アークの終着点は伊勢と決まっていた――

「でも・・・」志保が口をとがらす。

「判っている」波多が志保を遮る。

 契約の聖櫃アークは丹波に上陸する。次に大和入りする。それから伊勢に移される。その時間差は3百~4百年ある。

「八咫烏集団、その統領カンバラは超能力者だ」波多の断定に2人は声も出ない。

「波多、どうして丹波と伊勢なんだ」古川の疑問。

――籠神社、外宮、内宮、伊雑宮を結ぶラインはカバラの生命の樹なんだ――

「多分・・・」波多は付け加える。

 籠神社から外宮までが生命の樹の長い枝、伊雑宮がら外宮までが葉に相当する。

 契約の聖櫃アークは最終的伊雑宮に鎮座した。その後伊雑宮は隠された宮として封印される予定だった。内宮と外宮のみを強調する。伊雑宮は2つの神宮の奥宮として存読する筈だった。平安時代,朝廷の命で契約の聖櫃アークは宮中に運ばれる。動乱の時代になる。アークは再び伊雑宮に運ばれる。

 だが――神社と言えども、いつ戦火に巻き込まれるか判らない。八咫烏も知恵を絞ったはずだ。陰陽師、神道の奥義を会得した神官なら判る方法を選んだ。

――榊――

 八咫烏はユダヤ神秘思想のカバラを知っていた。3本の柱の中央、均衡の柱の上から⓵ケテル、⓺ティファレト、⓽イエソド、⓾マルクトが配置されている。

 榊は逆木だ。⓾マルクトが伊雑宮、⓽イエソドが内宮、⓺ティファレトが外宮、⓵ケテルが籠神社、⓵と⓺の間に隠れたセフィロト、ダアトがある。ダアトは知識を意味する。蛇の誘惑でイヴが食べた善悪を知る木の実なのだ。

「俺はダアトに契約の聖櫃アーク、を隠したと思う」波多は断言する。

 榊――玉串は葉の上の方に紙垂がついている。これはクンダリニーがどくろを蒔いて上昇する様をモチーフしている。神殿に奉納する時は葉の方を前に持つ。右方向に半回転させる。枝の方を神殿に向けて奉納する。

 神殿から見ると、枝の方が先になる。榊に鏡を取り付ける事もある。

「契約の聖櫃アークは外宮と籠神社を結ぶライン上にある」波多は謎の男八咫烏の頭領カンバラの言葉を思い出す。

――太秦の秘宝は伊勢、洞窟の中・・・――


 古川がさめた目で見ている。

「波多、簡単すぎやしないか?]

 古川は伊勢志摩の地図をテーブルに拡げる。伊雑宮と外宮を結ぶ。その先にあるのは・・・。

伊勢市街、多気郡明和町、その先に松坂市街がある。そのずっと先には琵琶湖を横切る。

 古川のいわんとする事はこうだ。籠神社と伊雑宮を結ぶラインを生命の樹と考えたのは面白い。外宮の北側に”お宝”があると言ううのは、地理的に無理がある。

 八咫烏は賀茂氏からの出自だ。契約の聖櫃アークを平安京から運び出す。伊雑宮に移す。ここも危険と察知する。隠し場所には充分に策が練られたはずだ。

「お前、吉川の言った事、思い出さないか」古川の問い。

 波多は常滑の常石神社の事かと念を押す。

――常石神社、大善院、神明社は、それぞれ伊雑宮、内宮、外宮の配置に酷似している――

 古社と常石神社の2倍の直線上に大綿津見神社が来る。

「俺、これにすごい興味を持ったんだ」古川は京都の地図を拡げる。

 上賀茂神社と下鴨神社、それに伏見稲荷大社を指す。

「この3つの社の配置が伊雑宮、外宮、内宮、にそっくりなんだ」古川の声が熱を帯びてくる。

 上賀茂神社を常石神社とすると、古社の位置が比叡山延暦寺に相当する。延暦寺と上賀茂神社上に沢山が載ってくる標高516メートル。京都では高い山になる。

 ただしと古川は付け加える。これはあくまでも推論だ。外宮を常石神社とする。古社を二見興玉神社、夫婦岩になる。そうすると大綿津見神社は多気郡大台町の柳原になる。ここには柳原観音が祀られている。

 3人は顔を見合わせる。お宝の秘蔵場所がここだという確信はない。

 常滑の古社が3社に分祀されたのは応仁の乱の時と言われている。太秦の秘宝のこの時代に前後して隠されたのではないか。上賀茂神社、下鴨神社は賀茂氏、秦氏の創建による。伏見稲荷大社も秦氏が建てている。伊雑宮、内宮、外宮の配置を真似たのではないか。

 この時、船津ホテルの女将がメモ用紙を持ってくる。

――柳原観音で待つ――日と時間が指定してある。


                    黒い神の秘密


 平成18年9月下旬、深夜、柳原観音千福寺境内地。

”謎の男”の指定場所だ。波多達は事前にこの寺について調べる。

――真言宗の寺院。本尊は聖徳太子作の十一面観音菩薩。地元では”やないばら観音として親しまれている。安産、縁結びの神と言う。2月、8月の大祭には無病息災の火渡り行事が行われる。寺の前方には宮川が流れている。伊勢西国三十三ヵ所の観音霊場の第九番札所だ。西の方に浅間山が聳えている――

 聖徳太子――三人は顔を見合わせる。聖徳太子は秦氏と縁が深い。広隆寺もそうだ。


 柳原観音千福寺は山の中だ。9月下旬の深夜、底冷えする寒さだ。ひょっとしたら山の中を歩くかもしれない。洞窟に入る可能性もある。波多達は登山服で身を固める。ヘルメットも用意する。リュックサックも背負う。軍手、地図、懐中電灯、水、食料、手ぬぐいなどを詰め込む。

 船津ホテルを夜10時に出る。鳥羽市内まで走る。鳥羽から伊勢二見鳥羽ラインに入る。そこから伊勢自動車道に乗り換える。伊勢自動車道は外宮と内宮の中間を走っている。

 伊勢西インターを通過。玉城インターを超える。勢和多気インターで降りる。ここまで約1時間。国道42号線に入る。南に約2キロ走る。白のレクサスは快適な走りを見せる。新川から東に曲がる。約1キロで柳原観音千福寺に到着する。柳原観音の西側剣道沿いに近代的な大きな工場がある。柳原観音の周囲に集落がある。北西の方向に標高317メートルの浅間山が聳えている筈だが、暗闇で望めない。 

 柳原観音千福寺の駐車場にレクサスを駐車する。時計をみる。11時半。約束の時間は午前0時だ。3人とも緊張気味だ。伊勢自動車道のパーキングエリアで用足しをしている。無言のまま、車の中で時の過ぎるのを待つ。

 午前0時、柳原観音千福寺の正門の中、懐中電灯を照らす人影が現れる。懐中電灯の光で、来い来いと合図を送っている。波多達はリュックサックを背負い車を降りる。正門は正面の道より高い。数段石段を登る。人影は何も言わず、くるりと背を向ける。先導するように寺の中へ入っていく。百メートルばかり石畳が続く。

 正面奥に本堂がある。人影は本堂手前の横手へと歩を進める。厨がある。住職の住まいが侘しいたたずまいを見せる。境内地には防犯灯がついている。

 住職の住まいの裏手に入る。見事な門構えの接待所がある。ガラス格子の引き戸が開いている。広々とした玄関、磨きぬかれた桧の上がり框。天井の豆ランプが淡い光を降りしている。玄関と並行して走る一間幅の廊下。その奥の和室に案内される。部屋の中は暖かい。前方に御簾がある。

 しばらく待つ事、御簾の奥の襖の開く音がする。

「待たせたな」御簾の奥から声が響く。

 波多達は御簾の方にむかって正座している。無言のままだ。

「よくぞ、ここまでたどり着いた」労りの言葉だ。

「古川、二見興玉神社に眼をむけた、その理由を述べよ」声は命令調だが圧迫感は無い。暖かい響きに満ちている。

 古川は御簾の方を真直ぐに見つめる。以下のように述べる。

――祭神は猿田彦大神、宇迦御魂大神、綿津見大神竜宮社、猿田彦大神はニニギノミコトが天照大神より三種の神器を授かり天降られし時に道案内をしている。

 また垂仁天皇の御代、倭姫命が天照大神の御鎮座の地を求められし時にも五十鈴川の川上に導いたとされる。

 夫婦岩の沖合7百メートルの海中に鎮まる猿田彦の霊石”興玉神石”を拝む。

古来より二見浦より富士の山影を望む。その背景から輝き登る朝日を天照大神の御神徳として配していた――

 夫婦岩はもともと二見興玉神社の鳥居だった。猿田彦の猿田は、はたの語音変化した言葉だ。彼はスサノオの子と称せられ、ニギハヤヒが大和侵攻の前に、伊勢地方に入り、その地を平定している。

 富士山は古くは浅間山と称していた。柳原観音千福寺は古来その奥の山を浅間山と命名し、信仰の対象としていたのではないか。

 古川の説明が終わる。

「私から質問があります」波多の力のこもる声が響く。御簾の奥から何事かと問う声が下る。

――倭姫命をこの地に導いたのも、神武天皇の大和入りを助けたのも、八咫烏。猿田彦も八咫烏。あなたは八咫烏の長、カンバラ・・・――

 波多の声は薄暗い部屋の隅々まで響き渡る。

「見事!我らは絶対神ヤハウエとイエスキリストの御霊を奉じて、この国にやってきた」御簾の奥から快活な声が響き渡る。

 御簾の奥の影が立ち上がる。襖を開けて出ていく。黒い影が3人の前に立ちはだかる。登山靴を持ってついて来いと言う。3人は言われるままに黒い影に従う。

 部屋を出る。玄関から続く廊下は、住職の住まいと厨の間を抜ける渡り廊下だ。階段がある。本堂の横手だ。本堂は闇の中だ。懐中電灯の灯りだけが頼りだ。本尊の十一面観音の横から裏手に回る。一旦本堂の外に出る。階段を下ると、小屋がある。2坪程の大きさだが頑丈な造りのようだ。入口は観音開き、南京錠がかかっている。黒い影は錠を開ける。中に入る。波多達も後に続く。しばらく待つと3つの黒い影が入ってくる。入口を閉める。

 4つの黒い影、「開けろ!」その中の1人が3つの影に命令する。3つの影は床の板を剥しにかかる。

「これから、太秦の秘宝と対面する」黒い影は一方的に話しかけてくる。波多達は無言のまま従うのみ。

 懐中電灯に照らされた床下に、黒い穴が見える。石段が続いている。4つの黒い影は石段を降りていく。3人もそれに従う。

 石段は数十段あろうか、随分長い。

――この石段は浅間山に続いておる――声が響く。周囲は黒い岩のようだ。石段を降りきる。地面はゴツゴツした岩肌のようだ。緩やかな下り道だ。

――3キロほど歩く。今から言う事を心して聞け――

 影は命令口調だ。3つの影を従えて悠然と歩いている。

洞窟の高さは2メートル、幅1メートル程。声は狭い空間に反響して響く。

――絶対神ヤハウエは黒い神だ――謎かけのような言葉だ。

 モーゼ五書、旧約聖書の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はユダヤ教のトーラー(律法)として知られている。

 だがモーデはあと2つのモーゼ書を書き残している。この2書は魔術指南書だ。モーゼの数々の魔術、神を呼びだして支配する方法が描かれている。

 西暦313年、ローマ帝国コンスタンティヌス大帝はキリスト教を公認。2つのモーゼ書を絶対発禁書に指定する。この書の存在を知る者はほとんどいない。失われたユダヤ十支族のレビ人、祭祀人達のみだ。彼らはこの2書を極秘に口伝で伝えてきた。これを受け継いだのが、陰陽師達であり八咫烏だ。

モーゼ2書は本来は魔道書と言われる。カバラを利用して超能力の開発のためのマニュアル書なのだ。

 神、絶対神ヤハウエを呼び出し支配する。モーゼ2書はそれが具体的に記されている。契約の聖櫃アークにヤハウェ神が封印されている。神を呼び出す。神に命令する。それが出来るのはモーゼ直系の子孫のレビ人のみ、日本にやってきたレビ人の内、イエスキリストの称号を持つ太秦のみがモーゼの血を引いている。

 時代は容赦なく彼らを飲み込んでいく。陰陽師、八咫烏によってカバラとモーゼ2書は引き継がれていく。文字として書き残すことは可能だ。だが、太秦の子孫は時代に翻弄される。行方知れずとなる。

――我らはお前の一家が太秦、秦河勝の直系の子孫と知った。お前まで到達するには大変な苦労があった――

 八咫烏のカンバラの声は小さいが、洞窟に反響して大きく聞こえる。

――モーゼは神に言った。私がイスラエルの人々のところへ行って彼らに「あなた方の先祖の神が、私をあなた方の所へ遣わされました」という時、彼らが「その名は何というのですか」と私に聞くならば、なんと答えましょうか。

 神はモーゼに言われた。「わたしは、有って有る者」。また言われた、イスラエルの人々にこう言いなさい。「私は有るという方が、わたしをあなたがたのところにつかわされました」と――

 (出エジプト記第三章)


 古代、人々は他人にフルネームを明かすことは無かった。親、神からもらった名前を明かすことは、身分を明かす事で、相手に完全に身をゆだねる事を意味した。したがって相手の名前を知る事は、相手に対して絶対的な支配権を行使する事になる。

 神はモーゼに名前を明かしている、この何気ない旧約聖書の記述に大きな秘密が隠されている。

――私は有って有るヤハウエ――神の名だ。だがこの神の名は完全に誤訳だ。

 考えてみるがよい。多くの信者が読む聖書に神の本名を記する訳がない。

 神の本名はモーゼを通じて一部のレビ人、祭司人に口伝で伝えられる。彼らは一年に一度だけ神殿で唱えるのみ。

 神の名はY・H・V・H・(ヨド・ヘイ・バウ・ヘイ)この四文字は聖なる無限力の鍵となる。超能力発現のための強力な武器となる。後世にアドナイ(ADONA)から母音が取り出される。YHVHの子音の間に容れられる。ヤハウエという神の名が創り出される。

 ヤハウエ――強いて訳するなら

――私は均衡の均衡である――

 我々の世界は均衡を得ようとして動いている。冷たい風は暖かい所に吹いて、温度差を失くそうとしている。高い所の水は低い所に流れて、高低差を失くそうとする。

 すべて一定になろうとする力は宇宙全てにおよぶ。絶対神ヤハウエは均衡を成す力の源だ。

――初めに神は天と地を創造された。地は形なく、虚しく、闇が渕の表にあり、神の霊が水の面を覆っていた。神は”光あれ”と言われた。すると光があった――(創世記第1章)

 ここに均衡の均衡としての神の性格が語られる。

――初めに闇があった。闇は混沌であって、黒い神は深淵の渕の面を動いていた。黒い神は言った。”光あれ”こうして白い神があった――モーゼ創世記のオリジナル

 モーゼは黒い神ヤハウエを支配する。ユダヤの民には白い神ヤハウエを崇拝させる。

――道のうべきは、常の道にあらず。名の名付くべきは、常の名にあらず。名無きは、天地の初めにして、名有るは、万物の母なり。まことに常に欲無きもの、もってその妙を観、常に欲あるもの、もってその徴をみる。この2つの者は、同じきより出でたるもの、しかも名を異にす。同じきものはこれを玄という。玄の玄、衆妙の門なり――老子

 実体のない道の世界と、実体ある名の世界はいずれも弦を根源としている。玄の奥底に万物の源がある。


 道教の説く道の実体とユダヤ教カバラ、イエスキリストの説くカバラ、八咫烏が1つにまとめる。太秦が引き継ぐ。平安時代、陰陽道が生命の樹として玉串に封印する。

 榊――神官が参拝者に与える玉串は白い神、根を下にした生命の樹。参拝者が神に奉納する榊は逆木、根を上にした生命の樹。神の本質が黒い神だという事を表現している。

 万物の根源の神は日本では天御中主大神となる。御中主――均衡の中心の神だ。

 神が人間に対して意志を持った時、神は2つの面を持つ。白い神は自然の摂理に従う。黒い神は人間の欲求に従う。


 黒い影は悠然と歩いている。波多達は遅れまいとして後を追う。黒い影――能舞台の黒子のような衣裳、決して正体を見せない。本名さえ判らない。顔を見せて正体を明かす事を恐れているようだ。

――我々は生まれた時から名を持たない。超能力獲得のための厳しい修行に明け暮れる――黒い影は話す。

 ”神との契約の聖櫃アーク”

 本来、人間は神にお願いするだけだ。契約など出来る立場にない。神に対して畏れ多いのだ。契約行為とは神を縛る行為だ。神を人間の欲求に従わせる。アークに封印する。黒い神を使いこなす。

 八咫烏の長、カンバラは哄笑する。


                  契約の聖櫃アーク


 ――まるでアラジンの魔法のランプだ――波多は醒めた目で黒い影を見詰める。

 洞窟の道は緩やかな下り坂だ。天井は高くなったり低くなったりと不規則だ。自然の洞窟に手を加えたと思われる。側面も滑らかではない。黒い岩肌が延々と続く。

 下り坂が平坦となる。百メートル程歩く。行き止まりとなる。懐中電灯で周囲を照らす。天井が高い。広々とした洞窟内と判る。

 4つの黒い影は1つの面の壁に向かって立つ。その側面だけが磨き抜かれたようにつるつるしている。4つの影はその側面に向かって跪く。波多達も見倣う。影たちはぶつぶつと呪文を唱える。身を屈めたまま両手を高く掲げる。祈りが終わる。影たちは洞窟の隅から箱を持ってくる。そこだけが祠のようになっている。小物入れのようだ。

「懐中電灯やリュックサックなどはここに置け」カンバラの声。

――1か月に一度はここに来る。神の名を唱える――

 この壁の向こうに、契約の聖櫃アークが安置されている。

この壁は――、陰の1人が祠の中から取り出した松明に灯をつける。6本の松明が明るく輝く。この壁は我々の力では開けられないと言う。

 波多は壁を見る。幅2メートル、高さ3メートルはあろうか。相当に大きい。開けようにも把手がない。

「この壁を開けられるのは、秦河勝の直系の子孫のみと言い伝えられている」カンバラの声は厳しい。


 カンバラは波多に指示する。「壁に両手をつけ」3つの影が松明を持ったまま波多の後ろに立つ。

 カンバラが波多と並ぶ。波多は眼を瞑る。カンバラの心の動きが波多の脳裡に伝わる。カンバラは心の中で呪文を唱えている。その思念が波多の意識を動かす。波多の口からききなれない呪文が飛び出す。

 波多の両手が壁を押し付ける。そのまま左の方へ移動させる。地響きのような鈍い音が伝わってくる。巨大な壁が動いているのだ。ゆっくりと、実にゆっくりと動いている。壁が8分ほど開く。カンバラの思念が波多の脳裡から消える。

 6本の松明に囲まれた4つの黒い影。その後ろに波多達が続く。壁の厚さは約60センチ。中に入る。

巨大な洞窟だ。2階建ての家が、数軒すっぽり入る広さだ。

 前方百メートルはあろうか。明かりが見える。幻想的な金色の淡い光を放っている。

――あれが契約の聖櫃アーク――

・・・あの中にヤハウェ神が鎮座しているのか・・・波多は緊張する。志保と古川の手をぎゅっと握る。

 金色の光は床より数段高い位置にある。

「光源もないのに、どうして金色に輝くんだ」古川が呟く。


 3本の松明が石段の下に並べられる。あとの3本は3つの影が持つ。。

「みろ、契約の聖櫃アークを、9百年ぶりの対面だ」カンバラの声は感極まっている。

 石段の上で光り輝くアーク。2体のケルビムが跪く。両手の羽を広げる姿。金色に輝く櫃。箱の4隅に金環がある。金箔を施したアカシヤ棒が挿してある。

――神輿の原点がここにある――

 波多と志保、古川は茫然と眺めている。


 3つの影が石段から数歩下がって片膝をを付く。

「登山用の服と靴を脱げ、裸足になれ」カンバラが波多に命じる。波多を石段の下まで招く。カンバラの声が響く。

「アークの後ろに立て、蓋の両端を持って手前に引け。ゆっくりと、決して音を立てるな。蓋をアークにもたせ掛ける様にして床下に降ろせ」箱の中を決してみるなと念を押す。その後は石段から降りて後ろで控えておれと指図する。

 松明に照らされたカンバラの顔は黒い布で覆われている。わずかだが透けて見える。彫りの深い顔。長い鷲鼻、薄い唇、風雪に耐え抜いたような表情だ。

 カンバラの顔をみて波多は驚愕の念に打ち震える。疳高い声を発するが、唇は全く動いていない。

 波多の心を読み取ったカンバラ、にっと笑う。


 カンバラは石段の下、松明の後ろで胡座する。

 波多は石段をゆっくり上がる。古川と志保を見る。2人は肩を寄せ合い蹲っている。不安そうに波多を見詰めている。波多は石段を登りながらカンバラを眺める。彼は瞑想のまま呪文を唱えている。

 石段を登りきる。一枚岩の巨石だ。畳10帖程の広さがある。中央にアークが安置してある。アークそのものから淡い金色の光が発しているのだ。

 波多はアークの後ろに立つ。2体のケルビムは波多の肩の高さだ。ケルビムを上から覗き込む。4枚のケルビムの羽が菱型となって、蓋を覆ている。

・・・ピラミッド・アイ・・・アメリカの1ドル札に描かれた神の目。それはすべてを見通す万能の目だ。

 ・・・はっ!・・・波多の尾骶骨が燃える様に熱くなる。どろどろした溶岩が吹き出すような感じだ。そらが蛇のようなどぐろを巻いて上昇する。肉体の脊髄を中心にして、マグマが回転しながら昇ってくる。腹を超え胸を焼く。首を通り頭の中に入る。百会を突き抜ける。それが火の玉となって脳天を突き破る。

 一瞬、波多の眼がくらむ。元の状態に戻るのに1分とかからない。

 波多は蓋の両端に手をやる。蓋はケルビムを載せたまま自然に動き出す。それも波多の前の方だ。波多はカンバラを見る。彼は俯いたまま瞑想したいる。必死に呪文を唱えている。後ろに控える3つの影も片膝をついたまま俯いている。


 アークが僅かずつ開く。箱の中は眩いほどの光輝に満ちている。正視できない程の明るさだ。箱の中はからだ。

――ヨド・ヘイ・バウ・へイ――

 波多の口から神秘の言葉が漏れる。

――Y・H・V・H――この子音は発音不可とされている。モーゼから口伝を受け継いだ者のみが、この音を響かせることが出来る。聴く者にとって、それがヨドへイバウへイと聞こえる。イスラエルの民にはヤハウエ、あるいはエホバと聞こえる。

 波多は神の名をもう1度唱える。

――モーゼの名において、契約を解きます――

 アークの蓋は箱から滑り落ちている。箱の中から強烈な光りが立ち昇る。波多はアークに一礼する。ゆっくりと石段を降りる。同時にカンバラの呪文が止む。彼らはすくっと立ち上がる。石段を駆け上る。波多は素早く登山服や靴を履く。志保と古川を抱き寄せる。床に蹲る。

 アークの後ろに立つカンバラ、両手を高々と上げる。彼は神の名を2度唱える。

――モーゼとの契約において、神に命ずる――

 カンバラは甲高く宣言する。後ろに控える3つの影は、オーと声高に叫ぶ。


 この時だ。波多の脳裡に大きな恐れが湧く。

「志保、古川、眼を瞑れ。神が地を這う。何も見るな」

波多の声が血のように迸る。2人を抱きしめる。地面に顔を伏せる。


 太陽を百も合わせたよな光りの波が洞窟内に充満する。蹲り眼を瞑っていても光の波が眼球を襲う。頭の中は白い光りで充満する。

「眼を開けるな。何も見るな」波多は必死に叫ぶ。

 断末魔の絶叫が響き渡る。肉を裂き、骨を砕く音が聞こえる。波多達は耳を覆う。

――神が、ヤハウエの名を捨てた――波多は悟る。黒い神は元の闇の中へ還っていく。

 耳を覆っても絶叫は聞こえてくる。眩しい光りが頭の中へ侵入してくる。

――体が熱いわ。怖い――志保が震えている。波多は力一杯志保を抱きしめる。

 絶叫が止む。眩しい光りは弱くなっていく。目の前が暗くなる。波多達は眼を開ける。顔をあげる。4つの黒い影は何処にもない。石段の下の3本の松明、アークの横に放置されたあ3本の松明が淡い光を放つ。

 アークの蓋は元通り箱に上に載っている。

・・・ここは聖なる場所、近ずいてはならぬ・・・

 3人の脳裡に声が響く。

「地響き・・・」古川の声。

「地震よ!」志保の脅えた表情。

 地響きがだんだん激しくなる。天井から石がパラパラと落ちる。

 入り口の岸壁が閉まろうとする。3人は慌てて駆け出す。間一髪で外に飛び出す。祠の箱の中から懐中電灯を取り出す。洞窟を駆け上がる。


                    プロローグ


 洞窟は約3キロの長さだ。緩やかとは言え、登坂だ。3人は手を取りあう。懐中電灯で足元を照らす。リュックサック等の荷物は祠に置いてきたままだ。

 地響きはやんだようだ。荒い息を整える。よろけながらも前進する。ようやく石段の所まで辿り着く。石段を登る。床の板は剥されたままだ。3人は床の上に這い上がる。一息つく。

 波多は秘密だぞと念を押して志保と古川に語る。アークの蓋が開いた時、モーゼとの契約を解くと、光り輝く箱の中に語り掛けた。その後に八咫烏とカンバラがアークの前に立った。

「それじゃ・・・」古川が絶句する。契約を解かれた神がカンバラの命令に従う訳がない。神の怒りに触れたカンバラの末路は・・・。

「これからどうするの」志保の心配そうな顔。

 とにかく外に出ようという事になる。小屋を出る。腕時計を見ると午前4時。空は暗い。

 3人は本堂に入らず、本堂の渡り廊下を歩く。厨と住職の住まいの間の廊下に降りる。廊下の奥に1人の老僧が正座している。3人の顔を見る。深々と頭を下げる。

「お話ししたい事があります。こちらでお茶でも・・・」住職は住まいの方へ先導する。

 住職の住まいは8帖2間だ。奥の部屋は事務室、手前入り口の部屋は応接室。老僧は3人に座布団を勧める。お茶とお菓子を差し出す。

「貴き御方からの伝言をお伝えします」住職は温和な表情で話をする。

――洞窟に入るが、もし自分達が戻らなかったら、洞窟は永遠に閉じよ――

 1時間ぐらい前に地震があった。あなた達だけが戻られた。洞窟は貴き御方の家来衆が閉じる事でしょう。それともう1つ、洞窟に入った事は他言無用。これが貴き御方のご意志です。

 老僧は淡々と話をする。波多達は黙って頷く。


 波多達は船津ホテルに戻る。3日ばかり逗留する。伊勢のあちらこちらに歩を向ける。3日後、女将がこれをと言って、3人のリュックサックを渡す。波多達が洞窟の中の祠の中に置いてきたものだ。

 八咫烏――彼らの正体は謎だ。彼らの長、カンバラが死んだ。新しいカンバラが選ばれるだろう。だが彼らは決して歴史の表舞台には登場しない。3人は常滑に帰る。今まで集めた夥しい資料の内、八咫烏に関する物はすべて焼却する。

 平成19年1月。3人は船津ホテルに行く。神宮参拝の後、柳原観音千福寺に詣でる。住職の案内で本尊の十一面観音菩薩を拝する。

 本堂の裏手にあった小屋は撤去されて無くなっている。跡地にはセメントが流し込まれて、石仏が立っている。

 3人は浅間山に向かって、深々と頭を下げる。

                        ――完――


 参考資料

――秦氏の謎、神武天皇の謎、アークの謎、八咫烏の謎、陰陽道の謎、天照大神の謎、以上謎シリーズ

 発行学研ムーブックス 著者飛鳥昭雄、三神たける(秦氏ユダヤ人説は以上の資料を参考にしました)

――封印された黒聖書の謎、発行学研ムーブックス、著者ケネス・B・Vプフェッテンバッハ、北周一郎訳

――封印されたモーゼの書の秘密、発行KKロングセラーズ、著者K・B・Vプフェッテンバッハ、並木伸一 郎訳

――神秘のカバラ、発行国書刊行会、著者ダイアン・フォーチューン、大沼忠弘訳

――カバラと薔薇十字団、発行人文書院、著者マンリー・P・ホール、大沼忠弘、山田耕士、吉村正和訳

――カバラの真義、発行霞ヶ関書房、著者M・ドリール、林鐡造訳

――誓書、発行日本聖書教会、

――契約の櫃、発行徳間書店、著者ジョナサン・グレイ、林陽訳

――オリオン・ミステリー、発行NHK出版、著者ロバート・ボーヴァル、エイドリアン・ギルバート、吉村 作治監修、近藤隆文訳

――陰陽道の本、発行学研、ブックス・エソテリカ4号

――道教の神々、発行平河出版社、著者窪徳忠

――道教の本、発行学研、ブックス・エソテリカ4号

――道教の神秘と魔術、発行ABC出版、著者ジョン・プロフェルド、陳舜臣監訳、西岡公訳

――日本史を彩る道教の謎、発行日本文芸社、著者高橋徹、千田稔

――道教の大事典、発行新人物往来社、責任編集坂出祥伸

――チャクラ・異次元への接点、発行宗教心理学研究出版社、著書本山博

――密教ヨーガ、発行池田書店、著者本山博

――古代日本正史、発行婦人生活社、著書原田常治

――上代日本正史、発行婦人生活社、著者原田常治

――消された覇王、発行河出書房新社、著者小椋一葉

――女王アマテラス、発行河出書房新社、著者小椋一葉

――失われた日本、発行原書房、著者吉田武彦

――天皇系図の分析について、発行今日の話題社、著者藤井輝久

                            以上

お願い――この小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織等は現実の個人、団体、組織等と    は一切関係ありません。

    なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は、作者の創作であり、現実の地名の情景    ではありません。






 

 

 


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